体育館の壁に大きく掲げられたスローガン「飛 Show time ~今 建中めっちゃええ感じじゃけぇ!!~」
9月21日(木)午前9時、建部中学校の文化祭「飛翔祭」が始まる。
100名に満たない生徒数、しかし館内はやる気と期待が渦巻いている。保護者たちもカメラを据えたり、応援のウチワを手にしたりで、観る気、満々。
生徒代表による開会の言葉、そして先日、福渡駅で元気な演奏を披露してくれた吹奏楽部による演奏。
最初の曲「銀河鉄道999」を皮切りに得意の「Sing Sing Sing」まで5曲を披露。パーカッションが切れのいいリズムを刻む。
2番に登場は「奏~かなで~」による和太鼓。両手に持ったバチを休むことなく打ち続ける、先生と女子生徒2名による力強い演奏。
続いて1年生による劇、題名は「飛翔祭殺人事件」ビデオで事件を再現、先生も登場してユーモアたっぷり。観客と一緒に犯人捜しする巧みなシナリオに感心。
次は女子6人「RanRan」によるK-POPダンス。曲に合わせて身体全体で動きを表現する様に観客席からも熱い視線が投げかけられる。
(尚、このシーンは動きが早すぎて写真がすべてブレてしまい紹介できません、お詫びします)
休憩に入り、館内に展示された作品を鑑賞する。美術は1年生の「絵文字」2年生の墨による「屏風絵」3年生の「篆刻」。
国語では2年生の「短歌」3年生「俳句」。
進学に必要な数学や英語と言った学科だけでなく、心を養う授業の成果を観ることができた。
再びステージ。2年生による劇「黄金のがちょう」有名なグリム童話の一説、全員で作ったという大道具や背景画、衣装も手作りで楽しさ満点。最後は全員が舞台に立ち大フィナ~レ。
館内が暗くなり登場したのは10本のペンライト。「バカfive」によるヲタ芸。5人の男子生徒の目まぐるしい動きに、もう館内は大興奮、飛び交う光がさらにそれを盛り上げる。
お孫さんの演技を観に来たおばあちゃんも「私らはホントにもう付いていけません(笑)、若い人はすごいですね」と眼を細める。
トリを受け持つのは3年生による劇「建中新喜劇」。修学旅行に行った沖縄を舞台にしたオリジナル台本で挑戦。お笑い番組をベースにしているらしく、セリフが発せられるたびに爆笑(年寄り記者にはチンプンカンプンです)
こうして、令和5年度の「飛翔祭 」は大盛り上がりの内に閉幕となる。いや、このあと、先生によるサプライズステージが待っていた、ここにおいて全員のエネルギーが一つとなった。
(レポート・三宅 優 )
もう、どうなってんだー!と、わめきたいほどの蒸し暑さ。異常が続きすぎて、もはや通常となった秋の熱帯、涼やかな秋はいつ
やって来る?
8月のJR観光列車「SAKU楽SAKU美」歓迎イベント「福ふく市」では相当な暑さが押し寄せ、参加者も汗だくとなったが、次の9月については
誰もが「もう秋に入ってるから、やりやすいよ」と楽観的だった。
ところがである、この日9月17日(日)は朝から夏の日差し、
「市」の出店者らは陽の当たり具合を考えながらターフテントを建てる位置を決める。
今年4月から始まった福渡駅での「サクサク」列車歓迎のお手振り、数えると53日にもなる。最初は「こんなこと、いつまでも続けられんでえ」とぼやく御人も多々いたのだが、
結局のところ、そう言った人ほど休まず出勤(笑)、毎回10人程度は必ず参加してきた。
こんな熱意が伝わってかどうか、7月からの「福ふく市」も盛況に開催され、この日を迎える。
我が福渡町内会の「たこ焼き福丸」もこの日、出店、100パック分の仕込みを終えスタンバイ。
駅待合室では建部中学吹奏楽部の管楽器が先ほどから音合わせの真っ最中。
列車到着30分前、11時を過ぎると一気に、どこから湧いてきたの?と問わんばかりの人、人、人。子供たちが多い、圧倒的に多い、狭い駅にこれだけ集まると
、いつの間に多子低齢化したのかと目を疑いたくなる(笑)
11時37分、SAKUSAKU列車が見えて来た、ブラスバンドが奏でるジャズの名曲「スイング・スイング」に乗せて列車も足取りも軽やか~に入線。
いつもながらに乗客ビックリ、頭の上に「???」マーク続出(笑)、その「?」は「何で、この駅では、こんなに歓待してくれるの?」
その答えは「ここが建部だから」
そんな乗客も演奏を聴き終え、車内に戻り窓越しに見せるのは満面の笑み、スマホをビデオに変えて歓迎模様を録画する。
「出~発!」今度は乗客全員がお手振りのお返し。
「暑かったね、まあ、とにかく、何とか終わった」そう言い合うのは、この53日を共にしたお手振りの仲間たち。とは言え、列車は11月まで運行するとか。
「ええー?9月で終わりと、ちゃあーうん?(違うの?)」・・・伊予弁で(笑)
(レポート・三宅 優 写真・江田 陽子)
先月第1回サマースクールを終えてから約1か月、この間とにかく暑い日の連続だった。そして第2回のこの日も変わらずに日差しの照り付ける一日となりそうだ。
今回のテーマは「森の中での体験」+うどん打ち、参加したのは市内からの5家族14名、いかがな体験が待ってるだろう。以下、実行メンバーである記者(三宅)のレポート。
8月26日午前8時半、4年振りの「友愛の丘」ベースキャンプに13名のスタッフ集合。広大な敷地、森林浴パワーが溢れる中での活動は大人も開放され、自らの夏休みにもなりそうだ。
9時半、実行委員長(当新聞、勝部編集長)による開校宣言。
続いて山崎光 先生(自称 フンコロガシ)の自然の中での注意説明。
「ハチが来たら直立不動、動かない、ヘビを見つけたら手を出さないじっとしてれば逃げて行く、かぶれる葉っぱには触れない」
子どもたちは山崎先生からもらった「自然の中で見つけるビンゴ」の用紙を手にイザ、森へ。
さっそく誰かが見つけて「あっ、セミの抜けガラだ」「ここにもある」「ここにも!」
そのうち「ジージージー」(先生)「おっ、木の上を見上げてごらん」
大木に止まって鳴くのは本物アブラゼミ。
トンボも次々やって来る。「これは、アキアカネトンボ」
バッタを見つける、「昆虫の特徴が言える人
?」
「頭、胸、腹の3つに分かれていて、脚が6本です。」こう答えたのは、めだかの学校、武藤館長(笑)
足元には黄色くなったカエデの葉、カシの実・・・ツルツルした木にモアモアの紅い花「サルも滑るのでサルスベリ。長く咲くので漢字で”百日紅”と書きます」
「ねえ、先生、これなあに?」女の子が指さす先に葉っぱに付いた白いプチプチ。
「アッよく見つけたねえ、これはカメムシの卵、カメはクソガメと言われて臭いのでそう呼ばれるんだよ」
気がつくとさっきから、地上1メートルほどを悠々と行き来するオニヤンマ、下草の上を飛ぶ蚊を獲っているとか。スタッフら大人が懸命に網で追うが、かなわず(笑)
先生、もっともっと話をしたそうでしたが次の授業の会場に到着しました。ここからは、うどん打ちの体験へ。
こちらも4年振りとなる「うどん打ち」講師はこれまたお馴染み、古本博史先生。そして新しく女性の佐藤典子先生も参加。
さっそく各家族に500グラムの小麦粉、水(秘伝味配合)が渡され、生地を練る作業。手や顔を粉まみれにして、丸あ
るなったら、次は足で踏む仕事。
「これは踏むことで小麦粉に含まれるグルテンというモノを引き出して、粉をくっ付くようにするんだよ」
「足ふみ」200回で終了。「フー、くたびれたー」
休んではいられないよ、次はもっと大変、この生地を何倍にも伸ばす仕事が待ってるよ。
麵棒をグイグイ押すこと百回、グルグル伸ばすこと数百回、徐々に広がってきて、それでもまだまだ足りません。
「やったー」自分の顔位の大きさだったのが、6倍の風呂敷サイズに。
そして、最後に包丁切り。人差し指を包丁に腹に当て、5ミリ程度に均一に上から押すように切っていく。
小さな手に不似合いなほど大きい包丁、やれるかなあ?
意外や意外、結構辛抱強くやっている、そして完成。キャンプではスタッフがお湯を沸かしてうどんの到着を今か今かと待っている、時間はちょうど正午。
ゆで時間は15分、自分たちで打ったうどんを家族で食べる、さあてそのお味は?
スタッフも大鍋から桶に移したてを「頂っただきま~す!」
午後の授業は自然の素材を使った「フォトフレーム」作り。朝のうちに撮った各家族の写真を張り付けて、今日の思い出に。
黙々と木の実にボンドを付けて置いていく女の子。鳥の羽から松ぼっくり、なんでも貼り付けるのは男の子。スタッフも自作に夢中で子どもの手伝いに回る気配なし(笑)
こうして、子供も大人も楽しむ夏休み授業は終了、時間は2時半。
友だちになった男の子たち、まだ遊び足りないのか、木立の中へ冒険に。
(今日の感想を聞きました)
どんな活動が心に残りましたか?
「森の探検でセミのぬけがらがいっぱいあった」
「自分の思っていた以上のことを知ることが出来た」
「ネイチャーワークで初めて出会った子と虫捕りしたこと」
「自分でうどんを作って食べることが出来たのでよかった」
「うどんを打つとき手や足がすごく疲れたけど楽しかった」
(レポート・写真 三宅 優)
暦では立秋を過ぎ幾分は涼しくなっても良さそうだが、炎天魔大王の怒りは治まりそうにない。こんな時は不要不急の外出は控えるようにとのお達しだが、
建部町民は義理堅い。
「せっかくここまで楽しみに来られている人をガッカリさせるわけにはいかない」とJR列車歓迎に汗だく奮闘。
当日の模様を「たけべ福渡しプロジェクト」の森本みどりさんがレポート。
(レポート 森本みどり)
8月20日(日)今年2回目となる「福ふく市」がJR福渡駅構内で猛暑の中、開かれました。
今回のJR特別観光列車「SAKU美SAKU楽」歓迎イベントでは午前11時38分着、津山行きに合わせて「七社八幡宮神楽保存会」の神楽の演舞。
午後1時43分着、岡山行きに合わせて地元「オカリナ野の花」の演奏が用意されました。
おいしい物ブースは「建部物産販売所」の新鮮野菜と桃にブドウ、「建部ヨーグルト」のソフトクリーム、「ケーキハウスキシモト」が、かき氷、
今回、初出店となる「アクティブ鶴田」のジビエコロッケ、津山から「鉄板EBIS」の津山和牛肉ラーメンが参加。
暑さ解消、昼食準備にお悩みの町民に救いの手を差し伸べるラインナップです(笑)
また待合室では建部支所設営の「建部祭り」PR動画が流され、隣に獅子頭も展示、長くコロナ禍で中止されていた建部祭がやっと10月8日に開催されることもあり、
町内外に広く知ってもらいたいとの思いが伝わります。
朝からカンカン照り、気温もゆうに35℃を超える中、午前11時のスタートに合わせてお客さんが集まって来ました。
「おや?今回は小さな子どもの姿が多いな」
立っているだけで、汗びっしょりになるほどの中、子どもたちは早速、冷たいかき氷やソフトクリームに一目散。
獅子頭の展示前で初めて見る獅子の大きな顔を眺めながら、獅子の目玉をくりくりと触ってみる子、獅子にとっても初めての体験だったろう、なんとも微笑ましい!
11時38分、サクサク列車到着、それに合わせて「本日の目玉(笑)」神楽の舞が駅ロータリで始まりました。
笛、太鼓、鐘の音が響く中、観客はもう暑さも忘れて只々、演舞に魅入っています。そのまま発車3分前の合図まで居て、慌てて買い物をする乗客の姿も。
あっという間の8分間、今日は、獅子と一緒に列車を見送りました。
午後1時43分着の岡山行きはオカリナの演奏でお出迎え、駅舎内に爽やかな風が吹き抜けるかの様です。
乗客も音色に誘われ、冷房の効いた車内から次々ホームに出て1番ホームに渡り、演奏を楽しみました。
お見送りでは「七社八幡宮神楽保存会」の方が最後まで獅子頭を手に、おもてなしされていたのが印象的でした。
10月8日(日)建部七社八幡宮で行われる「建部祭り」が賑わう事を願いながら、第2回「福ふく市」は今回も無事、終了しました。
次回「福ふく市」は9月17日(日)こうご期待!!
(レポート・写真 森本みどり)
8月11日、久々の建部町納涼花火大会。昨年は実施の予定が急遽、取りやめとなった。今年は早々、開催決定、そこで記者にとって頭の痛い問題、
記者は数少ない実行委員なので終始裏方に出ることに。
もうすでにSNSで大会の模様が多数アップされていることもあり、今回は取材を諦め、写真を岡山市議会副議長 森田卓司 氏より提供いただき、簡単な紹介を添えるのみとさせて頂く。
盛大な中で終わった大会、心配は次の日の”ゴミ”だ!
が、奇跡は起きた、なんと翌朝、スタッフ、ボランティアが会場に集まってみると、「無い」「見当たらない」「一つとして落ちてない」のだった。
なんということだ、昨夕、スタッフらで観客一人づつに手提げポリ袋を渡し「ゴミを持って帰ってください」とお願いしたのが功を奏した。
いやあ、取材もせずに汗をかいて奮闘した甲斐があった、万々歳なり。観客の皆さん、屋台のみんな、ありがとうー。
では、安心してゆっくりと爆音の花火をご覧あれ
迫力の
花火の模様
(レポート・三宅優 写真提供 森田卓司)
隅田川の花火大会に見物客が170万人と聞いて、なんでそこまでして観たいのだろうと首をかしげる。と言ってもここ建部でも近日、催される予定だが。
大きな感動は本当に心に残る思い出となるだろうか、記者の個人的経験からすると、毎年、父親に連れられ酒津の花火大会に行った、しかし覚えているのは、人の頭と帰りに眠くて自転車の荷台から落っこちそうになったこと。
むしろ鮮明に思い出すのは毎夏、近所の友だちと橋の上でした花火、どっちが長く点いているか、最後の最後まで「ポトッ」と消えるまでを見つめていた。今では、あの時間すべてが懐かしい。
これまで記者の住む福渡地区では町内の老人施設と共催で「夏祭り」を実施していたが、コロナが止んだわけではないので今年もできそうにない。そこで先ほどの話に戻る。
「小さな催しでも、心に残るものができるのでは?」
記者の住む福渡と編集長、勝部のいる富沢で開かれた小さな夏祭りの模様を伝える。
「福渡ちっちゃな夏祭りをしよう会」実行者は町内会長(記者)と役員、それと気の合った仲間(福笑組)。
用意したもの「焼きそば」「焼き鳥」「おでん」「飲みもの」屋台。
他に子どもらに「輪投げ」「射的」「ヨーヨー釣り」「花火」のお楽しみコーナーが。
さっそくメンバーの一人、長く舞台美術に携わって来たヒロカガ氏に案内ポスターを依頼、そのあとヒロカガ氏、体調悪く入院も
「いやあ。却って病院で何もすることがないので下絵を全部、描き終えたよ」
ポスターも回覧で回して、さあ、初めてで人が気づいてくれるかどうか・・・。
開始1時間前(16時)、スタッフ集合、各自、持ち場で作業に入る。「焼きそば」の鉄板は町内で「持っていない道具はない」と言われる
古本さんからお借りしたプロ仕様のモノ。焼き手は若かりし頃、腕に覚えありの山本さん。「焼き鳥」も炭火を熾しての本格派、これは火を使わせたらこの人、前町内会長”やぶさん”。
「おでん」は当日に煮込み、配膳は佐藤さん夫婦が受持つ。
最初のお客さんは先日、お父さんの49日を終えたばかりのAYちゃん「来たよー」元気な姿に安心。
2番目、子ども連れの3人はベトナムからやって来たFさん家族。今回、特別に招待。
3番、昨日、数か月の東京研修を終え戻られたばかりの河本さんと愛娘、はるちゃん。
4番目、お揃いのユニフォーム?、なんと福渡小学校校長先生と教頭先生、担当主任の先生も。
5番、建部・御津の代弁者にして今期から岡山市議会副議長に選任された森田 卓司 議員
6番、頭に巻いたスカーフはインドネシアから町内にある「葵の園」(老人養護施設)へ研修生としてやって来た看護師たち。こちらも特別招待。
さっそく先客の岡田さんが話かける。
「私はインドネシアにはバリ島とかに何回も行ったことがあるんじゃ」
(看護師さん)「バリ島?行ったことないです」
そうなんです。インドネシアは日本の2倍の人口で、何千もの島からなり数百の違う言語の人で国がつくられています。
「私たち2か月前にここに来ました、3年間ここにいます」
自分の国の他の島にも行ったことのない彼女たち、日本は第二のふるさとになってもらえるだろうか。
それからは、次々と焼き鳥の煙に誘われて(笑)、顔なじみの町の人たち。異国感あふれる会場でコミュニケーションが広がる。
子どもたちはと言うと、手作り割りばし鉄砲で「射的」「輪投げ」。
ベトナムのFさんのお嬢ちゃんポーンと放った輪が3つ的に入る。すごいね、賞品トイレットペーパー8ロール(笑)
花火も始まる、大人の見る花火より、子どもに映る花火の方が、多分ずっと心に残る。
終わってみると、やっぱり炭火で焼いた焼き鳥がうまい!厚い鉄板で炒めた焼きそばも絶品・・・と分かる(笑)
これならベトナムの人もインドネシアの人も味にうるさい町の人も、そして屋台大好きの子どもらも、大、大満足だったに違いない(W笑)
(レポート・三宅優 写真・松下りえ )
夏祭りシーズンが来たよー
8月6日、3年間のブランクを経て、ようやくこぎつけた富沢夏祭り。前日から手分けしながら4年前を思い出し思い出し準備を終え、本番を迎えることができました。
実行委員長を中心にテントを張る人、やぐらを建てる人、野菜を切る人、炭をおこす人、無数の役割りを分担、まるで一軒の家を建てるがごとしです。
飲料コーナーの特設交流コーナーは開始の5時には缶ビール片手での「カンパーイ」4年間の孤独が吹き飛んでいきました。焼きそばコーナーはヤングガールズの皆さんが(後期高齢の私から見てですが・・・)大つぶの汗を流しながらヘラを返してます。
かき氷は氷を削るとカップが山盛り、夏の風物詩ですねー、フランクフルトと焼き鳥はヤングボーイズの皆さん(あくまでも後期高齢者の私の目)子どもたちの遊びはスーパーボール、シャボン玉、水鉄砲の射的。
最後は花火で打ち上げ、色々あって三世代交流で楽しんでいました。田舎の行事は、役割り分担と参加の活動が基本です、こんな時代だからこそ大切していきたいですねー❗
(レポート・勝部公平 写真・森本みどり)
待ちに待った夏休み!今、地球はどうなっているのだろうか?
連日35度をこす猛暑の中、今年も岡山市環境学習センター「めだかの学校」主催、第1回サマースクールが市内の12家族30名が参加し開催されました。ほぼ4年振りです。
今回は建部町「B&G 海洋センター」での旭川カヌー体験と里山(田地子地区)でのブルーベリー摘みです。
カヌー体験では、我が子がカヌーの運搬から後片付けまでがプログラムの体験に組み込まれており、汗だくの子どもについつい大人が手を出してしまう。
実行委員長(記者 勝部)が「大人のやり過ぎが子どもの成長や自己実現を阻害しますよー」と言ってもなかなか・・・日本の過保護社会がここまで来たかー(笑)。
でも親の目を離れ、カヌーで川中に出てからは自力でなんとか前へ進むようになりました。若ものジュニア、期待してますよー!
午後からの建部町田地子にある本田農園でのブルーベリー摘みは、家族の協力ゲームみたいでブルーベリーを食べながらの収穫。バケツにいっぱいの大粒ブルーベリーが獲れました。
その後、会場を公民館に移しての試食会。本田さんの奥様手作りのブルーベリージュースやジャムの美味しさに舌鼓、なんとも贅沢な体験のサマースクールでした。
(レポート・勝部公平 写真・三宅優 )
かつて、この町を「釣りと桜と温泉の町」にすると宣言した時代があった。夢ははかなくも消え、今は「荒れた山畑と年寄りと猪」の町。
そんな建部町で30年振りと言われるアユ釣り大会が開かれた。会場となったのは「カヌー大会」が開かれる「しあわせ橋」の上と下の流域。
「令和5年岡山県鮎釣り選手権」と銘打ったこの大会には吉井川・旭川・高梁川の水系ごとに15名3チームが出場し、腕を競った。
開会に当たっては、建部町のエース森田卓司・岡山市議会議員も駆け付け選手激励をした。係りの人によると、川石のコケの噛み後がそれほど多くないので大漁は難しいかもしれないとのこと。さてさて、アユたちはどこへひそんでいるのだろう。
午前9時、おとりアユを受け取った選手らは、決められた流域へと入って行った。
この後、残念ながら競技の結果は記者の怠慢で聞けていない。と言うのも、記者はあまり釣りは得意ではない、もっぱら塩焼きのみである(笑)。
ただ、奇しくも30年前に描いた光景が今日(こんにち)観られることに不思議な感慨を覚えた。
釣り人、鉄橋を渡る列車、八幡温泉、桜並木・・・演出道具は今もそろっている。
(レポート・写真 三宅 優 写真提供・森田卓司 岡山市議 )
午前9時、すでにスマホの温度計は31度、「こりゃあ、大変な暑さ(熱さ)になりそうだな」
そう話すのは地域のコミュニティハウスで「たこ焼き」の仕込みをする男3人、
実はこの3人、歴代の町内会長で未だに第一線で汗を流す(笑)
この日(7月16日)、1年ぶりのJR福渡駅でのイベント「福ふく市」が開かれる。福渡町の「たこ焼き・福丸」は今や「売り切れごめん」の人気、期待を裏切るわけにはいかない。
10時開始を前に福渡駅には何人ものボランティアスタッフ(なんと全員、自主参加!)と出店者「石窯パン屋nico」「スイーツ チュプ」「サニーデイコーヒー」
「建部物産販売所」そして我が「たこ焼き福丸」、それとイベント出場の「はっぽね太鼓」の面々が次々、到着。
「おお、結構、気合入ってるな」長く取材をしてきた記者感が「ピピッ」と反応。
一方、こちら「たこ焼き」グループ。女性陣3人と次期町内会長(井手)の応援を得て試作に入る。
「石窯パン屋 niko」さんのピザ窯にも火が入る。互いに目前温度40度越え必死。並べるだけの「物産」「ちゅぷ」さんがうらやましいー。
そんな「物産」ブースで「おっ?」と見ると「建部産」の桃、「さすが、旬を持ってきたな」
とは言え、列車停止時間はわずか8分、それに向けて迎える側が全精力を傾けるのだから「のんびり朝市」とは少々、様子が違う。
これはもう「スゴイ!」と言うか、「何だ、このエネルギー、どこから湧いて来るんだー」と我ながら聞きたくなる(笑)
「今日は何食の予定ですか?」オニビジョンの記者さんの質問に「う~む、80食位かなあ」
一度、火を入れたらそこを離れられない、取材は成就寺の森本美登里さんにお願いする。
開店してすぐに、ひっきりなしにお客さん、急遽、「これじゃあ、すぐになくなるから、お一人2パックまでにしよう」と作戦変更。
アイスコーヒーの「サニーデイ」さんにも列、屋根のないロータリーはまさに炎天下。どこから来られたのだろう?見慣れない子ども連れがゾロゾロ。
常連のアニマルおじさんもモルモットを連れて遊びに来てくれた。
11時半、駅舎内は手に手に小旗を持つ子どもや大人で、大混雑(あくまでも記者の耳からの取材)
そうして「ドド~ン!」「そ~れ!」駅前ロータリーに陣取った「建部はっぽね太鼓」が鳴り響く。
スタッフの一人、東さんのハンドマイクの呼びかけ。
「みなさん、間もなく列車が到着します、小旗を振って歓迎しましょう。お見送りには子どもたちでシャボン玉を飛ばしましょう」
(なるほど、安上がり、効果抜群のエンターテーメント)
「アッ来た、ピンク列車が来たー」子どもの興奮した声。
列車到着!ホームにびっしり詰めかけたお手振り歓迎に、乗客はさぞやびっくりしただろう、「え?何?」「スゴイ、楽しそう」「降りてみようよ」と言ったかどうかわからないが(笑) 太鼓ステージ前はスマホを手にする人、人、人、おっと勤務中のアテンダントさんも堪らなくなって思わずカメラ(笑)
列車出発の時刻、子どもたちがしゃがみこんでシャボン玉の用意。「♪シャボン玉 飛ばそ、列車の上に・・・♪」
行く人、見送る人、互いが、ありったけの手を振り合う。
わずか8分、されど8分、人々の熱意とまごころがギッシリ詰まった”おもてなし”これこそが我が町、建部の”おもてなし”
(撮影をお願いした森本美登里さんの当日のコメント)
今日は列車のお客さんも多く、歓迎ムードに誘われてほとんどの方が列車から降りてこられました。(両便とも)
そして「建部はっぽね太鼓」の音に惹きつけられるように広場に出られ、見入っておられました。
列車のお客さんは短い時間なので、すぐできるアイスコーヒーがよく売れていたようです。たこ焼きさんは予約でいっぱい。
チュプさんのわらび餅は早くに完売。
nicoパンさんは暑い中でも一つ一つ窯で焼いて下さって、行列ができていました。
お昼ごはんに、ばら寿司を買いに来られたおばあちゃんが、今日はないんですと伝えたら残念そうにしていたのが申し訳なかったです。
イベントが始まる前からお買い物に来られている年配の方や、小さな子ども連れの姿もけっこう見えました。
楽しみにしてくださっている人がいるのを感じました。
三連休中日なので中学生も沢山来てくれ、午前の便を見送る際のシャボン玉飛ばしや、
午後の便の幕持ち、旗振りも手伝ってくれて、とても頼りになりました。
若い子たちが大勢いるとそれだけで活気が出ます。
かなりカンカン照りの一日でしたが、今日の「福ふく市」はひとまず成功です。
(編集部)
森本さん、お疲れさまでした、ありがとうございました。
そして編集部からも一言。
「へこたれない町」というのが全国にあって、
今、確実に建部がその一つになろうとしているのを感じた。
(レポート・三宅 優 写真・森本美登里 )
3年振りの「しろみて祭」。「里山建部」、建部町富沢地区にある夙山をベースキャンプに山の保全と活用を進めるグループ。メンバーは会長、勝部(当新聞編集長)を筆頭に町外からの参加者を含め20名以上が名を連ねる。
この日(7月2日)は、わずかの梅雨の合間とあってスケジュールの都合の付かなかった人も多い、それでも16名が集結、早朝から鳥越池、周辺の草刈に精を出す。
こうした作業は毎月、定例で行われてきた、ただ、このコロナ禍の間は終了後の交流会が開かれることはなかった。今日は「しろみて祭り」、まさに3年振りとなる親睦会。
手入れされた岸辺には、今を盛りと謳歌するアジサイが雨季の味わいを演出する。この季節、草の勢いに恨み言の一つも出てしまうが、それでもこうして自然に囲まれ暮らすことの贅沢さを思わないではいられない。
草刈も一段落した、メンバーはてんでに日陰に集まり、午前中の成果を確認する。
「池周りは、手前がまだ半分残っっとる」
「小屋の裏の斜面はやらなくちゃあだめだろう」
「まあ、これだけ草刈り機を使ったら早いじゃろう」
機械も道具類もすべて「里山建部」でそろえてある、炭を焼いたり、薪を販売したりした資金と市からの助成金で購入した。
一度、手を休めてしまうと、中々エンジンがかからない。前会長の重本さんがそんな様子を察して「今日はもう、これで終わりということにしましょう」と提案する。
そうとなれば、腰を据えて会を楽しむことにしようと、いそいそと車を家に置きに行く人。
知らずか、再び草刈り機の音、どうしてもやり残した部分が気になるらしい。
展望台から下を眺めると、そうした人や車が大きな風景の中でジオラマの模型の様に収まっている。ここには静かな生活がある豊かな暮らしがある、つくづくそう思えた。
「しろみて」の始まり、まずは前々会長の藤原さんによる「しろみてとは?」
(藤原)「”しろみて”はちょうど今頃、田植えが終わりホッとして体を休める習慣から来たもの、稲苗を全部植えて、なくなったという意味だそうです。
その前には田に、”のノ字”の反対に田起しをする”ヤレボー”という行事もあって、皆が牛を飼っていた頃の話ですが・・・」
一つの話で、忘れていた子ども時代へとつながる。
テーブルにはスーパーで買って来た、お弁当、ビール、そして無くてはならない「タコ」。これについては勝部会長の説明。
「なぜタコを食べるかと言うと、苗が土に吸い付くように根を張ることを願って始まったと言われています」(なーるほど)
3年振りの「乾杯!」は数秒の感慨深い沈黙。「長かった、が、とにかく、今日が来てよかった」
一人一人の自己紹介を含めた近況報告に宴が盛り上がる。
ちなみにこの日の参加者名。勝部公平(会長)、重本勝利(前会長)、藤原秀正(初代会長)、片山健次、市川正之、楢村文彦、佐藤誠、平松和弘、前原愼市、杉本久典、本田義章、
佐藤琢志、佐藤卓司
、山路大渡、大塚愛(県議会議員)三宅優(記者)。
今回は新顔の人が2名参加。吉田に来られた佐藤琢志さん、郵便局にお勤めだったそうで、早期退職してからの田舎暮らし。薪ストーブに使うマキを探していたところ、
この活動グループに出会ったとか。
もう一人、山路大渡さんは町外からの参加、1999年生まれと聞いてビックリ。
「きっかけと参加した感想は?」
(山路)「メンバーの図子さんの紹介です、もともと里山に興味があったのですが、まだ慣れていないので仕事はこれから覚えたいと思います。
ここに来ていろんな人が集まって、色々な人生談も聞けるのがうれしいです」(頼りにしてるぜ、若者!)
思い起こせば、道を造り、山を削り、展望台を組み、小屋を建て、すべてメンバーの力で成して来た。それもそのはず、大工の棟梁がいて、ブルドーザーを使う人がいて、
電気に詳しい人、竹細工の名人、山の案内人、あらゆるキャラクターが集まった、人材こそがチームの財産。
そんな会の集まりもそろそろお開き、締めは重本前会長。
「こうして集まってみると、今更ながらに一人一人がスゴイなって思います、それに、みんな仲がいい、
これは誇れます、ここが地域のつながりを産む場になる気がしています。次回は9月です、それまでどうぞ元気でいてください(笑)」
間もなく夏休み、コロナ再盛が聞かれる中、故郷を離れた子どもや孫たちの帰省が懸念される。
そこで、当新聞からもメッセージ。
「お~い、子どもたち、オヤジたちは、こうして仲間と楽しくやってるから、心配せずにそっちでも、がんばってやれ!」
(レポート・三宅 優 )
JR福渡駅に、どこからともなくやって来た正義の軍団、その名も「建部おもてなし隊」(笑)
この春から運行を始めたJR「SAKU美SAKU楽」列車の乗客を福渡駅で歓迎しようというボランティアグループだ。
顔ぶれは「建部を何とか盛り上げよう」と言うAさん、Eさん、Kさん、Sさん、Mさん「町のことなら手助けするぞ」と言うHさん、Nさん、Tさん。
他にも「頼まれたからにゃあ断れん」Fさん夫妻、「せっかくだから私らも楽しみましょう」Eさん夫妻、「ワシらの駅じゃけん(協力するのは)当然じゃ」と言う町内会の人たち。
その数1ダース以上。
彼らは毎週、土日午前11時30分には駅に集まる。顔ぶれが欠けていると「おや、今日はどうしたんじゃろうか、体調でも悪いのかな」と心配顔。
やがて遅れてその人がやって来る「ごめんごめん、うっかりしとって・・・」「おう、おう、あんたがおらんと、始まらんで(笑)」
他でもない、今ではメンバーは互いの顔を見るのが楽しみに。
11時38分、この日もピンクに頬を染めた「サクサク」(津山行)が1番線にゆっくり入線。小旗が振られ、シャボン玉が舞う。車内からこの光景を見た乗客の驚くさまが見て取れる。
「いらっしゃーい、いらっしゃい、ようこそー」
まずは七福神の駅名の前で記念撮影、「アテンダントさんもいっしょにお願いできますか?」
シャッター係りはボランティアのHさん。
この日は駅舎内に「キシモトケーキ」「建部ヨーグルト」がスタンバイ。
短い10分程度の停車時間だが、冷たいソフト、お土産のスイーツを求め次々と列ができる。
この間、ボランティアたちは「どこから来られたんですか」
「横浜です」(乗客)
「まあ、わざわざ遠くまでよう来られました」と会話を交わす。
「♪カラン、カラン」と出発3分前の鐘が鳴る。
アイスを手に慌てて車内に戻ろうとする乗客、「大丈夫ですよー、まだ3分ありますよー」
こう呼びかけるのもボランティアの役目。
やがてボランティアたちはそろってホームの先頭へと移動。
サクサクのドアが閉まり、「ガタン」と列車が動き出す。いっせいに小旗が揺れる、車内からもいっぱいのお返しの手。来たときは知らない者同士、別れる時は旧知の間。
「よかった、よかった、みんな喜んでおられたけん、それが一番じゃ」満足げにボランティアのNじいちゃんがつぶやく。
合言葉は「じゃあ、また来週!」建部おもてなし隊は今日も笑顔で去って行く。
『終わり』(笑)
7月の「福ふく市」開催予定。
7月16日(日)10時から
(レポート・三宅 優 )
6月中盤に入った日曜日、昨日は今年最高の気温34度、今日も暑くなるぞーと身構えていたら、意外と朝から曇り空でややムシムシする程度。ホッとして長靴履いて、岡山市環境学習センター「めだかの学校」へ向かう。
本日のカリキュラムは「田地子川で魚とり」、なんと岡山市内から11家族36名が参加すると言う、コロナからの解放感が伝わる。
午前10時、武藤館長の説明を受けた一行はそれぞれの車に乗り目的地、田地子川へと移動。10台もの車が数珠つなぎで進むのは、まさしくコロナ発生前以来、あの頃は20台もの列が出来た。田植えを終え、水を見に来た地元の人らも”久しぶりに何事かな”と手を止め、戻って来た活気を味わう。
いつもの「たけべ認定こども園」前の川原が今日の教室、事前に地域の方が草刈をして下さっている。
講師はアユモドキの生態に詳しい小林一郎先生。
(小林先生)「じゃあ、これから魚を捕る上での注意点を言います。まずは草むらを歩くときはマムシに用心して、素足だと嚙まれます」
「次に魚を捕るやり方ですが、こうして網を置いて上流から足で追います、手でやると私も経験があるのですが、釣り針が刺さることがあります。あと流れが速い所、じゃっかん深くなっている場所もあるので気を付けて」
今日は濁りもなく川底が透け、絶好のコンディションだ。
開口一番は「キェーXXX!」解読不明。
「ヒェー、つめてー」どうやら水の冷たさに驚いたようだ。
そうして「網を置き、足で・・・」ところが先ほど聞いたばかりの話はどこへ?
いきなりバッシャ、バッシャと手当たり次第に水面を叩く。
さすがに先生を伺うと「こん何でいいんですよ、(最初は)こんなんで」と至って達観(笑)
始めは「エビが取れたー」「あっ、ヤゴだ」、「また、小っちゃいエビ」「もう、ヤゴばっかりだ」
だったのが、「ママー、バケツ、バケツ、早く持ってきてー、魚が取れた」
覗くと10センチほどのカワムツ。
上流で漁をしていた子どもの一団から「ワッ!」「ワッワッ!」のどよめき。「コイ!」「鯉がいたー」
ゆっくりと水中を移動するのは体長40センチほどの錦鯉。どこかの家から逃げたのか、飼えなくなって放たれたのか、無理くり子どもらの網に捕獲される。
弱り切っていた紅色錦鯉さんも無事解放され、そそくさと旭川へと下る。
胴長に身を固めたお父さんらもいて、気合の入れようが違う。他にも子どもに劣らず夢中の親たち、次々と収穫が明らかになる。
「先生これは何ですか?」女の子が川石の下から見つけたと言う黄色い粒々。
(先生)「うっ、うっ、これは何の卵じゃろう・・・う~ん、初めて見る、ギギかな?先生もわからん」
先生もわからないなら飼育して何になるのか確かめようと、めだかの学校でしばらく飼うことに。
1時間ばかりで活動終了。子どもらはプールよろしく全身水中に浸かる子もいれば、裸で飛び回る子もいる。カミキリムシを追う子、トンボを捕まえた子。
「ハグロトンボ、手で捕まえたんだ、これ、僕を離れないんだよ」
手に止まった切り、
飛び立つ気配のない漆黒の羽を持つトンボ。
先生の解説。
「今日はビックリするぐらい、いっぱいとれましたねえ。まずは貴重なものから紹介します。ドンコです、大きくてミルソーに入りません、ハゼの仲間です。
ドジョウ、これはマドジョウ。アカザが2匹とれました、絶滅危惧Ⅱ類ですかね。ギギもいます、そしてなんとオヤニラミです。
他にも、きれいなスジを持つムギツク、これはアブラボテ、どこに卵を産むかしってる?」
(手を挙げた子)「貝(二枚貝)の中です」
今日はコイも入れて11種の魚、オニヤンマ、コヤマトンボのヤゴ、ミナミヌマエビ、ザリガニが。
ミルソーを手に取り食い入るように見る子どもたち。さすが参加を申し込んだだけあって関心度が違う。自分たちで捕った魚に喜びもひとしお。
(先生)「いやあ、ここは、この川の環境がいいですねえ、流れがあって浅瀬になって、草むらがあり、魚が住みやすい、実にいい」
先生に評価を頂き、わが町の誇りがまた高まった。
時間は正午過ぎ、解散と言ったものの、まだまだ遊び足らない?子どもたち、再び川へと。
その様子は、記者が子どもだった昭和から平成、令和と時代が移っても何ら変わらない子どもの姿に違いない。
<参加者の感想>
「この川にこんなに色々いてビックリした」
「ザリガニがいっぱいとれて楽しい」
「もっと長くやりたかった」
「だれがたくさんとれるか大会をしたい」
「普段できないことができた」
「説明が聞けて初心者にもよかった」
今年から「めだかの学校」指導員として勤務されている竹竝(たけなみ)敬子さんの感想。
「私、実は魚とり大好きなんです。子どもの頃は、普通にその辺の川で釣りをしていました。この田地子川には初めて入りました、流れがあって結構、急なのに驚きました。今日はエビくらいしか獲れなかったので、次回は魚を獲りたいです」
(レポート・三宅 優 )
建部中学に子どもを通わせる「たけべ福渡しプロジェクト」の江田さんから「1年生が防災研修をやるのですが、取材に来られますか」とのお誘い。
建部中学による防災研修が行われることは昨年、建部町公民館から聞いていて、ここ数年のコロナ禍で学校主体の防災キャンプが中止となっていたこともあり興味深く捉えていた。
即、「行きます」と返答。
前日には研修担当の片山教諭(生徒指導担当)から直接、参加依頼の電話を頂き、今回の取組への並々ならぬ熱意が伝わった。
5月16日(火)13時、あらかじめ「oniビジョン」松本記者と待ち合わせをし校内に待機、この日の気温は摂氏30度の予報、帽子着用、水必携である。
開始前に松本記者が片山先生にインタビュー、記者も同時取材。
(松本記者)「今回の1年生を対象とした防災研修のねらいは何ですか」
(片山先生)「今年初めての試みなのですが、地域のジュニアリーダーを育てることと、建部にこだわる意味もあります。
以前は閑谷学校など他地区に出かけての研修だったのですが、自分の地でも学ぶことがあるのではと思いました。そこで53号線は大雨による浸水もあり、南に通勤している父兄も多いので、これから出水期の前に防災を学ぶのが良いのではと考えました。
併せて地域の良い所、名所旧跡を訪ねることで幅広く学べるようにウォークラリーでゲーム感を入れ、楽しい授業にしたいとも思いました」
給食を終えた1年生25名が体育館横の日陰に集合。まずは出発前の集合写真。
この日のカキュラム前半は1時半から「ウォークラリー」北コース3班、南コース3班で、学校周辺の神社やお寺、八幡温泉、しあわせ橋と言った箇所を回りながら、同時に防災上の危険な場所や建造物を見つける。
これらをデジカメに収め、ウォークラリーでもらうハンコと合わせてポイントを競う仕組み。
開始に際して当研修を立案された講師の森田 靖さんからアドバイス。
「各班にデジカメを渡しますから、そこで自分たちが見つけたものを写真に撮って来てください、ポイントになります。その時は、”防災”と言うメガネを掛けて町歩きをすることが大事だからね」
13時半、生徒は6班に分かれそれぞれのポイントに向かう。記者ら(松本記者)は、水害記念塔のある宮地神社から中田新町、神力稲荷、成就寺を回るコースに同行、帰校予定はは14時50分~。
日差しは目を射るほどに強い、まさに炎天下、三脚付きのカメラを担ぎ、生徒たちの先へ先へと構える松本記者の姿にプロと素人記者の差が歴然となる(笑)
一行は最初の目的地、宮地神社に到着。区長さんら数名がお待ちかね。鳥居をくぐったすぐ右に建つ石塔の前で区長さんが説明。
「これが昭和9年に水に浸かったことを記した水害記念塔、ここにその時の水位が刻まれておる。私の頭の上くらいじゃから約1メートル70センチじゃ」
(生徒)「ヒェー⁉」
「裏にそのことが書いてある、昭和9年9月21日出水被害で20余町歩が浸かったと。古い話じゃけん、おじさんらも生まれとらん時のことで、それ以上はようわからん」
生徒たちは確かにここに来たことを証明するため「僕らの写真を撮ってください」とお願いする。(2世代交流が実現)
次なるミッションは「中田新町」。
「少し遅れてるので、ギアを上げます」リーダーの指示に記者も回転数をアップ。日差しは衰えを知らず、生徒たちは持参の水筒を何度も口にして水分補給。
道ながら見つけた崩れそうな古屋や石を積み上げて出来た宝塔を撮影。
「これって、倒れてくると怖いですよね」
台橋を渡り中田新町、入口に「妙見様」。
「撮っておいた方がいいですか?」と聞かれ
「古くから地域の人が大事にしているから撮っておいた方がいいんじゃないかな」(記者)
町屋筋、奥の1軒でこちらを伺うご夫婦、以前取材でお世話になった「太田秀世家具工房」の太田ご夫妻だ。醬油屋だった古い商家を以前の姿を活かしながら改築され住まわれている。
(太田秀世さん)「ここは江戸時代に岡山藩が治めていて、川の向こうは津山藩が治めていました。それで岡山藩はここに陣屋を作り警備にあたりました。
その時、武士だけでなく、商人や大工、職人も住まわせました。でも明治維新で武家がいなくなったので、侍屋敷と町人の境に建っていた大手門がここに移築されました」
太田さんの家の門が江戸時代から残っていると聞き、生徒の反応は目が宙をさまよい、遠い時代にスリップしているかのよう。
中田新町を出たのは2時30を過ぎた頃、急ぎ足ながらも危険個所はないかと度々、立ち止まる。
水路沿いを行く。建部は10キロ以上の用水路が引かれていて、水門のある場所は人が出入りできるように開口が広くなっている。生徒たちのカメラに収まる。
神力稲荷の前で気をもみながら待っていてくれたのは、連合町内会長の垣本さん。
「遅いなと心配しておった、今から成就寺へ行くには時間がないから、このまま戻りなさい」
急ぎスタンプをもらって出立、まっすぐ学校に向かうことに。鳥居の奥にはひと際、高くそびえる大杉。
無事到着、しっかりと冷水でのどを潤した後は、後半防災カリキュラムへ。
午後3時半、体育館1階の武道館には地域の区長さんやボランティア30名ほどが集結、これから始まる「避難所疑似体験」にどんなことをするんだろう、うまくできるかしらと興味半分、心配半分(笑)
國富校長先生からの説明。
「本日は地域の皆さまにご参加いただきありがとうございます。近年の異常気象を考えると子どもたちが防災を学ぶことは大変、重要なことと考えています。
今日は皆さまにランダムの役当てで自身が引き当てたカード役になりきっていただき、実際の避難者になっていただきます。子どもたちが、そのカードの記入に沿って避難場所へと誘導します」
この日の講師は、真備水害で水に浸かった写真の洗浄ボランティアを続けられている森田 靖さんの他、長く避難者のサポートに携わって来た「ホット岡山」の服部育代さんも参加。しっかりとした人選に計画の入念さが伺える。
参加者一人一人に役当てのプラカードが手渡される。それを手にした人たちの一様な戸惑い。
田地子区長の本田さんが引当てた役は「89歳女性 家族とはぐれている 秋田犬を連れている」
シルバーの会の市川さんの役は「78歳 女性 歩行困難 高血圧の薬を無くしている」
他にも「32歳女性 生後10日の乳児を抱え母乳で育てている 夜泣きがひどい」
「言葉が不自由 手話での会話が必要な女性」「引きこもりの30代男性」「外国国籍 日本語が通じない男性」と多岐に渡り、
それ以外にも家族構成や家の被害状況などの個別情報が盛り込まれている。
誰もがしばらく、自分ではない人格になりきるためのイメージトレーニングに入る。
「それでは、上の避難所の受付へとお進みください」いよいよ開始。
ほぼ全員が歩いて2階階段へと移動、だが歩行困難役の市川さんはさっそく難問にぶつかる。
「ワシはここから這って行くんじゃろうか、だれか車イスで連れてってもらえるじゃろうか」
2階受付、生徒らが検温器で一人づつの検温(今回は全員熱ナシ)。それを終えて記入カードの作成。
「氏名」「年齢」「町内会名」「自宅の被害状況」「滞在する場所(避難所・テント・車内・それ以外)」「ペットの状況(同伴希望・置き去り・行方不明」「車の車種・ナンバー」
参加者は首に掛けたカードの情報に即してそれらを記入。戸惑いながらも懸命に書き入れる指に力が入る。
「ワシは、つい自分のことを書いておったわ」いつの間にか他人事ではなくなっていた人も(笑)
「はい、カードをお見せいただけますか」生徒たちが一人一人の避難者のカードを確認しながら、今、どこへ避難誘導すべきかを判断をしていく。
中には「子ども連れ」と「乳児を抱える人」を同じ場所に案内していいのだろうか、「外国の人」と「言葉が不自由な人」は?
そんな時、「???・・・少々お待ちください、係りの者と相談します」何人かが集まり意見を出し合う。
その間、講師も先生も「それは、あそこに」とか「それはこのように」と言った
アドバイスは一切しない。判断するのは自分たちであって、自分らが結論を出すしかない。
「わかりましたので、こちらにどうぞ」さっきまでとは変わり、自信を持って避難者を目的の場所へ案内。
1階から2階へのスロープ通路が完備されているが、体育館入口扉の段差は15cm以上で超えられなくて立ち往生。避難者役の市川さんも車イスの前輪が上げられるたびに「こりゃあ、怖いわ」。
これには、さすがに先生が手を貸してどうにか入場。今回、奇しくも現実の課題が浮き彫りに。
避難者の状況に合わせた避難場所への誘導、その避難先でも「お乳をあげるときは、ここをお使いください」「ベッドがあった方がいいですね、今お持ちします」ときめ細やかな
サポート。
ホワイトボードの前では「ご家族がいなくて探されている方は、こちらに書いてくださーい」
自分の役に書かれた情報を読み返した人が「あっ、それは私だ!」とボードに向かう。
避難者になった人にも発見がある。
「メガネがなかったので記入に苦労した、実際の避難では持つ暇は無いじゃろうから、受付にあると助かる」
「このテントの中は結構蒸すな、これが夏場だったら中より外にベッドがあった方がいい」
「建部でも外国の人が増えている、日本語がわからないとイザと言う時、困るじゃろうなあ」
「うちも犬を飼っているけど、いっしょに連れておれる場所があるとええわ」
さまざまな人や家族が想定された中で、生徒たちが自分で答えを見つけて行く、その力を身に付けることこそがこの研修の目的だと分る。
「何か、お困りのことがありますか?」神妙な顔でメモをしていた記者に、笑いながら問いかけてきた女子生徒。
「オッ、○○ちゃん!」
いつの間に大きくなったのだろう、保育園の夏祭りで出会った園児。
「そうか、おじさんも、○○ちゃんに助けてもらえるようになったのか、ありがとう・・・な」
終了後の振り返り、生徒たちへ森田さんから。
「まず、中学1年生でこれだけのことが出来たのは素晴らしいことだと思いました。そして学ぶことも多かったと思います。
カードの記入の仕方、誘導先の決め方、実際、車イスが入口で段差があって入れなかったことも起きました。
車イスのハンドリングを学んだ人が必要だと分ったと思います」
服部 育代さんに感想を聞く。
「とにかく面白かった。こちらが放っておいても、子どもたちがそれぞれの状況を一生懸命、想像して対応していた。
地域の人との交流もできて、申し分なかったです」
避難所運営の後には、この日、生徒たちの一番のお楽しみの「夕食づくり」が。先生からメニューと電卓、お金、マイ袋を渡されて、急ぎマルナカへ。
(記者感想)
中学1年生が、どんな防災を学ぶのだろう? 興味が沸いた一方、よくあるビデオ視聴や講演を聴くだけのものなのか不安もあった。
地元の大人たちが勢ぞろいしてたのにも驚いたが、その人たちが避難者になる、それも男性が女性に、80代が30代に、はては外国人に言葉の不自由な人にと、
今の自分を捨て去り、他人の気持ちになる。その人たちを生徒たちが一人一人、避難所に受け入れる。
それを聞いて「何と面白いプログラム!」と一気に高揚。
実際にその現場はワクワクの連続、目の前で生徒たちが困惑したかと思うと、次には自信を得た行動に移る、まるで早送りの動画のように生徒たちの成長が観てとれる。
こんな為になる授業なら、日本国中の学校でやって欲しい。仮に、これからそのようなことが起きた時、この経験を持つのとそうでないのとは、大きな差が出来ると思う。
今回の研修は生徒も大人も共に初体験いい刺激になった。この研修を企画実行された講師の方々、学校の先生方にお礼を申します。
(レポート・三宅 優 )
13日(土)は雨模様、でも、そんなこと気にしちゃおれんのが”たけべ魂”。この日は「カヌー大会」と「SAKU美SAKU楽」列車歓迎のダブルイベントが待っている。
午前11時、津山線福渡駅1番ホームに勢ぞろいしたのは赤いバンダナ、黒いTシャツ、手には色とりどりのオカリナ、そう、ご存じ建部の女性演奏グループ「オカリナ野の花」の面々だ。11時38分入線のJR「SAKU美SAKU楽」列車を音楽で迎える熱いおもてなし。
練習の音色が駅舎に響き始めると歓迎旗を手にしたボランティアが続々と、その中に年輩の外国人旅行者の姿・・・と思いきや、そこへピッツェリア「マル屋」のマルコ、マリコ夫妻が登場。
「あの、イタリアのマルコの両親です」
おお、そうとなれば握手・・・「イイイ、痛タタ・・・」
手のひらが潰れそうなほどの握力、その力強さはまさに「グランデピザ」(直径60cm)を宙高く投げ上げて、軽々片手でキャッチするマルコのパーパならでは(笑)
この日はなんと偶然、ご両親と広島観光に行くため駅にやって来たとか、その後、帰国の途に就くとの事で、ぜひとも「たけべ新聞」で紹介をしたいとお願いした。
編集部よりコメント:「お父さんのアルドさん、お母さんのニコレッタさん、ここ日本で思い出いっぱい出来ましたか、また来てくださいね、お会いするのを楽しみにしています💛」
11時38分、サクサク列車がやって来る、演奏されるのは「瀬戸の花嫁」、ホームにあふれるほどの歓迎に乗客は只々、驚くやら腰が引ける?(笑)やら。
「ふるさと」の曲に送られて「サクサク列車」は無事、次の駅へと向かいました。
一方、こちらは旭川河川敷、は恒例「カヌー全国大会」の開催、数百人もの人が日本各地からやって来た。
ここで「そうとなりゃあ、わしらも何かして応援せにゃあ、おえんじゃろうが」地元の年寄り男たちが奮い立つ。
チーム名は「我ら、ここ(福渡)で笑って暮らそうよ」と「福笑組(ふくしょうぐみ)」に。
さて何をするか
?
「よっしゃ、若い選手が喜ぶのはハイカラじゃ、タコスを出そう!」
生地からのトルティーリャ作りに挑戦。
「ムム、マル屋のマルコなら空中で回して簡単に伸ばすのだろうが・・・」
それでも苦戦しながら徐々に技術アップ、どうにか形に。
店番で競技の応援まで気が回らない、でもアナウンスで「ゼッケン〇〇番、岡山県カヌー協会所属・・・」と聞こえると「オッ!」とスマホを手に岸辺へ急行。
雨は本降りになり、応援も水濡れでの声援。競技は翌日もある、いい結果が出ることを願う。
用意したタコスはすべて完売。70枚ものトルティーリャを伸ばした男たちの顔も満足げ。
「えっもう終わっちゃったの?」食べ逃した皆さん、また来年、それまでに腕を磨いておきます(笑)
(レポート・三宅 優 )
そもそものきっかけは、妻から言われた「お願いだから、作品は残さないで」の一言。
確かに画家(彫刻家なども)が多くの作品を作っても、逝った後、困るのはそれを引き継いだ家族の者。捨てるに捨てられず、かと言って・・・。
そこでふと思った、「じゃあ、その辺にある石ころを拾って絵を描いてやろう」
石の可能性を知らしめるには分かりやすいイメージが良い。自分が感動した絵をテーマにすることにした。
しかし使うのはあくまでも着色も加工もしない普通の石、それだと自然に戻せる、ただそれで描けるのか?誰もが首をひねるだろう。
でもそれについては全く心配がない、なぜなら石が音楽の音符のように感じれるし、元より名画を再現することに主眼はなく、それを題材にして石の美しさを奏でることが目的だから。
互いに異なる石を並べ集めて一つの小節ができる、それを2つ3つとつなげて一つのメロディが生まれ、最終的に石の交響楽となる。
ダヴィンチの「最後な晩餐」に始まり今回7回目となる「ゴーギャン展」、昨年の暮れから取り掛かり、終えたのは展覧会(4月29日)の1週間前。
今回も1日限りの開催、さて石はどのように鳴り響く?
「説教の後の幻影」(1888年)
見えるもの(民族衣装の女たち)と見えないもの(格闘する天使と神)、形(人物、木)と色面(背景)、現実と非現実を一つの画面で構成する、
ゴーギャンの目指すところの総合主義を確立した作品。
白い石(女の衣装)のリズムが作れず、何度も何度もやり直すことになって途中で止まってしまった作品。
鑑賞者の感想「赤い地に白の石が見えるけど、何が描いているかさっぱり??(笑)」
「光輪のある自画像」(1889年)
40点ほどあるゴーギャン自画像の1点、後の象徴主義につながる作品。
制作中に子どもたちの観客がやって来て「アッ見て、ここに男の人の顔がある」と言って感心してくれたので、これは成功だと思った(笑)
「かぐわしき大地」(1891年)
大原美術館にある名作、荒いジュートに描かれている。
黄色いパネルを用意した途端、手が一気に動き出し、次々と石を見つけて行けた。
鑑賞者の感想「どこかで見たような気がするけど、あっ、大原美術館、そうそう30年も40年も昔に観た覚えが」
「タヒチの女たち」(1891年)
1回目のタヒチ滞在の作品、トウモロコシの皮を編んでいる女と友だち。
右の女に置かれた石の量と、左の女の髪とスカートの花柄に置く石の量に手こずる。
鑑賞者の感想「これはよくわかるわ、女の人が二人座ってるのが」
「ネヴァモア(横たわるタヒチの女)」(1897年)
パリに居られず再び戻ったタヒチ、すでに女は去り、病に侵されて貧困の生活を余儀なくされる。
茶褐色の女の肌、光と影、古い襖(ふすま)の模様もそのままに、ただ石を置いていった。
鑑賞者の感想「こりゃあ、こっちから見りゃあええんですかいのう」(反対に立って)
「赤い花と乳房」(1899年)
メトロポリタン美術館にあるゴーギャンのもっとも知られた作品。
青いパネルをベースに肌に置く石とスカートに置く石のバランスに最後まで迷う。
移動する度に石がずれて、いつの間にか女の表情が変わってしまった😢
「我々はどこから来た、我々は何者か、我々はどこへ行く」(1897年)
題名から遺言とも言われる大作、ボストン美術館で観たのは30年も前。
最も石がリズミカルに運ぶと思える3つの部分を選び、古い襖の上に描く。つながりを考えず1枚を1点として作ったが、並べてみると一つの作となっていたので満足。
<追記>
1冊の本を開く。「美術の物語」世界的ベストセラーとなった美術の歴史書。
紀元前のはるか昔、アルタミラの洞窟画から現代まで人の手で作られてきた美術を語る。
その中で600ページ中、近代までに550ページを費やし、残り50ページからゴッホ、ゴーギャンが取り上げられる。それほどに美術の歴史は壮大で、かつ近代、近代後は未だ定まらない薄い歴史とも言える。
だとしても、美術はその時代に、たまたま居合わせた一人の天才たちの連なりだと言うこと。一人の変革する芸術家がいなければ、そこに歴史は生まれない。
鑑賞に来てくれた天才少年の感想「僕もこの本を読みたいと思います、昔のことをもっと知りたいから」
(レポート・三宅 優 )
4月も半ばとなった休日、里山建部の近くでは、子どもたちのかん高い声が近くの竹林から聞こえてきています。今日は、めだかの学校主催の「タケノコ堀りと野草観察」が開催されました。
はじめにスタッフの紹介、タケノコ掘り名人の松本さん、タケノコが大好物のイノシシ対策を日夜おこなっている杉本さん、里山で竹細工のことならこの人・河原さん、野草が大好きな勝部です。
竹林の中に入り、松本さんから、クワの使い方のお手本、太いタケノコの周りの土をけずり、クワを振り落とすと見事なタケノコが取れ「ワー!」という歓声、さすが名人です。
家族ごとにクワを担いでいよいよタケノコ掘りの実践です、小さな子どもにはお父さんが手を添えて「エイヤー」の掛け声とともに彫り上げます、みごとに決まると「出た―!」
掘り上げたタケノコは、煮る時に出るアクをとるための米糠と一緒におみやげとなります。
続いては、タラの芽の収穫です、高枝ハサミでめざす芽をつかんで、チョキンと切り落とします。香りをクンクンとかぐと春の匂いがいっぱいです。
次は野草観察です。かじると酸っぱいスイバ(酸い葉)の紹介、フキの葉では、葉っぱでコップをつくり。
「昔はなんでも、自然にあるモノをこうやって工夫して使っていたんだよ」と説明すると「へー、そうなんだ」とさっそくお茶を入れて楽しみました(笑)
ノコギリ使いの体験では、節ごとに切って竹コップの完成。竹の香りをかぎながらお茶を飲み、里山の自然を満喫。
忘れかけていた自然とのふれあい、こんな体験が生きている喜びを感じさせるのですね。
(レポート・勝部 公平 )
勝部編集長の「タケノコ報告」を聞き「もうそんな時期になったか・・・もしや?」と思い、近くの竹藪へ。
「おっ!」見ると、すでに中学生ぐらいに育ったのが1本。
「これは早くしないと、道に覆いかぶさるようになる」と慌ててスコップを取りに戻る。
それから数日、雨。「雨後の筍」のことわざ通り、モコモコと頭を出している。近所の年寄りに「タケノコ堀り」へお誘い。
すると「まあ、私、これまでタケノコが成っているのを見るのも、掘るのも初めてよ」と驚きの証言。
「そうか、年寄りが何でも経験しているとは限らない、やはり体験学習が重要だ」と改めて勝部イズムに納得。
「初物だから、これで75日、長生きできるわ」年寄りの喜ぶ顔は、子どもたちの写真の顔と何ら変わらない。
(レポート・三宅 優)
「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」
在原業平(ありわらのなりひら)が古今和歌集で歌ったとおり、暖かく心なごむはずの季節が、桜の開花と散る様に心が一喜一憂。
そこへ新たなサクラ登場、昨年当地を賑やかしたJR特別観光列車「SAKU美SAKU楽」(以下、サクサク列車)が3月31日より運航開始。
運行日程は9月までの土・日・祝日で、福渡駅11時38分着、津山行、13時37分着、岡山行。併せて、この日から統一地方選挙、建部からも2人の県会議員候補、1人の市議会議員候補が立候補。もう、目も耳も心も休まらない日が続く。
1日、福渡駅に到着したサクサク列車の乗客は定員いっぱいの40名。そのうちの一人は「いや、もう乗れないと思ってたんですが、運がいいです、キャンセルが一席、出まして・・・」
その人気ぶりが伺える。ましてや、桜満開のど真ん中週末、超メルヘンなピンクのミニミニ列車でお出かけムード全開。
昨年9月から半年ぶりのお出迎えとなる町民は「こりゃあ、また歓迎せにゃあ、おえまあが」(これはまた歓迎しないわけにはいかないだろ)と、おなじみのピンクの小旗を手に一人二人と駅に集まる。
横断幕には「ようきてつか~さった建部の町へ」(よく来てくれました、建部の町へ)
そうは言っても、昨年は7月から9月までの3か月の運行、それが今年は3月末から9月までの半年間。
そこで、ここはじっくり腰を据え、「のんびりと長ーい目で歓迎しましょう」
地域の活性化、その決め手はイベントそのものではなく、それを担う人の結集にある。それも、苦痛を感じながらやる集まりではなく、楽しいからやろうよで自然に集まるのが「いいなあー」
「サクサク列車はやっぱり桜がよく似合う!」
(レポート・三宅 優 )
快晴の岡山市環境学習センター「めだかの学校」、花が咲き始め、木々には小鳥のさえずり、魚たちがスイスイ泳ぎ、待ちわびた春がやってきました。
今日は、「小鳥さんの巣箱づくり」、岡山市内から4組の家族、おじいさんとお孫さん、兄弟も一緒に、家族みんなで、自然を楽しみたい人たちがやってきました。
参加メンバーの皆さんやスタッフの紹介、道具の使い方などの説明が終わると、早速、家族ごとに工作に取りかかる。
「大人は最小限のサポート、主役は子供さんですよー」「みんなで協力して完成させましょう」とのスタッフの指導。あらかじめカットしてある杉板の組み立てを全員で作っていく、板を支える人、金づちで釘を打つ人、止まり木を準備するひと、まるで家を建てる大工さんのようです。
止まり木は、桜の小枝を自由に選択、家族でデザインして取り付ける。最後は、実際取り付ける木を想像しながら、穴をあけ針金を通します。
親子で力を合わせて作った巣箱、「釘打ちが大変だったけれど、完成したらうれしかった」「これからも、こんな体験にチャレンジしてみたい」など、子供はいろいろな体験で成長していくものですね。
(レポート・勝部 公平 )
コロナ禍が吹き荒れて、それまでの過去を忘れてしまいそうなこの3年。ようやく落ち着きを取り戻しつつあるが、もう3年前に帰ることはないだろう。
何かを学び、何かを失った、失ったものの方がはるかに大きいのかもしれない。
今日、3月11日、土曜日、ガレージギャラリーに届けられた牛乳パックを並べる。今年も夫婦二人で追悼。
午後6時、12個のサークルに点火。
火はこのまま0時過ぎまで灯り続け、多くの犠牲者の霊が弔われることを願う。
(追伸)ささやかな催しではありますが、皆さまから牛乳パック、お志しを頂き心より感謝申し上げます。 これからも命ある限り続けていきたいと思います、ありがとうございました。
(レポート・三宅 優 )
立春を過ぎたとは言え、朝方は霜が降りたり、まだまだ寒い建部平野。そんな中でもそれよりさらに1~2度、気温が低いのではと感じる建部町田地子地区。「たけべの森公園」を有する、山間の40軒ほどの集落だ。
ここで毎年開かれて来た岡山市環境学習センター「めだかの学校」主催による「環境フォーラムin田地子」。昨年はコロナで中止となったが、今年は定員を20名に絞り開催にこぎつけた。
午前9時、田地子にある多自枯鴨神社に参加者(親子)20名と地元ボランティア、スタッフ、計40名ほどが集合。600年代に出来たとされる神社の境内には、近年切られたばかりの直径2Mもの御神木の根元が残る。
実行委員長(記者)の開会の言葉。
この日の参加者の半数は福渡小学校の児童家族、この田地子を訪れるのが初めての人も多い。地元に居て、地元を知らないで過ごすことが普通となっている現況は、恐らく日本国中の中山間地域で起きていることだろう。人々が外に目を向け、故郷に愛着を得る機会が失われている。そういう中での、こうした体験学習は意味深い。
いよいよ開始、まずは焼いもの用意。煙突からモクモクと煙、周りりに盛られたスクモの中に濡れ新聞紙とアルミホイルで包んだサツマイモを差し込んでいく。食べ頃は1時間後。
「早く、食べたいなあー」「僕は、この大きいやつ」(入れたら誰のだかわからなくなるのよー)
続いては、花炭(はなずみ)作り。センベイの入っていた空き缶に、松ぼっくり、ツバキの実、栗のイガ、桐、フジの種、楓(かえで)の実、お好きなものをチョイスして、スクモを敷いて蓋をする。蓋に書かれたアルファベットを覚えておこう。
火の熾(おこ)ったU字溝の上に載せて、蓋に開けた空気穴から煙が出なくなるまで燃やし、紙粘土で穴をふさいで冷めるまで置いて、帰る頃に完成。仕掛けは万端、後のお楽しみ。
じゃあ、今から竹でっぽう、ヤジロベーを作るぞー。
竹でっぽうは1本のシノ竹から作る。根元の太い部分の一節(ひとふし)を使う。それで「鞘(さや)」と「持ち手」を作り、次に先の細い部分を切り、持ち手に差して「押し出し棒」を作る。
鞘に収まるのにちょうど良い太さを見きわめるのがポイント。玉は細かくちぎって濡らした新聞紙を丸めて詰める。
「先生が子どもの頃はこんな実をつめて、玉にしてたんだよー」
「え?なに、それ」「あっ、見たことある」
「じゃあ、どこにあるか探してみよう」
鳥居のそばの石垣にモサモサと緑の草束、「リュウノヒゲって言うんだよ、ここをかき分けていくと・・・」
「あっ、あったー」
「ムム、うまく、竹が中に入らない」「じゃあ、おとうさんもやってみよう」
「撃つときは空に向かってやるんだよ」「スポーン!」
「わぁ、いい音がしたよー」
ヤジロベーも大人気。
「ねえ、なんで、これって、倒れないんの?」不思議でしょうがない男の子。次々とドングリに穴開けの注文が入り、工作担当のおじさんたちも大忙し。
「私のはちゃんと立たないのですが?」とお母さん。
「それは竹ひごがカーブしてないから、火の上であぶって曲げるんよ」
「へぇー、そうなんだ」
そのうち「お~い、ヤキイモが焼けたぞー」いっせいに駆け出す子どもら。
「うん、うん、ウマい、ウマい」自然の中で焼いたヤキイモは香りが立って最高だよね。
工作のできた子は丸太切りに挑戦。ノコを引く手が段々にうまくなり「あと、もう少しだ、がんばれ!」
「やったー」と最後まで自分で切った満足感。
松ぼっくりのオーナメントは地元区長の本田さんの奥様が製作。「わ~、かわいいー」「持って帰って、飾ってね」
花炭の方はスタッフが生焼けの無いように懸命の火起こし。「もう、肺がくたびれたわー(笑)」
ほぼ煙が出なくなった花炭を下ろし、さてどうしよう?「そうだ、竹串に餅を刺して、この上で焼いてみよう」
手に手に餅を刺した竹串、だんだんといい感じに膨らんできて、お醬油に付けて・・・。
「ああー、ぼく、ホントーに来てよかった!」(おお、それは、何よりうれしい感想)
昼食のおにぎりも食べ、大満足の午前の部。
午後からは、腹ごなしに里山散策。
「この家は大きいだろう、何階建て?昔はこんなふうに家を造ってたんだよー」「壁の板が黒く焼けてるのは、こうすると虫が付かなくて長持ちするからだよ」
ヤギを見つけ走り出す子。大人たちはもう到底、追いつかない(笑)。
戻ってからは本田区長さんによる、この地域の昔の暮らし方のお話。
「昔は今のように電気も水道もなかったから、こうして山にあるモノを使って生活してたんだよ。これは炭のコタツ、これは木で出来た水桶、ワラは縄にしたり、畳にした・・・」
神輿(みこし)蔵の子ども神輿を覗いてみよう。回りに描かれた絵は「アラレちゃん」と「ドラえもん」もいる。
「アラレちゃん!アラレちゃん!」連呼して子ども神輿が駆け巡る。
地元の子どもによる、お祭りで行う「棒遣い(ぼうつかい)」の演舞。そして大人の演舞。
「こうして大人から子どもへと受け継いでいるんだよ」
そろそろ、花炭もできたかな?自分のアルファベットの缶をそっと開く・・・。
「あー、きれいー」「お母さん、観て、これ」「ステキ!」
どうやら、スタッフの火吹きが功を奏したようで、ほぼ、ほぼの完成度に胸なでおろす
閉会の言葉、勝部 副委員長。
「人が生きていくためには、知識だけではダメなのです、体験がもっとも重要です。今日のことが、
これから先において力になって来ることを願っています」
(レポート・三宅 優 写真・松下りえ)
まもなく春を迎えようとしている里山の寒中、朝早くに昨夜から冷たい水に浸していた大豆をゆだっている大釜に入れる作業が始まりました。杉本久典さん宅の冬の風物詩の始まりです。
杉本さんの家で、おじいさんおばあさんが60年以上も毎年守って来た味噌づくり。昔の農村部では当たり前の風景でしたが、近年ではほとんど見かけなくなってきました。
春に蒔いた豆は秋に収穫・乾燥を経て黄金色になり原料となります。
庭先でモウモウと湯気をあげている大釜、山からとってきているマキを燃料として使用、久典さんは時々大豆をすくって指先でつぶすような仕草、豆の煮えぐあいを確かめる作業です。これが大事な作業なのです。適当な柔らかさになったら急いで火を止め、徐々に冷まして行きます。
二日目の朝、いよいよ味噌づくりのスタートです。今年は、手を負傷した奥さんにかわって近所に住んでいる娘さんが手伝いに来ています。
杉本家では、田んぼの苗代づくり、田植え、稲刈りは子供さんの家族もやってきて皆で作業をします。
昨夜に炊いた大豆を大鍋からすくいあげ、水を切り、こうじ菌、塩をまぜながら味噌づくりの機械に投入。
摺りあがるとすぐに保存用の樽に入れる作業、大きなおにぎりのような丸いだんご「味噌玉」を作り、樽の底へ投げつけていきます。
これは摺った大豆の間に空気が入るとカビが生えやすいのでこんな作業をするのです。
こうして樽詰めした味噌は、味噌蔵と呼ばれる、漬物や味噌専用の蔵に一年間寝かされ、おいしい味噌ができあがっていきます。
里山で息づくこんな文化、守っていきたいですね。
(レポート・勝部 公平 )
里山に春がやってきた!
寒の戻りが厳しい今日このごろ、春の足音が一歩一歩聞こえてきます里山、田地子川の岸辺では桃や梅のピンク色の花がまばゆいばかりに咲いてます。
里山では黄色いマンサクの花が春の訪れを知らせてくれ、スイセンの花やネコヤナギの花が彩とりどり、日だまりではムクドリ、メジロがさえずり始めました。心がウキウキなり華やぐ春が近づいてますよー!!
(レポート・勝部 公平 )
2月4日は立春で、この時期に合わせて行われるのが立志式。数えで15歳になったことを祝う、いわゆる「元服」の儀式。建部中学ではこれに習い、毎年、中学2年生による「夢と希望を語る会」を開いてきた。
当新聞も2016年より取材を続けて来た。昨年はコロナの影響で当新聞での掲載ができなかったが、今年は建部町文化センター大ホールで開かれると聞き、聴講に赴いた。
この日、発表したのは33名の生徒、2年前より増加。以前は(2021年)の会では「ネイリスト」「ダンサー」「ラッパー」「アニメーター」と今どきの職業が希望に上がっていた。さて、今日はどんな夢が聞けるだろう、ワクワクとした気持ちで席に着く。
以下、記者の速記による発表のダイジェスト(掲載は発表順ではなくランダムです、聞き落としがあるかと思いますがお許しください)
「自動車整備士になりたい。母の車が故障して、直してくれるのを見て、人を助けていてカッコいいと思いました。将来は整備士1級を取るようがんばりたい」
「職場体験で建部支所に行きました。保健センターの人が八幡温泉で、みんなの安全のために働く姿が良いなと思いました。」
「アメリカNBAの選手になりたい。アメリカのバスケットリーグに入り、規模の大きいところでプレーしたい。キングジェームズのようなスゴイ選手と対戦したい」
「まだ夢がありませんが、姉が高校受験で毎日必死で勉強していたのを見て、姉のようになりたいと思いました。自分のことを決めてがんばっている人を尊敬しています」
「日本では過疎化が進んでいます、建部でも耕作放棄地が増えたりしています。私は建部の良いところをもっとPRして過疎化なくしたいです。去年、JRのSAKU美SAKU楽列車が福渡駅に来た時、わたしは吹奏楽部で歓迎しました。乗客が喜んでくれたことがうれしかったです。これからも建部の町おこしに参加したいと思います」
「介護福祉士になりたいです。お母さんが働いている職場体験に行き、苦手なことを言われたり、汚いものを片付けるといったことでも平気でやっているのを見て、なりたいと思いました」
「ソフトテニス部に入っています。友達に誘われたのがきっかけです。いい点は、友達といっしょに頑張れる、休まず朝練に行ける、部活のない時も友達と練習できることです。
テニスをやって分かったのは、がんばることで成果が出ることです、なのでこれからも続けたいです
「マクドナルドの職場体験で仕事の大変さを知りました。それでも職場の人が笑顔で応対して、終わった時、お客様にありがとうと言われ、それが実感できる仕事がいいと思った」
「美容師になりたいです。理由は美容師は専門学校で着付けなどたくさん勉強ができるからです。美容師になるには国家資格を取らねばなりませんが、お客様の要望通りにしてあげられる美容師になりたいです」
「小学生の時、転んで手をケガしました。病院に行き、手がジュクジュクするほどだったのですが看護師さんが、大丈夫よと言ってくれて安心しました。看護師は人の命を支える大切な仕事です、そのために今から勉強やコミュニケーション力を高めていきたい」
「英語を学びたいです。英語はイギリスが発祥の国ですが、今では世界の標準語になって多くの国で使われています。それで英語を学ぶことは大切だと思いました。そのためには、その国の文化を知ること、それと日本語を正しく理解しておくことが大事だと考えます」
「努力を続けること。私は努力を続けるのが苦手です。ですから努力を続けられる人になりたい、そのために、家で勉強する時、テレビを観ながらするのは止めるなどしていきたいです」
「保線員は鉄道のレールの点検や補修をする仕事です。私は職場体験でJRに行き、職員の人が一つ一つ、地味だけど大切な仕事をしていることを知りました。私は保線員になりたいと思いました」
「いま日本では誹謗中傷された人が20代で10%います。それは容貌に対してだったりします。私は誹謗中傷を無くしていきたいと思います。そのためには、まず人の個性を認めることが大事だと思います。私はイジメや誹謗中傷を無くし、そんな人を助けたいと思います」
「サッカー選手。小さいころから運動が好きで、小学4年生でサッカーの選抜に選ばれました。でも中学では劣るようになり、それで毎日練習して、今、県の選抜に選ばれるようになりました。サッカーは私に目標を与えてくれます、それが仕事になれば、もっとすばらしいと思います」
「タバコの被害のない明るい未来にしたい。タバコは吸う人だけでなく、まわりの人にも悪影響があります。またポイ捨てなどで町が汚れ、犯罪が増えるなどが起こります。
私はタバコ被害を無くしたいです」
「将来の夢、アドリブですが、家を建てる大工になる、自動車、バイクの免許を取る、大人買いする。自動車の免許はインスタなどでカッコいい写真をよく見るので、大人買いは見て楽しいのと旅行が好きだからです」
「父との約束、卓球の県大会で勝ちたい。父から新しいラケットを買ってもらった時の約束でしたが、父はその前に亡くなりました。私はサーブを見直したり早く打ち返す練習をして、次の県大会に出場して父との約束を果たしたいです」
「新聞記者。将来、ネットでさまざまなことを知らせるようになりたい。そのためには専門知識が必要で、読書やできるだけ多くのニュースを観たり、わかりやすい文字にすることや色を変えるなどの勉強をしていきたい」
「物を作る仕事。小さいころからプラモデルなどを作るのが好きで、父が自動車の部品を作る仕事をしているので、自動車部品を作る仕事に興味があります」
「決まっていません、でも、地域に貢献できる人になりたい。それと人の役に立つ人、それは相手も自分もうれしいと思います。
仕事に誇りを持てる人、労働環境を改善することも大切だと思っています」
「公務員です。それは親が公務員だからなのとお金も普通に稼げるからです。その中でも、子どもが好きなので福祉にたずさわる公務員になりたいです。そのため勉強やボランティアをして、人と人との交流ができる地域づくりに励みたい」
「保育士の仕事をしたい。保育士になるには資格を取り人とのコミュニケーションが大事です。私は認定こども園の職場体験で学んだことを活かしていきたいと思います」
「養護教諭は保健室の先生です。保健室は心のケアで、行ってホッとしました。今はまだ高校に行くことがまず一歩ですが、将来、頼りがいのある養護教諭になりたいと思います」
「NBAの選手。本場アメリカで戦ってみたいです、ジェーソン・ウィリアムスに憧れています、パスの上手な選手になりたいです」
「英語ができるようになりたい。私はJRの人が外国の人と英語で話していてカッコいいと思いました。そのために英語のテストの点を上げ、有名大学に行き、目標として英語でスピーキングできるようになりたいです」
「スポ少で野球に入りました。今は全国大会を目指しています。社会人になっても野球を続け、たくさんの友だちをつくりたいです」
「八幡温泉に職場体験に行き、人から、ありがとうと言われる接客業がいいと思いました。ほかにデザイナー、製造業、医者、農家。特に農業は祖父がおいしい野菜を作ってるで、すばらしい仕事だと思います」
「小学校の前に子猫が捨てられていて猫を飼うことになりました。それで動物が捨てられていることを調べて、そのようなことを無くしたいと思うようになりました。将来は預かりボランティアなどしたり、動物に関わる仕事をしたいと思います」
「部活でバレー部に入っています。きっかけは小学生の時、テレビで世界大会を観て感動したからです。中学では先輩の姿に励まされ、きびしい練習もしてきました。私はカッコいい先輩とバレーボールに出会えて本当に良かったです。これからもキャプテンとして頑張っていきたいです」
「医師になりたい。理由はコロナの後遺症を無くし、ウィルスを防ぎたいのと、地方に医療を届けたいからです。建部よりもっと医療の不足しているところがあります。私は患者の心に寄りそえる医師になりたいと思います」
「まだ決まっていませんが、学生の間に頑張りたいことがあります。勉強を頑張りたい、苦手科目を克服したい、部活のソフトテニスの部長になってまとめる力を身に付けたい、人とのコミュニケーションをできるようにしたいです」
「11月の職場体験を前に、自分の夢と向き合いました。私は小さいころバービーちゃんと遊ぶのが大好きでした、それでヘアーメークやスタイリストなどどれもいいと思いましたが、
自分に合った、今の自分が将来の自分になれるようにがんばりたいです」
(黒瀬教頭先生による総評)
今日の発表を聴き、みんな、しっかり堂々と今の温度感で語ることができた、立派な発表だったと思います。
私ごとになりますが、最近、父が亡くなりまして実家の美咲町で遺品整理をしました。その中に私が書いた作文が大事に取ってありました。
「将来の夢」と書いてある作文には私が「学校の先生になる」と書かれ、当時、人気になったテレビ番組で、デビューしたての水谷豊さんが主演した「熱中時代」というドラマに憧れを持っていたことが記されていました。
それでも、その後の私は節目、節目で、あの仕事がいいのでは、こんな仕事もあると迷う時がありましたが、子どもの頃に描いた夢が思い出されたのだと思います。
これから皆さんが人生の分かれ道に立った時、今、決心したことが頭に浮かび、進路を選ぶ指針になるのではと思いました。
(記者感想)
教頭先生の言葉に触発され、思い起こせば、記者も中学1年で「画家になる」決心をしたことが思い出される。そうして夢の実現を求め、美術大学まで進み、その後、挫折、サラリーマンとなった経緯。再び画業に入ったのは40歳を目前にしてで、そうさせたのは子どもの時の決意だった。
それでも70歳になった今だって順調に進めているわけではなく、その度に浮かべるのは「画家になる」その時の決意である。
(レポート・三宅優 )
年末に建部町公民館より「今度、子ども向けにハザードマップの学習会ができませんか?」の発案を受ける。しかし、今どきの子供は大人以上に忙しい、やっと月末で調整が取れた。
とは言うものの、さて、確かに以前より公報で出されている地域版ハザードマップは大人も頭に入りにくいほどのモノ。これを子どもに分かりやすくとなると「町を拡大した地図を描き起こすしかないな」
もう一点、「これだけでは子どもを退屈させてしまうのは間違いなし」そこで、当新聞スタッフで小学生の母、松下りえさんに相談。
「防災カードゲームをしたらどう?国土交通省でもカードゲームを出してるよ」
「それはいいアイデア!」さっそくダウンロード・・・したのだが、カードの内容がイマイチお役所的で面白みがない。
「う~ん、じゃあ、作るしかないか」そこへ、当新聞グルメレポーター(妻)
「だったら、犬棒カルタにしたら?」
と言うことで、犬棒カルタならぬ「福防カルタ」(福渡防災カルタ)に着手。
正月返上で3日3晩(実際は半月ほどかかった)
ポイントは2つ、「どうしても入れておきたい防災用語」「地域の防災で重要なこと」これに即して「ああでもない、こうでもない」と喧々諤々で文章をひねり出す。
「い」から「京」まで48枚が完成。密を避けるため、老人センターカルタ大会の回覧版のニュースを参考にさせてもらって、カルタの大きさはA4サイズにして、立ったまま取れるように新聞紙の棒を用意することにした。
1月29日(日)、子どもと保護者、町のお年寄り、栄養委員、スタッフ、公民館長の計29名が町のコミュニティハウスに集まり、
「子ども防災教室」が開かれる。杉山館長の挨拶の後、ハザードマップの学習をスタート。
(記者)「これは旭川、この上流に雨が降ると・・・さて、みんなのお家はどこですか?」
地図上で「雨雲」を福渡の町上に移動、透明シートに描かれたハザードマップをかぶせて、町のどこが「浸水」「土砂崩れ」の危険があるかを目で確かめる。
「ええー、僕の家、赤い色の中に入ってる」子どもの心配する声。
「だから、そうなっても困らないように準備しておくのが大切なんだよ」
ハザードマップに続き、本邦初公開「福防カルタ取り」
始めに48枚すべてを読み上げて絵を見せる。そして畳の上に並べ、新聞棒を手にした子どもたちが、まわりを取り囲み、始まり始まりー。
「雨の中でも逃げる時はスニーカー」「あっ、あったー!」
「犬も慌てて飛び出しケガをする」・・・最後の2枚はもう、全員が同時に「タッチ!」ジャンケンポンで決定。
参加賞は全員にトラベル収納ケースに入った「お楽しみ福袋」「わーい!」
子どもだけ楽しむのじゃ、つまらない?「大人も」と、今度は子どもが読んで、大人たちでカルタ取り。
「しあわせ橋は安全のシンボル」「ハイッ!」おばあちゃんたちの素早い反応に子どもらもタジタジ(笑)
3番目のプログラムは杉山館長が講師となって「消火器の使い方」授業。模擬用消火器から飛び出す水に子どもらが大はしゃぎ。寒波の中での水鉄砲は熱く終了。
時間は午前11時を過ぎたばかり、でも子どもらから「あー、おなかすいたー」の声。それもそのはず、コミュニティのキッチンからはカレーのいい匂い。
これ以上、待たせると暴徒化?(笑)、最後のしめくくり、栄養委員さん特製「カレーライス」で昼食会。
今日の感想は?
「消火器の水鉄砲が楽しかった」
「福袋がうれしかった」
「みんなで食べたカレーがおいしかった」
「カルタ取り勝負が楽しかった」
「カルタの読み上げができてうれしかった」
(追記)
この後、子どもたちは、野外授業に出かけたそうな。川を渡り、山を登り、ヤギを訪ね、「私たちの町は、こんなになってるんだ」
と、納得。
そう、防災のスタートは「まず、自分の住んでいるところを知ること」だものね。
(レポート・三宅優 写真・松下りえ 松下泰成)
もうとっくに正月も明け、お飾りも取り払ったのに、気分は引き込もり状態。コロナ、大寒、光熱費高騰・・・心配事が多いためか、心も体も縮こまっている。
こんな時は災厄を祓ってもらいにお参りに行こう、と4週目の日曜日、「建部町健康づくり歩こう会」の建部郷六社巡りに参加。
朝8時、車の暖気運転に10分もかかるほどの冷え込みにもめげず、集合場所のたけべ八幡温泉駐車場へと向かう。
しばらく欠席が続き、久々に見るメンバーの顔。
マスク越しながら、目が張り切りモードに輝いてるのが分かる。新しい顔ぶれも加わり、今回の参加者は20名。
本田会長から新年の挨拶、そして悲しいニュース。当「歩こう会」の前会長、村岡さんの突然の訃報。
本当に長きに渡り、お世話をしてくださった村岡さんを偲び、全員で黙とうを捧げる
。
歩き始めは背中を丸め、腕をさすりながらの一歩一歩、徐々に体も温まり、少しづつ歩幅も広くなる。最初に詣でるのは「建部祭り」で有名な「七社八幡宮」
随神門の狭い入り口を見るたびに、よくこんな隙間を神輿が抜けるもんだと、いつも感心する。今年の祭りはどうだろう?やれるかな、やれるといいね。
広い境内にある本殿で、最初の願い事。
歩くことは、発見との出会い。誰かしら、何かを見つけ、何かに驚き、誰かの記憶を揺り起こす。
「今年は南天が赤いわねー」「やっぱり、寒いときれいに色づくのね」
「あら、あそこのお家にいつの間にか売り出しの看板が出てる」「どなたの家だったのかなあ」
畑には主人を待ちわびた夏の名残り。
富沢神社は石段がないので、お年寄りには詣り易い。あれ?でも、今年は鳥居にしめ縄が付いていないぞ。ここのしめ縄は他と反対向きに付けられているのが特徴で、結構好きだったのに。
中田天神宮までの山道の途中、去年と同じ場所で記念撮影。そして”心臓破り”と秘かに呼んでる、天神宮の石段。一段が高いので、登り切った時は太ももが張ってしまう。
それでも健脚者らはズンズンと進む。他人事ながら、山の上にあるお宮を維持する氏子の大変さを想像してしまう。
中田からは再び平野部に下り、建部駅前に出る。例年通り、ここの福祉交流プラザで休憩を取る。
今年で36年を迎える「歩こう会」その年間計画を皆で話し合う。時代とともにコースも変わり、歩く距離数も短くなって来た。無理をせず、それぞれに合ったメニューが選べる、
そんな自由さが長続きの秘訣だろう。
歩行距離「200キロ」達成の方に記念のバッチが贈られた。手帳には、いっぱいの紅いハンコ、その傍に
は几帳面に歩いた場所が。
「すごい、おめでとう!」(拍手)
さて後半は3社、まずは西原、厳嶋神社。平野部に在りながら、大きな木々が両脇に立つ参道。ここを歩くだけで神妙な気分になる。
ここで4番目の願い事、と言っても何かをお願いすることはなく、「今年も来れました、ありがとうございます」と唱えるだけ。
そこから中田新町を抜ける。江戸時代に岡山藩池田家が陣屋を置いた町。武家屋敷は取り壊され(これをそのまま残しておけば、今は世界遺産!)、商人家だけが
残ったが、それも洪水に遭いセットバックしたかたちで今の町並みとなった。
その旧家の一つ、「太田秀世家具工房」さんの玄関脇で見つけた今年の干支、毎年、奥様が端材を使って製作されている。
市場、眞名井神社、こじんまりしたお宮様。田では何を気にするではなく焚火。
最終、宮地神社。(本田会長)「あれ?入口、どこだっけ」
うっかりすると通り過ぎる、路地を抜けて田んぼに出ると、真っただ中に御らっしゃる。
境内に建つ「洪水記念塔」人の背の高さに水位が刻まれている。昭和9年、前を流れる旭川の氾濫。
参加した方が教えてくれた「うちのお爺さんがよく話してたの、大水で人が流されて、どうしようもなく、助けてあげられなかったこと」
脇には今年も愛しく咲く寒椿。
一行は正午過ぎには無事、集合場所に到着。
次回は2月19日。詳細はコチラ
(レポート・三宅優)
「石で描くマティス展」動画
(ユーチューブ・1分36秒)
たけべ新聞8周年特別企画「石で描くマティス展」が、当新聞編集室ギャラリーにて開催された。
15日、底冷えのするガレージ展示場に大小、8点のマティス代表作を描いた石作品が並ぶ。前回「ゴヤ展」から5か月、この間、コロナの緩和から再猛威へと変遷し、ままならない時代への焦燥感が世の中に漂う。
この日、取材に来たoniビジョンの岡本記者から「絵画におけるマティスの最大の仕事は?」と聞かれすぐさま「色の開放」と答える。
これまで、色は何かを表すために(空の青、森の緑、人の肌色、リンゴの赤・・・)存在した。それを具体的なモノを再現するのでなく、色が主体となる絵画表現を切り開いた。
「色は色として味わうもの」まさに色がモノの従属から解き放たれる起点となった。
1905年、マティス「帽子の女」が発表された。その反響は天地がひっくり返るほどだった。赤、黄、青、黒、紫とチューブから出された絵の具が原色のまま塗りたくられ、額には緑の色が覆う。
「まるで野獣(フォーヴ)だ!」と叫んだ批評家の言葉から新しい絵画運動「フォーヴィズム(野獣派)」が誕生する。ルオー、マルケ、ブラマンク、日本でも里見勝三、萬鉄五郎、梅原龍三郎などがそれに触発されている。
ただマティス自身はこの後、徹底的な色の整理に入る。一枚の画面の中に最小限に必要な線と色を求めて孤独な戦いが続く。
これは記者が推測するに1917年前半までがその期間だと思う。この間の作品にはどれも背景に静寂があり、作家の自己を見つめる視線が感じられる。
元祖、ヘタウマとも言える「ピンクヌード」「豪奢Ⅱ」。
漫画チックで、およそこれまでの裸体画と似ても似つかない。この時のマティスの脳裏にあったのは、硬直化した西洋文化のアカデミズムをいかに撃破するか。絵画の自由への渇望。
エルミタージュ美術館の至宝「ダンス」空の青、地平の緑、オレンジの躍動する女たち。これに敢えて黄色と青のパネルを上下でなく左右で使う。
理由は
「とても難題な状況」で取り組みたかったから。2枚のパネルに一体感を持たせつつ、且つそれぞれが美しいかたちを追求する。
その後のマティスは復古したかのように、写実と抽象の折衷へと移る。長いスランプ、いや、大きく羽ばたくための模索の時だったのかもしれない。
リューマチを患い、車いすの生活に入ったマティスが辿り着いたのは「切り絵」。
「ブルーヌード」青い紙が大胆にカットされた曲線の形となって白い空間に置かれる。美しいのは「ブルー」の形?いや、切り取られた「白い」空間こそが美しい。
色を石の信号に置き換える仕事、それは絵の再現ではなく、石だとどうなるかを示すこと。主役は石であり、その石の個性が十二分に発揮されて作品となる。
石を並べる手が”ふと”止まった時、もうそれ以上、石を足すことはなく減らすこともない。最小限の石で最大の表現、目指すのは石のミニマリズム。
うれしい観客が来てくれた。T君、「それは、石にも命がある
ということですか?」
矢継ぎ早に質問を投げ掛け、作者を困惑させる(笑)
「いや、ぼくは、正直、今日、来たくなかったんですよ、あまり興味がなくてスミマセン(笑)、でも、観てみたら、なるほどーって、すごく、勉強になりました」
今度、上野に「ピカソ展」を観に行くそうで、「21世紀、第2のピカソ現る」が楽しみとなった。
「石で描くマティス展」動画
(ユーチューブ・1分36秒)
(レポート・三宅優)
今春3月、JR西日本主催の「ふるさとおこしプロジェクト」のニュースマガジンで当地が「福の町、福渡」として取り上げられた。それを契機として、7月、岡山デスティネーションキャンペーン
観光列車「SAKU美SAKU楽」をおもてなしするイベントへとつながった。
町民がこぞって参加する催しは大きな盛り上がりとなり、当新聞でも幾度となく取り上げた。
そんな町の姿が目に止まったのか、JR西日本岡山支社が主催する「第14回ふるさとあっ晴れ認定委員会」に「福の町たけべ福渡 たけべ福渡しプロジェクト」が「ええとこ」部門でエントリーされた。
これまで選ばれた「ええとこ」を見ると、国立公園・王子が岳や尾道市瀬戸田港など風光明媚な1級クラス。果たしてここに当地が並ぶなどとはハードルが高すぎ、でも光栄なことだ、精一杯、挑戦してみよう。
1日午前、この発表を任された記者(三宅)は会場となるホテルグランヴィアへと出かける。
会場となる3階広間では参加者、関係者の人らで、すでに熱気が充満。14回目となる今回のテーマは「持続と可能」。「ウーム、気軽に考えてたが、少し空気が違うぞ・・・」
「えぇとこ」「えぇもん」「うめぇもん」にエントリーされた13地区の発表者が席に座る。
続いて審査員が入場。一見してどの人も「相当、できそう・・・」
主催のJR西日本岡山支社、伊藤 暁「ふるさとおこし」本部長の挨拶。続く発表者13名の紹介。
えぇとこ部門
「真庭市 真庭あぐりガーデン」
「津山市 津山城西地区」
「岡山市 奉還町商店街」
「岡山市 福の町たけべ福渡/福渡しプロジェクト」(記者)
「西粟倉村 BASE101%/株式会社西粟倉村・森の学校」
ええもん部門
「岡山市 脱硫マッチ/中外燐寸社」
「赤磐市 岡山レース/岡山レース株式会社」
うめえもん部門
「笠岡市 喜多嬉かき/勇和水産」
「高梁市 高梁紅茶/百姓のわざ伝承グループ」
「矢掛町 石とカカオが生み出すチョコレート/石挽カカオissai」
「倉敷市 きびそば/富來屋本舗」
「岡山市 岡山カレー/OKAYAMAまちおこし隊」
「岡山市 畑でとれるアイス/AOBA」
聞いて「えっ、選りすぐりばっかり・・・」動揺が走る!
審査員の紹介。
「備前焼作家」渡邊 琢磨 氏
「フラワーエンターティナー」萬木 善之 氏
「株式会社 ビザビ代表取締役会長」 前坂 匡紀 氏
「湯郷温泉・ゆのごう美春閣 鷲羽山下電ホテル女将」永山 泉水 氏
「書家(玉葉書道会 主宰)」中村 文美 氏
「せとうち児島ホテルエグゼプティブシェフ」寺田 真紀夫 氏
「株式会社 辻本店 取締役製造部長杜氏」辻 麻衣子 氏
「エフエムおのみち パーソナリティー」河上 典子 氏
なるほど、思った通りの、その道のプロが勢ぞろい。 慌てて、スピーチ原稿に目をやる。
そう言えば、子どもの頃、発表がうまくできなくて泣いて帰ったことがあったことを思い出す(笑)
プレゼン開始。まずは、ええとこ部門の5地区から。
投影された一枚のスクリーンを前に、一人、2分間程度でのPR
と聞いてたが、各代表、気合が入ってかなり長め。
「やはり、もう少し、加えた方がいいのか・・・」不安がよぎれども、出て来るとき、妻から口を酸っぱくして言われた
「ぜったいに、これ以上、話したらダメよ!」を思い出し、踏み留まる(笑)
ええとこ部門が終わったところで、審査員からの質問へと移る。
「もっとも」と思える地域に質問が行く中で、内心「ホッ」、だったのだが、最後に「エフエムおのみち パーソナリティー」河上 典子さんから
「私は、黄色いハッピを着て来られた・・・」と話が向けられる。
黄色いハッピは建部らしい服装でと言われて持参したもの。誰もこんな格好をしそうにないので、ためらったのだが、今回、カメラマンとして一緒に来てくれた
「建部獣皮有効活用研究所 代表」の頼本ちひろさんから「三宅さん、それ(はっぴ)ぜったい、着た方が良いですよ」と
言われ、着用することに。
質問は資料として出した「たけべ福渡ウォークマップ」(誰が描いたのですか)
、記者=画家=10数年前に東京から移住=福渡町内会長と話が進み、さらに、流されても戻って来る「しあわせ橋」に至る。
気がつくと、一番長く話してしまったかもしれない、妻の怒る顔が浮かぶ(笑)
ええもん、うめえもん部門は、実際の商品、試食品が審査員に運ばれての進行。かつてのテレビ番組「料理の鉄人」を彷彿させる光景に、発表者の緊張が伝わる。
休憩を挟んでの最終発表。「あっ晴れ認定大賞」に、ええもん部門「中外燐寸社」「岡山レース株式会社」
うめえもん部門から
「喜多嬉かき/勇和水産」「石とカカオが生み出すチョコレート/石挽カカオissai」が選ばれる(おめでとうございます!)他のエントリーもすべて「あっ晴れ認定」を受賞。
最後に「株式会社ビザビ」前坂会長から総評があり、大賞選考がどこも良くて接戦だったこと、今日の参加者が岡山の旧来の住民と移住者の2つで構成されていること、
それらの力が合わさるかたちでの持続と進化に期待が持たれるとの趣旨が述べられた。
<そして記者の感想>
今回、参加して分かったのは、はっきりとしたポリシーを持った若者が
中心となって、ネットワークを最大限に活かして動いていること。
建部の山間に引き込もって気付かなかったことなのだが、そういった若い力が岡山(日本)を確実に新しい時代に変えつつあることを知り嬉しく思った。、
第14回ふるさとあっ晴れ認定品 マガジン
(レポート・三宅優 写真・ 頼本ちひろ JR西日本ふるさとおこしプロジェクト提供)
前々日までの予報では降水確率80%曇り時々雨、「もう駄目だろうなあー」」誰もが、諦めきっていたこの週末。なんと、奇跡の大逆転、快晴2重丸。
「だからわからないって言ったんだよ、その日になってみなきゃあってね」(記者の独り言)
20日、日曜、「建部町文化祭」の開かれている文化センター前の親水公園は、まさに風ひとつなくスカイブルーに染まる。
朝9時、公園広場では「たけべマルシェ」の出店者たちの嬉しそうな顔ではちきれんばかり。
コロナ以来、中止となっていた分、スタッフの今回に賭ける意気込みが空気を伝いヒシヒシと感じ取れる。
本部も大人本部と子どもサブ本部(中学生が担当)を用意、
これなら、大人の気づかないサポートにも対応できる。
出店者のテントでは初めてのブースが目につく。話題の「田渕商店」さん、ビーズ刺繍アクセサリー「miel」さん、水引アクセサリーの「nunnun」さんなどなど。
ちょっと、買ってみたい、食べてみたい、覗いてみたい、好奇心をそそる構成となっている。
体験ブースを見ると、「新聞バッグづくり」「ヒンメリづくり」「凧作り」(これは6年ぶりに記者が復活)。
子どもの開く「こどもちっちゃ市」も、なんだか楽しそう。自分で作った小物を並べてのお店屋さん。
「いらっしゃい、いらっしゃい、いかがですかー」
「うんうん、これなら、10年後のマルシェも安泰だ」
本部前には「未来ポスト」5年後の自分に届く、手紙配達サービス。何でもすぐに届く時代に、のんびりと未来を浮べて話しかけてみる、若いって未知だからね。
老人(記者)は恐くて書けそうにない、受取人の自分がいなかったら、代わりに受け取った人が困るだろう(笑)
午前11時、凧作りで、取材どころではない記者、まったくほかの状況がどうなっているのか、皆目わからない。ただ、ただ、
数えきれないほどのお客さん。
どこから来たの、誰と来たの、聞きたいけど。目立つのは、若い人の子ども連れ、平常の建部ではめったに見られない光景が広がっている。
笛と鐘、太鼓の音が聞こえてきて、いよいよ始まるアトラクション、今しがた文化祭に出演したばかりの「福渡八幡神社神楽保存会」の獅子舞の登場だ。
この日のために、大人も子どもも演舞指導に振り合わせ。コロナで祭りがずっと出来なかった、そんな中でのイベント参加、これまでになく観る側も気持ちが高ぶる。
晴舞台を得た獅子たちが、観客の座る石段を次々と飛び跳ねる、思わぬ縁起物の到来に大人もこどもも、ビックリ!
「三宅さん、福渡は、やるのう」そう言われて、鼻高々の町内会長(記者)であった(笑)
〆るのは、もちろん「建部はっぽね太鼓」。この大空の下、鳴り響く太鼓の音はいつ聞いても「ええのうー」
メンバーらの変わらぬバチさばきは、建部に「はっぽね太鼓」あり。
食べ物ブースではどこもかしこも長い行列。気がつけばもうお昼、カレーのいい匂いが漂って来る。
水も飲まずに、ただただ凧作り。終えたと思ったら、次の注文で休むことなし。
作業中も耳だけは働いていて、「あっ、久しぶりー」「えっ、もうこんなに(子どもが)大きくなったの?」「わー、会えてうれしいー」「もう、めっちゃ、今日、最高!」
若い世代の会話から、待ち望まれていたのは、こんな出会いのある開放感あふれるイベントなのだと改めて知ることとなる。
時刻は2時、そろそろ閉幕となる。未来ポストに預けられた自分あての手紙がテーブルに山のように
積まれていた。
これから5年後を夢描く人たちが、これだけ大勢、訪れたってことはすごい。
最後に参加者全員で記念撮影。そして、これだけのイベントをやり遂げたスタッフの皆さんにありがとう。
(取材・写真 三宅優 写真 松下りえ)
毎度、同じことを話してしまうが、コロナの影響で今年も各地の文化祭は低調な趣き。ここ建部町も発表数が少ないと聞き、「それも仕方ないな」と頭でつぶやきながら出かける。
受付で記名、消毒を済ませ、ロビーの書道展示を観る。子どもたちの元気いっぱいの文字が並ぶ。この1年の頑張りが伝わり、まずは安堵。
メイン会場の小ホールに足を向ける。「おおー」これまでと変わらぬ数の展示パネル、場内に活気が感じられる。
一つずつ観ていくと、様々な工夫がされたコーナーが目につく。
今年の賑やかな話題となった「たけべ福渡しプロジェクト」の映像と写真による発表。
福渡とゆかりのある蘭学医「石坂桑亀」を紹介するコーナーを手掛けたのは公民館。他にも洋画家、佐藤定さんにもスポット。
建部川柳社の「川柳カルタ」は観ているだけで楽しい。平田慎一さんの「ストローアート」は力作がズラリ。
常連の「たけべ八幡彫り」も圧巻。老人施設の利用者さんの手作りパネルも健在だ。
再び、ロビーに出るとはがきサイズのカードが無数に貼られたパネル。この数年、中止となっている「ふふふ祭り実行委員会」の「あなたのちょっと良かったことを教えてください」に投稿した人たちの
メッセージだ。
一枚一枚、人の数だけ幸せがある、そんな暖かい気持ちを起こさせる優れた企画だ。
大ホールでは、ステージ発表真っ最中、コブシの効いた歌声が響き渡る。森田市議も熱唱されたようだ。
2階の水彩画展示を回り、今日のところは終える。明日は福渡八幡神社の神楽演舞が発表される。そして
記者も出店する「たけべマルシェ」。
天気が気になる~。
(取材・三宅優 写真 井手誠二)
11月6日早朝、建部町竹枝小学校前の旭川からユンボのキャタピラの音が聞こえてきます。
今日は第15回となる「旭川かいぼり調査2022」の開催日、天を見上げると真っ青な秋空、集合場所の雑木林も色づき始め、かいぼりの好天日です。
まだまだ続いているコロナ下での開催にスタッフ・地元地域ボランティアの面々は、手の消毒液・マスク・検温など用意、本部テントの設営や、かいぼり会場の点検を済ませ、参加者を待ちます。
午前9時、2台で駆けつけた岡山理科大学理学部の学生の面々が到着。10時の開会式では200名以上の参加者・スタッフで本部テント周りの河川敷は熱気ムンムン。
開会式が終わると、本部テントを境に大学生グループ、一般参加者グループの2組のゾーンに分かれ会場へ、早速あちこちから甲高い声。
「あっ、カジカ!」「アカザ見つけた!」
こんな感動の声が響き渡るのが、この調査の魅力のひとつなのでしょう。
(ここまで勝部 公平)
(以降、めだかの学校館長、武藤 邦夫レポート)
水が引いた川で、みんな黙々と石を持ち上げながら、下に潜む生き物たちを見つけて行きます。子ども園や低学年の子らも、網ですくった魚を上手にバケツに入れています。
この間、約1時間。その後「川を耕す」作業に入りました。
「川を耕す」とは石をもう一度ひっくり返すことで、溜まった土や泥を流し、川床を柔らかくして変化を作ってやることで、魚が産卵しやすくなったり、水生昆虫が石の間に住みやすくなるそうです。
最後に水槽やミルソーやトレーに入った魚や水生昆虫の説明会が開かれました。お話をして下さったのは淡水魚研究会の柏さんと野生生物調査会の吉鷹さんです。
捕獲できた生き物は、アカザ・カジカをはじめ、ムギツク・オヤニラミ・ドンコ・ナマズ・ウナギ・オオシマドジョウなど25種類の魚類。
水生昆虫はトビゲラ・カワゲラ・ミズカマキリ・ゲンジボタル・カワニナなど27種類です。
数年前は千匹以上、捕れていたアカザは、今年は360匹でした。2018年の豪雨で川の状況が大きく変わってから減少傾向が続いているそうです。
参加者は先生の話に最後まで真剣に耳を傾けていました。
私が面白かったのは「チチブ」と言う魚の名前の由来です、お知りになりたい方は調べてみてはいかがでしょう(笑)
(取材・写真 勝部 公平 武藤 邦夫 )
岡山市で推進している地域の防災団の結成、建部町でもいくつかの町内会で組織が作られた。
記者のいる福渡でも3年前に結成、この間、コロナ禍なのに豪雨による被害は激しくなるばかり、
ここ福渡でも2年前のお盆の真っ最中、公民館に10名ほどが避難した。もう、ここは大丈夫とか言っていられない、線状降水帯がドローン兵器のように空から襲ってくる。安全な場所などどこにもない。
ましてや福渡地区はすぐ前には旭川、後ろには土砂災害の危険性のある山々を抱えている。上流の旭川ダムの放流量が毎秒800トンを超えてくると町のシンボル幸せ橋が
浸り始める、まさに災害の危険と隣り合わせに暮らしている。
この日(11月6日)開かれた福渡みんなの防災団による「防災体験学習会」は、町内全体で行う初めての防災訓練となった。
会場となった建部町保健センターには子どもからお年寄りまで、約60名が参加。
まずはおなじみの「岡山市民体操」で体をほぐす。
開会式は防災団長(記者)の開催あいさつの後、共催を担って頂いた建部町公民館長より「公民館が地域の防災のかなめとなることは大変重要だと思います」の言葉があり
、
続いて、この10月に新しく赴任された福渡駐在所の石﨑巡査部長から「私も真備の災害で警備にあたり、被害の実情に接しました。日頃から隣の人同士で、つながりを持つことが大切だと感じました」との話がなされた。
開会式に続いての講演は、東日本大震災で岡山へ避難し、移住された方や自然災害の被災者支援を行っている「ほっと岡山」(一般社団法人)代表理事、はっとり いくよ氏の
お話があった。
冒頭 「あなたにとって、失いたくないものを5つ書いて下さい」と問われ、それらを講師とのジャンケンで負けたら「家、健康、命、お金、子、
愛犬・・・」一つずつ消していくシミュレーションゲームが開始。
「ジャンケンポン、最初はグー!・・・」「えっー負けた!」
紙に書いた大事なものを見つめる聴衆。突然の出来事で、大切なものが次々と失われて行くことの虚脱感が襲う。
災害のもたらす真の怖さが誰の頭にも想像されて来る。
また「人は特性として嫌なことは避け、良い方に考えがちです、これを正常バイアスと言いいます。ですから災害も自分は大丈夫と思い、でもそれが逃げ遅れる一番の原因となります」
と言われ、確かに自分の中にある、都合の良いとらえ方に反省。
体験コーナーでは5年保存の缶詰パンの試食、「これ、おいしいわー、どこで売ってるの?いくらぐらいするの?」
グルメレポーター的には「オレンジの砂糖漬け入りがおすすめ」
20リットルの給水タンクの持ち上げは、なぜか子どもらがやりたがる。それを見てお年寄りは「まあ、子どもは元気じゃなあー」とほほ笑んで・・・。
防災品の点検、それをリュックに背負い、「ムム、ランドセルより軽いかな?」
救護テントは今年、防災団で購入した新兵器。「ワンタッチ、60秒で組み立てまーす」
威勢よくデモンストレーションを始めた防災委員(当新聞グルメレポーター)だが、「???、おかしいぞ、あれれ」いつの間にか自分がテントに飲み込まれて行方不明(笑)、心配して救出に向かうスタッフたち。
観客もハラハラ、ドキドキ(笑いあり)で、どうにか成功(拍手あり)、時間は2分弱。
この日、参加品として配られたのは岡山市危機管理室が備蓄している「5年保存の水」「アルファ化米」「クラッカー」、期限が近付くと防災訓練用に放出してくれる。
その「アルファ化米」の食べ方説明。
(栄養委員さん)「中のスプーンと脱酸素剤を取り出してから水を入れ1時間、お湯だと15分待ちます、でも水だとあまりおいしくないです」
あわてて「そんなこと言っても、避難時にぜいたくは言えません」と補足あり(笑)
最終プログラムは参加者全員のお楽しみ「ビンゴ!」
前面のテーブルには「ダイソー」「セリア」で厳選して買ってきた商品がズラリ、迷うこと間違いなし。
1等は3品、2番~5番は2品、後は順次1品がゲットできるとあって、子どもも、親も、年寄りも、カードを持って真剣なまなざし。
最初の「ビンゴ!」(なんと、運がいいい講師のはっとりさん)が出て、次々、「ビンゴ!」
ハズレなし全員が当選者となって「3世代交流ビンゴ」は終了。
閉会式、松下泰成副団長より閉会のあいさつ。
「僕は講演で言われた正常バイアスがすごくわかりました。仕事で真備の被災した家のリフォームを頼まれたことがあるのですが、また同じことが起きるのではと、お受けするのをか悩みました。でもお施主さんが、そうなったら、今度こそあきらめるよと言って下さり、気持ちが楽な方に傾きました。
それと今は、雨の様子やダムの放流量がスマホでわかる時代です、こういった日頃のチェックや準備、心構えが大切だと今日の会を通じて再確認しました」
*最後にアンケート回収結果(回収率90%)
「一人でも多くの人が聞かれた方がいいと思った」「講師のお話しがわかりやすかった」「ハザードマップの確認が大事だと思った」「防災を気にかけるようになった」「逃げる勇気が大切だ」・・・。
10点満点中、10点が半数、「ヤッター!」
(取材・三宅 優 写真・松下りえ)
秋晴れの10月28日建部小学校、校内の畑で、恒例になっています1、2年生による「焼き芋パーティー」が開催されました。
地域ボランティアの片山健次さん、市川正之さん、そして記者(勝部)が講師となり、春のさつま芋苗の植え付け、夏の水やりを経て、秋の芋ほりまで児童が通い続けた畑で、里山で暮らしている子供たちの生活体験をしてもらおうと企画です。
焚き付け材料は、松や杉なとの枯れ葉や枯れ枝を使い、秋の穫り入れ後にでる籾(もみ)殻が燃料です。資源の乏しい日本での持続可能な生活(ESD)、身の周りにある資源の活用(リユース)の大切さなどを学びながらの焼き芋づくり。
モクモクと上がる煙が、あっという間に黄金色のもみ殻が黒色に焼かれていきます。その中に、子供たちが一本一本、濡れ新聞紙、サンホイルで包んだお芋を投げ入れ、いよいよさつま芋の籾焼きです。
待つこと小一時間、真っ黒に焼けたもみ殻を拡げると、中からゴロゴロと銀色のホイルに包まれたお芋がでてきました。
「今年も大豊作、感謝のお芋パーティーの始まりー」「しっとり柔らかいよー」「ぷーんと甘い香りがしたぞー」
里山ならではの、建部小学校のハロウィン・焼き芋収穫祭でした。
(取材・写真 勝部公平)
遅い刈り入れの稲が黄金に輝く道、先ほどまで肌寒くて着ていたジャンバーも脱ぎ目的地へと向かう。
ほぼ1年ぶりに開かれた、岡山市環境学習センター「めだかの学校」主催の「建部古道を歩く」体験学習。
今日の参加者は市内在住の老若男女、親子連れの家族、計16人。講師として地元ボランティアの江田さん、須見さん、当新聞編集長、勝部が加わる。
古道に足を踏み入れるのは記者にとっても1年ぶりとなる、確かにコロナ禍でイベントが控えられたとは言え、一人で歩くことだってできたのに、どうやら萎えていたのは自分の気力だったようだ。そのせいか、今日の足取りもすこぶる重い。
建部古道の入口は妙浄寺の脇、そこから古墳を観ながら標高212メートルの頂上を目指す。数日前に、道を覆う雑木やササを勝部と「建部歩こう会」会長の本田さんが刈っておいてくれたそうで、二人のパワーに脱帽。
道案内で先頭を行くのは江田さん、もうここに住んで70年以上、その健脚ぶりは7年前に古道を復活した時と変わらない。
「ここに(山道の脇)水が流れているけど、どうしてだかわかるかな?」歩きながらの学びの時間。
「それはね、上に池があって、その水が溢れて落ちてくるんだよ」昔の人の知恵、山は水を貯える役目もあった。
先ほどから子どもたちは、栗を拾ったり、セミの抜け殻を見つけたりで大忙し。この小さな体のどこにそんなエネルギーが入っているのだろう、登るのがやっとの大人(記者だけ?)を尻目に動き回る。
やがて、その「池の山池」に到着。水のあるところ、風がある。夏日を思わす日差しの中の涼風。
「この用水池は、いつの時代の誰が作ったのかもわかっていません」池には菱(ひし)の葉が広がっている、
子どもの頃、その実を湯がいて食べていた記憶が。
「15号古墳」はすぐ傍、奥行き4m70、高さ1.5m、かなり大型。
子どもらも探検開始、でも「なんにもないよー」と言って、すぐに帰還。古代にロマンを感じるのは、
やはり熟年者にお任せしよう。
「やったー!」遂に建部のエベレスト?法寿山、到達!
以前はもっと見晴らしが良かった、コロナに煩わされているうちに雑木成長、すっかり覆われてしまった。
でも、三角地点のある場所は先日きれいに刈ってあって、すぐに見つかる。さっそく登頂の記念撮影。
帰りは池から別ルートで、ひたすら下り道。だが1年のブランクは大きい、一度、休憩した足は中々、動こうとしない。
子どもたちは「次は僕が先頭だよ」と、サッサと前を歩き始める。
後期高齢者は、もつれそうな足をどうにかバランスを取って、1歩ずつ行く。それでも10分も歩むと体に自信が出て、木漏れ日の輝きを味わう余裕も生まれて来る。
こんな時、「ああ今日も素晴らしい一日」と感謝がよぎる。
視界が開け、東の山並みが見えてくる。阿弥陀様の鎮座される展望スポットへと進む。鎌倉期に彫られたとされる高さ2.6m、周囲7.2mの後光を背負った仏さまにお花を供える。
「以前はよく、地元の人らがここまで詣でて、お弁当を食べてました」下に広がる旭川、向こうには福渡の町並み。
川を挟んで備前国と美作国に分かれ、国境の町だったことなどひとしきり学んで、いよいよ終着地、七社八幡宮の境内へ。
歩行距離、およそ4.6キロ、2時間の山歩き。大人たちの感想は「いろいろ勉強になりました」
子どもたちは「栗が拾えたことがうれしかった」「足が鍛えられた」そして「お弁当、早く食べたい」
その点は記者も同じ、歳は取っても腹は減る、「ああ、歩いた後の昼飯がうまい!(笑)」
(取材 勝部公平 三宅 優 写真・三宅 優)
中止となった「建部まつり」このままでは伝統が途絶えてしまう、何とか継承しなくては。
建部に限らず、どこの地区もジレンマ、そんな中、建部町中田、富沢、田地子、3地区で獅子舞、棒遣いによる「村まわり」があると聞いた。
そのうち、富沢の様子を当新聞編集長、勝部が速報!
「写真は成就寺仁王門前です」
福渡でも祭りは中止となった。これから先の存続が気掛かりだが、神事のみは滞りなく続けていかなくてはと、この日、町の氏子とお宮の総代が集まり、例大祭に併せて新調するしめ縄づくりが行われた。
今や、しめ縄を綯う(なう)人がいない状況の中、福渡では数年前より手ほどきのできる人と一緒に見よう見まねで覚え、伝承しようという試みが始まった。
まずは、山と盛られたワラ束を揃え、水に濡らし、槌で柔らかくなるまで叩く。それから、しめ縄の太さを決め、計量しながら3束、1組を用意してから綯う。
綯い方は、左綯(なえ)、これが結構むつかしいのだが、数人で補助しながらやれば、どうにか形になる。
すべて作り終えた時は、足がもつれて立ち上がれないほど、だが達成感は大きい。
お祭りに飾る大切なしめ縄を自分たちの手で心を込めて作り上げる、それも祭りへの参加だと感じた。
(レポート・勝部 公平 三宅 優 )
9月最終日、福渡駅に人が集合、11時38分の電車を待つ。
7月1日から始まった岡山デスティネーションキャンペーン「SAKU美SAKU楽」特別観光列車の運行が、この日一つの区切りとなる。
振り返れば、暑~い、暑~い、夏の陽射しの中、小旗を手に駅に何度も向った、しかし辛い思い出ではなく、満足のある汗をかいた思い出である。
キャンペーンの盛り上げイベントとして開催された福渡駅前での「福ふく市」は1回、2回と回を追うごとに盛況となり、最後は誰も予想しなかった(記者がその筆頭)ほど大勢の人がやって来た。
その日、9月18日は建部中学吹奏楽部の生徒たちが演奏をしてくれた。高らかに鳴り響く楽器の音に、町の人たちや訪れた観光客のワクワクする気持ちが伝わる。
「シング・シング・シング」ジャズの名曲が始まると、子どもも、お年寄りも誰もが身体を揺らして楽しんでいる。
市に並んだ建部の野菜、果実はジャガイモ、玉ねぎ、トマト、きゅうりからナス、南京、ぶどうへと変わっていき、季節の移り変わりを「
たこ焼き」を販売する傍から感じた。
毎回、毎回、おなじみの顔が買い物をして、
列車を迎えて、帰宅する。
11時38分の列車を見送った後、JR岡山駅長さんからキャンペーンを盛り上げた町の人らへ感謝状が渡された。光栄なことである、町の人の”おもてなしの心”が伝わり表彰されたのだから。
そして、町の人からもお返しの言葉。
「この3か月、列車が来ることで一番良かったことは、町の人らがここに集まってくれたこと。みんな、それで楽しんでくれた、
そんなことは今までなかった、ですので、こちらの方こそ、”ありがとう”とお礼申します」
ひとまずピリオドを打ったサクサク列車だが、これからも快速の後尾に連結して走るとのこと。その時は「おお、元気に走っとるのう」と、手を振って歓迎してあげよう。
(レポート・三宅 優 写真提供・森田 卓志 江田 陽子 井手 誠二)
9月17日(土)、竹枝小学校の運動会が開催されました。テーマは「全力運動会」!
リレーや障害物競走、祖父母の方も参加した玉入れ、親子競技のおんぶリレーや借り物競争など、和やかに盛り上がりました。
名物の一輪車も登場。少人数ながら、一列になって回る大車輪も成功しました。
コロナ下で2時間だけの開催ではありましたが、みんなで一堂に会して楽しめる運動会は、やはりいいものですね。
(レポート・写真 大塚 愛 )
午前9時、建部小学校、グランドに勢ぞろいした120数名の児童たち。待ちに待った運動会がやって来た。
開会式、校長先生の「しっかりと練習の成果を出しましょう!」のお言葉。
今年のキャッチフレーズは「努力して 流した汗は 勝利へと」
児童代表も「みんなでがんばろー!」と宣誓。いよいよ開始だ!
赤組、白組による応援合戦、大きな旗が振られ、エンジ・緑・黄・青、4チーム一丸となった熱のあるパフォーマンス。
子どもたちの体力が落ちたと言われるが、なんのなんの、こんなに全速力で走るなんて、記者には到底ムリ(笑)
親子リレーは運動会の目玉。家族総出で声援、「がんばれ、がんばれ、おとーさん!」
赤青パネルめくり、大人と子ども、どちらが持ち色が多く表にできたか。砂塵が舞うほどの激しい戦いが繰り広げられる。
今年は観客席にテントなし、それでも我が子、我が孫が出るとなっては、暑いとか言ってられない。校庭をぐるっと1周するように観覧席が埋まる。
昔からある親子で協力と言えば「2人3脚」、これがなかなか難しい。急ごうとすると、引っ張られ、「せーの、いち、にい、さん」かけ声上げて前へ、前へ。
今や、運動会の華?引き継がれる「YOSAKOIソーラン」これを観なけりゃ運動会は帰れない。
鳴子の小気味よい響き、児童のキレキレの演技、まさに全員一丸のソーラン舞い。
コロナも吹き飛ぶ熱演に、記者も久々の感動に浸りました。
(レポート・写真 勝部 公平 )
校門をくぐると検温器と消毒アルコールが一体となった検査機がお待ちかね。今や当たり前となったコロナ対策、運動場には本部用、福渡保育園園児用のテントのみ。
それでも、やっぱり運動会、子どもらの緊張した雰囲気、保護者らの期待が伝わってくる。
我が子がグランドを駆ける、思わず立ち上がり声援する父。それに応えようと、懸命に両腕を振り、走り抜ける。
赤白、玉入れ。記者も、夢中になって玉の行方を追ったのが、ついこの前のように思い出される。運動会の定番中の定番。
表現「挑戦~For all~は、こちらも三味線の音楽に合わせて「ソーラン」から。
そして組体操、練習の成果がもっとも表れる、だから児童も先生も
真剣な面持ち。「ピッ」笛が鳴るごとに体形が変わる、そのキビキビした動きはまさに練習の賜物。
最後の種目は決戦リレー。閑散と見えた会場が一挙に熱を帯びる。ピストルの硝煙が観覧席まで流れてくる。ゼッケンを付けた最終走者がテープ目掛けて飛び込んでくる。
閉会式、優勝旗授与。「ああ、今年も終わった」子どもにとって運動会は、いつも特別な日。その達成感がグランドの地面から立ち昇る。
(レポート・写真 三宅 優 )
秋が来た、はずなのに、いつまで~も蒸し暑い。そのためか、建部ではもう稲刈りを終えたところもある。温暖化で育つものは育ち、暑すぎて不作なものもある。
特に草は伸び放題で、中でもツル植物はワガモノ顔、スイカ、桃はダメだったと言う生産者の声も聞く。
そんな建部平野、朝8時には夏日を思わせる陽射しが路面を照らす。今日は、ほぼ1か月ぶりの出店だ。
前回は夏休み中の子どもたちのはしゃぐ声で溢れたようだが、さて9月になって最初の日曜日、すでに外出がためらわれる気温、お客さんの出足が気になるところ。
では、本日の市の出店者紹介!おなじみ建部が誇る、生乳100%の「建部ヨーグルト」ソフトクリームは行列のできる人気アイテム。
2番、自家焙煎珈琲豆専門店「サニーデイコーヒー」コクのあるアイスコーヒーは専門店ならでは。イベントコラボ商品、アフォガードonソフトクリームも見逃せない。
3番、今回、初登場、知る人ぞ知る?手作り石窯で焼く天然酵母のパン屋と言えば「nicoぱん」さん。注文を聞いて焼く、出来立てピッツアをご用意。
4番、建部の新鮮野菜が袋詰めでワンコイン(100円)から販売「建部物産販売所」。今朝は秋の果物、ブドウがズラリと並び、松下レポーターもその格安さに、ついオトナ買い(買占め)するほどだ(笑)
ラスト、我が福渡町内会「福丸ボール(たこ焼き)」メンバーは7人で町内のグランドゴルフ愛好家たちによる交代編成チーム。その味の評価は、これまですべて”売り切れごめん!”で証明済み。
さっそく、焼き方会議。
「前は10時から焼いてたら、間に合わなくて予約がいっぱいになったので、今回は早めに焼こう」ということで9時40分には点火。
後は10時開店に合わせて来客を待つ。
開始の10時過ぎ、なのだが人影まばら。
「こりゃあ、お客さんも飽きて、来ないのかもしれん、1つ、焼き台を減らそう」急に弱気な面々(笑)。
11時頃になると、他店の前には子ども連れ、年配ご夫婦、電車を乗り継ぎ四国高松から来たという男性まで幅広い、お客さんが揃い始める。
当方の予約帳にも名前が連なる。こうなると、スタッフは大忙しで水を飲む間もない。
サクサク列車の入線アナウンス、ピンクの車体が見えてきた。子どもらの飛ばすシャボン玉が宙を舞い、小旗がサヤサヤと一斉に揺れる。
いつも通り、この熱烈歓迎に驚いた様子の乗客さん、「こりゃあ、ちと、降りてみにゃあ、いけんじゃろう」と岡山弁で考えたかどうかわからないが、次々降りて、
テントへと進む。
前々回から登場の「ふくわたり・
建部へようこそ」の顔出しフレームでも記念撮影。
終わってみれば、変わらぬ盛況さ。ただ以前より来場者の楽しみ方に余裕が出てきた、そんな感じがする。
大きな仕掛けがなくても、楽しさをそこで見つけることができる、そんな心の通うイベントが大事だなと改めて思う。
松下レポーターも「ピンクの車両とシャボン玉に、ちびっ子たちがはしゃいでいました。シャボン玉🫧と子どもたちの組み合わせはいつ見てもほっこりしますね」
次回、「ほっこり」タイムは9月18日(日)10時、いよいよ最終回!!
*追伸で~す。『岡山城がリニューアル』今日、会場で建部支所長から案内を頂きました。
詳しくはこちら。
(レポート・三宅 優 レポート・写真 松下りえ )
前夜からの雨も上がり、若干の湿気も風のお陰で比較的過ごしやすくなった21日(日)、第4回目となる「福ふく市」へ。
開始10時頃は、少し客足が緩やかで告知が足りなかったか!?と心配されていたが、お目当ての「さく美さく楽」(サクサク列車)到着30分前の11時過ぎ辺りから、
親子連れや夏休みも終わりに近付いている若者たちが、友だち連れで訪れた。
今回の出店はお馴染み「建部ヨーグルト」さんは、米粉のコーンカップを使ったソフトクリーム🍦、「ケーキハウスキシモト」さんはイチゴ、マンゴーのカキ氷🍧に加えて、新メニューとして、カフェ・オ・レ味を提供!
コレの隠れメニューは、建部ヨーグルトのソフトとカキ氷のコラボが最高!私の好みを熟知してくれているキシモトさんが、私の到着と共に一押し、早速、オーダー!(笑)
相変わらず下野社長がカキ氷🍧用にサーブしてくれるソフトクリームのデカさといったらありゃしない…最高!親子でそれぞれ、一つずつ頂きました!
「建部町観光協会」さんはブースが2つ!いつもの産直野菜に安芸クィーンやブラックオーロラの葡萄🍇も破格でラインナップ。
そして(うちの娘の狙い目である)お楽しみブースが。
「ヨーヨー釣り🪀」「おもちゃ釣り」「ジャンケンチャレンジ」の3種があり、子どもたちは思わぬ夏祭りの再来に大喜び。
中でも「ジャンケンチャレンジ」は、夏休み最後だからなのか大盤振る舞いの、5回勝ったらなんと景品2コ!
おまけに小中学生のお兄ちゃんたちが、本気で相手してくれるので、ベイビーやキッズは大興奮。お兄ちゃんたちは優しくて?、チャレンジャーが5回勝つまで順繰りに相手をしてくれるという、至れり尽くせりの「福ふく」な祭りだったのです。
そして本日注目のホットフードブース。一際、存在感のある洒落たベージュの大型キッチンカーで参上、「から揚げ ゼンちゃん」。地元の応援団も駆けつけ、大いに場を盛り上げてくれています。
今回は列車の乗客の方も降りて来られ、多く買い求められる光景が見られました。
サクサク列車の到着を横断幕を持って出迎えたのは「建部町歩こう会」のメンバー。
ジャンケンチャレンジの景品でシャボン玉🫧キットをゲットした子どもたち(と愛ちゃん😆)がシャボン玉で熱烈歓迎。
世代を超えて、お気に入りのやり方で楽しみながらwelcomingしている様子が田舎町ならではのハートウォーミングな情景となり、とても微笑ましかったです。
《最後に「顔出しフレーム」エピソード》
前回登場の「ふくわたり顔出しフレーム」、もともと県議会議員、大塚愛さんの呼びかけで総社南高校の美術部メンバーが制作してくれたのがこの作品。
立案から打合せの段階で、Zoom会議などを通じて、愛さん、キシモトさん、江田さん(サニーデコーヒー)らが携わって、その際に建部はこんな町だ、こんなステキなお店がある、こんな取り組みをしてますと言ったことをリモートで高校生らに熱く語りディスカッションし、完成したそうです。
記念に、影の立役者の2人に実際に「顔出し」をしてもらいました(笑)。
(レポート・写真 松下りえ )
ウクライナへのロシアの侵略が始まった時、人は人間の歴史が何も変わっていないことを知った。これまで繰り返されてきた”力だけが正しい”と信じる独裁者による戦争。
19世紀初頭、フランス・ナポレオン軍によりヨーロッパ中が席捲された。スペインにおいても残虐な殺戮が行われた。その一部始終を克明に描き残した画家、フランシスコデゴヤ。
宮廷主席画家として頂点に立つも、後に耳が聞こえなくなる病にかかり隠遁。その後は社会を在りのままに見つめ、人間の愚かさや残忍さを描き続ける。
最初に頭に浮かんだ作品は「巨人」(ゴヤの弟子が描いたという説もある)
巨人(=戦争という怪物)が空に現れ、地上の生き物を踏み潰す。当時の人々の戦争への不安を現わしていると
解釈されているが、その孤独な後ろ姿は「人間社会に絶望し去っていく守護神」のようにも見える。
使った石は山石、砕石、その辺にころがる石、半端でなく重くなった。
侵略軍による市民殺戮。1908年マドリード、プリンシペ・ピオの丘で市民400人が銃殺されたことに怒ったゴヤが実際にカンテラを持ち現場で描写したとされる。
おびえる市民、一人両手をあげ最後の抵抗を示す男、しかし兵は誰一人前を直視できない。ウクライナでのロシアの若い兵の証言が重なる。
左からパネル1枚づつ制作し、3枚目「兵隊」の軍靴の石を置いた時点で、石のバランスが取れなくなり1枚目をすべてやり直す。
ゴヤの家の壁に描かれていた「黒い絵」の1点。ローマ神話に出るサトゥルヌスは、やがて自分が我が子により殺されると予言を受け、次々と子を飲み込む。
理性を失い妄想にかられた人間の愚かさを批判。
人間世界の魑魅魍魎を表わそうと、輪郭のないオールオーバーな石の展開となった。
ゴヤ、69歳の「自画像」記者と同年だが若く見える。音のない世界、目は自らを見つめるでもなく宙にとどまったまま。
背景の石のぶつかり合いが作品全体にどう共鳴するか、むつかしい仕事だった。
今から50年も前、この名作が日本に来た。薄っぺらなコピーでしか見たことがない時代、本物がいかにスゴイかを知った。
女の体をそのまま描く、当時、そんな非常識はなかった。宗教裁判が行われる、ゴヤの反骨が伝わる。
石で描くには不向きなモチーフ、なぜならこの作品の魅力は画肌(マチエール)の美しさにあるから。そういう意味においては失敗作。
何ゆえ、服を着ている像を描いたのかは諸説あり。「裸」と対比することで宗教上の戒めを伝える?だがゴヤは「着衣」から「裸」へ、またはその逆、
どちらも現実の人間であると言いたかったのだと思う。
自作では「着衣」の方が若干、絵画的になった。
「黒い絵」の1作、題名も記述も残っていないので、後の者が想像で付けただけに過ぎない。それでもゴヤの作品は人々に想像をかき立たせる。
成すすべを失い、死を受け入れていく自分。
並べる石も伸びては行かなかった、最小限というわけではなく、途中で手が止まった。
「石で描くゴヤ」動画
(ユーチューブ・2分00秒)
(レポート・三宅 優 )
サクサク列車が運行して6週目。この日(8月5日)JRプロモーションビデオ撮影の日、大勢の人がエキストラとして岡山デスティネーションキャンペーンの応援にやって来た。
別にここが、かつての観光立町に夢を追いかけようとするわけではない、そんな時代は遠ーくに終わった。
だからこそ「よくこられましたね、これからも互いに旅を楽しみましょうね」そんな交流を交わしたいなって、それだけ。
そして第1日曜日は3回目となる「福ふく市」開催の時。午前9時には5つのテントが快晴の空の下に張られた。駅舎前には岡山北商工会女性部の皆さんが植えてくれた花々がお出迎え。水やりの大変さを思うと、ただ、ただ感謝!
今回の出店者は我が「福丸ボール(たこ焼き)」「サニーデイコーヒー」「建部ヨーグルト」「観光物産販売所」福渡子ども会の「ヨーヨー釣り」これで夏祭り気分もアップ。
さらに駅舎の一角にひときわ目立って置かれているのは「ようこそ、福渡」顔出しフレーム。桜あり、ウシ君あり、ロールケーキあり、ご当地名物満載。
総社南高校美術部の生徒さんらが精魂込めて描いてくれた力作だ。今日のお客さんの反応が楽しみだ。
午前10時、我が「福丸」にはポツリ、ポツリと予約が入る。まだ火も入れてないのにその数20。
「よっしゃ!」と親方衆が気合を入れてバーナー点火、これから焼き終わるまでフル回転。立ちっぱなし、焼きっぱなしの全力投球、甲子園球児並みに熱い。
盛り付け係も買いに来た人に頼んで増員、焼き手、盛り付け、会計係8人の全員野球。
しばらくすると、子どもらと親御さんらの賑やかな一軍。数は少なくなったとはいえ、これだけ一堂に集まると急に町が若返る。
「ヨーヨー釣り」は大人気。顔出しフレームはというと、意外や大人たちに超好評?
老いも若きもこの日は、子どもに帰って夏祭り気分を味わう。
サクサク到着5分前、駅のプラットフォームはアメリカ大統領を出迎えるかの熱狂ぶり。そしてサクサクが姿を見せる。この歓迎に一番驚くのはきっと乗客。
12分後、無事に列車も次の駅に向かい、結局、外の市はほぼどこも完売。我が「福丸ボール」も「すみません」「申し訳ありません」
を繰り返すしかない(ホントにすみません)。
さて次回日程:8月21日10時 お待ちしています!
(写真・松下りえ レポート・三宅 優 )
「暑いですねは、もう言い飽きました」と出会った町の人があきらめ顔に言う。そうだろう、今日だって岡山は予測気温は37度。日中、部屋にいてクーラーにあたってるならいざ知らず、外で仕事をする人などさぞや大変だろう。
朝10時、すでに結構、突き刺す日差し、車の窓を開け放し田地子地区に向かう。区長をする本田義章さんのブルーベリー園の摘み取り体験。ブルーベリーは毎年いただくのだが、お訪ねするのは初めて。
途中の道でオニビジョンの岡本記者の車と合流。ここのところのコロナ猛威で、建部でも花火大会が中止、記者の関わる第1回サマースクールも取り止め、イベント情報が次々と消えていく中でニュースを見つけるのは至難の業。
本田さんの果樹園を見て驚いた、なんとブルーベリーが100本近くも並んでいる。つい、「こんなにいっぱい、どうしてるんですか?」と聞く。
「う~ん、出荷はしてないから、皆に採ってもらったり、近所の方に届けたり」
もう10年になるという、人に喜んでもらうためだけに栽培されているブルーベリー・・・それを一粒、つまんで口に。「甘い!」
この日の参加者は当新聞編集長(勝部)の娘さんと3人のお子さん。「うわー、いっぱいなってる」「早く、採りたい」
本田さんが「黒くて大きいのが熟してるから、それを採るといいよ、食べながらでね。あと、アブがいたりするから気を付けてね」とアドバイス。
さっそく、記者含めバケツを手に「いざ、ブル^ベリー摘みじゃ」
陽が射すも、時おり雲間もあり、風もそこそこで良いコンデッション、林の方からヒグラシも聞こえてくる。
頭の上で「ピピピ!」と鳴くのは何の鳥?
「それは、鳥ではなく、鳥防止に流している”鳥の声”」本田さんの説明では「危険を知らせる鳥の声を似せている」そうだ。
ムム、人と鳥との騙しあい、勝敗はどちらに??
バケツ一杯の果実が採れました、どれも完熟、スーパーでは決してお目にかかれません。岡本記者がマイクを向けて感想を聞く。
「子どもの夏休みですが、どこも出かけられないので、こんな体験ができたのがとってもうれしい」
「さて、じゃあ、試食タイムにしましょう」本田さんの誘導で全員、地区の公民館へ移動。
本田さんの奥様が調理室でお待ちかね。10分後、運ばれてきたのは冷た~い、ブルーベリージュース。
「う~、なんと、スムージー」凍らせたブルーベリーをそのままミキサーに、バナナも
加わり真似できないおいしさ。
子どもたちも「あまーい、あまーい、ブルーベリー♪」と歌いながら体を揺らす。それを観た爺ちゃん(編集長)も「それは、ブルーベリーダンス
かい?」と・・・、あくまで家族団らん、山の時間は過ぎていくのでした。(笑)
お土産に「ブルーベリージャム」まで頂いて、ホント、取材冥利につきる半日となりました、ごちそうさま!
(取材・勝部公平 三宅 優 )
7月24日(日)早朝5時から巨大な干瓢(かんぴょう)の輪切りが始まる。
押し切り包丁を渾身をこめて3センチほどの厚さに切っていく。
ここはお父さんの立川博文(70歳)さんの力の見せ所、いつも笑顔で地域活動をリードしてくれている博文さんのポパイのような顔つき。
続いて登場してきたのは、かんぴょう薄切り機、どうして均一の厚さで長い切れるのだろうかと疑問に思っていた記者、道具の銘をみたら、55年前に手づくりで作られた木製マシーン。伺ってみたら、近所の親戚の大工さんの作品だそうです。
「大きなかんぴょうを支えている歯は、竹で串を作り錐で穴をあけて打ち込んで、釘を一本も使わず作っているんですよ」とのこと。
「かんぴょう作りは一人ではできないのだよ、息のあった、アウンの呼吸の夫婦しかうまくできないの」と近所の方のお話。
それを聞いて記者も「ウンウン」さもあらんと納得。
いよいよ手づくり道具を使って、お父さんは回しながらかんぴょうを削り出していく。奥さん徳(めぐみ)さんは、それを切れないよう両手ですくいあげ、一通り溜まると、それを持って素早く庭先の青竹竿へ均等に広げ干していきます。
「ここの動作を素早くしないと均一に干せないのよ」
何とも息のあった動作です。朝きれいに干したかんぴょうは、昼には乾いて、午後には、お店でよく見かける束にした干瓢に出来上がっていました。この里山の梅雨明け前後によく見かけられていた風物詩の一コマでした。
◎富沢神社の輪づくり
7月23日(土)早朝6時に富沢改善センターには7~8名の地域のリーダーが集まっています。境内に設置する輪くぐりのための輪の材料・茅(ちがや)の刈り取りに出かけるところです。
昔は地区には必ずカヤ苅場があったが、近年はかやぶき屋根もなくなり、古来貴重品とされていた茅も雑草と化してしまっています。
見つけておいた茅の群生地に、草刈り機と鎌で、軽トラック2台分山盛りに刈り取り、境内に運び込みます。茅を選別し、いよいよ輪づくりです。
直径15センチほどに束ねながら、男結びという結び方で束ねていきます。できあがった茅の輪は境内の入り口に飾られ、無病息災や暑気払い、最近はコロナ除けのどを祈りながら、昔からの作法、正面でお辞儀をして、左足から輪をまたぎ、左から周って正面にかえる。
今度は右足からまたぎ右周りで正面にかえってきます。永遠を意味する8の字を描く周り方です。
「無事この暑さにまけないで、夏を過ごせますように」と祈る姿、神話のスサノオノミコトの時代から始まっているというこの風習、日本の四季折々の変化や天変地異に対する祈りかもしれませんね。
(レポート・写真 勝部公平 )
◎福渡八幡神社の輪くぐり祭
同じ日のこちらは福渡地区、福渡八幡神社の夏越祭の輪づくり。総勢9名の総代の方が、早朝から茅を刈り、丹念に選別した後、輪づくりに入りました。円周6mの藁でできたベースに茅を巻き付けていきます。
何度も、何度もやり直しながら、徐々に完成に近づいていきます。
翌日は夏越祭、夕刻に集まった地元の氏子さんたちが「水無月の夏越の祓いする人ぞ千歳のいのち延ぶと言うなり」と和歌を唱えながら、輪の中を3度、八の字を描くように左右くぐって行きます。
少子高齢化でだんだんと輪を作れる人も少なくなる中、こうした慣習が引き継がれていることにホット、心なごむ夏の一時でした。
(レポート・写真 三宅 優 )
あい変らず、蒸し暑い日が続く日本列島。しかし同じ暑さでも、こちらは「歓迎」の熱さ。
JR岡山デスティネーションキャンペーン、「SAKU美SAKU楽」(サクサク)列車運行から4週目、岡山平野をトコトコと行く津山線、1両列車は方々で話題。
初めて観た人は「えっ、あれ、何(なあに)?」
いく度か出会ったことのある人は、「ああ、健気(けなげ)に走ってる、走ってる!」
そして第3日曜の今日、タイアップキャンペーン「福ふく市」がJR福渡駅前で開催。
朝10時、こじんまりした駅駐車場に青いテントが5台。おなじみ「建部物産販売所」「建部ヨーグルト」「キシモトケーキ」「スイーツチュプ」、記者の係わる福渡グランドゴルフ同好会「福丸ボール」。
梅雨明けしたとは言え、各地で線状降水帯発生、今日の天気が気にかかるが、目下のところ、強い陽射をうかがわせる晴れマーク。
「こりゃあ、熱うて、立ってられんかも」そう心配するのは、当たこ焼きグループメンバー。
それもそう、気温が28度でも、タコ焼き鉄板の上は100度の熱、それを全身に受けながらのタコ焼作業。「この夏に、だれが言い出したのか」(スミマセン、記者です)とこぼしたくもなる。
が、だからどこもやらないので人気。前回も1時間で売り切れ。今回はというと、前の倍の仕込みで臨む。
しかし、この蒸し暑さ、「今日はタコ焼きより、かき氷が正解かなあ」とメンバーも少し弱気に。
最初の列車が到着する時刻には、まだ1時間もある、それでも一人、二人、三人とやって来て、新鮮野菜(玉ねぎ、ピーマン、ジャガイモ、300円詰め放題!)やキシモトの「かき氷」(笑)建部ヨーグルトの「ソフトクリーム」、チュプの「わらび餅」を求めていく。
「やっぱりなあ、暑い時に、熱いたこ焼きは無理・・・」そう考えているうちに、町内のお年寄りグループが数組。
「前の時は、1パックしか買えなかったから、今日は3パック予約しとくわー」
と次々のオーダー。あっという間に予約数が50パック。
こうなると、タコ焼き台はフル回転、焼き手も、盛り付け人も休む間も無い、時おりの涼風に「シ・ア・ワ・セ(福渡る)」
前回同様、我々も食べることのできない「高嶺(たかね)の花」ならぬ「たこ焼き」になりそう(笑)
駅の舎内が賑やかしくなってきた、そろそろ列車の到着時間。観客の多くは町内の人らと思いきや、見かけぬ顔が幾人も、しかも、若い子ども連れ。
皆、サクサクの小旗を手にして、列車の到着を今か今かと待ちわびる。
定刻間近、薄桃色の車体が見えてくる。1番フォームは「ようきてつか~さった 建部へ!」の横断幕、前回以上に人気者の牛の「モーちゃん」、シャボン玉製造機も効果抜群に歓迎一色。
一両編成の箱から降り立つ乗客は数十名、それ以上の歓迎者に囲まれ、「大阪から来ました」だけの甲斐あって「わー!うれしいー」
JR岡山駅の駅長さんからも「お世話になります、ありがとうございます」とお礼の言葉。何といっても、駅は町の表玄関、ここに万客往来あれば、住む人にも良い刺激。
12分の停車タイムはゆっくりと進む。小さな出来事もこうして集まれば、思い出深い「お祭り」に。
♪シャボン玉 飛んだ 屋根まで飛んだ♪
歓喜する子ども、夏休みは、すぐそこ、サクサク列車はまだまだ続く・・・。
では、建部ヨ-グルト下野社長と「牛のモーちゃん」役の花房さん、同級生同士からのメッセージ。
「次は8月7日(日)10時~お待ちしてま~す」
(レポート・三宅優 写真・松下 りえ )
岡山デスティネーションキャンペーン「SAKU美SAKU楽」列車(以下”サクサク”)運行初日から3日目、お待ちかね、タイアップイベント「福ふく市」を開催。
今日深夜、まとまって降った雨が打ち水効果で朝の気温は28度、「こりゃあ、天の助け。日頃の行いが良かったかな?」とホットする。
というのも、このイベントに記者ら町内グループも出店するから、それも誰が言い出したか(スミマセン、記者)「タコ焼き」を焼くと言うのだから。
ここ数日の熱波を受け、これは大変だなと覚悟を決めていただけに幸先良いスタート。
午前9時、車にテント、テーブル、イス、ガスボンベ、消火器、早々忘れてならない「タコ焼き器」を積み会場となる福渡駅駐車場へ。
本日の出店は、我々「福渡グランドゴルフ同好会」(福丸ボール=たこ焼き)、建部町観光物産所(とれたて野菜)、建部ヨ-グルト(ソフトクリーム)、
ピッツェリアマル屋の(ピザ、パン)、サニーデイコーヒー(アイスコーヒー)と堂々5つのブースが勢ぞろい。
今日はこれから午後1時まで市を開き、その間、11時38分到着のサクサク列車を出迎える。
準備に余念のないスタッフの口からは「もう何年振りじゃろう、この道具を使うのは」「あれは、3年前の秋の○○祭が最後だったんじゃあないかな」
「そうじゃて、手がもう覚えておらんかもしれんで(笑)」
でもそうは言っても段取りは忘れていないようで、手際よく次々と接客体制を整える。
開始時間の10時には近隣の人たちが日傘を持ち、次々と。お目当ては獲れたての野菜。ジャガイモ、玉ねぎ、きゅうり、トマト、ズッキーニ・・・歩いて新鮮野菜を買って帰れるのはお年寄りにとっては、ホントに助かる。
バタバタとお客様の買い物一波が落ち着くと、「タコ焼き、まだ~?」「すいません、今や焼き始めたので、あと20分お待ちください」
空にはお日様も顔を出し、駅舎の待合コーナーではソフトを舐める人、アイスコーヒーで喉を潤す人が増え始める。
11時、サクサクが到着するには、まだ30分以上、でも子どもらは友達同士でやって来て、ピンク色の車体が来るのを今か今かと待ちわびる。
気がつけば、構内は50人以上の人で溢れている。
おかげで、我ら「福丸ボール」も行列ができるほどの賑わい。「ごめんなさい、せっかくお待ちいただいてるので、お一人、1パックでお願いします」
機械が2台有っても、焼き手は1台分しかいない、材料もそれに合わせて計算してきたので、予想外の反響にアタフタ。
「間もなく11時38分着、特別臨時列車が到着します」のアナウンス。入線する1番ホームは出迎えの人たちの波。向かいの2番線や渡り階段の上にも、カメラを構える人の姿。
そして3日前と同様、うっすらと顔を赤く染めたサクサクがやって来た。
初めて観たという地元女性陣、「まあ、きれいな色に塗られとんじゃなあ」「ホンマじゃなあ、なんか、電車じゃないみたい」
列車の乗客さんらも驚いた様子。
「えっ、えっ、なんで、こんなに人が出迎えてくれてるの?」「あっ、ウシ(牛)さんがいる、いっしょに写真を撮りたいわー」(いやあ、ご苦労さま、牛の縫いぐるみ役のHさん)
町内会女性陣の持つ「よう来てつかあさった建部へ」の横断幕も盛んにスマホを向けられ人気となった。
この日も12分の停車は長く感じ、出発を見送った後には軽い疲労感。でも、小旗を持ち駅を去る人たちは、それぞれに満足顔。
「結構、楽しかったよー」「そうよね、今まで久しくこんなことなかったものね」
それであらためて、気づいたのは「人は小さくても、触れ合う場を待ち望んでいる、この積み重ねが地域を元気にする」と言うこと。
次は7月17日(日)10時~お待ちしてま~す。、
(レポート・三宅優 写真・松下 りえ )
暑いね~、建部町福渡、アスファルトに置いた温度計は57度。外に出るのもためらうが、歩いて出かけるなんてもってのほか・・・なんだけど、この時だけは外せない。
岡山デスティネーションキャンペーン、あのJR津山線、特別観光列車「SAKU美SAKU楽」、その記念すべき最初の列車がやって来るのだ。
7月1日午前11時30分、福渡駅舎内はごった返すほどの人出。顔ぶれはというと、建部町内の区長さん、岡山市建部支所の職員さん、公民館職員さん、森田市議会議員の顔も。
そして、町内の「もりあげ隊」有志たち。皆、手にはピンクの列車の載った小旗を持つ。旗で歓迎するのは昭和30年代、天皇陛下が岡山に来られた時以来だ(チョッと脱線)。
いよいよ、その時はやって来た、岡山よりの遮断機が「チンコンカンコン」となり始める。
子ども連れのお母さん「さあ、やって来るヨ!」子どもちゃん、すぐに反応、小旗を右に左に。
11時37分、ちょっと桜色した顔が姿を見せる。横断幕隊もスタンバイ。「どれくらい来てくれたかなあ」
心配をよそに、なんと車内を覗くと満席のお客様。いっせいに出迎え隊にむかって、手を振ってくれている。
誰が言うとでもなく「いらっしゃーい」「ようこそ―建部へ」「おつかれさまー」
フォームに降り立った乗客も「ありがとうございまーす」「ごくろうさまでーす」
「記念写真を撮りましょう、シャッターお願いできますか」
「ああ、いいですよ、どこから来られましたか」
「京都から来ました」
「それはまあ、遠いところから、わざわざ、ありがとうございます!」
停車時間12分、あっという間だが、出会いがあった分、長くも感じた。乗客は再び列車へと戻り、津山へと旅立つ。列車を再び横断幕と小旗が見送る。
「行ってらっしゃ~い」「気をつけて」「また来てくださーい」
炎天下、「oniビジョン」岡本記者が列車の過ぎ行く姿を、肩に背負った大型カメラで最後まで追い掛けていた。
(レポート・写真・三宅優 写真提供 松下 りえ )
6月22日(月)と23日(火)に建部小学校の課外学習に出かけてきました。
22日は5年生20名の自然環境の大切さを学ぶ「川の水質と環境について」講師はめだかの学校の沖指導員さんです。
テレビモニターを活用しながら、水質を決める三つの要因の説明。
1.「産業排水ら出た汚染」事例として、熊本の水俣病の水銀汚染を取り上げました。
2.「家庭用排水」まだまだ日本では、1100万ほどの家が下水道未整備で、台所やトイレなどから出る汚水が川へ直接流れているのが現状ですとのこと。
3.「地球温暖化」のお話では、自分たちでできるCO2の削減などの話。
続いて、生態系の問題として、食物連鎖、ブラックバス・ブルーギル・アメリカザリガニ・ミドリガメ・ジャンボタニシなど特定外来種の取り扱いについて事例をあげながら説明。
海の汚染では、クジラ1頭からビニール袋など40kgのゴミが出てきた話などにびっくりしてました。
「私たち一人ひとりのできることは何ですか?」と問いかけながら自分たちの生活を考えてみるきっかけになっていました。
23日は1,2年生40名の田地子川での水遊びと生き物調査の体験です。
この日も、めだかの学校の沖指導員から川での注意や魚の捕まえ方のお話の後、子どもたちは、バケツと魚とり網をもって水辺に入り、教わった魚を上流から下流に追い込み、川の体験をしました。
安全を考えて、校長先生も出動、市場の市川さん、片山さん、勝部もボランティアで参加。
どんこ・タナゴ・カワムツ・亀・沼エビ・スジエビなどを捕獲、友達と話し合いながら生き物調査もバッチリできていました。
やっぱり体験が大切なんだなぁーと感じさせられる一日でした。
(レポート・写真・勝部 公平 )
君はもう観ただろうか、薄桃色の車体に花びらが舞うJR津山線観光列車、その名も「SAKU美SAKU楽」。
岡山デェスティネーションキャンペーンは県南と県北を列車でつなぐビッグイベント。
すでに試運転が始まり、「おや?・・・」と目を止められた方もおられるのでは。
町の人の話しでは、子どもたちも「あっ見て、あの電車!」と走り行く車体に目がくぎ付けだったそうだ。
その開幕(7月1日)まで1週間と迫った今日、列車の止まる福渡駅では大掃除が行われた。
朝10時半(・・・のはずが、なんと、その前から始まっていた)雑巾、バケツ、チリトリ、ホウキ持参の「そうじ隊」メンバーはと言うと、JR職員さん、JRのOBの方、地元ボランティア、計15名。
以前にも近くの専門学校生たちによる駅掃除を伝えたが、あれから数カ月。やはりマメに手を掛けないと汚れが目立ってくる。
とは言え駅内は守備範囲が広い。参加者はホーム、待合室、外、トイレと分かれ、作業。待合室の黒ずんだ壁を脚立を立てて、一面一面、雑巾で拭き落としていく。
「これって、もう何十年分かの汚れだよね」
「だって、もう福渡が無人駅になってから30年は経つんじゃない?」
「そうだねえ、僕らが働いてた若い頃は、列車に乗り切れない人が出るほどだったけど」
「ええっ、そりゃあ、すごい」
この駅に思い出を持つ人たちの手によって、壁は少しづつ明るさを取り戻していく。
一度、拭いた所も見直しては「もっと、きれいになるんじゃない?」とさらに磨く。
「だって、せっかくだから、この機会にやっておかないと」
大人たちの手で1時間、ピカピカに。窓には後ろの風景が映り、そこだけ切り取られた様な向こうの明るいホームが覗けるまでに。
ふと、「線路は続~くよ、どこまでも あの丘超えて・・・」このまま、あの入り口をくぐって、どこかに旅したくなりました。
終了後、満足顔の福渡駅と記念撮影。
岡山デスティネーションキャンペーン「SAKU美SAKU楽」観光列車は7月1日から9月30日までの金・土・日・月、一日2往復の運行。
さあ、この日、列車に向って「ようこそ、たけべ へ!」と手を振ろう。
(レポート・写真・三宅優 写真提供 松下 泰成 )
このところ湿度は90%、この季節、日本全国どこも同じかもしれないが、特にここ建部は蒸し蒸しとする。
そんな、今日も蒸し暑くなりそうな平日の朝「家にこもってばかりいては、身体も気分も萎えてしまう、元気を出さなくては」と、
お年寄りの健康教室「福渡すずらん教室」のアジサイ見学に参加した。
向かうのは「たけべの森公園」。支所の駐車場に集まった参加者17名は公園の送迎バスに乗り、目的地まで15分のドライブ。 入口を通過すると道の両脇にアジサイが満開でお出迎え、これですっかり鑑賞を終えた気分。
コロナ禍でマスク着用、会話も控えめであったので、公園のホールに着いてからは気分も伸び伸び、さっそく持参のキシモトケーキを切り分けて、冷たいボトルコーヒーでティータイム。
会話は以前ここに来た思い出や、久しく外に出なかった間の苦労話。記者も12年前の夏、妻と自転車で登って来たことが思い出された。
食べるものを食べ、話すことが一通り終わっても、まだ時間は10時。「じゃあ、これからアジサイ見学に行きましょう」
何となく、バスで来る道中で既にアジサイを味わった気持ちの方々は、「まあ、これからまたあの坂を歩いて戻るのって、大変よねえ」
とは言いながら、本日の目的は「紫陽花に逢いに行く」窓越しのデートじゃあ、つまらないでしょう。
すでに日傘が必要な空の下「もし、行けないようなら、途中でバスが拾ってくれます」の言葉に安心してんでにポツリポツリと歩き出す。
まず目立って多いのは青色、大きく咲くのは白い花、紫も深みを添えるように所どころ、濃い赤も時折り。
小さめの花を白い花が額縁のように囲んでいるガクアジサイ。昨日の雨の雫が陽の光でキラリと輝く。
やはり「紫陽花には雨がよく似合う」
後ろを振り向くと「な~んだ、皆、ちゃんと歩いて来てるじゃない」
「だって今日、観ておかなくっちゃ、すぐに切られちゃうもん」そのようだ、花のあるうちに切らないと来年、大きく咲かないそうだ。
一行は昔、この山で足の踏み場もないほどマツタケが生えていたことや、山菜が良く見つかった話しなど、終わりがない。
そうしているうちに、アジサイロードも終点、バスが迎える駐車場へ。
「まあ、今日は歩けんかと思うとったけど、よう歩けたわあ」紫陽花に逢えたこともうれしい、でもそれを自分の足で確かめれたことが一番の喜び。
次は秋のバス旅行が待っている。行き先は下津井「瀬戸大橋遊覧ツアー」
「あぁ、買い物が楽しみじゃなあー」お年寄りの興味は尽きない(笑)
(レポート・写真 三宅優 )
早くも、暑さが到来。予測のつかない気象状況となった昨今、できることは事前の準備。
6月から9月にかけての長雨と台風の到来、いずれにしても水災害、土砂災害を招く。
その両方の危険を持つ地区は建部町にいくつも存在する。
福渡地区もその一つ、旭川沿いではダムの放流による川の増水、そして家屋への浸水。山際では急斜面からの土石流、土砂崩れ。
ハザードマップは赤と黄色の色分けで点々と塗られている。
実際、昨年の8月には県北に降った長雨で旭川ダムの放流量が1000tに達し、一部危険地区の住民が建部町公民館に避難。建部の全地区で避難所が開設された。
「災害は忘れた頃にやって来る」真備を襲った西日本大豪雨から4年、人の心には「もう、あんな事はもう起きないだろう」の楽観があるのでは。
だからこそ、そのことを常に念頭に置く習慣、特に出水期の前では実際そうなった時の事前確認と心の準備が大切。
このことを踏まえ福渡町内会で今月5日「防災会議」が開かれた。
参加したのは「福渡みんなの防災団」メンバーで、浸水、土砂災害の危険のある地区の代表、地元消防団、防災委員、及び役員、他含め22名。
会議では各地区ごとの避難の流れ、情報の伝達方法を確認、防災備品の点検がなされた。
その後、指定避難所となっている建部町公民館を視察。公民館1階では受付設営の確認、給湯室、多目的トイレ等の施設を点検。
2階「図書室」はコロナの疑いのある人を対象とした避難場所で、接触を避けるため外階段を使っての移動。
3階「和室」は一般避難者の受入れ。給湯室、押入れ(座布団)といった必要となる設備の確認。
市の備蓄品「毛布(100枚)」「飲料水(240本)」「クラッカー(140食)」「アルファ化米(200食)」「排便収納袋(400枚)」が収納されている倉庫も確認。
そこから参加者は車で町内山頂にある「友愛の丘・ゼンセン」に移動。防災委員の誘導で指定の駐車場に停車。
「スクラムホール」は体育館使用で全板張りとなっていて、コロナ禍、一人当たり占有面積1坪と試算しても50名からの受入れが可能。
館内、中央に避難した場合の休息場所の模擬設営を行った。ブルーシートの上に敷きマットを拡げて、実際に寝てもらう。
「やはり、マットが有るのと無いのとではエライ違いじゃ」メンバーの感想。
他にも、必要となるやも知れない「簡易トイレ」「救急箱」「ゴミ袋」「スリッパ」といった備品の確認をした。
自然災害は防ぐことが難しい、だからこそ「命を守る」ことを最優先した行動が大事だ。
(レポート/三宅優 三宅 美恵子)
今や年配者の代表的スポーツとなったグラウンドゴルフ、なんでも発祥地は鳥取県泊村だそうで、昭和57年に始まってからもう40年、
そのルールの簡単さと、ゴルフのようにお金がかからないことでたちまち全国に普及。
なにしろ場所さえあれば、1人でも100人でもプレーできるのだから、言うことない。
で、場所の問題。比較的平らな土地で広ければ広いに越したことはない、そんな都合のいい場所が・・・、見つかりました。
記者の住む建部町福渡地区にある旧中学校のグランド。日本全国、中山間の町や村では、過疎、少子化で廃校となり、使われなくなった公園や運動場が、ごまんとある。
残っているのは年寄りだけ、となれば健康維持、相互のコミュニケーションも図りながらの土地有効利用、「グラウンドゴルフ」が超おススメ!なのだ。
週末の午前、「グラウンドゴルフ体験会」の案内回覧板を読み、急ぎ旧中学校運動場へ向かう。すでに15名ばかりのお年寄り。目を引いたのは男の人が多いこと。
「いやあ、OさんとTさん(共に男性)はプレー歴○十年の超ベテランです」主催者の窪藪代表が紹介。
さっそく、Oさんから、クラブの持ち方、コースの回り方の説明を受け、「何はともあれ、一度打ってみるのが一番じゃ」
「スカーン」(よく飛んでいった)「スコッ」(頭をなでただけ)それぞれの音を響かせながらの初挑戦。
グランドは真砂土が敷かれているとはいえ、まっ平らでもなく、草も生えている、それを見越しながらボールを打つ。
この日、設定されたのは50mを最長に4ホールで、これを6回廻る。1ホールが3打を基準にアンダーとオーバーを数える。
観るのも手にするのも初めてと言う女性、こわごわとクラブを構え、「スコ~ン」
ボールは一直線にホール手前まで向かう。「おお、見事!」(記者)
「まあ、私にもできたわー(笑)」
次の日、今年一番の暑さとなった午後、「何もこんな時に出かけなくてもいいんじゃない?」と不平を口にする妻を連れ、運動場へ。
さすがに、プレーする人影はない、昨日、教わったことをチョロリ説明して、即、開始。
一番ホール50m、一打、「スコ~ン」と30m。続いて美恵子、一打「スカッ」、2打、10mほどフラフラッと。
「手元を見て、地面を叩くように打つんだって」昨日、Oさんから教わったアドバイスを伝える。
3打、今度は勢いがつき過ぎてフェンスの方に暴走。4打、ロングショットでまさかのビギナーズラッキー。
これで味を占めたかどうかは分からないが、「あー、今でグランドゴルフ運、全部使い果たしちゃった」とは妻の感想。
窪藪代表は「この福渡のグランドゴルフ練習場を地区の愛好家で整備を進めながら、一年を通して楽しめる交流の場としていきたい」とのこと。
晴れた朝、「スカ~ン!」という音で目が覚める日がやって来そうだ。
(レポート/三宅優 三宅 美恵子)
夏日が予報されている5月19日午前8時30分、地域のシルバーメンバー15名が建部中学校に集合しました。
この日は「建部中学校シルバーの会」総会と「第1回環境整備」の活動の日です。
最初に「シルバーの会」会長の本田義章さんの挨拶。
「今年も新しいメンバーが増え、この校内整備が行われることで学習環境の向上に大変役だっていることに感謝申し上げます。
校内授業で建部のことを学ぶ「建部部」や地域の伝統芸能なども学習に取り入れられ、地域との連携も進んでおります」
続いて國富聖子校長先生から「多くのシルバーの皆さんの協力に大変感謝いたしております。これからもよろしくお願いします、ありがとうございます」のお言葉あり、いよいよ活動開始です。
今回の活動は、春頃から校内一体に繁茂している草の除去が目的で、さっそく、あちこちから「ブーン、ブーン」と言う草刈り機の音が鳴り響きます。
中庭では、乗用の草刈り機で瞬く間に刈り取りが進みます。1本1本、手で草を抜く人、熊手で刈り取られた草をかき集める人、またたく間に見ちがえるような校内に変わりました。
作業を終え振りかえると、学校でも家庭でも”教育は環境から”の言葉が脳裏に刻まれる一日でした。
なお今後の活動日程ですが8月21日(日)、11月10日(木)、来年3月9日(木)に予定しています。少しでも、自分ができる範囲で参加したいと言う方を常時、募集していますので、建部中学校まで問合せください!
(レポート・写真 勝部 公平)
朝のうちはいく分どんよりした天候だったのに、お昼近くになると、ここ建部の旭川、一ノ口井堰の水門前は予報通りの真夏日を思わせる陽射し。
年に一度、用水の水門を開けて溜まった土砂やゴミを撤去するのに合わせて行う「大井手用水の魚とり」、記者が関わってからもう10回を数える。
今では岡山市環境学習センター「めだかの学校」が主催する人気プログラムで、今年もコロナ禍に配慮し参加人数を限定しての実施。
スタート1時間前には記者らスタッフで水抜きを開始、毎年のことながら「いるかなあ」「どうかなあ」と気を揉みながら川底を見つめる。
例年だとナマズの群れが水しぶきを上げて姿を現すが、今日は音沙汰なし。「う~ん、先日大雨だったし、今年はダメかなー」
そうこうしている中、6家族14名の参加者が到着。さっそく「早くサカナ取りたいよー」「下りたいよー」と子どもたちの声。
先陣で水路下流から魚の追い出しに回っていた「岡山アスエコ」の指導員、柏さんが何やら大物を手に帰還。「ぎょえー!」直径50センチはあろうかというスッポン。
それを合図に背後から水を求めてフナやナマズ、ウナギまでが続々、出現。こうなったら、もう子どもらが我慢ができるわけがない?
めだかの学校武藤館長から「お話がチャンと聞けない子は魚取りはできませんよと諭されて、シブシブ(笑)、注意点について耳を傾ける。
水深20センチほどになった用水は、あっという間に子どもらに占領され、濁った水に見え隠れする魚影が
いたるところで動き回る。
はち切れそうな網を持ち上げた男の子、「ナマズがとれたよー」「わたしはカニだよー」「ボクも、見て―」
親子で総力挙げての大捕り物、そんな騒ぎを空の上から眺めているのは、いつの間にかやって来たトビ。魚の姿は空中からでもよく見えるに違いない。 水路の一隅には川トンボのシルエット。生き物たちにとっての豊かな環境が広がっている。
「お~い、もう上がってー」やがて終了を知らせるスタッフの声。
「ねえ、これなあに?
」
まだまだ飽きない発見を追い求める子どもたち。「もう、上がりなさい!」
こうして1年に一度の建部での手づかみ魚とりは終盤へ。
成果!ウナギ、ギギ、フナ、ヨシノボリ、ムギツク、アカザ、ドンコ、サワガニ、モズクガニ・・・。アスエコ指導員の渡辺さん親子が解説。
「今日一番の収穫はこのアブラボテです。実はこのアブラボテ、この貝(5㎝位のカラス貝
)に卵を産みます。そしてこの貝はこのヨシノボリのヒレにタマゴを産みつけます。だから、これらが一つでもいなくなると、この生きものは絶えてしまいます」
「な~るほど」今日一番、神妙にうなずく子どもたち。
「さあ、後は元へ戻してあげましょう」
ナマズ、フナ、カニ、ギギ、ドンコたちが、子どもたちの手で元の水に放たれる。最後まで残されていた”スッポン君”も、「おぉー、自由じゃー」とダイビング。
明日、スタッフの手で再びねぐらを仕掛けた後は来年まで、寝て待つことにしましょう・・・。
(レポート・ 三宅 優 / 写真・三宅 美恵子)
「石で描くセザンヌとモネ」動画(ユーチューブ・3分30秒)
すっかり、ポカポカ陽気になってゴールデンウイークも間近、となればどこかに行きたくなるし、連れてってとせがまれる?だがコロナ高止まりの岡山県、人の密集地は何としても避けたい。
だとしても、いよいよ明日からゴールデンウイーク。それならこのページでゲージュツに触れてみるのはどうでしょう?
昨年から始まった、当新聞特別企画「石で描く名画展」その第4回目「セザンヌとモネ」が今月、公開された。
保管ができないので1日限りの展覧会となったが、その全容をお伝えしたい。では、ゴールデンスペシャル企画「石で描くセザンヌとモネ」ゆっくりご覧ください。
会場はいつも通り、当新聞編集室のある「ドレミファミリアアートギャラリー」のガレージ。ただ今回は2人の作家を並べるので、場所が狭くモネの大きな作品は前庭に展示。
襖3枚、長さ5メートルを超える作品は「柳のある明るい朝」の題名にふさわしく陽を浴びて偶然にも映える。
午前10時、同じ町内の人たちが次々と鑑賞にやって来る。
「まあ、ミヤケさん、今回はだれ?なんだか前より、もっと石が増えたみたい」(スミマセン、ついつい多くなって・・・)
「あっ、これは観たことある、ゴッホでしょ、自画像」(いえ、セザンヌの自画像・・・)
セザンヌ「グラスと果物ナイフのある静物」、そして「キューピットの石膏像のある静物」セザンヌが何十日、何か月も掛けて描いた作品。
並べられたリンゴはそのうちに腐り変色。
石膏像は腐らないと取り組んだが、時間を置くたびに描く位置が変わり、複数の視点が存在する絵画となる。
これが人だと、もっと大変だった。セザンヌのモデルたちは皆一様に不機嫌だ、それもそうだ、ちょっとでも動こうとすると「じっとしてろ、リンゴは動かない!」
それでも根気よくポーズをとったのは、モデル料が支払われたから。銀行家の跡取りは金持ちだったのだ。「トランプをする二人の男」「赤いチョッキを着た少年」
朝は室内で、昼食後は野外で、それが日課だった。
「サンヴィクトワール山」プロバンスにある名山を何枚も描いた。松林の間から、家並みの手前から、さまざまな角度で。
しかし、いつしかそれは山と空と大地が一体となって、光の黄と形を示す赤、深さを導く青によって作り出される色のハーモニーへと変わった。
晩年に挑んだ「大水浴図」、裸婦たちの顔はいくつもの線が引かれ、形を成していない、身体に至ってはまるで”丸太棒”。ほとんどの部分が描き残されたまま。
これに触発され、わずか10年後、ピカソは「アビニョンの娘」を着手。そして更にセザンヌの「自然は球体と円筒、円すいからなる」の言葉から「キュビズム」へと進む。
セザンヌは印象派と行動を共にするが、最終的には離れて行く。パリの空気が合わなかったことと、モネたち印象派が光のみを追いかけ、絵画の構築性に欠けることが不満だった。
しかし「それでも、何と素晴しい眼を持っていることか」とモネを讃えている。そんな印象派が「印象派」と呼ばれることとなった作品「日の出(印象)」。
光の中にたたずむ母子「日傘をさす婦人」モネの妻がモデルと言われている。
「ヒナゲシのある風景」描かれているのは、さん然と輝く光。それは時間を止め、その一瞬の生きているよろこびを伝える。
セザンヌは同じ風景を同じ時間にキャンバスを立て制作した。モネは同じ風景を朝、昼、夕と異なる時間に幾点も描いた。
「一枚で完成したと言うのは、放漫なことだ」(モネの手紙)この「積みわら」は夏の終わり朝の作品。
「舟遊び」は国立西洋美術館の所有。ジベルニーの庭に作られた蓮池に掛けられた「日本橋」、これも季節、時間を変えて連作が残された。
この石の作品群も光の効果に寄る部分が大きい。朝と午後、夕刻ごとに違う光を受け、石が輝く面、影をつくる面の変化。
モネ最晩年の大作、「柳のある明るい朝」、原作は全長12m。この作品の前に立つと観客は描かれた景色を眺めることは無理。 眼に入るのは色の連なりと筆触の動き、それが無限の空間へと導く。絵画が「眼(め)」だけでなく「身体(からだ)」で鑑賞する世界。
モネの作品を表現する上で、石が映えることそれを念頭に下地作りを進めた。
障子紙に青色ガッシュを滲みこませる。それを襖(ふすま)3枚に敷く、縦95センチ、長さ5m40センチの、原作2分の1のベース、20日間の闘い。
一瞬にの光を追い求めたモネ、永遠に変わることない真理を求めたセザンヌ、互いの残した業績は今も受け継がれている。
「石で描くセザンヌとモネ」動画(ユーチューブ・3分30秒)
(レポート・ 三宅 優 )
建部の朝は、靄(もや)立ちこめる。お花見あとの春気分なのだが、「うー寒い」
でも町内のあちこちから季節を伝える旬の情報がいっぱい、ウズウズと閉じこもっていたら気持ちがコロナに負けてしまう。
そんな休日の建部町、富沢を拠点とする「里山建部」では、今日、岡山市環境学習センター「めだかの学校」主催の「春の里山散策・たけのこ掘り」が行われた。
参加したのは市内中心部の家族ら6家族16人。参加者は先導車に誘導され、めいめい目的地に移動。途中、緑豊かな里山風景を楽しみながら。
会場に到着、目前には見事に整備された竹林、その下には「ニョッキ、ニョッキ」「グ~ン、グ~ン」たけのこ、タケノコが勢ぞろい。
タンポポの群生する草むらに設置された家族ごとのテーブル席、そこで講師のタケノコの育て主、松本さん、同じく杉本さん、竹細工、担当の河原さん、
そして当新聞編集長で里山の主宰者、勝部が紹介される。
その間、こどもらはと言うと、「あっ、何々がいる!」「わー、こんなのつかまえた!」開いた手袋に乗っていたアマガエル。虫取り網を振りまわして大はしゃぎ。
「でも今日はタケノコ掘りに来たんでしょ?」親の説得にやっと回れ右。
そこへ、80歳半ばを過ぎても変わらず竹林の保全に心血を注ぎ、竹を知り尽くした松本名人が来られ、その師匠がツルハシを手にタケノコ掘りの仕方を伝授。
「傾いた方の前から鍬を入れます、そうして両脇、また前、両脇、そうして前の根元からグッサリと打ち込んで、持ち上げ・・・」
「ウワッオー!」(参加者)
掘り起こされた見事なタケノコ。
そうして、いっせいに始まりました、見よう見まねのタケノコ掘り(笑)
「この辺からやってみよう、せ~の!」
・・・でも意外と地面は強固、ツルハシも跳ね返される。
それでも家族団結、「せ~の、せ~の!」唱えること数十回。
「あっ、チョッと動いて来た!」
グラグラ、ドシドシ、ウ~ン、コレデモカー・・・「ズサッ!」
ずっしりとした竹の子が登場。
掘り始めは手こづってたけど、慣れて来ると「もう1ッ個、掘りたーい」
「タケノコ掘り」、街の人ではやったことがないだろう、すっかり親子ではまり込む(笑)
午前中は肌寒く、お日様が恋しく思われたが、昼も近くなると日影に移り、時おりの風がすがすがしく感じられるように。
各参加者の手には苦労して掘り上げたタケノコ。どうして食べよかな、筍ご飯、天ぷら、煮物、チンジャオロースー・・・。
締めは編集長、勝部から。
「人と自然との接点が里山です。ここで人の手が入ることで自然は生き返ります。竹もそのままでは密集し荒れてしまう、タケノコを掘ることで林が生きていける。今の私たちに必要なのは、本来あるべき互いが共存する生き方ではないでしょうか」
会場を鳥越池ベースキャンプに移してからは自由時間。「竹切り体験」「竹トンボ」「竹笛」、講師の河原さんの準備した竹遊びに子ども(大人?)が夢中。
陽射しに移るシルエット、里山時間はゆっくりと流れる。いつの間にか子どもらは山のてっぺんに設けられた展望台、目がけて土まみれの登頂アタック。
こうなると親が止めても子は気かぬ、好きにさせましょう。
木陰に掛けられた網かごにはモンシロチョウ。それ以外にもいっぱいおみやげ見つけたのかな。
今日の感想文「たけのこのほり方をはじめてしった、しぜんにかんすること、なんでも行いきたい」
自然に関することたくさん身につけて、力強く・・・羽ばたいて!
(取材・勝部 公平 三宅 優 )
小さな桜を味わった先週だが、やはり「桜はたけべ」を自負する町民の思いは「見ごたえのある桜」?
2年間コロナで中止だった、たけべの森公園の「はっぽね桜まつり」が今日、開かれた。
記者は急に出店が決まった団体の手伝いで行くことになり、せっかくなので現地にて生発信。
午前9時、会場の芝生大広場にはこじんまり、テントが1,2,3・・・10テント、再開されたと言っても現状に応じた
縮小規模での開催。
それでも、建部で採れたての山菜、野菜、コゴミ、ワラビ、ウド、新玉ねぎ、ほうれん草が並ぶ。
「建部町観光協会」、地元ナチュラルスイーツの「チュプ」、地元ボランティアによる、うどん、シシ汁、山菜おこわ、地域の手作りいっぱいの「あったかブース」が並ぶ。
見覚えのある看板だと思ったら7~8年前?に当新聞グルメレポーターが描いた作品(笑)。
「朝の光で桜を撮りたい」広場の前に続く桜トンネルを行く。
身体いっぱいにサクラを受け止めながらの散歩、「小さな桜、豪華な桜、ともに今を謳歌」
名所「藤右衛門桜の小径」は桜より山ツツジが見事。辺りにはミツバチの「ブ~ン」が飛び交う。
広場では若者たちによる「ヒップホップダンス」軽やかな衣装とリズミカルな動きで観客を引き付ける。
スマホを構え前を陣取るのはパパママ親衛隊。
「子どもらの3年ぶりの演技を逃してはならぬ」撮り手の熱い思いがつたわる。
続いて登場は「建部はっぽね太鼓」。同じく3年間のブランク、練習もほとんどできなかったと聞く。
第1打の「ド~ン!」、瞬間に「ああ、この音・・・」何とは言えない感動が沸き起こる。
「そ~れ!」
「どっこい、どっこい、どっこい・・・」
「そ~れ!」
ピーピーピー ピーヒャララ・・・笛が唄い大太鼓が吠える。一打、一打、いつくしむように、まるで長い眠りから覚めた獅子。
休憩所の中央テントや芝生に敷いたブルーシートには、まだお昼前だが大勢の「花より団子」
会場はとにかく広い、コロナの感染密度は薄く、心配することなく楽しめる。
「ねえねえ、私も撮って」ギャラリーの注文を受け「パチリ」
大人も子どもにも人気?駄菓子屋さん、綿菓子はフル稼働。スイーツ「ちゅぷ」にもひっきりなしのお客さん。 大事そうに駆けてきた子どもの両手にはラーメン。
再び、広場催し場、「お待たせしました」と「晴吹」出演。今も3年前のにぎやかだった演奏シーンが浮かぶ。
管楽器のチューニングの後、代表の佐藤さんが、相変わらぬ軽妙な語りで曲紹介。知っているメロディが奏でられると会場からは手拍子。
「パプリカ」では子どもらが体をくねらせながら手を叩く。
大きな拍手で迎えた「アンコール!」
「宇宙戦艦ヤマト」の演奏と船長に扮する歌い手のパフォーマンスにお花見気分はここで最高潮に。
見る物も見て、食べるものも食べて、・・・観客は帰るでもなく、さらなる挑戦へ。
丸太切りをする人、消防士に挑むちびっ子・・・。
さあて、そろそろ帰りの仕度をするか、でも、ラーメン「あがりゃんせ」と「建部ヨーグルト」には長~い列。
(取材・三宅美恵子 写真・三宅 優)
4月最初の日曜日、鳥のさえずる声に目を覚ます。廊下のカーテンを開けると、まばゆいばかりの光。
「そうだ、やっぱり桜を観に行こう」
これまで6年に渡って、たけべの桜を取材してきて、でも今年はコロナが収まらないこともあるけど、どことなく気分がのらない。それが、きれいに晴れた空を見て「今日が、もったいない!」。
家を出て、坂道を下るとすぐの山に桜。クマザサに覆われた中にスクッと立つ。道々の畔や畑にはタンポポ、すみれ、つくし、家々の庭にはジンチョウゲ、レンギョウ、ユキヤナギ、ヒメコブシ、さまざまな花が咲き誇っている。そんな中を散歩しながら町中へ。
今は医療専門学校となっている旧福渡高校の校舎前、桜が迎えている。
そばに残された当時の碑、「自ら学び 我が道を 雄々と 行かん」福高の学生たちの声が聞こえて来そう。
隣の山あいにある妙福寺。門前にこれぞとばかりの桜、「まるで京都にでも行ったみたいじゃ~ん」
まわりでは、ブンブンと日本ミツバチが収穫中。山門の両脇に睨みをきかす金剛力士も今日ばかりは花見を楽しんでる様子。
傍らの今月の聖語を拝読すれば、「仏くようの功徳は莫大なり」
仏さまに会いに来たんじゃないけど「多いに眼福、莫大なり!」
そこから線路伝いに山すその小さな公園へ、「福渡上ちびっ子広場」。ちびっ子じゃないけど(笑)。
「ブランコで サクラ眺める また楽し」来年は弁当作って食べに来たいな。
郵便局までテクテク、八幡橋のたもと、そこから向こう岸に渡りトボトボ。変わりなく満開の姿を見れたことに感謝。
そこから右岸に沿ってトポトポ、二差路におわします交通整理の桜巡査。
対岸を望むと幾台も車が停まってる。そろそろ、カヌーの季節だね、きれいになった幸せ橋での応援は始めてだよ。
「めだかの学校は~」春の小川広場はお客さまでいっぱい。
「ママー、おにごっこしよー!」桜の下で、子どもと親の遊びの時間。
建部っ子たちの学びの場、建部中学。桜は刈り込まれこじんまり、でもこのシーンを見て思い出す卒業生は多いと思う。
親水公園。建部町の自慢、建部文化センター。その土手沿いに、まだ若い桜並木、旭川のせせらぎ、独占しようもないほどの河原、子どもらが駆けめぐる。
しあわせ橋を対岸に戻り、サクラ河川敷を行く。若い人たちがてんでに車を止め、家族時間を満喫。
以前だったら「ユニバーサル」だの「ディズニー
」だのに行ってただろう世代。コロナのおかげで却って自分の身の回りのいいところを見つけられたのかな。
帰路に着く。石引川の桜、これまで幾度となく、この下で宴を楽しんでいた人たちの顔が浮かぶ。
あの人、この人、少しづつ「さまざまなこと思い出す桜かな」(近くに建つ、松尾芭蕉の句碑)
福渡八幡神社、室町以前にさかのぼる由緒正しいお宮様。そこで広がる桜に手を合わせ、今日、一日に感謝!
(おまけ)
ギャラリー前の桜をバックに、今年もサン太(愛ネコ)といっしょに「ええニャー、さ・く・ら!」
(取材・三宅美恵子 写真・三宅 優)
「三寒四温」昔の人はこの季節をうまく言い表している。先日まで、もうストーブはいらないと感じるほどの温かさ。それが今朝は岡山市が推進する「クリーン作戦」実施中もゴミを拾う手がかじかむ冷え込みで、河川敷の桜もまだ固いツボミ。
そんな中、ここ建部にある岡山市環境学習センター「めだかの学校」では久しぶりに朝から賑やかな家族連れの声。
恒例となっている環境学習「巣箱作り」、これまで富沢の里山で開かれていたが、今回は6家族15名の少人数で学校敷地内広場で行うことに。
参加者の中には学校の体験学習にこれまでに何度も参加された方が。
「まあ三宅さん、お久しぶりです、もう今年で最後、この子も卒業です」
そう言われて振りかえれば、小さかった頃から色々な体験をいっしょにやって来た事が思い出された。
今日の講師は、そんな私より更に先輩の当新聞編集長の勝部、それと環境学習センター指導員の沖さん、職員の安田さん。
沖指導員から製作手順の説明を受け、参加者はあらかじめ
用意された巣箱キットを手にさっそくに各テーブルで作業に入る。
「まず背板の下から4センチのところに線を引く」お母さんが手順書を読上げると
「えっ、下から4センチって?」子どもの戸惑う顔。
定規、エンピツを板に当て、親子で相談「これで、いいんじゃない?」
少しづつ形が出来てくる。しかし材料はキットと言っても規格化された市販品ではなく、あくまでも手作り。形も大きさも、ソリもあってマチマチ。
「先生、すみません、底板が大きくて横板が出っ張るんですが」
「じゃあ、底板の方を少しノコで切ってみたらどうでしょう」こんな臨機応変、その時その状況で解決を見い出していくのが、体験型学習の面白さ。
「トントントン」「グルルルルー」金づちのはずむ音、電動ドライバーの振動音、野外での作業が着々と進む。
シジュウカラ、ヤマガラ、これから5月にかけて巣箱を探しにやって来ることを頭に描きながらの親子共同モノ作り。
いつの間にかお日様も照り始め、朝方の寒さも一段落。
そして、いよいよ完成。
「やったー、すごいじゃん!」思いがけないほど見事な出来栄えに満足なお父さん。
「これなら、トリさんたちもぜったいやって来るヨ!」とお母さん。
「ウン、ウン」と手ごたえ十分にうなずく子。
わずか2時間、でも学んだことはいっぱい。
「金づちは叩き過ぎると板が割れる(笑)」「木ねじはドライバーがすべると頭がダメになる」「キリは両手で下に押しながらこすらないと穴が開かない」
記念写真は水族館入り口前、また次回の出会いを願って。
(取材・ 勝部公平 三宅 優)
東日本大震災から11年、今年も晴れの追悼日となった。世界では新しい戦争が始まりコロナを克服するうちに、もっと恐ろしい人間同士の諍いが広がるのか。
夕刻、1年分の牛乳パックを並べる。10個で11のサークルを作る。
水を入れたパックの一つづつに灯したキャンドルを浮かべる。
2012年、2013年、2014年・・・これまでの11年の時間が巡って行く・・・。
(レポート・三宅 美恵子 写真・ 三宅 優)
先月の専門学校生たちによる「JR福渡駅」の掃除、たくさんの方から「感激
した!」のコメント。
それでと言うわけじゃないが今度は地元の大人たちが、
「じゃあ、わしらだって人まかせにせず、できることをしよう!」と立ち上がった。
「しあわせ橋」は昭和60年代に旧建部町時代の夢のシンボルとして作られた、言わば「肝いり」の建造物。何度も流されたが、その度に行政の支援で復旧。ここから「かならず戻って来る、しあわせの橋」と言われるまでに。
ところが復旧して喜んだのだが、その後の維持が・・・。一番は川に発生するウスバカゲロウなどの昆虫の残骸、クモの巣、緑ゴケなど。これが、白い欄干をひときわ汚く見せている。
こうなると通行人は見ないふりで、手を体にくっつけ、できるだけ触れないように前だけ見て歩く。せっかく川とのふれあいを味わうために作られたのに・・・。
「お役所に言って何とかしてもらえない?」「だれか、やれないの?」嘆く声はいっぱい。
「なら、自分らでやろう!」
「わしらの町だもの、わしらの力でキレイにしよう!」
こうして集まった両岸の地区、福渡と建部上の”老々若男女”13名のボランティア。年齢性別、関係ないよ、大切なのは「❤(ハート)」
参加者はバケツ、タワシ、雑巾持参で、ゴム手袋に長靴で駆けつけてくれた。「いざ、しあわせを磨けー!」
とは言え、全長120m、スパン6mが20スパン。左と右で240m。「ゴシゴシゴシ」、「ジャブジャブ」
1年こびりついた垢をここぞとばかり擦り落とすのだが、すぐにバケツは緑ゴケでまっ茶色。10数個のバケツをフル稼働し、川水を一輪車で汲んでは運び、ロープで直接、汲み上げたり。
開始1時間、両岸から攻めているが、まだ遠い。
「こんなに,汚れているとは思わなかった」
「いやあ、自分の車を洗うのでも、ここまでせんわー(笑)」
用事で通りかかった歩行者の方も
「まあ、気になっていましたが、ありがとうございます。次はやりますので声をかけてください」
これだけの長さ、やはり人海戦術なくしては終わらない。
そうして開始2時間、双方からの掃除人が中央でドッキング。
「やっったー!」
「きもちいい~~」
「そう、ピッカピッカだよね」
いつしか太陽も南に移動し、陽に照らされた「しあわせの橋」は、竣工当時の真珠のような白い輝きを取り戻した。
(取材・三宅 美恵子 写真・ 三宅 優)
お昼過ぎの福渡駅前、今日も静かと思いきや、そこで顔を合わせた福渡町内会、会長さんとタクシー運転手さんとの会話。
(運転手さん)「会長さん、今日ここに来たのは何があるんですか?」
(窪藪会長)「いや、実は前にある専門学校の生徒さんが駅を掃除してくれると申し出てくれて・・・」
その説明をしている間に、ガヤガヤと賑やかな集団。
「おっ、やって来た、やって来た、学生さんの到着だ」うれしそうな窪藪会長。
駅の掃除に参加してくれたのは「岡山・建部医療福祉専門学校」の3年生の生徒さん13名。
何でも「卒業を前に何かこの町で、できることはないかなあ」と学生さんの問いかけに、先生が「じゃあ、福渡駅の掃除をしたら」と提案したのがきっかけだとか。
一行はバケツ、ホウキ、チリトリ、ゴミ袋を手にさっそくクリーン作戦にとりかかる。
ハタキで蜘蛛の巣を払う、ぞうきんで窓を吹く、草むしり、掃き掃除・・・、雨の日、風の日、猛暑日と3年の間、利用してきた思い出がつまった福渡駅。
「あっ、見て見て、こんな所にこんなのがあった?今、はじめて気がついた」
あらためて見てみれば、今まで気づかなかった駅舎の風景が目に入る。
3~40分も人の手が動くと構内の床も窓も見違える。
「さて、じゃあ、この辺で次に移りましょう」先生から更なるミッションが出される。
「えっ、次があるんですか?」コロナ禍で取材先を探していたoniビジョンさんは、今日の情報をキャッチするや素早く駅に出動。先ほどから、若者たちの熱心な活動にカメラを向けていた。
「このまま、町中を一周して掃除してくれるそうです」記者の説明に、「ホー!」と感心しきりで、重いカメラを再び肩にかつぎ直す。
「お世話になったお店の前も、きれいにしましょう」先生の言葉どおり、洋食屋さん、お好み焼屋さん、うどん屋さん、店の前の道に捨てられた吸い殻や紙くずが拾われる。
同行した窪藪会長はずっとこれを見てニコニコ顔。
「いやあ、ここの通りをこれだけ若い人が歩くのを見るのは何年ぶりじゃろう、それにしても、いい縁ができたことが何よりもうれしい」
開始から1時間ちょっと、福渡ストリートは若者たちに元気をもらって輝いて見えた。
「今度は1年生がやりますから」新たな申し出に、町内会長、共々、感謝、感謝!
(取材・写真 三宅 優)
編集長(勝部)から「一週間遅れで咲き始めました」のメールと写真が届く。
「そうかなあ、こんなに寒いのに咲くかなあ、どっか別の日当たりのいい所じゃないの」半信半疑な私。
そこでわずかに寒さがゆるんだ気がする今日(前回「春を探すお年寄り探偵団」がレポートしてから10日後)目的ののセツブンソウを尋ねてみました。
セツブンソウの群衆地のある地域を車で行くと、回りの木々は冬枯れてまだ黄も紅も彩りどりがまったくない。
「やっぱり早いんじゃないのかなあ」そう頭で思いながら到着。
まわりの畑は以前はなかったイノシシ除けにしっかり囲われている。花の咲く斜面は下草がきれいに刈られ、手入れが整っている。
そして所どころに白い点々。
「あっ、咲き始めてる!」
一度、見つかると次々にツボミが目に入る。中には可憐な花びらをけんめいに開いているものも。
「さすが、”森の妖精”って呼ばれるのが分かるわ」
一人納得しながら、この寒さの中、凛(りん)と咲く姿にしばし見とれました。
今の時季、マンサクや梅もまだまだ、近所の寒椿の花びらも凍えていますが、ガマン、ガマン、春はすぐそこ。
(取材 三宅 美恵子・ 写真 勝部公平/ 三宅 優)
小春日和?富沢の「里山建部」ベースキャンプで何やら考え中の人。
「う~んとねえ、いろいろ探してみたんだが、今年は意外と遅いねえ・・・」当新聞編集長、勝部が言う。
それを聞きながら「そうですか、もう、マンボウで、人のかかわる行事がすべてなしになって、この時季を伝えられるものはないかと・・・」
oniビジョンの岡本記者が、依然と猛威を振るうコロナの中で人の営みを取り上げられない苦々しさを口にする。そこで描いたのは”建部の春を探そう”。
「まずは、ここの周りを歩いてみましょう」勝部の案内で池に沿って春探し。
里山の活動も、今年の仕事始めでは少し汗を流したが、その後のマンボウで予定していた「シイタケの菌打ち」「炭焼き」が中止。
キャンプでは割られたマキだけが活動を伝える。実際、この冬は寒さのせいか薪を求める人で引く手あまたの状態、薪ストーブを使う若い人が多くなったとか。
「そうだね、マンサク、水仙、まだまだだなあ、タラの芽も堅いし・・・」編集長、春を見い出せず、せっかくの取材がボツ寸前。
「あっ、ここに一つタンポポが咲いてます」記者が足元で見つける。
「おお、咲いてたか、これは西洋タンポポだな、やっと春一つ、見っけ!」
続いて、編集長宅へ。敷地に植えられた庭木の中にひょろ長い枝に紅いツボミ。
「ネコヤナギだよ」二つ目を示せて満足そうにニタリ。
そばに建つ成就寺へ移動、三重の塔が出迎える。境内の一角、鐘楼の脇に丸ーい、黄色い花。
「ああ、やっぱりここは、回りが見渡せて日当たり良いから、咲くんだね。これがロウバイ」
三つ目の春は、その可愛らしさを建部平野に向けて花開く。このかぐわしい香りを届けられないのが残念
。
またまた移動、地元を流れる田地子川の岸辺。このあたりで一番早く開花する桃の花。だが、確かに今年はゆっくりしている、どれもツボミのまま。
でもよーく観ると一つ、二つ、咲いている。
「春は来てるんだよ」うれしそうに勝部。
ここから、記者の住む地区に足を延ばす。カモが大軍団で飛来してるよと話したから。
「さてさて、カモたちはおとなしく待っててくれるかな」
ここからは記者の「春、案内」、一つくらい見つけなくては。
幸い、カモ君はどこにも遊びに行かず池で浮遊中。さっそく「ピッヒー、ピッヒー」と怪しい人間が来たことを仲間に伝える。その数「いち、に、さん、し・・・四十四(よんじゅうし)」
そばの山の斜面に黄色く咲くのはスイセン。
ポイント1点、ゲット。さらに近くの落葉をパッパッとかき分けて出てきたのはフキノトウ。
「これはね、また、落ち葉をかぶせて、もう少し開くまで隠しておくんだよ」記者の頭には天ぷらになったフキノトウ(笑)
どうにか、自称「建部マイスター」を唱える二人の面目を保ち、2月最初の「建部の春を探せ探検団」の任務終了。次回、第2弾は今月中旬かな、乞うご期待。
さて、この時期、我家のヤギも春の緑が待ち遠しくて、今日も笹の葉でガマン・・・。
(取材 勝部公平・レポート 三宅 優)
今朝の我家、外気温はマイナス1.7度。「え~、何でこんな寒い時間から歩くのかなあ」愚痴をこぼしながら身支度する。
新年最初の「建部町歩こう会」、第414回目となる今回は、
恒例「建部六社詣で」
「そんな早くないよ、年寄りはもうとっくに起きてる時間だよ」妻の言葉通り、午前8時30分、集合場所の八幡温泉駐車場には20名からの参加者がスタンバイ。
さっそく新年初のラジオ体操でストレッチ。「ポキ、ポキ、痛てて・・・」完全に体が固まっている。記者より年上の参加者は慣れた動きで 「いち、に、さん、し」
会長の本田義章さんから「新年最初、普段の生活ができるように今年も歩いていきましょう」と挨拶。まずは、近くの七社八幡宮から。
境内には焚火の後が残る。昨日、建部上の「とんど焼き」があったそうで、オニビジョンさんも来たらしい。(このところ、たけべ新聞は後れを取っている?)
そこから山沿いに富沢へ。道沿いに最近、目につくのが落としたマスク。その人は顔にマスクがないのも気付かず帰宅したのだろうか?
富沢神社、階段がほとんどないのでお参りし易いコース。本殿上の鬼瓦には”鬼”ならぬ”恵比寿様”がニッコリお出迎え。ついつい、お賽銭を奮発。
そばに取り付けられた黒板には「金一封者」の名前がチョークでズラリ、見覚えのある名前もしっかりと
「ここは恵比寿様がおられるだけにお金が集まるわ」と勝手に納得。
ここまで来ると、かじかんだ手足も温もってきて、お日様も顔を出して気分も上場、心もなごんで会話も増えてくる。
「今年の正月は子どもらが2年ぶりに帰って来たのよー」
「まあ、そう、良かったじゃない、ええ正月じゃったなあ」
いつしか「中田天神宮」の鳥居が見えてくる、そこから長い境内への道。
「私しゃあ、ここで待っておくわ、代わりに行って来て、せえでもあんたは元気で若いなあー」
「そげんおだてても、なんにも出んよー(笑)」
今年の笑い初めが石階段に響き渡る。
そこから建部駅前にある「福祉交流プラザ」で一休憩、ちょうど今日からこの27日まで
「ふれあい展示会」を開催。
手作り小物、手芸品、焼物や写真やスケッチ画の力作が並ぶ。どれも長い時間を感じさせて作ることの喜びが伝わって来る。
プラザを後にしたのは11時、「今日は早いなあ」と誰もが思ったのだが、前半が楽勝は、たいがい後半にガクッと来るパターン多し、行きはよいよい帰りはコワイ!
西原、鹿島神社のまっ
すぐに伸びた参道、「うむ、けっこう長いなあ」
一人、二人と「私、ここで待~つわ」 ”あみん”?が続出(笑)。
市場「眞名井神社」町中の平坦な道を行く。境内には可愛らしく剪定された椿の木、今ちょうど黄色い蕾をつけている。
そこから再び、民家を抜け、ゆっくり、ゆっくり、「あともう一つよね」と誰かが念を押し、「そうだよ、さあ元気を出しましょう」と誰かが励ます。
本日の最終詣で、宮地神社に着いたのは正午を回った頃。
「やっぱり、けっこう時間がかかったなあ」「うん、もう、早う歩けんなあ」
とは言ったものの、皆さん、次なる会にも意気込み十分。
2月は「陣屋町足守町並み雛めぐり」電車を乗り継ぎ、徒歩で散策。
「う~ん、歩き甲斐あるぞー」(笑)
(レポート・写真 三宅 優)
新年、最初の「たけべ人」紹介。
世界中を震撼してやまないコロナ、日本では平静さを取り戻してきた感があるがこの先まだ予断を許さない。
この災禍において国民の多くが学んだことは、医療を受けれることのありがたさ。
今回の「たけべ人」は建部町及び久米南町地域1万人をカバーする唯一の病院である「福渡病院」の院長として昨年4月に就任された建部町出身、堀内 武志(たけし)先生にお話をお聞きしました。
*(注)「福渡病院」正式名称は「岡山市久米南町組合立国民健康保険福渡病院」
(聞き手・勝部 公平 写真・三宅 優)
堀内 武志(たけし)
昭和41年、生まれ(55歳)
福渡小学校、建部中学校から岡山一宮高校を経て自治医科大学医学部に入学。
平成4年、大学卒業後、県内各地の病院に勤務。
令和3年4月、福渡病院 院長に就任。
総合内科専門医として内科全般とプライマリケアの診療を行っているが、特に専門は呼吸器内科。
妻と子どもの5人家族、趣味は釣り、読書、寺社巡りなど。岡山市在住。
(聞き手 勝部 公平) 「コロナも少し一段落して、やっとお話をお聞きしても良いかなと考えまして、今日のご無理をお願いしました。さっそくですが、先生はこの建部のご出身ということですがどちらですか」
(堀内)「ここ福渡です、小学校は福渡小で、中学は建部中学でした」
「じゃあ、いろいろと思い出もおありでしょう、その頃の福渡はどうでしたか」
「いろんなところに自然が残っていましたね、田んぼもいっぱいありました。川にもよく入りました。モジを仕掛けたりヤスで突いたり、プールがなかったので旭川が泳ぐ場所でした。
八幡橋の下では年1回、ハエ釣り大会がありまして、日本中のハエ釣り師が集まったりしていました。私も釣りが一番好きでした。山にもよく入りました、自転車で駆け回った思い出があります」
「学校での思い出とかありますか」
「中学1年の時、文化祭がありまして、建部町の標高地図を立体的にして作ったことがあります。建部町の歴史について日野先生に教わったこともあります。
それとあまり知られていませんが建部には古墳がいくつもあって、グループでそれを探して見て回ったりしました。中学校時代は山本教公先生が3年間連続で担任で、とてもお世話になりました」
「クラブ活動とかも盛んでしたか」
「そうですね、小学校はソフトボール少年団で中学は卓球部、高校はハンドボールをしていました。勉強もしていましたが、短歌と俳句、詩を書いて投稿したりもしました。
高校では、建部町の夏祭りのことを小説に書いて賞をもらったこともありました」
「医者を目指されたのはいつ頃ですか」
「一宮高校の3年の時ですね、母親が看護師をしていたこともあって、自然とそうなっていきました」
「進まれたのはは自治医科大学医学部だそうですが、どのような大学でしたか」
「自治医科大学は、”医療の谷間に灯をともす”ために、47都道府県が設立した栃木県にある全寮制の大学です。へき地医療、医師不足の地域を支える医師を育てることが建学の趣旨です。
毎年、各都道府県で合格してから2、3名が入学し、学費と生活費が免除されるかわりに9年間を県職員として働くことになります。
僕の場合、4年間を岡山赤十字病院で、5年をへき地中核病院や兼務で診療所で勤務しました
自治医科大学は、地域医療のスペシャリストとして地域に残る人が多いです。有名な方では、新型コロナウィルス政策分科会の尾身会長は第1期生です。
岡山済生会病院の塩出純二先生や、県内では湯原温泉病院、鏡野町国保病院、美作市立大原病院の院長も自治医大卒業です」
「そりゃあ、すごい大学ですね。先生は呼吸器がご専門と言うことですが」
「実際には内科一般と、プライマリケアが中心で、なんでも診るといった感じです。呼吸器内科の専門医ですけど」
「この30年ほどの間に随分と医療のあり方が変わりましたね、今は地域包括ケアシステムが盛んに言われてますが」
「平成2年のゴールドプランから平成12年介護保険制度、そして平成26年の地域包括ケアシステムへと高齢化が進むに連れて変わってきて、それについて行けない病院や医療施設も出てきました。
福渡病院も令和元年9月に国がすすめる地域医療構想の再検証対象になったわけで、そのことで病院のあり方と存在意義を再確認できました」
「福渡病院は旧建部町の時代から久米南町と併せて、この地域、唯一の病院として機能してきたわけですが」
「今は国の方針である地域包括ケアシステムのこの地域における中心拠点として福渡病院があるべきだと考えています。
そのためには久米南町と岡山市の自治体を超えた取り組みが必要で、地域の医療機関や旭水荘などの介護施設などの地域全体との連携が大変重要です」
「そうですね、そうやって地域を上げた支え合いが求められている時だと思います」
「そのことで言えば、まず地域を愛する心を持つことが大事かと思います。住んでいる人がこの建部はいい所だよと自慢するようになれば繋がりは強くなりますし、子どもたちにも
その良さを伝えていけば、一旦、他所に出たとしても必ず帰ってきます。
昔、イギリスのチェスタトンと言う人が
”ローマ帝国が栄えたのはローマが偉大だからではない、ローマの人たちがローマをすばらしいと思っていたからだ”と言いました。
まさにそれだと思います、建部の人がここをすばらしいと思うことで、ここは盛り上がっていくと思います」
「私も岩手が故郷で仕事でここに来て、そういった目で見るといい所がいっぱい見つかるんですよね」
「建部は古くからの歴史を持つ地域です、今もそれを伝える所がたくさん残っています。多自枯神社、志呂神社、和田神社などはとても由緒あるお社(やしろ)です。
豊楽寺は辺り一帯を治めるほど栄えていましたし、鶴田、三明寺、大田の山にはお城がありました。
昔、市場には宮大工が多く住んでいて、旭川を行き来する高瀬舟を造っていましたし、川口や福渡、中田には渡し舟がありました。周辺の山ではマツタケがいっぱい採れて、マツタケ列車が走っていた、そんなことを知っている人が今どれくらいいるでしょうか、たぶん学校でも教えていないのでは」
「学校では標準的な教育が優先して、中々そういった時間も取れないのでしょう」
「学校の写生大会や遠足などを通じて地域の良いところを身に付けさせたり、お父さん、お母さん、おじいさん、おばあさんから子どもの頃の話を聞くのも良いと思います。
それと、この建部町時代に編纂した建部町史はとてもよく出来ています、おそらく町史で3巻も作られているのは他にないのでは、大変、貴重な資料だと思います。私の愛読書です。
私もこういったことを話せる機会があれば、できる限り出向いて伝えたいです」
「最後にいくつかご質問を、まず、これからの福渡病院についてのお考えをお聞かせください」
「地域医療を基本に県内の病院等とも連携し、専門外来を増やしていきたい。診えるを増やすことで人も段々と増えていくし、地域のニーズがあれば医者も増える。それと地域の介護施設や行政とも協力し地域包括ケアシステムの中心拠点として、”福渡病院に相談したら何とかなる”と言われる病院を目指したいです。問題は医師不足で、地域の自治会等からも医師確保のための働きかけをして頂けないかと願っています」
「今のコロナについての対応については」
「まずワクチン接種の第3回目を当病院でも行いますので、その際はよろしくお願いします。それと風評はあまり気にせず、恐れすぎないようにしてください、正しく行動することが大事です」
「ご自分の健康管理はどのようにしてますか」
「妻と歩いていて、月に30km、ウォーキング、ジョギングをしています。しかし、福渡病院赴任後は休みがなく、睡眠時間を削っている状況で健康管理の難しさを感じています。
一般的に、健康に長生きするためには、歩くこととストレッチが大切と言われています。ストレッチは大切ですが、あまり知られていません。筋肉のしなやかさがあると、怪我をしにくくなり、これを保つことが老後を快適に生きていけるとも言われています」
「これからの地域を担う若い人へ、一言」
「 建中の石碑にある”自ら学ぶ” これは今も私の座右の名です。そして人の責任にしない、自分で努力する、そのことが大切だと思います」
「どうも、ありがとうございました」
(対談を終えて)
今回、先生のお話しをお聞きして、今さらに地域医療の大切さを痛感いたしました。
国の政策等では地方自治しか論じられていない中、地方自治医療の在り方が、これからの地域における少子高齢化社会の根幹になって来ると感じられました。
建部ご出身の先生は、建部の在り方についても述べられ、長い人の営みから生まれた文化や歴史を大事にし、今、住んでいる人が、地域に誇りを持てるような
継承活動が重要と話されました。私事ですが、20数年前にバングラディシュに行った折り、ダッカ空港の薄暗い壁に「マイカントリー、マイプライド!」と
書かれていたのを思い出しました。
「私の国が、私の誇り!」経済的豊かさだけを追い求めていては、背骨のない根無し草になってしまう、そんな思いが脳裏に浮かんでいます。
(勝部 公平)
福渡病院ホームページ←こちら
「グググ、グァオ~!」勇ましく吠えたてるのは来年の干支、寅(とら)の張子。
「な~んだ、ちっとも恐くない」
そうなんです、日本全国の郷土玩具、五千点を収蔵する岡山市環境学習センター「めだかの学校」おもちゃの宿で開催される「干支の寅と鬼」展、並べられたトラたちはどれも愛嬌いっぱい個性豊か。まずは誌上にて、見どころを紹介、紹介 (パチ、パチ、パチ)!
1番バッターは先ほどから「グァーオ!」と威勢よく叫びを上げている広島県常石の「張子虎」。とにかく牙(キバ)がスゴイ、上目遣いのポーズと言いオリジナリティ満開で登場!
2番バッター、同じく「張子虎」こちらは鳥取県倉吉。まるで元祖、トトロの猫バス?愛嬌のあるフォルムが なんとも可愛い。尻尾は錘(おもり)が付いていてブラブラ揺れる仕掛け。
3番、「寅乗り人形」、山形県酒田の出所。トラにまたがるのは相撲取りか、坂田の金時? 首根っことしっぽを押さえて「どうだ、まいったか!」と言ってる様。
4番バッター、西大寺「張子虎」濃黄色に輝き、筋肉りゅりゅう、躍動感あふれる容姿。縞模様の繊細な筆さばきは、まさに職人技。。
次々、紹介。5番、「ねまり虎」山形県。”ねまる”とは山形の方言で、前足を踏ん張って今にも跳びかかろうとすること。 獲物を狙って、いざ跳躍。その一瞬をとらえた名品。しっぽの動きが、また”絶妙”。
6番、「おんぶ虎」滋賀県小幡。干支おんぶシリーズの一つ、土製品。 稚拙な出来だけど、親子のほのぼのとした表情が素朴さを誘います。
7番、「出雲張子の凧(たこ)」トラの凧が空を舞うのは勇ましいようで、高く昇れば昇るほど、何か寂しい。
8番、「「虎の面」京都毘沙門堂門跡」いきなり登場タイガーマスク。大胆な着彩に左右の目の違い、ユーモアたっぷりに観客を惹きつけます。
9番「絵馬」和歌山県那智神社。開運、商売繁盛を願う、お土産品の定番。勢いのある虎からご利益を授かりそう。
今回の展示では「鬼(おに)面」も併せて陳列。 「鬼は~そと、福は~うち!」
では良いお年を来年もヨロシクね!
開催期間:令和4年1月5日から
会場 :岡山市環境学習センター「めだかの学校」おもちゃの宿
開館時間:9時~17時
入場料:大人310円 子ども100円
定休日:毎週火曜日(年末年始)
お問合せ:086-722-1231
(レポート・写真 三宅 美恵子)
前回のゴッホ展からちょうど90日、並べて、こわして、並べ直して・・・どうにか完成にたどり着いた、たけべ新聞5周年企画「石で描く名画」展。
3弾目となるのは「ピカソ」。
「あの、わけのわかんない絵を描く人?」と言うのがどうやら一般的な印象だそうだけど、美術史において近代を代表する画家の一人。
「でも、そんな人の作品を石で描いたらもっとわけわかんなくなるんじゃない?」
実は制作者である記者もそのへんがそうとう不安のタネだった(笑)
最初に手掛けたのは「ピカソ、青の時代」と呼ばれる20代の作品。故国スペインからパリに出て来た頃の作品でいわゆる「貧しい人々」を描いたことで有名。
その中から「アイロンをあてる女性」「自画像」を選んだ。参考資料はパリの本屋で購入した「青の時代画集」(これを旅行中ずっとリュックに入れて背負いで歩かされたと妻からブーイングが出た)
ベース(専門用語では支持体)はいつもの古い襖(ふすま)、色あせたフスマの感じが疲れた女性の表情と奇妙に一致、「これは、やれそうだ」と手応え。
しかしそのまわりに漂う静寂な空気を追うにつれ、石数は増えていき、初めの予想を超えた密度の濃い画面となった。
「自画像」は顔よりも画面の大部分を占めるマントにいかに表情を持たせるかで、幾度となく手が止まってしまった。マントに置く石が決まらない日が続いて、思い切って顔をすべて壊してみたら急にマントの石が埋まった。
「アルルカンと女友だち」青の時代よりも少し前、ロートレックの影響が色濃く残る。ベースはお祭りの獅子頭を作るので使ったスタイロフォームの残り。
アルルカンの服の模様に何度も手を入れる。
ピカソ、バラ色の時代「玉乗りの少女」サーカスの一団を描いた中でもっとも有名な作品。これも古フスマに並べる。
高校生の時、倉敷の「中国画材」でこのポスターを買い、部屋の壁に貼っていたことを思い出す。
絶対にこれだけは描きたい作品ベスト1「アヴィニョンの娘たち」(1907年作)。
「だけど、ホントにやれる?」
これを観たくて、ニューヨークに行き、MOMA(ニューヨーク近代美術館)に何10回も通った。ベースはフスマ2枚。右から1枚やって2枚目に左。
石を置かない面と置く面と、特に置いていない空間に意味を持たせるように進める。
「泣く女」ピカソの代名詞的な”わけのわからない絵”。ベースは養生べニア、この黄色いペイントが結構気に入っている。石が載せやすいこともある。
帽子を作る粗い石、髪をつむぐ細石、この組合せのバランスがもっとも重要。
「ゲルニカ」1937年、内戦状態にあったスペインでクーデターを起こした軍部に加担したドイツナチス政権が地方都市のゲルニカを空爆した。
それを聞いたピカソは、その年にスペイン共和国政府から依頼されて進めていたパリ万博出品の作品を急遽取止め、この作品に取り組む。
画面はすべてグレーで塗られ、怒りと沈痛さを伝える。これもフスマ4枚で進める。夜の画面に使う石の量を少なくするため、新聞紙に墨汁を塗りベースにする。
結果、色を反転(黒の輪郭を白の輪郭に変える)せざるを得ない面が生まれ、それを回りとどうつなげるか、石が連呼するやり方を考える。
「たった1日だけ」と題したこの展覧会。準備は前日から「ああでもない、こうでもない」と作品を入れ替え、順番が定まるまで3時間。外光が差すと石の影が強くなるので、テントを張り日陰になるように設定。これが逆にいい雰囲気を作ってくれた。そして観覧者はなんと40名も。
うれしい感想も聞けた。
「写真で見るとわかりやすいけど、やっぱり実物はそれとは違う迫力がある」
そうなんです、観て欲しいのは「石」。それが伝える重量感、バランス、リズムそして表情、それこそが作者の目指すところ。
(レポート・写真 三宅 優)
12月は師走と言われるだけにこの日は”記者も駆けた”。「キャンドル作り」の取材を終えてすぐに建部町文化センターへ。
こちらも年末恒例となった岡山弁協会が主催する「岡山弁はええもんじゃ」の公演会。
今年は2021特別編と題して、今、話題のNHK朝の連続ドラマ「カムカムエヴリバディ」で岡山弁を指導される瀬戸町出身の女優、高野暢子さんが講演。
始まりを待つ観客からは「どんな話が聞けるんじゃろう」とボソボソ会話が洩れる。
午後1時半、開演ブザーが鳴り、テレビでおなじみ、わが町のエンターテナー、リンクアップトッシー登場。司会進行を受け持つ。
まずは岡山弁協会、青山会長のご挨拶。と言ってもズームを使ってのリモート出演。
「今年は岡山県、岡山弁が盛り上った年になりました。来年も日本中で岡山が愛される良い年でありますように」とのメッセージ。
続いて岡山市長からもビデオで「たのしんでなぁー」と岡山なまりたっぷりのお言葉を頂戴した。
そして開演。
プログラム1番。岡山理科大学准教授、札埜和男先生による「方言取り調べ”もろ刃の剣”」と銘打った方言研究のお話し。
警察署での取り調べで、方言がどのように使われるかを長年、調査した結果を事例と集計数値で説明。
少し難しい内容だが「なるほど」と感心することも多々あり。
方言も使い方で暴力的にもなり、人の心を和らげることもできる、まさに"もろ刃の剣"だと思った。
休憩の後、プログラム2番は定番「岡山弁パフォーマンス」。
最初は女性二人による「岡山弁をけえからも(これからも)つこうて(使って)いこうやぁ(いきましょう)」との掛け合い談義。
続いて女性による「岡山弁歌舞伎」の読み語り。
「わりい(悪い)家老と商人の悪だくみの一部始終」ぎょーさんの岡山弁が続出で場内から笑いがこぼれる。
そしてお待ちかね、プログラム3番「岡山ことばを全国に!朝ドラヒロインの岡山弁」と題しての講演。
👏👏👏
高野さんが、このお話を受けた昨年5月頃からクランクインまでの感じたこと、大変だったこと、楽しかったこと、驚いたことを
ご本人が収めた撮影風景を紹介しながら進める。
自分が岡山中で使われていると思っていた言葉が実は瀬戸町区域の方言だったと初めて知ってビックリ。
オーディションの時、「岡山弁がしゃべれるか」「アドバイスしたら直るか」を基準に審査にのぞんだ。
主役の女優から「岡山弁の猛勉強をした」と言われてとてもうれしかった。
「あんこ(餡子)」のイントネーションだけは、全員が言えるようにとこだわった。
「がんばられ~よ~」のセリフが一番好き、かわいい岡山弁をしゃべってくれたのがとても嬉しい。
・・・などなど。
最後に、このドラマを毎回、隅々まで観ていると言うトッシーが、中で使われた岡山弁を個々に上げて紹介、場内を沸かす場面も。
今月で25話まで来た「カムカム・・・」はこれからますます面白くなるそうで、でもそのお話は観てからのお楽しみ。
締めは副会長さんのマジック付きの閉会式。そして出場者、スタッフ全員がステージに上がり「岡山弁を盛り上げよう」と手を振った。
今年も楽しんだ「岡山弁はええもんじゃ」。
”れーねんも(来年も)きてい(期待)しとるけんのう(しているよ)がんばってつかあせえよう(くださいね)”(笑)
(レポート・写真 三宅 優)
クリスマスシーズン到来、コロナが虎視眈々と狙っていても日々の暮らしを明るく生きたい。
恒例、岡山市環境学習センター「めだかの学校」主催の「親子キャンドル作り」が今日、開かれた。
参加したのは講師の勝部志乃さん他、市内4家族12名。
こんな時期だから多くの人に来ていただけないのが残念。それでも今日はどんな作品が生まれるのか興味津々。
(記者)
「ねえ、今日、何、作るの?」
「僕はトラ(寅)、お母さんは雪ダルマ」
「わたしはアマビエ!」
「???アマビエ?」
なんでも1846年にあった妖怪で、水木しげるさんによって発見されたとか。
最初の工程はベース作り。
ロウの細粒をラップに来るんでモミモミ、雪ダルマの胴体にする。それをさらに指でコシコシしてツルツル肌にする(ワぉー、それだけで難易度高ーい)
さてさて、のんびりしてられません。そんなことしながらもお飾りは手が抜けません。
形は「トラ」「アマビエ」「雪ダルマ」。でも、飾るのは最新のファッション(笑)、アミアミのマフラー、背中に負う竹やり、いっぱいのミカン・・・。
いつもはひかえめなお父さん(?)真剣な面持ちで取りくむ雪ダルマ。どの家族も机の上にスマホを置いて、モデル写真も見ながらの奮戦。
やがて、次々、完成!
キャラクターたちはゆっくり、じっくり、あったかいロウ温泉に浸かって、「ああ、ゆったりした」 とお披露目へ。
一同に並んだ、「えとのトラ」「ゆきダルマ」「アマビエ
」個性豊かに「めだかの学校」授業、今年最後の記念。
「お~い!来年も見守ってくれよー」
(レポート・写真 三宅 優)
田地子地区にある多自枯鴨神社は歴史が古い。本殿を囲む木々も当然、長寿を迎えている。
その中の1本は3年前に枯れて切り倒されたが、同じ境内にはまだ数本、寿命を迎えた大木がある。
この日、岡山森林組合の人たちの手で、その大杉が切られることになったので取材した。
境内にはこの日に切られた大樹の根元の年輪が見てとれる。
田地子地区長の本田義章さんのお話によると、これから切る木はさらに大きく、年数にして400年から500年だろうとのこと。てっぺんまでの長さは30mほどで円周は5m。
こんな大木をどうやって下に倒すのか、素人の想像は及ばない。
すでに神社前の道に長く伸びたクレーン車が2機据えられ、空高いゴンドラの中で大杉を前に作業をする人影が見える。駐車場には数十トン級のダンプが控え、下ろされてくる木を待っている。
作業の進行を見ると、はじめに上の枝の伐採から。下からだと細い枝に見えるのだが、降ろされてみると1本の幹と変わらない。これをベルト掛けして、切っては降ろす作業を何度も繰り返す。
そうして、すっきりと一直線になった段階で、ほぼ上から6mの位置に鉄線ベルトが掛けられ、もう一台のクレーン車に乗った作業員の人がこれまた巨大なチェーンソーで近づいていく。
自然の力も凄いが、人の力もスゴイものだと感心。下ろされた幹が道に横倒しになる様はまさに「巨樹、逝く」
何百年も村人を守り、抱き続けてくれた、その偉大さに感謝の念しか浮かばない。
(レポート・写真 三宅 優)
コロナの感染者数がニュースに上らなくなって、世の中、少しずつ前の生活を取り戻し始めたようだ。
小旅行を楽しんだ人からお土産話を聞くことも増え、ここ建部で規模を縮小したかたちで野外行事が開催されるようになった。
「ゴーツー・・・」とはいかなくても、身近で何かをしたり参加することは心の健康上、すこぶるいいことだ。
今日は当新聞編集長(勝部)が10数年、関わり育ててきた「里山建部」での体験授業。
主催者の岡山市環境学習センター「めだかの学校」には7家族23名の申し込みがあった。
午前9時半「めだかの学校」に集合した参加者は、そこから車で町内の富沢地区にある鳥越池を囲む里山キャンプ地へ移動。
現地ではすでに講師の勝部、河原さんがモミガラにエントツを立て火を点けてお待ちかね。家族ごとに用意された机とイスは地元ボランティアの方の手作り。
(ちなみに、この廃材を使ったイス、テーブルは岡山中に1000個以上、無料で届けられている)
さっそく子どもたちは煙の出るエントツに近寄り「あったかいねー」と暖を取る。
開講式、勝部からのあいさつ。
「今、世界ではコップ26が行われ、この地球環境をどう守るかが話し合われています。
それは私たちの社会をどうやって循環型社会へと変えていくかということです。今日作るヤキイモも、
田んぼの稲を脱穀して出たモミガラや落ち葉を燃料にしますが、昔の人はこうやって資源を大切にしながら自然と共存して暮らしていました。
今日はそんなことも学んでください。また、この里山は楽しいだけでなく、こんな(マムシのアルコール漬けを手に)危険な生きものもいることを知っておいてください」
一行はまずは里山の散策から。
「へー、こんなふうに道ができてるんだ、ああいい眺めだねー」と大人たち。
霜で濡れた落ち葉が朝の光にキラキラと輝く、そんな道をザックザック。両側には笹や灌木が覆いクヌギの木がそびえる。
「これってちょっとした探検だよね」「うんうん、子どもの頃したことがある」お母さんたちのメモリアル。
途中、途中で勝部が植物を見つけ説明。「この赤い実は野イチゴ、食べてみて」
「うわー、ホントだ、すっぱ~い」はじめて口にした山のイチゴは酸っぱさも天然。
「左右対称に葉っぱが出ている植物はウルシだったりするので触れないでね。それとこの上を見て、
あれはなんだかわかる?」
見たことのある果実・・・、「キューイだ!」
「そうです、なんでこんな山に成っているかというと、鳥たちがどこかで食べてここで糞をして運ばれたから、
こうして植物も生き延びるため懸命なのです」
ムカゴを見つけ、タラの芽の木を教わり、わずか30分の山中でいくつもの発見。 散策(探検?)の次は「シイタケ狩り」へ!
池の前に並べられたマキの丸太は100本以上、そこからニョッキリ、ムックリ、そしてビックリ級のシイタケ。
参加者はいっせいに「うひょー、デカっー!」「こんなのはじめて」
同行した「めだかの学校」武藤館長も、「私も原木にシイタケがなっているのを見たのは初めてです(笑)」
顔より大きい?のを手にした子どもの「やったー、とったぞー」のポーズがお父さんのカメラに「カシャリッ!」収まる。
まだまだ続く里山体験、焼いもの仕込みを済ませておいて、次は「柿狩り」へ行くぞー!
秋の紅葉を肌に感じながらのショートウォーク、立ち寄ったお寺様(成就寺)の門の左右には恐ーい顔をした仁王様。
「ほら、お前も悪いことすると仁王様に叱られるんだよ」昔と変わらぬお父さんの言葉に何世代と、語り継がれてきた父親像が浮かびホッとする。
目ざす柿の木は里山のメンバー、杉本さんの庭。赤く実った柿が遠くからでもつづら成りなのがわかる。
そばまで行くと「うわー、でかー!」「すげえー、いっぱい」と、これまたシイタケに劣らぬ感想が。
低いところは子供たち、高いところはお父さんお母さんで。「でも、僕は肩に乗ってとりたいよー」
戻ってからは、河原さんを先生に「竹細工」。
「竹笛は、こうして、竹を組み合わせて自分で吹いてみて、いい音の出るところで接着剤で止めるんだよ」
はじめは「えっ、鳴らないよー」「どうして?」ととまどっていた子も、竹の位置を変えていくうちに「ピーッ!あっ鳴った」
そうしたら、あの子も、この子もウグイスならぬ竹笛が「ピー、ピ-、ピー」と里山中に鳴り響く。
葉っぱの裏に何やら文字が、これは葉手紙と言って、裏が白い葉に枝で文字を書く遊び。
「へえ、おもしろい、私も書こう」
”あーちゃん、いつもやさしくしてくれて、ありがとう、また、あそぼうね”
「竹切りしたい人、いますかー?」めだかの学校、沖指導員の呼びかけに一人が挑戦。ギコ、ギコ、ギコ、「あ、切れた!」
「僕もやる」と次なるチャレンジャー、お後は列をつくっての順番待ち。
これを観ていた勝部、「やっぱり、子どもは、こういうのをやりたいんだよね、危ないからって遠ざけてばかりじゃダメなんだよ」
野生に目覚めた?子どもたちの更なる挑戦は、展望台から下げられたロープを伝っての「ロープクライミング」
黙って見ていた親たちも、じっとしておれなくなって、「そらっ、もうすこしだ」「ガンバレ、ガンバレッ」とそばまで行って声援。
「スゴイじゃん、登れたね、がんばったねー」親たちが知った、子どものやりとげる力。
あっという間の里山体験、おみやげは、山盛りの柿とシイタケ、焼いも、竹トンボに竹コップ。でも一番のおみやげは今日、自分で得た「自信」
「里山は子どもの生きる力を育てる」そのことをテーマにこれからも里山メンバーと環境学習センター「めだかの学校」の活動は続く・・・。
(レポート・写真 三宅 優)
朝靄(もや)の立ちこめる国道53号、竹枝小学校前に8時に到着。川の方からショベルカーの音が響く。
旭川の水をせき止め、干上がった川底の石を動かし、中に住む生きものの調査をする。
今ではすっかり名前が定着した「旭川かいぼり調査」が本日、行われた。
昨年はコロナ禍を万全を期(木)して実施された。今年はさらに一般参加者を地元の小学生に限定し、厳しい対応で開催となった。
とは言え、これだけの規模の調査をする上では最低の人員は必要で、この日もスタッフ、地元のボランティア含めて数十人が岸辺にテントを建て、準備に余念がない。
川そばまで行くといつになく水が少なかったようで、完全に剥き出しになった石がいたるところに転がっている。すぐに冷気が足下から伝わり、慌てて陽の当たる土手へと舞い戻る。
9時、岡山理科大学の学生さんを乗せたバスが到着、約60名が「おはようございまーす」と声をかけながら岸辺にやってきた。
同時に地元の小学生の家族も集まり始め、「参加予定者」の名簿はほぼ〇印で埋まった。
9時半より開会式。
入野実行委員長より「今日は楽しみながら、学びながら、有意義に一日を過ごしてください」とのあいさつ。
続いて進行役の友延さんより「私たちは2006年から川の変化を地域の人と調べようとやってきました。
今日の目的はアカザとカジカの調査と川のクリーンアップ、そして石を動かすまでやって終わります」と説明を受け、さっそく参加者はそれぞれの調査地点に移動。
そこでもスタッフから調査魚の写真や特徴を教わり、子どもたちはすでにやる気マンマン。
「では今から、11時半までお願いしまーす」で開始。
コロナ前の調査時は人の姿で川原が埋めつくされていたが、今回は一家族で広々と川を探索できる”ゆとりのある自然とのふれあい”が実現。
参加したくても出来なかった大勢の方がおられると聞いているのだが、これはこれで、とてもいい雰囲気。
開始、数秒、さっそく第一声。「やったー、やったー!」どうやら何か見つけたらしい。
「アッ、アッ、アッ!」もう言葉にならない子もいて、一人が見つければ、もう一人も「あっ、ここにもいる」「ねぇ、ここにも」
始まる前に少し時間があったので、久しぶりに「かいぼり調査」の発起人、佐藤康彦さんに話を聞いた。
(記者)「よく続けられていますね」
(佐藤さん)「コロナで何もかも中止になってるけど、そうなると再びやるということがすごく大変でしょう。少しでも何とか続けられれば、動きが止まらないでいられるし、
こうして目的があれば川原の整備も草刈りもみんなでやろうと言うことになるでしょう、それが大切だと思います」
物理的な損失よりも、人の心が離れることの損失、続ける意味はそこにあるのだと深く感じた。
調査地点には採取した魚を種類別に入れる大きな水槽が置かれ、スタッフが「これはアカザだよ」「これはカジカではなくドンコだよ」と教えてくれている。
水生昆虫のコーナーもあり、およそ一般人には名前の分からない虫たちをルーペで一つ一つ説明してくれて、生きものの多様性が知ることができる。
「間もなく終了でーす」のスタッフの声。
水槽のガラスにはモクズガニ、サワガニ、ギギ、アブラボテ、ブラックバス、シマドジョウ、オヤニラミ・・・、そして参加者が運んでくるバケツからアカザ、カジカ、ドンコ、ヨシノボリ・・・。
環境学習センター「アスエコ」の指導員、柏さんによる、採取した生きものを学ぶ時間。
「知って欲しいのはアカザがいるということの自然の大切さ、それと外来種など環境を害するモノの正しい扱い方を知るということ」
ここにいると気づかないでいる自然、当たり前に川石にトンボが止まり鳥のさえずりが聞こえる、そのことの貴重さ。意識して学ばないと失ってしまう地球環境。
会が無事終わり、朝、あれほどありがたかった陽の光も、日影がうれしい時に変わっている。
子どもらは帰るでもなく友だちとブランコを揺らし、木々に止まり、そのそばで母親たちは尽きることのない子育て話に花を咲かせる。
豊かな自然は、豊かな時間を運んで来たようだ。
(レポート・写真 三宅 優)
10月27日、建部小学校の学校菜園で1~2年生、お日さま学級の皆んなの参加で、前日までに掘っておいたサツマイモで「里山風焼きいも」パーティーです。
手伝いは「里山建部」メンバーの片山さん、市川さん、そして記者(勝部)。
朝9時ぐらいから、軽トラに積んできたもみ殻や里山の落ち葉などに煙突を立てて焼いもの準備。
数年前から始めた、濡れた新聞紙とアルミホイルで包んだ焼いもセットを会場に持参。
今年は大豊作で、大きい芋はスライスして包まれており100個前後のホイル焼きの始まりです。
スタッフの挨拶と焼き方説明では普通ゴミとして扱われている、もみ殻や稲わら落ち葉や枯れ枝などを再利用することを伝えながら、
ESD(持続可能な循環型社会の開発)の説明をしました。
1時間後に燃えて黒焦げになったもみ殻を熊手で広げると、アルミホイルに包まれた蒸し焼きの中から、甘~い香りが漂ってきます。 中庭の芝生広場で車座になって食べているとお代わりの催促。 多い子は3~4個も食べた児童もおり、田舎ならではの体験が子どもたちの脳裏に刻み込まれて思い出になっていくのを実感しました。
(レポート・写真 勝部 公平)
秋晴れの、まさに”天高く馬(人?)肥ゆる秋”を感じさせる建部の今、あちこちで柿が実ったり、サツマイモが掘られたり。そう、”サツマイモを掘る”と言えば昨年もお邪魔した「建部ほったらかし農園」さんの芋掘りイベントが外せない。
土曜、朝9時半、下神目にある農園を訪ねる。主催した「
あこがれスタイル」さんのメンバー、
佐藤安奈さんのおばあちゃん家の畑がその”ほったらかし・・・”現場。
市内中心部からのメンバーはまだ到着しておらず、おばあちゃんが一人、ササゲを分別中。
「おはようございます」
「まあ、いつもお世話になります」
「お元気そうで、何よりです」
「もうなあ、歳をとると何もできませんで・・・」
そうつぶやかれる間も、小さな手はササゲの一つ一つをしっかりより分ける。お年寄りの仕事はいつでも丁寧。
いつものメンバー、カッチャン、Mさん、B君たちが到着、それぞれが担当の畝(うね)を受け持ち、開墾スタート。
畑には今年も昨年同様、10数畝が盛られイモヅルが覆う。
「私、友だちにも配りたいから、いっぱい欲しい!」さっそく、掘る前にリクエスト。
「じゃあ、がんばって掘ってね」
「えっ、私、掘るのあまり得意じゃない(笑)」
「だったら、俺も!(笑)」
互いに冗談交わしながらの芋掘り作業。
次なる参加者、到着。
「去年も、いらっしゃいましたよね」
「ええ、また来ました(笑)」
昨年も参加したお母さんと、一回り成長した感のある息子さん。
1年に一度会えるなんて「イモ掘り体験」は素晴らしい。
収穫作業は着々と・・・なのだが、そうである人とそうでない人が?
「でも、私の畝(うね)は、なんでこんなに小さいのー?」
「ゴメン、ゴメン、そこは苗が違うんだよー」
「ヒェー、そんなのないよー(笑)」
「大丈夫だよ、ちゃんとみんなで分けるから(笑)」
大きいの、かわいらしいの、どれもうれしいよね、大地からの贈り物だもの。
さらに若い人1名が加わり、作業は急ピッチ。時おり津山線の列車が傍を勢いよく通過する。
「あぁ、皆が掘ってるところを列車を入れて撮りたいけど、タイミングが合わないなあ」と嘆いていると
やがて「チーン、チーン、チーン・・・」
「ユーさん(記者)、ユーさん、列車が来るよ、シャッターチャンス!」
「オッ!」カメラを向ける、『津山線のある風景~芋掘り編~』撮れました。
いつの間にか、記者もスコップを手に芋掘り参加。
子どもの頃は、よくこうやって畑の手伝いをしたものだが、「子どもの頃、イモ掘りしたことある?」
「ありますよ、保育園の時に」
そうか建部の保育園の行事にも必ずある、これは子どもにとって貴重な体験なのだ。
そのうち「でも、たまにはこういうの気分転換になるよねー」一人の若者が言うと
「うん、なるなる、ストレス多すぎるものね」すぐに若い人同士で意見が一致。
きっと、今の世は若者たちにとって窮屈で息苦しい時代なのだろう。
年寄りの私でさえ忖度(そんたく)だの協調だの、ウンザリと思うのだから。
いつしか時間はお昼近く、そろそろ退散するとしよう。さて、次にお会いするのは1年後?
しかし、その時まで記者自身、ストレスにやられていないか、
それが心配だー(笑)。
(レポート・写真 三宅 優)
昨夜の雨も上がり、晴天予報の建部エリア。だが今日の朝は気温は低く、時おりどんよりとした空。
「どうだろう無事に登れるかなあ」岡山市環境学習センター「めだかの学校」武藤館長も不安げな顔。
この日、市内から4家族8人の参加者を迎えての「建部古道巡り」、スタッフ入れて13名で開校式。
「今日は日頃の生活から離れて、この建部でいろんな自然と触れ合いながら一日を楽しんでください」
江田委員長の開会のあいさつ。
9時半、「めだかの学校」をスタートした一行は建部上にある法寿山、山頂を目指す。
さっそく子どもたちが先頭を駆ける。里の家並みを抜け、登山入口に立つ。
「ここからどれくらい距離があるんですか?」参加者の問いに
「う~ん、3キロほどですが、山道なので時間は1時間ちょっとかかるでしょう」
何度となく登って来た当新聞編集長、勝部。
いつも同じスケジュールではなく、その日の天候、道の状況、参加者の体力を踏まえて時間を計る。
登山道は数日前に江田委員長自ら草刈り機を担ぎ、歩きやすいように刈り払ってくれている。それでも雨で濡れた落ち葉の積もる道は滑りやすい。
山の斜面から雨水の流れる沢が出来て道を横切る。
「ここ、水が流れてるから気をつけてね」そう言ったけど男の子は沢にジャブン!そのまま平気で、きつい傾斜をグイグイ上る。
やがて一行はかつて灌漑用水池だった「池乃山池」に出る。水量の減った池の水面だが、それでもいつの間にか出た陽の光に照らされ自然の美しさを堪能させてくれる。
(参加者親子)「ああ、いい眺めね」「ここ何がいるの?コイ?フナ?」
そうして目的地、法寿山、山頂に到達、標高212mの三角地点で一休み。山の木々がいっせいに騒ぎ出す。
子どもの保護者に話を聞いた。
「どうして参加しようと思いましたか?」
(参加者) 「家の近くでは遊ぶところがないので、学校案内が来て申し込みました。古道と聞いてたけどこんな山道だと思わなくてビックリ。
ちょっとしたトレッキング、こういうのは貴重な体験だなって思います」
「普段、街中に住んでいるので外に出たいなって、でも、子どもの方が喜んでるみたいです」
帰りは、ただひたすら下るだけ、滑りやすいので注意、注意。講師の話はマツタケ採りの話しから建部の歴史へと広がり、道々続く。
子どもたちはというと、草を引いたり、「あっ、カマキリ!」と大きな青いカマキリを見つけしゃがみ込む。
山の探索は飽きることのない時間を提供したようだ。
中腹、阿弥陀如来様の見晴らしに到着、ちょうど11時15分発、津山線電車が鉄橋を渡る時間。
武藤館長もカメラを構え、シャッターチャンスを待つ。
数百年の間、見渡す風景は様変わりしただろうが、川のかたちはさほど変わらず海へとつづく。
「建部祭り」の行われる七社八幡宮に出ると天高くそびえる古木が待ち受ける。残念ながら今年もお祭りは中止となったが、
拝殿には新しいしめ縄が飾られている。
「来年こそは勇壮な神輿のネリを観てもらいたいです」と地元の世話役でもある江田さんが語る。
正午、無事に大人子ども全員が帰還。
お一人で参加の方に感想を。
「ウォーク、歴史、ほんとに勉強になりました。次は孫を連れて参加したいです」
「今日参加して、いろいろと気づくことができて、あらためて自然と触れ合うのは大切だなって思いました」
コロナの時代の免疫が徐々に人々の暮らしに根付いてきて、ゆっくりと自分時間を愉しむ時がやって来た。
それには自然の中で過ごせる「建部の一日」が、今、おススメ!
次回、予定は11月14日(日)「里山建部を散策しよう」(申し込み受付中)
申し込み:岡山市環境学習センター「めだかの学校」
電話:086-722-1231
(レポート・写真 三宅 優)
風は涼やかになったが、お日様の光はまだまだ強い。いつものこの季節だと町内のあちこちで笛や鈴の音が聞こえてくるのだが、今年もお祭りは中止となって静かな建部平野。
ここ福渡地区では31日が八幡神社の例大祭。神輿や神楽は繰り出さなくても、神様への祭礼は執り行われる。その時には神社を飾るしめ縄が新しくされるのが習わし。
今では縄を綯(な)える人がいなくなり、後継者もいないことからどこの地区でも、このしめ縄の手配に苦慮している。 そうした状況を踏まえて福渡地区では、出来る人が元気なうちに作り方を伝授してもらい次につなげようと、昨年から町民たちの手で「しめ縄作り」を始めた。
朝10時、町のコミュニティセンターに、しめ縄の先生4名と総代8名、手伝い3名、総勢が15名が勢ぞろい、下神目の農家から分けてもらった稲わらを手に作業に入った。
始めの段取りは「ワラを計る」。しめ縄の1本分に使うワラの分量を量り、同じくする。
次に「ワラを柔らかくする」。ある程度の柔軟さがないと綯えにくいので、水で濡らして槌で叩いておく。
そして「綯(な)う」。定量に整えたワラを下3分の1程度で括(くく)り、上を3等分にして、それぞれを時計回りにヨリを付けて、左にねじって編んでいく。
口で言うのは簡単なのだが、これが一番難しいところ。上部を括(くく)って出来上がり。
後は「ほつれを整える」ハサミではみ出たヒゲをカット、根元部分もそろえて「押し切り」でカット。
この押し切り機はこの日の指導に当たってくれた古本博史さんの所有。
「昔はどこの家にもあったけど、今はこれを探すのもむつかしいじゃろうなあ」(古本さん)資料館に収まるほどの古民具。
参加者のほとんどが未経験者、しかし1時間もすると細縄が編み出せるようになってくる。そのうちの一人の方は
「子どもの頃、よくおじいさんが編んでいたのを観てました」
やはり「習うより、慣れろ」
熟練者の一人、松下泰成さんも「僕も百姓の息子に生まれましたから、できるんだと思います」
当新聞グルメレポーターも「家が養蚕をやっていたので、よくおばあさんがワラマブシを編んでいた」
見せて伝える、親の後ろ姿が最良の教師。
正午過ぎ、完成した大小、20数本のしめ縄、編んだワラの長さは全部で50メートル以上。
何でもかんでもがすたれていく世の中で、人の手で繋げていけることを実感できた秋の休日。
(レポート・写真 三宅 優)
週末の朝、そろそろ選挙カーが回り始めるその前にチョッとのんびりコーヒータイム。町内会役員仲間と待ち合わせ、取材かねての喫茶店で”モーニング”。
出かけたのは53号線の有名店「すぎ茶屋」さんの横にある「茶房 りばてい」
ご一緒したのは福渡町内会で活動を共にするI氏とHさん。
午前9時、広々した店の駐車場にはすでに何台もの車が。
Hさん「わー、朝早くから結構、お客さんが来てるね」
ここに来るのは久しぶりとかで、店の前にある鯉の池を観て
「あれ、こんなコイのいる池、前にもあったかなあ」と、しきりと周りを観察。
Iさんの方も「ぼくも、しばらく来てないから久しぶりじゃなあ」と言って、互いにキョロキョロ。
何はともあれ中へ中へ、とりあえずは「リラックスしよう!」
案内されたのは当新聞グルメレポーターが密かに名付けた「殿様席」。
超ワイドなソファーの後ろはこれまたワイドなガラス窓で、外の緑濃い自然と誕生寺川のせせらぎが一望できる。
「いやー、この外が丸見えの窓ガラスがすごいよねえ」Iさんも、あらためて店内を見回し驚きのマナコ。
店内には年配のカップルが3組、それぞれに離れて座る。といっても最初から席同士がゆったりスペースなので、密になることはない。
ソファーの間には「ラビットちゃん」がデンと構えて、まさにコロナ禍に対応した環境。
注文はもちろん「モーニングセット」。朝8時から11時までの朝の超人気メニュー。
「わぁ、こんなに量があるんだったら、朝食をひかえて来るんだったわ」Hさん、厚切りのトーストを前にちょっぴり残念がる。
Iさんも「ぼくも朝を食べてきた、わかってれば、減らしたのに」今日はオニビジョンさんが来られると聞いて、我がたけべ新聞も便乗取材をかねての同席。
「まあまあ、ゆっくり召し上がればペロリですよ」記者が言ってる間にオニビジョンさんもやって来て、出来たてのモーニングセットにカメラが。
岡本記者(オニビジョン)からマイクを向けられ、「えっ?えっ?」と戸惑いながらもしっかり感想を述べる二人。
「子どもたち家族が帰って来たときは、ここによくうどんを食べに寄るんです。緑に囲まれてこのお店はいいなあと言って感心してますよ」(Hさん)
「ぼくも、ここに来るといつもホッとしてくつろぎます、何より外の自然を眺めながら頂けるのが好きです」(Iさん
)
1時間小があっという間に過ぎたのは、やっぱり室内にいるのに外にいるかのように錯覚してしまうシチュエーションが大きい。
いつまでいても飽きない、数年前に取材でお邪魔した時、当グルメレポーターが感動したその光景は今も変わらない。
(レポート・写真 三宅 優)
季節はやっと秋に向かったようだ。建部のあちこちでヒガンバナが咲き、栗が落ち始めた。当然、山に住む子だくさん一家も味覚を味わいに頻繁にやって来る。
先日は当新聞編集室の窓から外を眺めるといきなり視線が合ってしまった。母親といっしょに来たウリ坊は栗拾いに余念がなく、人が近づいても早足で逃げるでもない。
久しぶりに自転車で里山漫遊。旭川の川中に見えるのは流れに釣り糸を垂れる太公望たちの姿。今年はそこそこに獲れているのだろう、すでに、いい形の鮎を届けてもらった。
しあわせ橋を渡ると仕方ないけどこれも季節の風物詩、カゲロウたちの最期。きれいな水だから生息するのだし、一日だけの命と考えればやむなし。
富沢地区の夙山(あしたやま)に向かう。途中の田んぼでは稲刈りが始まっている。
目的の里山建部のベースキャンプからは「ブォーン、ブォーン」と複数のモーター音が鳴り響く。鳥越池に白い作業着のシルエットが映る。
月に一度の定例会、雑木を切り、草を刈り、マキを切り出し、炭を焼き、椎茸を育てる。もう10年以上の活動が続く。その間、メンバー達も(記者も)しっかりと年老いた。
この日はおなじみのメンバー10数名の顔が。
(記者)「やあやあ、お久しぶり」
(Kさん)「よう、あんな坂道を自転車で上って来るなあ、若いなあ」
(記者)「やっとのことですよ、もうヘトヘト(笑)」
キャンプ場一帯が刈られたばかりの草の匂いで覆われている。この間まで茫々と茂っていた池の周りがきれいに刈られ、すこぶる見晴らしがよい。
時刻は10時半を過ぎ、任務を終えたメンバーが三三、五五に戻って来る。
「もう、昼になったろう」
「いや、まだ11時前じゃ」
「朝が早いと半日が長いでぇ」
「そりゃあ、腹の時計が鳴っとるんじゃろー(笑)」
こんな会話が飛び出すのも里山メンバーならでは。
メンバーの一人本田義章さんからは奇跡の生還談。
「先日、草刈りをしててオオスズメバチに頭と足を10数か所刺されました。地中に巣を作っていたんです。大量に襲ってきた時には、もうこれでダメかと思った。幸いすぐに福渡病院に電話して、駆け込んで点滴を3時間受けて助かったのですが、刺されたところが象の足のようにパンパンに腫れてそりゃあ大変でした、皆さんも気をつけてください」
当新聞グルメレポーターもつい最近、裏山で小指を刺された。大したことは無いと甘く見ていたら、そのうちドンドン痛くなり、手の甲まで腫れてしまった。雨が多かった今年は外に巣を作らず地中に巣があるので草刈りなど要注意だ。
メンバーの要望で今日は早仕舞い。弁当が配られここで食べる人、持ち帰る人、てんでに対応。
勝部も「今は何がつらいって、交流ができないのがつらい。資金は蓄えてありますので、その時が来たら思う存分やりましょう(笑)」
「コロナ禍に 笑いが響く あしたやま」(記者、詠む)
(レポート・写真 三宅 優 写真・勝部公平)
たけべ新聞5周年記念企画「石で描く名画」その第2弾「ゴッホ」の展覧会が当新聞編集室のあるガレージギャラリー(ドレミファミリア)で開かれた。
作品はすべてパネルの上に石を並べただけの状態のため、長期の展示は難しく、この日も2時間だけの公開となった。
4日の土曜日、朝、石が崩れないように慎重に運ばれた作品9点がガレージの床に据えられる。
「ひまわり」「星月夜」「自画像」「アルルの跳ね橋」
「郵便配達人ルーラン」「アルルの女」「ゴッホの寝室」「夜のカフェ」「種まく人」
いずれも絵の好きな人たちには超有名な作品ばかり、但し、石コロが並べられた状態からそれを見極めるのは難しい。
観客は「え?これはどっち側から観るのじゃろう」「いや、石は分るけど、何が描かれているか判別できんな」
それでも「あっ、これは分る、これはヒマワリじゃな」
「ひまわり」以外はかたちがつかめない。そこでスマホを取り出し写真で覗いてもらう。
「おお、こんなふうに見えるんじゃ」「あら、ちゃんと人の顔が写ってる」「まあ不思議じゃなあ、どうして私の目では見えないじゃろ」
人は見る時、どうしても石そのものを目が追ってしまい、なかなか姿が浮かばない。
この日も前回「ダ・ヴィンチ最後の晩餐」の取材をされたオニビジョンの岡本記者が作品にカメラを向ける。
(岡本記者)「芸術と言うと普通の人は良くわからないと敬遠するのですが、この作品はわかりやすくて、元の絵を観てみたくなります」
そう、元の絵を観ると、この石の作品とは少し違うことがわかる。なのだが、どこか共通するイメージが伝わるはず。
「次は何を作るのですか」ギャラリーの問いに作者は
「次がホントにできるかどうか不安なので、できた時に話します・・・」
観客が誰もいなくなった頃「さぁ、、やっと下で遊べるぞ」と2階からハシゴを駆け下りてきた我が家ネコ。 作品の上を行ったり来たりで、やはり開期は2時間だけの、幻の「ゴッホ展」となった(笑)。
(レポート・三宅 優)
久しぶりに早起きした午前7時、「朝だ、朝だーよ・・・♪」と口ずさみながら、歩いて「福わたり朝市」に出かける。
まん延防止処置で建部町販売所が臨時休業、出荷先を失った農家は大困り。そこで苦肉の策と急遽、その期間中(毎週~9月12日迄)土日に朝市を開くことに。
それを聞きつけて、福渡町内にも「緊急」の印が押された「お知らせ回覧板」が回った。
会場となっているのは国道53号沿いの建部トンネルを抜けて、すぐ右手の「八幡モーテル」駐車場。そこまでの道すがら何人かの自転車やバイクとすれ違う。
「早う、行かんと無くなるでぇー」近所に住むKさん。後ろのかごには大きなカボチャとナス。
白いテントが2基、、広い駐車場の隅に張られている。青いコンテナに並んでいるのはピーマン、オクラ、モロヘイヤ、ナス、玉ねぎ、キューリ、ジャガイモ、ツルムラサキ、トマト、ゴーヤ、ミョウガ、シソ、メロンウリ、カボチャ、ニラ、どれもがほぼ100円代、生花も並ぶ。大きなカボチャには「私、おいしかったです、食べてみて」の生産者のコメントが。
「あれ~、もうトマトがこれだけになってる、皆、早いわねえ」
知り合いのご婦人、慌てて来たそうだが、もっと先の人がいたらしい。
重たそうなカメラを抱え、そんなテント風景を収めているのはオニビジョンさん。
(記者)「朝早くから、ご苦労様」(オニ)「いえ、そちらこそ」
そのうち、近隣の人たちがほぼ出そろい、距離を保ちながらの会話。
「まあ、久しぶりねー、元気にしてた?」「まあどうにかねえ、そっちだって変わりはない?」
並べられたケースはいつの間にか買物難民の人たちにより半分ほどが空っぽに。
「まあ、明日もあるから、一番で来るわ」「そうよね、来週もあるから助かるわ」
農家と消費者をつなぐ朝市は、人と人の顔をつなぐ”いち(位置)”でもあった。
「福わたり朝市」は明日、9月4日、5日、11日、12日、朝7時から9時まで開催(少雨決行)。
(レポート・三宅 優)
以前、知り合いのお年寄りが車イスの生活になって聞かされた言葉。
「今思うと、何が悔しいかというと、もっと若い時にやりたいことをやればよかったとかでなく、つい最近のこと。
その時は歩けたのに、私はテレビの前に座って笑っていた、なんで一生懸命歩かなかったのだろう・・・」
失って初めてわかる、”自分の足で歩く”、この当たり前のことの大切さ、歩けることの喜び、そしてそのことへの感謝。
久しぶりに晴れ間がのぞいた日曜日、岡山でも蔓延防止で自粛が続く。せめて外に出て自然の空気に触れ、気分を解放しよう。
第411回目となった「建部町歩こう会」にこの日、同行
。
行程は例によって八幡温泉駐車場に集合、そこから親水公園の上の大宮橋を渡り大田地区へ。4つの神社とお寺を巡る、約8キロのウォーキング。
朝8時、参加者15名がそれぞれに距離を取り、マスク着用、会話も控えめに、いざ出発!
歩き始めて30分、すでに背中はビッショリと汗。道沿いの斜面にはいくつもの鉄砲ユリ。最初の目的地、熊野神社。
階段の数を確認してから自信のある人たちがお参り(記者断念)
そこから裏道を妙円寺へ。ここも自信のある方にお任せ。
途中、メンバー宅で休憩。ホッとくつろいで遠巻きでの会話。
「今日もなあ、どうしようか迷ったのよ、長く歩いとらんし、歩けるじゃろうか心配で、でもなあ友だちと会うのが元気になるのよ」
「そうそう、私だってそうよ、毎回、どうしようかって、でもなあ来てみたらやっぱり、楽しいのよ」
日吉神社、階段数、少にてお参り。お賽銭箱は本殿の中、最近これを狙ったドロボーが出没、まさに「罰あたりな奴」
天津神社、ここも結構、上まで行く。下りてきた時は11時も過ぎ、やがて誰ということもなく「う~ん、この先の天降布勢神社は次の機会に・・・」
遠くに青空、地上の天然サウナの中、気心知れた人同士、国道484号を出発点に向け、歩を進める。
次回は9月19日(日)行先は「吉備津彦神社&吉備津神社」
詳細はこちら
(レポート・三宅 優)
オリンピックが終わり、コロナは予想通りに拡大、今年もお盆の帰省をあきらめた人たちが、郷里に思いを馳せる。 西日本一帯は盆間中は大雨予報、一難去らぬ間にもう一難を迎えるか?何ごともなく過ぎてほしい、そんな願いの中、盆入り直前の建部の今を届けます。
8月11日、朝7時、今日も気温が上昇の気配。津山街道を石引乢を抜け上山へ、山頂の眺めを堪能。吹きよせる風にリラックス。
豊楽寺へ往く。お墓参りで行き交う車も多い山道もことのほか静か。仁王門の雄姿が迎えてくれる、何百年も変わらずここに建つ。
そのまま下神目に下る、途中に見事に咲いた蓮の池。 誕生寺川に出ると”水階段”が清々しい音を上げて流れ落ちる。
せっかくなので延江農園さんのアイガモにごあいさつ。
三樹山に抱かれて鎮守する志呂神社に参拝。
福渡駅、今年はここで「おかえり!」と出迎える光景も少ないだろう。 裏手の妙福寺では盆前の墓掃除に訪れる人がたえない。墓地の脇には「チアガールのボンボンみたい」な百日紅(サルスベリ)が満開。
商店街を抜け再び53号を南下、吉田の交差点「キシモトケーキ」の真ん前。この春、完成したばかりのコミュニティセンターは軽快な感じの建物。 これで大雨洪水警報が出ても心強い。
車で帰省する人が必ず、まっ先に目にするのはおそらくこの看板「ようこそ建部へ」
そこから旭川と土師方川の合流地点へ、ここから見える川の広がりは雄大。
建部駅、ちょうど岡山からの列車、12時30分着が入線。降り立ったのは2人、乗車はゼロ。 それでも駅舎は変らぬ風情で乗降客を待ち続けている。
建部小学校に向かう。周りを見渡すと青々と育った稲、「これぞ建部平野」の景色が広がる。
校庭の「タイヤのお山」も今日はひっそり。
建部上の七社八幡宮から山へ登る。記者とグルメレポーター合わせて127歳、「もう二人で登ること、たぶんないだろうね」と語り合いながら往く建部古道。
15分ほどで阿弥陀様、せっかくだからお賽銭とお茶をお供え。昔、遠足で誰もが眺めたゆったりとした旭川の流れ、鉄橋を津山線列車が通過する。
下山し「しあわせ橋」を渡る。今は水量は少ないが、カヌーの会場となる巨石の組まれた付近では白い水しぶき。ここはいつだって心が洗われた気分。
建部町観光物産案内所ではシキビが山盛りに、車が止まる度にそれを買い求めていく人。
八幡温泉にUターン、駐車場に新しくできた温泉水スタンドで「お家で温泉」気分を味わうのも一案。ここまで来たら足湯でミニ温泉も良い。
岡山市環境学習センター「めだかの学校」で気持ちよく水槽を泳ぐのは、天然記念物のアユモドキ。他にも旭川の魚たちが勢ぞろい。建部中学校ではは体育館の壁画とソテツの木がレトロ感いっぱいに健在。
今やたけべの台所となったスーパー「マルナカ」そして隣には「ザグザグ」。お盆中はいつも見慣れない若い家族連れでいっぱいになるが、今年は?それでも最近、車の数が確実に増えている。
お題目岩の前に立つ。「題目の岩にしみいるセミの声」 八幡橋のブルーのアーチを横目に最終地点福渡小学校へ向かう。
夏休みの校庭、つまらなげに遊び相手を待つブランコに吊り輪。
令和3年8月11日午後3時、福渡小学校の今。
(レポート・三宅 美恵子 写真・三宅 優)
「やっぱり、生のいい演奏は違いますなあー、ホンマに良かったわ」「普段、聞けない各楽器の紹介が楽しかったです」「あっという間でした、もっと聴きたかったわ」
本日、建部町文化センターで行われた「こども音楽鑑賞教室in建部」、終了後の大人の感想はまさに絶賛。子どもたちはというと、演奏中に退屈したふうな子は一人もおらず、一曲ごとに盛んに拍手。
開演、午後1時半、コロナの規制で一席間隔に設定された大ホール1階はほぼ満席。若い親子連れがほとんど、それと音楽好きの町内の高齢者(記者含め)。
2時、開演のベル、演奏者20数名が登壇、そして指揮者、山上純司 氏の登場。
1曲目 「ダダダ ダーン」といきなりのベートーヴェン第5番「運命」。各楽器がその与えられた旋律をみごとに奏でる。1楽章が終わり、指揮者から子どもにもわかりやすい
曲の説明がなされる。
2曲目、オッフェンバック「天国と地獄」より「カンカン」、運動会やカステラのCMでおなじみだ。自然と身体が動き出したくなる軽快な演奏。
そして楽器紹介へ。弦楽器、木管楽器、金管楽器、打楽器、ピアノとそれぞれの演奏者が音色を披露。聴衆は 「へーこんな音がするんだー」と感心したように首を縦に振る。
4曲目「ディズニーメドレー」パレードで流れる曲、これも楽しいリズミカルな演奏。
最後に最近まで話題だった「鬼滅の刃メドレー」バラード調の悲しみのこもった旋律に会場がシーンとなる。
盛んな拍手に応えてのアンコール曲はヨハンシュトラウス
「ラデツキー行進曲」。大きな手拍子、小さな手拍子、聴衆も演奏者の一人になって参加、場内が一つになった。
わずか1時間だが満ち足りたコンサートに足どりが軽い。
昔のテレビで流れたおなじみの口調で 「いやあー、ホントに音楽っていいですね!」
(レポート・三宅 優)
昨夜は北の空に花火の音が聞こえたような。「そうか、志呂神社の夏越祭だな」
ステキな演奏会から帰ってきた夕方、記者地区で行われる八幡神社の同様の祭りに出かける。
120の階段を昇ると、すでに数十人の年配者がお待ちかね。
井手総代長を先頭に「水無月の夏越の払いする人ぞ 千歳の命 延ぶと言うなり」と和歌を唱えながら、茅(ちがや)の輪をくぐる。
去年、お会いした人が今年は一人二人とおられない。1000歳(ちとせ)とは言わないまでも、もう少し長く居てほしかったなと頭をよぎる。
この異常な暑さとコロナの災禍、皆、不安を抱きながらの毎日。しかし、それでも前へと歩まねば暮らしは成り立たない。
できれば、今日の岡山フィルコンサートで指揮者、山上純司さんが最後に言われた「勇気をもって生きていこう!」を合言葉に。
(レポート・三宅 優)
久方ぶりの「たけべ人」紹介。
コロナは猛烈なハリケーンのごとくに地球上を席巻、未だにその落ちつき先も、今後の影響も予測がつかない。
誰もがかつてないほどの不安と手探りの毎日。それでもはっきり言えるのは、どうであれ人は生きていかねばならず、その基盤となるのはしっかりとした自分の足元。
今回のたけべ人、生まれも育ちも建部、この地で就農の道を進む入野龍之助さん。
(聞き手・勝部 公平 写真・三宅 優)
入野 龍之助(いりの りゅうのすけ)
1987年建部町生まれ(34歳)
建部中学から岡山理科大学付属高校に進学。
姫路の大学を卒業後、JA岡山に就職。
7年間の勤務を経て2019年5月、実家にて農業に専従。
目下、ぶどうの生産に力を注ぐ。
妻子と両親の7人家族。吉田在住。
(聞き手 勝部 公平) (ハウス内のブドウを前に)いや、すばらしいですね!これは何と言う品種ですか?
(入野)「シャインマスカットですね、今はこれだけでやっています」
今年の出来具合はどうですか?
「自分として、すばらしく良いとも言えないけど、今のところ、まあまあの出来だとは思います」
棟(ハウス)はいくつあるんですか?
「ハウスとしては5棟あるのですが、収穫しているのは1~4棟、次の準備とかも行いますので」
何房ぐらい収穫するのですか?
「うーん、どうですかね、天候にもよるし、2000から3000房、獲れるでしょうか」
一本の木でどれくらいの年数、収穫できるものなんですか
「植えてから10年から15年位は実を付けてくれますかね、この前の木は、僕が若い頃からありましたので、たぶん15年は経っているでしょう」
ハウス内ではこうした大きな機械で温度を保ちながら育てていくんですね、経費も掛かりますね
「そうですね、重油で温暖するのですが、経費は致し方ないですね、必要なことなので」
(場所を変えて)さて、さっそくですが、お生まれから今日までの経歴を教えてください
「1987年生まれの今年で34歳です。竹枝小から建部中学、岡山理科大付属高校、そのあと姫路の大学に4年いて、
卒業してからはJA岡山に7年間、勤務していました。2年前の2019年5月に吉田に戻って就農しました」
学校では何か部活とかされていましたか
「小学生のころはソフトボールで、中学、高校、大学ともバスケをやっていました」
お小さい頃から農業に興味がおありでしたか
「いえ、まったく(笑)、でも親がしているのを見ていたし、籾播きとかも手伝っていましたから」
JAではどんなお仕事をされてましたか
「営農を担当していました。ネギとか黄ニラの野菜部会を主にまわって農家の要望に対応して来ました」
じゃあ、その間の経験が今、活きているわけですね
「そうですね、まったく関係のない仕事ではなかったので、農業経営の大変さや高齢化の問題を身近に感じてきました」
(農業をやろうという)直接のきっかけは何かありましたか
「子どもの頃は継ごうとは思いませんでした、長男なのでいつかはというくらいです。でも、やめる1年ほど前から、この施設を定年退職してから受け継ぐのは難しいし、
親が元気なうちに教わった方がいいと考えはじめました。親からは農協に入ってからも、継げとは言われませんでした」
ブドウ農家を専業でやるのは建部ではあまりないのでは?
「ええ、これで生活していこうとするのは大変かなと思います。どうしても増やしていかなくてはならないし設備投資もある、僕は基礎があるのでやれているわけで。
野菜も作ってもいいんだけど結局、土地がいるし、まとまった使いやすい土地が特に必要で経営を成り立たたせるまでがむつかしいと思います」
その年代で農業をする人も少ないでしょう
「おそらく30代の僕なんかが一番の若手で、ほとんどは高齢者になります。野菜をやっている石井さんとか若い人は、まだごくわずかだと思います。
昔は家族で田植えの準備とかしていましたが、今はそうもいかず、歳を取ると体がうまく動かなくなるし、何人かでまとまってやるしかない」
そういう役割として営農組合があるのですね。組合の人からも学ぶことが多いのでは?
「ええ、僕は”戦後”を朝ドラでしか知りませんが(笑)、皆、戦後世代なので、ほんとにたくましくて、精神力、体力がたぶん違うと思います。
自分で生きていくことだけを考えていたと思う。今は自分で何とかしようではなく、すでにあるものに乗っかろうとするのが普通な時代ですから」
今の現状とかはどうお考えですか
「まあ、今はやはりコロナですねえ、特にお店をやっている人は大変だと思います、これからどんどんやっていけなくなるでしょう。
特に銀行から借り入れしているところは、いつかは返さなくてはならないですから。
逆にそういう流れで、田舎に帰って来る人が増えればいいとも思います。僕は都会で狭い家に住むのは苦手なので、それに無理して住む必要もないし、
コロナになると都会ではどこにも行けないですから。特に建部で言えば国道が中を通っているし、天候も比較的安定しているので農業をやるには好条件かなと、それにここは子どもが運動不足にならなくてすみます(笑)。そういった意味でも、この建部は住むには最高のロケーションだと思います」
これからの目標は
「ブドウで雇用を作ること、ここで仕事が見つからない人に一つの選択肢として仕事を提供できるようにしたいです。
それと将来的にはピラミッドをもっと大きくして、建部をブドウの産地にする。あとは皆が帰ってきても生活できる田舎にすることです」
どうも、ありがとうございました、ご活躍をお祈りします
(後記)
久しぶりに出会った、向上心の高い青年。
ご両親とは旧建部町時代からのお付き合いで、
お父上はブドウ栽培と稲作耕作を中心に地域の推進力として活躍。
お母上は町の高齢者・障がい者の支援施設で弱者に手をさしのべる活動をやって来られました。
そんな環境で育った若者が地域に戻って来た。
インタビューで
「働き場を増やす、雇用ができるような建部を目指したい」との頼もしい抱負を聞き、記者も感動を覚えました。
(勝部 公平)
(レポート・勝部 公平)
7月10日朝10時、富沢の里山建部広場に国旗が掲揚され「ボーイスカウト都窪・第2団」のキャンプが開かれました。
団員25名はテキパキとした行動でテントの設営、本部用のターフテントに備品の配置、仮設トイレの設置などの準備を進めます。
日本ボーイスカウト連盟は、1911年神奈川県の片瀬海岸で当時の乃木希典大将が最初のキャンプを行い、以来脈々と奉仕の精神を行動規範とした青少年育成スカウト団が活動しています。
都窪・第2団は庭瀬・撫川地区を中心とした活動をさかんに行っていて、建部の里山を会場として選んだ理由としては、第1に自然が豊かで地域を大切に守っている。
二つ目は自分たちで火を熾こし、炊事やキャンプファイヤーができることだそうで、あらためて人と自然の大切さを考えさせられました。
翌12日には、朝5時からテントの撤収、朝食の準備、朝礼と、規則正しい行動に感心させられました。
少しプログラムが遅れると団長から「自分たちで建てた計画なので、自分たちで完遂するように」との指導がされます。最近の子育ては楽しければいいという風潮がある中、人間社会に大切なリーダーシップの育成や行動規範のあり方などの体験がキャンプ活動の随所に表れていました。
この日は里山建部のメンバーたちも数カ月ぶりの例会で12名が参加し、池周辺の草刈りや植栽した桜の下草刈りなとを行いました。
池の周辺では、子供たちとの明るい挨拶が響いてきました。
最後に、団員たちは冬の間に作っておいたマキの運搬を手伝ってくれ、さわやかなしめくくりで帰途に着きました。
追記:参加したボーイスカウトの指導員さんとの一問一答
(記者・三宅)「ここでのキャンプはどうでしたか?」
(指導員)「自然に戻って、火が使えて、しかも歩いてスーパーに行けて、おまけにおいしいアイス(建部ヨーグルト)も食べれた(笑)、もう最高でした!」
(レポート・勝部 公平)
少しづつ落ちついた日常が戻りつつある、町中の行事も小規模ながらも再開され始めている。
この日、建部中学では「たけべ学習」が行われ、そのうち1チーム(1年生から3年生までの縦割り編成)が学校近くの田地子川で「生きもの調査」を行った。
午後2時半、20名程の生徒が網とバケツを手にどんよりとした空の下を歩いて河岸までやってきた。
指導にあたったのは水生昆虫のスペシャリスト能登先生、これまでも「かいぼり調査」などに関わって来られた。
この日の田地子川は雨の後の増水も引き、水も澄んで採集には最適な環境、ただ空模様が今ひとつはっきりせず、雨も考えて時間を早めることに。
先生から今日の目的や注意点、採集の仕方を手短に説明を受けた生徒たちは、さっそく水の中へ。
採集時間は20分、はたして短時間で成果は集まるか?
最初に「あっ、獲れた!」と歓声が上がったのは1年生のグループ。
「うん、これはカワムツだね」共同で授業に当たった岡山市環境学習センター「めだかの学校」の沖 指導員が答える。
獲れているのか、いないのか、ゴミがやたらとすくい上がる中、すぐに20分経過。時おり川面を吹き抜ける風が気持ちいい。
そのうち
「バケツを持って岸に上がって下さーい」
バケツから水槽に移し出されたのはなんと、ドンコ、ヨシノボリ、カワムツ、ヌマチチブ、シマドジョウ、オイカワ、そしてギギにカジカ。他にも、サワガニ、ミナミヌマエビ、ヤゴ、トビケラの類。いつの間にこんなに!
先生がその一つ一つを示しながら名前、特徴を伝えていく。
「カジカは水がきれいなところにいます、このサワガニもそうです。これはコオニヤンマのヤゴ、黄色と黒のきれいな縞模様のトンボになります」
そして、しめくくりとして「これらはどこにでもいるわけではなくありません、こうして地元の人がこの環境を大事に守っているから観ることができます」
と述べられた。
最後に「めだかの学校」の今後の計画について、「館内に”田地子川”をテーマにした水槽の完成をめざしています」 とうれしい企画も披露された。
(取材 写真・三宅 優)
場所は変わって、ここは竹枝小学校。以前もお伝えしたことがあるが、ここのヤギが死んだのが
、かれこれ半年以上も前。その間、子どもは言うに及ばず親、特にお母さんたちから「寂しいよねえ、ヤギさんがいないのって」「子どもがエサやりを楽しみにしてたのに」と惜しむ声、続出。
学校との話し合いで、お母さんたちが面倒を見ることを条件にやっと新しくヤギを飼うことに。
やって来た2頭の子ヤギは白と薄茶のメスで、名前は「只今募集中!」とか。
以前からあった場所に新しく家を作ってもらい、そこで寝起きをすることに。
そしてこの日、学校の授業の合間をぬって子どもらと念願の「餌やりお披露目会」が開催。
世話役の親たちが前もって刈っておいたイタドリやトウモロコシの葉を準備してその時間を待つ。
午前10時過ぎ、生徒たちのざわめく声、1年生から6年生までヤギ好きの子がゾロゾロ。
はじめは恐るおそる遠巻きに餌をやっていた子どもたちも、慣れるにしたがい、
「ん~もう、かわいい!」と体に触り、「ねえ、だっこしていい?」と次々にアプローチ。
授業の時間が近づいても名残惜しそうに。「お母さんに毎日、見に行ってねとお願いしたのー」
そうか、心配だものね、でも、お母さんたち、これからの長い年月、それこそ大変だなあ、ヤギ飼い(自称ペーター)記者の心配も募る。
(取材 写真・三宅 優)
たけべ新聞も5年を経て、コロナもありここで一休止。当、副編集長(三宅)も「産休」(本業の作品を産み出すための休暇)を宣言、かねてから構想の「石ころアート」の制作を始めた。
その最初の作品、レオナルドダヴィンチの「最後の晩餐」がどうにか完成、そこでこれまでの経緯をまとめてみた。
(話・三宅 優)
[きっかけ]
(三宅 優)「東京にいた頃はキャンバスに絵の具で描いてた。それが段々と古臭く感じるようになって、新しい表現方法を探すようになった。
でも、CGや映像を使いこなす能力は無いし、そんな時(11年前)ここに越して来て、周りが石ころだらけなのに驚いた。それで、これで何かできないかと思った」
[石を並べて描く意味]
「当初は石にペイントして、それはそれで面白い。ただ、作品に仕上げると、どうしても残しておきたくなる。
これまで、身内の絵を描いていた人が亡くなって、その処分に困る光景を目にしていたので、迷惑のかからない残し方はないかと考えた。
それで、子どもの頃よく一人で石を並べて顔を作って遊んだことを思い出して、じゃあ、それを写真に撮って残そうと10年ほど前から始めた」
[最後の晩餐を選んだ理由]
「家に古いフスマがあって、ずっと傷み具合を眺めているうちに、自然とその絵が結びついて来た。
この作品も傷みが激しいが、ダビンチのすばらしさを十分に伝えていたし、絵画史上でも最高だと思う。ただあまりに大作なので、すぐにはできないと考えていた。
それがこの数年、他のことに時間を費やされることが多くなって、すごく焦りが生じた。したいことから、すぐやろうと思った」
[制作の仕方]
「壁画の修復前の写真と修復後、それとNHKのCG再現図を参考に進めた。最初にデッサン(石で)した”手”の大きさからフスマの数を割り出した。それで11枚分とわかった。
進め方は下描きなし、全体を頭に描きながら最初の石を決める。そこから次の石へ、また次の石へと後はオーケストラの指揮者のように石のハーモニーを追い求める」
[結果]
「これを始めることの理由の一つにインスタグラムで残そうとの考えがあって(これだとさらに迷惑にならないから)、それには大きさや並び方などに決まりがあって、今回は9枚に収めることにした。結果的に無理な部分が出たが、もともと模写とか再現が目的ではなく、あくまで石そのものが生み出す新しいビジュアルを創り出したかった」
[希望]
「何もしなければ誰の人生も短い、十代でもボーっとしてれば、あっという間に老人。逆に何かをしようと思えば、今からでも時間は十分。
なので、”たけべ石ころだらけの美術館”を創りたい(笑)」
(話・三宅 優)
今日、日曜日は梅雨の合間の晴れ、となれば、たけべの定番「草刈りデー」。
ここ福渡側の旭川河川敷の桜並木の回りは、人の腰高ほどに伸びた草がボウボウ。
53号線から望めた「しあわせ橋」も見通せない。
まだ朝モヤがおおう6時半、福渡町内会のボランティア40数名が、草刈り機、熊手、カマを手に集合。
前の草刈りから約3カ月、回を追うごとに若い参加者が増え、頼もしい限りだ。
最近、移住してきた人の顔も見られる。
窪藪町内会長から段取りを聞くと一斉に 「さあ、やるか!」と作業にとりかかる。
草を刈る人、集める人、ホウキで掃く人、ゴミを集める人、みな「勝手知ったる河川の草刈り」とばかり手際が良い。
それにしても、今年の草は半端じゃなく大伸び状態、特にカズラがやたらとはびこっている。熱帯地方で見られるような葉っぱのデカい植物も。いつの間にか、日本が日本でなくなってきているのか。
やること1時間、あれほどのさばっていた大草もきれいに刈られ、桜の木の根元に肥しとして盛られた。
来たときに辺りを覆っていたモヤも消え、今日も暑くなりそうな日の光が照り始めた。
「ごくろうさまー」「どうもお疲れさまー」解散宣言。
「この後も、まだ家の草刈りがあるんじゃー」「そりゃあ大変だー」
それぞれの休日へとこのあと帰参した。
(レポート・三宅優)
6月も半ばを過ぎ、どこもジトジトと鬱陶しい。まったく降らないのも困りものだが、どんよりとした中、外に出かけないでいるとつい気が滅入る。
そうしていたら「里山建部」の仲間からこの時期を伝える写真が到着。一つは昨日の晴天を見事にとらえた佐藤誠 氏の里山風景。二つ目は山の道べりに咲くアジサイの光景、市議会議員、森田卓司 氏からの提供。
当新聞編集長も面目躍如と早朝の里山キャンプ地でシャッターを切る。それではと、記者も部屋に活けたアジサイの傍で出かけたそうに外を
眺めるネコをカメラに・・・。
集まったフォトを一枚にしてみると、先ほどまで憂鬱に感じていた梅雨の光景が急に輝きはじめた、伸び放題の雑草さえ愛おしく観えてくるから不思議。
都会にだってアジサイは咲いているだろう、だが此処の花たちの背景にはいつも緑深い自然がある。遠くに出た若者たちが、ふるさと建部を思い浮かべる時、それは一層、色濃くなることだろう。
(レポート・三宅優 写真・森田卓司 佐藤誠 勝部公平)
例年になく早い梅雨入りに異常気象の前触れと恐れる日々。コロナのワクチン接種も終わらない中、大雨、土砂災害の危険による避難を余儀なくされた時、はたしてこれまでの避難施設だけで大丈夫だろうか。
ここ建部町福渡学区の土砂災害警戒時の指定避難所はこれまで福渡小学校とB&G。他の施設は土砂災害の危険地区にあり、使えなかった。
しかし福渡町内から小学校まではおよそ3キロの距離、B&Ghaもっと遠い。高齢の町民にとっては車で行くしかなく、またそこまでの道が浸水することもあり現実的には無理。
こういった状況を受け、岡山市危機管理室では昨年から土砂災害危険地域に建つ建部町公民館の被害予想調査を専門機関に依頼実施。その安全性の確認を進めた。
その結果、建物に到達する土砂の量は高さ20cm位に過ぎず、山あいに新たな砂防ダムも作られ安全度が高くなっていると結論。
このたび正式に建部町公民館を土砂災害警戒警報時においても避難できる施設となった。
いやあ、正直(福渡防災団・副団長の記者にとって)こんなにうれしかったことは昨今ない。年々、ゲリラ豪雨は激しくなるのに、避難して一夜を過ごせる場所は、町の小さなコミュニティしかない。そばに、しっかりした公の施設があるのに使えない・・・/(^o^)\ナンテコッタ、だった。
杉山公民館長、地元選出の森田市議会議員、すばやく動いてくれた岡山市危機管理室の尽力があってのことだ。
さっそく、今月3日には避難所開設時の運営に当たる市の指定職員さん(5名)と当防災団役員とで、公民館長の説明を受けながら館内の避難場所や設備について確認を行った。
避難場所としては3階にある和室(25畳)、2階の旧図書室(カーペット敷)、1階の会議室(2部屋)の4部屋が使用できる。高齢化率55%、老人の多い町内ゆえ、畳でくつろげる部屋はありがたい限り。
だれにとっても、今までとは違う環境に置かれていることは事実、コロナを含め、豪雨被害ともども乗り越えていくしかない。
そのために日頃から準備をし、防災活動にも積極的に参加する、人任せにしないことが大切。自分の命は自分で守るが原則だ。
(記事・写真 三宅優)
コロナの影響で、里山も活動を停止していますが、メンバーたちはそれぞれベースキャンプに足を運び、季節を楽しんでいます。今日も梅雨の晴れ間の光あふれる写真が届きました。
「里山の小さなお友だち」、里山を散策していると、ついつい見過ごしてしまいがちですが、どれもその瞬間を精一杯生きています。
(コメント・勝部公平 写真・(里山会員)前原 慎一 佐藤 誠)
水門が閉じられ行き場を失った魚たちが、右に左にすばやく動きまわる。
田植えの準備に入るこの時期に、おそらく数百年前から行われていただろう建部を縦断する旭川の水を田に引き入れるための用水路の大掃除。
数キロに渡り延々と流れるこの用水に堆積した土砂やゴミで自然と水の流れが悪くなる。そこで、年に一度、水をせき止め、各地区住民総出のクリーン大作戦。
岡山市環境学習センター「めだかの学校」が主催する大井手用水の魚とり、記者が関わってから10年も経つだろうか。
昨年は中止し、今年はコロナの影響を考え半数の定員で募集したが、ものの1時間で満員御礼、キャンセル待ちが9家族も。
その人気ぶりは、一度体験した人には忘れられない魚とのダイナミックな対峙にあるらしい。
この日の参加者も「ずっと昔に、上の娘を連れてきたことがあって、そのとき大きな鯉が何匹も捕れたのを覚えていて、インターネットで調べて応募しました」
他にも「かいぼり調査によく参加していて、家族全員、魚、大好きなので、人から話を聞いて来ました」
さらに嬉しいことに、これまでこの授業に何度か参加し、今ではお父さんが岡山アスエコ指導員の資格を取り、中学生になったお子さんもその道を目指すまでになったWさん親子。今回はスタッフの助手として後輩の面倒をみる立場(あんなに夢中に魚を追いかけ回していたのに、すっかり大きくなって、早いもんだなあー)
正午過ぎ、用水口に集合した5家族17名は武藤館長、世話役の井口さんから説明を受け、さっそく、水の引いた水路に足を入れる。
水底には昨年、仕掛けたヤナ(魚の宿)が10数か所置かれてある。まずは、子どもらにヤナの筒をそっと持ち上げ、大網にドッと傾けてもらう。
いました、うなぎとナマズ。もうこうなると、興奮しきりの参加者はあっちでバシャバシャ、こっちでザブザブ。
50センチ級の大物3匹はブラックバス。外来種のバスがここで獲れるのは初めて、そのせいか、いつもは集団で見られるフナなどの小魚が少ない。
ナマズたちは今年も健在だ、一人が一匹、獲れるほどの数。
「あっ、お父さん、カニがいた!」女の子の網にはモクズガニ。
「この赤いのなんですか?」手で捕まえようとしたのは、刺されると痛い、絶滅危惧種のアカザ。
こうして、少人数精鋭部隊による魚とりは、ちょうど1時間で終了。さすが自ら応募するだけあって、どの子も果敢に魚に挑む姿が印象的だ。
岡山市アスエコの指導員、柏さんによる「魚の学習」を受ける。
「今日獲れた中で外来種が2種、ブラックバスとミシシッピアカミミガメ
があります。この外来種、どうして悪いか、
わかりますか、ブラックバス
は?」
「小魚を食べるから」(子どもたち)
「そうだね、じゃあ、このミシシッピアカミミガメ
は何を食べる?」
「レタス」(子ども)
「いや、レタスとちょっと違って、水草の新芽をぜんぶ食べつくす、だからいけないんです」
「へ~、そうなんだ」(親たち)
「この魚はタナゴです、そしてこれが二枚貝、でもこの二枚貝がいないと、タナゴは生きていけません、なぜでしょう?」
「タナゴが貝にタマゴを産むから」(ものしり子ども)
「同じ、二枚貝にタマゴを産みつける、この赤い目の魚はオスのカワヒガイです、何で赤い目をしてる?ゴミが入ったわけじゃないよ」
「???」
「これは婚姻色と言って繁殖期になると、こうして目が赤くなります」
「なるほどね~」(親たち)
つづいて、せっかくだからW先輩にも聞こう。
「この虫はなんですか」
(W君)「これは、コシボソヤンマのヤゴです、他にもコオニヤンマ、コヤマトンボなどがいました。あとこの小さい虫はナベブタムシと言って刺されるとメチャ痛いです」
「ああ、私の足にさっき、かみついたわ」(お母さん)
本日の採取結果、魚12種類(ウナギ、ナマズ、ギギ、アカザ、ヌマチチブ、カマツカ、カワムツ、ムギツク・・・チュウガタスジシマドジョウ*外来除く)
エビ・カニ類4種(モクズガニ、スジエビ・・・)他にスッポン、貝、ヤゴ類。
コイ、フナ、サツキマス、ドンコ・・・今まで見かけた魚たちが見当たらないが、これも自然の中での変化なのか、来年を待つしかない。
勉強をひと通り終えて「じゃあ、みんなで手分けして、外来種は除いて、魚たちを川に戻しましょう」
一匹、一匹、網から解き放たれる魚たちを「また会おうねと」子どもらの目が追いかけていた。
(記事・写真 三宅 優 写真提供・めだかの学校)
「どこにも出かけないで」と言われると、奇妙にも出かけたくなるのが人の心
?
建部町を縦断する国道53号線でも、このゴールデンウイーク、車の数がグ~ンと増えている。
南から北へ、西から東へ、何を求めて人は動く。町内のスーパーは見慣れぬ客のオンパレード、マスクをしていないことも気にかけない健康若者集団。
「オイオイ、ここは高齢化率50%目前の建部町、君たちが大丈夫なのはわかるけど、年寄りは不安に生きているんだよ」と言いたい気もするが、
自分の若い時もこんなものだったと知っているので止める。
空には鯉のぼり、いつもなら「ああ、もう5月か」と立ち止まり、幾方向からも写真に収めるのだが、コロナを身近に感じつつある中では気持ちも乗らない。
せめて、町内を散策する分にはいいだろう。久しく歩いていなかったが、ツツジが満開だ。ここの「ツツジロード」は手入れが行き届いていて、いつも”観せる”ツツジが並ぶ。
近所の家では、毎年、大きなボタンを咲かせるのだが、行ってみると見事、特大サイズが花開いていた。楽しみに育てている90歳のお年寄りに聞く。
「もうなあ、どうにか、今年も咲いてくれました。いつまで咲かせられるか、わからんけど、咲くとなあ、うれしいもんですよ」
新しい草刈り機を購入したので、試し運転。
「いやー、今のはよく切れる、こんなんだったらもっと早く買い替えればよかった」11年前に、ここに移り住んでまず買ったのが、マウンテンバイク、薪ストーブ、それと草刈り機。10年、ホントによく働いてくれた、と言っても、修理してまだ頑張ってもらう予定だが。(笑)
石を裏山から拾ってきて、並べてみる。石ころだけで作品はできる、何よりも経費が掛からない、環境に優しい、自然に戻せる、残されて迷惑になることがない(笑)
振り向けば、南の空に虹。何もなくても、どこに行かなくても、人生は十分に楽しい・・・。
(記事・写真 三宅 優)
なにやら”怪しい”?出で立ちの男性、右手に紙筒を持ち、自らブツブツと「な~んにも、あやしくありませんよ、あやしくないですよ」
それから「魔法の粉をパラパラパラ、パラパラパラ」そして「ワン・ツー・スリー・フォー!」掛け声とともに、あ~ら不思議、筒からコインがザックザク。おなじみのマジックの定番。
この日、約1年ぶりに開かれた建部町公民館主催「みんなの喫茶室」でのお楽しみコーナーでの一コマ。毎回、一人のゲストを招き、お話を伺ったり、得意な芸を披露していただく。そのあと、淹れたてコーヒーと手作りケーキを味わいながらの座談会がこれまで。
記者も10年ほど前、ゲストで呼ばれ、3回のテーマで1回目、絵の話しをして2回目、映画の話をした。次は文学についてと約束していたが、まだ3回目はお声が掛からない(笑)
再開、初回を受け持ったのは宮地にお住いの尾島 昭正さん。公民館で前に開かれた「手品の講座」の受講者で、その成果を持っての登場。
まずは、魔法の筒から始まり、ロープの不思議、3本のロープが2本になり1本に。3つのハンガーがいつのまにか数珠つなぎ、破いて細かくした広告紙が「エイ、ヤッ」で元の一枚に。
つづいては、ご存じ「皿回し」に挑戦。「あれれ、何でそんなに上手に回るの?」
観客の羨望の眼差しが一手に集中したのは、ただの紙きれが、なんと千円札に変わった時。
「ああ、これ私の家でも、してほしい、紙はあるから(笑)」
この日の会場はいつもの喫茶室ではなく、普通の会議室。飲食ができないのと換気上の配慮だろう、少し殺風景でもある。
しかし、それを感じさせなかったのは、
この日、尾島マジックを応援しようと集まった女性ファン。女性総活躍時代、男性より女性が多数を占めた「・・・喫茶室」の会は記憶にない。
演技中も「アキちゃん」「アキちゃん」と声が掛かり、昭(あき)ちゃんの人柄をうかがわせる。
さて、フィナーレは、な~んにもないはずの箱から「皆さんいつも明るく笑顔でお元気でネ!」の横断幕(拍手!)。
次回の「みんなの喫茶室 」は5月24日(月)午後1時半から。
(記事・写真 三宅 優)
昨日の大雨から一転して晴れ、建部の里山(富沢地区)は朝から大忙し。午前は街中からやって来た家族を迎えての「タケノコ掘り」。主催した岡山市環境学習センター「めだかの学校」の職員さんと記者(勝部)を含めた地域ボランティアで会場の準備。
密にならないように家族単位に椅子とテーブルを設置、里山の雰囲気を味わってもらうため、もみ殻で焼きいもをつくろうと松葉や小枝を集めて着火。
煙突から煙がもくもくと出始めると取りあえず準備完了、一安心。
今年の参加定員は例年の半分で申し込みを受付、この日、5家族16名の参加でスタート。何でも「めだかの学校」には申込開始と同時に予約が殺到したとのことで、
予約に漏れた方には大変申しわけないことになりました。
竹林山に集合した参加者は、さっそく山の持ち主、松本さんと杉本さんから竹の子掘りのデモンストレーションを受けました。そして広い竹林の中、家族単位で一人一本づつ大きな鍬を振りかざしながら次々と掘っていきました。
結果はどの家族も大収穫に顔をほころばせ、堀った竹の子の調理の仕方、糠(ぬか)を入れてアクとりをする方法などをしっかり聞いて「タケノコ掘り」は終了。
コロナのことがあり、昼食は地域のお弁当屋さんのおにぎりの支給となりましたが、自然に包まれてのランチはやはり格別。
その後タラの芽やフキとりなどをして里山を満喫して帰路につきました。
当日、記者(勝部)から「里山と循環型社会について」以下の話をさせて頂きました。
①日本人は世界の人々から「森の民」と言われるほど自然とのかかわりが深い国民。
②里山とは自然と人間の共生の場。
➂日本では循環型社会は古くからなされていた。
④これから大切なことは新しいかたちでの持続可能な循環型社会づくりで、そのための活動と教育が大切。
午後からは、同じ富沢地区にある足や腰にご利益があるという「腰折れ地蔵様」の春祭りに参加しました。
地域の篤志家が作られた手づくりのテーブルや椅子に座り18名ほどの参加で、成就寺の森本上人の先達で、花と緑の中で行なわれました。
例年なら交流会がおこなわれるところですが、この日はお供えのお菓子や飲み物は持ち帰りとなりました。
それでも集まられた方たちは、しっかりとお地蔵様に手を合わせたことで心がなごみ、マスクの下に笑顔が覗いていました。
(記事・写真 勝部 公平)
同じ里山でも、町中に位置する福渡。古来から旭川を行きかう舟の停泊地として栄えてきた。それはまさに里で獲れた物を町に運び、町でつくられた品を里に届ける循環型社会だった。
そんな里には必ず鎮守の森が祀られる。福渡には八幡神社がその一つ。
今朝は8時から、町内の人たちによる境内一斉掃除。高齢化が著しいのは日本の田舎町のどこもいっしょ、ここは55%に迫る。
それでも今日の顔ぶれは若い人が半数。
皆が共通に大事にしようとするものがある、それこそが持続可能社会のカナメと言える。
午後からは、当方(記者宅)もタケノコ掘り。と言っても、食べるためではなく除去。
雨から一日で、それまで気配さえなかった場所に「ドデ~ン」とそそり立つ。放っておくと道にかぶさるまでに育つので、その前に対処。
見ると、あっちにもこっちにも「ニョッキ、ニョッキ」
「この生命力があれば高齢化も過疎化も少子化もないだろうなあ」ふと考えてしまった(笑)。
(記事・写真 三宅 優)
当新聞でもこれまで何度か取り上げてきたが、建部町に数多く点在する空き家、その活用を推進しようという任意組織「たけべ家おこしプロジェクト」(勝手に略して”たけべ家オコ”)が
立ち上がって1年。その間はコロナ災禍で際立った活動をやむなくされてきたのはどこも同じだが、それでも2カ月に1度の役員会は続け、
ライン上でもメンバー間でグツグツと煮詰め作業が行われてきた。
たぶんこれは組織が立ち上がる中での試金石で、具体的には売り主と探し主との思惑の差をどう標準化していくか。はじまって間もないが、すでにわずかだが関わる中での失敗、成功を体験、その過程で組織のプロ化の必要性が明確になってきた。
この日は数カ月ぶりに会する理事会。今回も役員以外に岡山の大学のインターン生
が聴講に参加とあって、おじさん、おばさん(失礼!)らは若者を前にやや緊張気味。
(垣本会長)「え~と、今日は次年度の活動計画を練るわけですが、その前に近況報告をどなたか?」
「ハイ!」記者(三宅)が手を上げる。
「私は担当するF町内の空家について情報収集したのですが、この活動についてまだ知らない人が多くて協力を得るのがムツカシイと感じた」
さっそく、「そうだ、地元に対しての広報紙(回覧板)を作ろう」とメンバーが提言、方向決定。
続いて田地子区長の本田さんから、
「かねてから上げてあった民家が借手が見つかり、今度、私が中に入り、双方で取り交わしをいたしました。これがその見本です」
さすが実務に長けた本田さん、今後、不動産屋さんにお願いするほどではなく、ちょっとした紹介での家利用が増える可能性があり、それを前提にした取り交し書。
「これはよくできていますね、さっそくこれを基に借り手と貸し手が迷惑をこうむらないような内容に標準化しましょう」と、これも一歩前進。
(垣本)「では、次に移ります、次は来年度の活動計画についてですが・・・」
(大塚)「前回までの案では、空き家調査の進展、空き家の活用と相談窓口のパンフレット作成、インターネットでの情報発信などがあります」
この後、具体的にどの施策を推し進めるか意見が交わされる、と言っても”会議然り”で進むわけではなくお悩み相談あり、横道脱線あり。(この”井戸端会議風”がマコトよろしい)
一通り終え、聴講していたインターン生に感想・質問を聞く。
(A君)「定住してもらうための支援策とかは考えていますか?」
(平田副会長)「いえ、まだ、そこまではできていません、スミマセン・・・」(笑)
(Bさん)「回覧版は良いアイデアだと思いました」
(Cさん)「私は(情報は)ラインとインスタだけですが、マンションなので掲示板は観ます」
なるほど、奇しくもこの日、テレビ情報世代とスマホ情報世代が会しているわけで、これからはこの組合せが必要だと感じた。
閉会後、メンバーはそれぞれに「じゃあ、ラインに案を上げますから、ヨロシク!」(笑)と声を掛け合い帰路に着く。
令和3年春、ここから自分たちの住んでいる地域が変わる?たとえ実を結ばなくったって、そんな予感がうれしい・・・。
今「たけべ家オコ」が”オ・モ・シ・ロ・い!”
(記事・写真 三宅 優)
久方ぶりの「たけべ人」紹介。コロナ禍で人との接触に敏感になっている社会の中で、マスコミ記者に限らず当新聞も自粛する傾向が続く。
そんな折、「oniビジョン」の松本記者から「4月の移動で建部町担当が兵藤(ひょうどう)と言う新しい者に変わります」との連絡。
「ついては、その者といっしょにご挨拶に行きますがご都合は?」と聞かれ、「そうだ」と思い付いた。
「じゃあ、久しぶりにその方を紹介がてら”たけべ人”に登場して頂こう」
事前情報もまったくなし。さてさて、兵藤記者はどんなパーソナリティなのでしょう。本文をごゆるりとお読みください。
(取材・勝部 公平 三宅 優)
*掲載の写真は兵藤 氏より提供を頂きました
兵藤 秀郷(ひょうどう ひでさと)
昭和47年、名古屋市に生まれる。小学校2年生の時に岡山市へ移る。
一之宮高校を卒業後、岡山大学教育学部に入学。
社会人となりコンピューターのソフトウェアの会社に勤務したのち、26歳で北海道紋別の新聞社に入社。
その後、新聞社、放送局と職を重ね、2018年より「oniビジョン」にて働く。
(たけべ新聞) お生まれは名古屋だそうですが、岡山へはどういった縁で?
(兵藤)「小学校2年生のとき、ちょうどバブルの頃だったんですが父親が岡山に転勤しまして、その関係でこちらに住むようになりました」
じゃあ、学校もこちらを出られたのですか
「ええ、一之宮高校を出てから岡山大学教育学部に入学しました。その前の中学では学校がコピーをしてくれて校内新聞を出したりしていました(笑)」
えっ、もうその頃から新聞をやりたいと思っていたのですか
「そうですねえ、興味を持ったのは小学校高学年の時で、もともと母親が長野の諏訪でタイプ印刷屋をやっていたのですが、そういう影響があるのかなと思います。
一之宮高校には新聞部がありましたので部長をしていました。大学に入っても新聞教育に関心がありました」
それで、新聞社で働くことになったわけですね
「いや、初めはソフトウエァの会社で働いていたのですが、その頃、たまたまスロバキアを旅行中に日本人のフリーライターと出会いまして、
ヨーロッパではフリーが格上でやる気次第だと言われ、刺激を受けたのがきっかけです。26歳の時、ネットで”記者募集”と検索して、北海道、紋別の新聞社が応募しているとわかりました」
いきなり北海道の紋別へ行かれて、どんなことをされてましたか
「紋別市はオホーツク海に面した場所にあるのですが、そこに北大の低温研究所の流氷レーダーがあるんです。それが自分の新聞に”今日の流氷”情報として載るんです。日常的に流氷は沖合に見えるんですが、接岸して来るとずっと冷え込むんです。
新聞は紋別市を中心としたローカル紙だったのですが2000年初頭の北海道の地方都市というのは、いわゆる地域の衰退が本土で起きる10~15年早く進んでいてあちこちで見受けられました。人口の減少が極端で目に見えてわかるくらいに、そんな中で取材をしていました」
なるほど、そこからはどうされましたか
「ええ、そこに4年いて長野日報へ移りました。長野日報は諏訪市を中心とした地方紙なのですが、もともと親の出が諏訪だったので縁がありました」
そこでの仕事は?
「整理部に所属して紙面組をしたり、外の支局を回ったり幅広い仕事を覚えられました。
特に印象に残っているのは、当時の岡谷支局長から原稿の描き方、取材の仕方について学んだことで、”5W1H”、いつ、どこで、だれが・・・以外の”何故そうしたか、そうなったのか”それを聞くのが記者の仕事だと教わりました」
いい出会いがありましたね、それからどうされましたか
「2007年まで長野にいて、それからNHK札幌放送局の岩見沢報道室に入りました。それと言うのは、岡大の頃、アルバイトでNHKのカメラ補助員をしていて、その時の知り合いから声をかけられました」
またまた、ここでの仕事をお聞きしますが
「ここではもう、夕張市の財政破綻から再建の5年間をほぼどっぷりですね。それまで北炭に頼り切りだった行政が石炭から観光産業に向かうと言って、テーマパークをつくったりスキー場を開設したのですがことごとくダメで、その負債をずっと隠して来たのが破綻の原因です。
バブル時は中田鉄治さん(元・夕張市長)が、自治体は倒産しないと言ったそうですが。
2008年、ロボット大科学館の解体を取材したのですが、ロボットが壊される情景が記憶に残ります。
それと2011年の統一地方選挙で現・北海道知事の鈴木直道さんが、夕張市長に立候補して史上最年少で市長に選ばれたこと、これもみっちり取材に当たりました」
建部でも、そのミニ版のような「釣りと桜と温泉の町」観光立町を謳った時期がありました
「そう、あの当時、地方で盛んにそんなことが行われていましたね」
結局、広告代理店か何かに乗せられただけで終わりました(笑)夕張からはどうされましたか
「5年、夕張にいて、それから広島放送局の制作部門に移りました。テレビニュースのセクションで、夕方のお好みワイドを中心にローカルニュースをつくる仕事でした。
ここでは5キロくらい離れた下宿先から会社まで広電に乗って、初めて通勤定期で通ったのが記憶に深いです。それまで、そういった決まった職場を往復する仕事ではなかったですから(笑)」
なるほど、それからまだ転機が訪れましたか?
「はい、これまで札幌、広島でも契約社員だったので正規社員の職を探していたのですが、たまたま北海道の遠軽新聞社から正規でと声をかけられまして、再び北海道に行きました。
そこで、ゆくゆくは親を呼び寄せようと考えていたのですが、2015年に母の病気がわかって、看病のため岡山に戻りました」
長く岡山を離れていて、戻られた時の印象はどうでしたか
「丸15年、離れていましたので、それこそ浦島太郎だったですね。合併して政令都市になって御津や建部が岡山市だとは思いもよりませんでした。区役所があるのも知りませんでした(笑)」
それで、oniビジョンさんで仕事をされるようになったのはいつからですか?
「母が亡くなりまして、岡山の家から通える所ということで2018年から。でも年齢もありましたし、まさか岡山でこの仕事ができるとは思っていませんでした」
好きな仕事ができるのが一番ですよね。さて仕事の話しばかりお聞きしましたが、仕事以外の趣味とかはお持ちですか
「絵を描くのが趣味ですかね・・・」
ほう、絵ですか、どんな絵を描かれるのですか
「ポンチ絵から水彩まで、幅広くやっています」
(松本記者)「以前、動画にイラストが必要で描いてもらったのですが、サササっとすごい速くて上手なんで驚きました(笑)」
「建部ニュース」でも観れるといいですね。あと、好きな食べ物とかありますか
「蕎麦(そば)が好きですね」
では「〇〇亭」とか「△△庵」とかを食べ巡るわけですか
「いや、長野なので、あくまで信州そばです。高校の時、学食の食券機に”ソバ”と書いてあったので、”おっ蕎麦そばがある”と押したら、ラーメンが出てきた。
それで、そうかー、岡山ではソバと言えば、中華ソバだったと気づきました(笑)」
たしかに、岡山人はラーメンの方が好きでしょう。では最後に、これから建部を担当されるわけですが、抱負をお聞かせ下さい
「そうですねえ、まあ今まで辺境の地でやっていたわけですし、どんな地域でも過疎はあるわけで、ただこれまでこの地域で誇れる良さというのを拠り所に暮らしてきたので、
そのことを目に見えるかたちで伝えていけたらなと思います」
どうも、ありがとうございました、ご活躍をお祈りします
(後記)
子どもの頃、描いた夢、それを実現している人はどれだけいるだろう。自分が将来なりたいと思った仕事に就けている、それは何よりも幸福であり羨ましいとさえ言える。
兵藤記者はまさにそういった一人だろう。提供いただいた写真からは、自然の持つ厳しさやそこに生きる人々の温もりが伝わって来る。本人は「いえ、自分の好き勝手に生きてきただけで、今になって親不孝だったことを嘆いています」と反省しきりだが、お母様も
息子が夢を追いかけている姿にきっとご満足だったに違いない。
建部でのこれからの活躍に期待したい。
(レポート・三宅 優)
日曜日はあいにくの雨、楽しみにしていた花見がお預けとなった人も多いのでは。
風もあって、花びらが道に散在しているのが目につく今朝。それでも、旭川の河川敷では満開の桜が迎えてくれていた。
恒例の福渡町内会主催の健康教室「すずら教室」、さくら祭が今日ここで開かれる。
思いかえせば、建部に越してきて間もなくこの教室に講演で呼ばれた。
「建部の田舎暮らし」について話してくれということだった。何を話したか覚えていないが、ビンゴの景品でワインをもらったことを覚えている。
あれから10年、今はこの会の世話をする立場に変わった。でも、その時の会長であった大橋さんが、今でも会長を務めているのだから頭が下がる。
午前10時、コミュニティに集まった参加者は35名。申込数とピッタリ、一人もかけることなくご自分の力でここまで来られた。
花見の前に少し勉強をと、福渡駐在所の田中巡査が「春の交通安全」「特殊詐欺」について、その防止のポイントについてレクチャー。
「車とぶつかって勝った人はいません」「電話機は留守電にしておけば、留守電に話しかける詐欺はいませんので」(笑)ユーモアたっぷり、そして何よりもわかりやすい。
11時には河川敷まで歩いて移動。前方、数百メートル、鉄橋下を抜けて幸福橋の架かる向こうまで薄桃色の並木が続く。まさに桜花爛漫。
間隔を開けてイスとテーブルが用意される。
「みなさん、ソーシャルデイスタンスをキープして、それぞれに桜をお楽しみください」大橋会長のあいさつで言われた難しい横文字が、気がつけば聞き慣れた言葉に・・・。
建部町物産案内販売所から、かわいいお花見弁当が届けられた。
「まあ、きれいだけど、ちょっと足りないかも」「えー、私これでもけっこう多いわ」それぞれが、それぞれに感想を述べながら時間はのんびりと過ぎていく。
目の前に大河のせせらぎ、見上げればびっしりと咲くサクラ、サクラ、サクラ。
おいしいものを食べた後のお楽しみタイムと言えば「ビンゴー!」
子どもからお年寄りまで、いつの間にか真剣になってしまう、このゲームを考えた人はえらい!
さっきまでのおしゃべりは止み、ただひたすら耳をそばだてカードと睨めっこ。
時おりこぼれる「ああー」「もうー」の嘆きの声。
そのうち、「あっ、できた!」と最初のビンゴ。
景品は大橋会長が2時間かけてお店で商品を選んで買ったと言うだけあって「オリーブオイル」「シーチキンセット」「源氏パイ」「チョコアマンド」「昆布」「煮込みラーメン」とご婦人好みに多種多彩。
記念撮影は全員が並んで一瞬だけマスクを外して「ハイ、チ~ズ」
そして「パシャ!」
(取材・写真 三宅 優)
校門を入ると桜の花が3分咲き、卒業式会場の体育館前はパンジー・ビオラなどが満開に咲き誇っています。
建部小学校の今年の卒業式はコロナ過の中、マスク・手洗い・換気を徹底し、密を避けるため1年生から5年生の在校生は教室で授業、卒業生とお父さんお母さんが向かい合っての式典です。国歌や校歌斉唱も「声を出さずに伴奏にあわせて、心の中で歌ってください」との案内で、めいめいが静かに思いを込めて歌っていました。
片山校長先生からのはなむけの言葉では「夢はかなえるもの」と題して夢を持つことの大切さや、今の自分を輝かすことの大事さが話され、卒業生一人ひとりの素晴らしいところを見つけて語られました。
体育館の壁面には卒業生22名の将来の夢がイラスト入りで張り出されており、「警察官」「プロ野球選手」「卓球選手」「プロゲーマー」「エスティシャン」 「NBAプレイヤー」「科学者」「看護士」「新幹線の運転手」「お花屋さん」「サッカー選手」「薬剤師」「大工さん」「プログラマー」「医者」「ゲームクリエイター」「Youtuber(ユーチューバー)」などが描かれていました。
新型コロナで長い休校があり、夏休みではプールに入れず、例年の奈良・京都の修学旅行が県内の瀬戸内・倉敷旅行に変わっても、今日の状況を考え、誰かのため社会のために我慢して受け入れてくれたことのすばらしさを紹介され、ご両親も成長した我が子をあたたかく見守っています。
卒業証書授与からはじまり、校長先生のはなむけの言葉にいたるまでジーンと思い出に残る式でした。
(取材・写真 勝部 公平)
当新聞「たけべ見遊」でも特集を出したが、桜前線はもうすぐそこ。
「今日を逃したら来週には咲いてしまうで」福渡町内会、窪藪会長も若干あせり気味。それもそのはず、まだ河川敷の草刈りを終えていない。
せっかくきれいな花を観に来らて草ボウボウじゃ恥ずかしい。ということで、本日、福渡町内会挙げての大清掃。
記者(三宅)は町内会の役員なので、現地にホウキや熊手やらを載せて集合30分前に到着。朝7時半、一番乗りかと思いきやすでに10数名が待機。
「もーう、年寄りは気が早いんだから」と、こぼしながら顔ぶれをみると、皆、記者より若い人たち。いつもなら仕事でめったに会うことのない面々。
「あぁ、ひさしぶり!」(記者)
「どうも、ごぶさたしています!」
「おかあさん、元気にされてます?」(記者)
「ええ、今朝もグランドゴルフに行くとかで準備してました」(笑)
そうか、今日はグランドゴルフと掃除がぶつかっちゃったのか。うちの地区でも草刈りが重なって、そっちは当グルメレポーターの役だ。
まあ、年寄りが忙しいのは良いことだ。
開始時刻が近づくと参加者は次々と増え40数名に膨れ上がっていた。
「こりゃあ、生えてる草の数より多いなあ」(笑)と誰かの口から嬉しそうなつぶやき。
ケーブルテレビのオニビジョン、松本記者も取材にやって来た。
この日は道の土手際と桜の下の草刈り、併せて数百メートルに渡って提灯を吊るす作業。この昭和レトロなボンボリが年寄りには妙に心馴染むらしい。
いっせいに動き出した草刈り機の音はものの30分ほどで鳴り止んだ。やはり人の数の力は大きい。提灯も遠く鉄橋下までつながっている。
順次「おつかれさま!」「お先に!」
「どうもご苦労さま」
「つぎに会うのは花見だよね?」
そう、町内会の花見は再来週の29日、きっとまだ咲いてくれてると思うけど・・・(笑)。
予定よりずいぶん早く切り上がったので、グルメレポーターが出張っている石引の草刈りに回る。
ここは草刈りというより道路を覆い始める木の伐採が主。草刈り機よりチェーンソーがものを言う。
「バリバリ、ミッシーン!」マキにちょうどいい位の中木が3本、4本と倒れていく。
ここに移って11年、ずっと同じメンバーでこの作業をやって来た。いつまでやれるだろう、そう言って今日まで・・・。
午後からは雨の予報
、「さあ、みなさん、早いうちに終いにしましょう!」
(報告・三宅 優 写真・井手 誠二)
鳥の声一つ聞こえてこない静かな午後。こうした時間が、あの日も過ぎていた。
3.11あれから10年、自らのことを振りかえれば、なんとかよりよく生きようと闇雲に前へ前へと突っ走って来た。
午後3時、10回目の灯ろうを浮かべに石引の池に行く。
10個のサークル、そこに取りつけた、町の人らから届いた牛乳パックに灯りをともす。楽なつもりでいても、2人でとなると結構、時間がかかる。応援の編集長、犬のフクちゃんと飼主のじいちゃんの協力で、何とか設置。
帰ると、忘れずにいてくれた近所の人たちから心づけが寄せられた。今年、福島の子どもたちを招いて岡山で保養させる活動に寄付したい。
午後5時半、まだ空は明るいが庭に置いた灯ろうに火を入れる。一つづつゆっくりとていねいに。風はないのに炎がゆれてすぐに消える、点灯したてはデリケートだ。
そこに応援団、やって来る。ピッツェリア「マル屋」のモモちゃん直々にピザの差し入れ。
「じゃあ、頑張らなくっちゃ!」
静かな夕刻、すべての灯ろうに火が灯る。
やがて外はしっとり暗闇みはじめ、庭の灯ろうにオレンジの切抜き窓が浮き上がる。
「ふしぎだね、この10年で一番おだやかな一日だったね」当新聞グルメレポーターがポロリ。
そう、やっと戻るところへ戻ったのかもしれないね、一人一人がそれぞれの思いで震災で亡くなられた
人へ手を合わせる、それが今日からなのかもしれない。
夜、池の明りはぼんやりと、でも鴨たちを驚かせることもない、わずかな”ともしび
”。
さあ、今日の大事な節目を終え、僕らの残り時間はごくわずか。
子細なこと(ましてや金儲けなど)に関わっている時ではない。より大事なことへ、より大切な人のため、すべてを捧げることにしよう。
(報告・三宅 優 写真・勝部 公平)
当新聞「たけべ楽考」でも特集しているが、東日本大震災から10年を向かえる。
ギャラリー前の貯水池に一つの灯ろうサークルを浮かべたのが遠い昔のようだ。
あれから世界で日本で、自身の回りでもさまざまなことがあった。希望が失望に変わった日、新たな希望を見出した日、その度に心が「どんぶらこ」と揺れ動いた。
10年目の3月、今はどうだろう?波の上をただ漂うだけのようでもあり、急に脚をバタつかせ焦っているかのようでもある。
震災から10年を振り返ることは、自分のこの10年を振り返ること。
それぞれが、それぞれに生きてきたこの10年、間もなくその節目がやって来る。
今年、用意された牛乳パックは300個。
そのパックの側面に切り込まれた図柄は「十」のマーク。
これをサークルにして池には10個を浮かべる。
当新聞グルメレポーターが「コロナのこともあるし、今年は原点に戻って二人でやろう」と言い張るので、
お天気しだいだが、まあ心を込めてゆっくりとやればよい。
3月11日の空模様は目下、晴れ。波も穏やかだといい・・・。
(レポート 三宅 優)
先日、竹枝小学校に子どもを通わせるお母さんから、
「今度、学校の前の河原で”水辺の楽校”を開いて、親子で春の七草をみつけてお粥にしようってなったの、こんな時期で室内では何もできないから。よかったら観に来てください」とお声がけ頂く。
たしかに例年なら、この月は「ふるさと学習」発表会が開かれ、理科大の学生さんも参加して「かいぼり調査」の報告がある。
毎回、大盛況でそのままだと3密を防ぐのはむつかしいのかもしれない。
前回レポートをした里山の体験学習「親子環境学習フォーラム」に続き、晴天の土曜、”たけえだ水辺の楽校”へと向かう。
陽射しはすっかり春だとはいえ、吹きよせる風はまだ冬の冷たさ。竹枝小学校、駐車場には数十台の車、午前中は授業参観が行われている。
せっかくなので遠巻きに体育館の授業を見させてもらう。5年生の図工の時間だ。でも先生のお話はスクリーンを前に「タブレットを起動させて写真をピックアップ・・・」と手順を説明。
鉛筆で靴を写生する・・・これは記者も半世紀以上も前だがやっていた。でもモチーフは靴そのものではなく、まずタブレットで自分の靴を撮影して、その中から1点、気に入った構図を選んでそれを見ながら描く。
慣れた手つきで写真を何十枚も取り出し、次々に選択・削除する子どもたち。
「なーるほど、単なる図画ではなく同時にパソコンの操作と情報の処理、自分に必要とする写真を瞬時に見分ける目を養う、スゴイ!」
頼もしい授業を終えたらすぐに下校時間、走り出す幾人もの子どもたち。ヒンヤリとした風も吹きとばすいきおいだ。
行き先は、前を流れる旭川。
途中、いつものようにヤギを観ようと探したが、からっぽ。
「そうなのー、ヤギね、死んじゃったの」「えー、だって、まだ若かったのに」たしか記者の飼っているヤギたちよりも後にもらわれて来たはず。
「生きものがいなくなると、さみしいよね」大の動物好きなお母さんもションボリ。
「しょうがないよ、命あるものはいつかは・・・」そう口にした記者もちょっぴりさみしい。
河川敷では”水辺の楽校”の先生で地元の川原さんが大鍋を沸かしてスタンバイ。さっそく授業が始まる。
(川原先生)「今日はね、みんなに春の七草をつんでもらいます。もう七草の授業は何年もしてないので、覚えている人は少ないかな。春の七草、言える人?」
それぞれてんでに「ごぎょう、はこべら」「なずな せり」「ほとけの・・・」
(川原先生)「おぉ、いきなりそこから来たか、”せり なずな・ごぎょう はこべら・ ほとけのざ・すずな すずしろ・はるのななくさ”だよね。
これは昔は旧暦の1
月7日の節句の日におこなわれていたんだけど、今だと2月の初旬から中頃にあたるのかな。だから今日は2月の下旬だけど良しとしてみんなで七草をとりましょう」
手に手にザルを持ち校庭横の田んぼへと向かう。この竹枝小のすばらしいところは川で遊べる、生きものが飼われている、学校に田んぼがあること。実際、地域のお年寄りらから田植え、草取り、稲刈りまで教わりながら体験する。
学校と地域の協力があってのことだが、なによりも教育を学校任せにしない、大人たちの責任意識が強いことが特徴。
さて昼も近くなったけど収穫のほどはいかがかな?ザルには山盛りのぺんぺん草(なずな)に、ひよこ草(はこべら)。
「これって、コッコ(ニワトリ)ちゃんがだい好きなんだよ」
コッコちゃんを飼っていた(?)お母さんが、娘に戻ったような顔で話しかける。
さて七つのうち、すずな(かぶ)すずしろ(だいこん)は用意されてるし、残るは「せり
」
川へUターン。河口にできたビオトープ、そこに群生するのはセリ。
七奉行そろい踏みで、後はショウヤクのみ。親子で「これは何」「これは〇×△じゃない?」と一つづつ手に取って仕分けしながらきれいにしていく。
「おかあさーん、もう、おなかすいたよー」
「わたしもー」
時間は正午をまわる、大鍋ではお粥が湯気を立てて七草が来るのを待ち構えている。
「できたよー」川原先生のひと声に、マイ箸、マイお椀をかかえて子どもらがかけ寄る。
「う、うま~い」「あちちち、フー、あついー、けどおいしい」
川のせせらぎ、トンビの舞う青い空、春の芽吹きを足裏に感じながら食べる炊きたての「七草がゆ」
「お代わりは何回した
?」(記者)
「ぼく、四捨五入で10回(6回)!」
川原先生が搗(つ)いてきてくれたお餅も入れて記者もいただく。
「ううー、うまーい!」思わず、
「・・・お、おかわりくださーい!」(笑)
”たけえだ水辺の楽校”はその名のとおり、楽しく学べ、そして・・・「おいしいー!」
(取材・写真 三宅 優)
建部の”売り”ともいえる里山の体験学習。しばらく行われずにいたのだが、今日ひさしぶりに市内の親子を招いての授業が行われた。
「親子環境学習フォーラム2021」、地元の有志と岡山市環境学習センター「めだかの学校」の協力で開かれるこの催しは、
里山の暮らしに肌でふれられると毎年、大人気。リピーターの多いのも特徴。
コロナ禍で募集は半分となったが参加者はそれでも親子で7家族16名。
ベースキャンプはいつもの建部町田地子地区にある多自枯鴨神社。
朝8時半、めだかの学校で受付をすませた参加者は車で田地子地区へ移動。町の風景がしだいに奥深い山里の景色に変わる。
到着したのは千年以上の伝統を持つ地元の神社。鳥居をくぐると大きな木々が「よく来たね」と迎えてくれる。
境内ではすでに地元の人とスタッツフが火が起こして用意万端とお待ちかね。さて開会のあいさつ。
実行委員長(実は記者)より「自然の中で遊び、たのしかったなあーって思い出をつくって帰ってください」
では活動①「花炭づくり」
里山にある自然のもので炭作り。松かさ・ドングリ・栗のイガ・ツバキの実・・・を空き缶に納めてスクモを入れ熾った炭の上で焼くこと2時間。
つづいて活動②「焼いも作り」
スクモ(お米の殻)の山にエントツを立てて火を入れる。モクモクしたらぬれ新聞紙とアルミフォイルで包んだサツマイモをもぐり込ませて、これも待つこと1時間。
活動③「竹細工づくり」竹を使ってこんな遊びができるんだよ。
一つは、おなじみ「ヤジロベー」竹ひごを火であぶってカーブさせドングリを真ん中と両端につけると「あらっ不思議」一人でバランスとってゆ~らゆら。
二つ目は「竹デッポウ」しの竹を切り、筒にしてくす玉を詰めて細いしの竹棒で押し出すと「スッポンー」と玉が飛び出すよ。
三つ目、「体操人形」竹の弾力性を利用して、竹に通した糸をゆるめたり、張ったりして竹人形に鉄棒をさせるんだよ。
間もなくしたら境内に「ポ~ン」「スパーン」「ポンッ」の音が鳴り始める。
講師の先生らもそれぞれの工作のやり方を子どもから(親御さんも)の質問されてんやわんや。
「これ、どうして飛ばないんですか」(講師)「それは、玉が小さすぎるんだよ、もっと大きいのをさがしてつめるといいよ」
「竹を曲げたら折れちゃいました」(講師)「火でゆっくりと温めながら曲げていってください」
「ヤジロベーのがすぐに倒れちゃう」(講師)「竹ひごをもう少し曲げて両端のドングリも重いのに変えてみて」
そうこうしているうちに、煙りの上がるスクモの方からいい匂いがしてきた。「やきいも、焼けてるよ~」
「ン~、めちゃうまい!」たき火を囲んで、まっ黄色いホクホクの焼いもをほうばる。知らない同志の子どもらの会話がはずむ。
「どこの学校?」「〇〇小学校だよ」「オレ、○○小」
焼いも片手に宿題も塾のことも忘れてただ火にあたる、な~んにもしないいっとき。
いつの間にか、たき火の管理は子どもたち。せっせ、せっせと山の杉っ葉を運んで火にくべる役は女の子。
「私、火あそびが一番おもしろい!」
工作も一段落、やり足りない子は「丸太切り」に挑戦。自分の力で最後までノコを引いて切り落とす
「ウッヘェー、やったぞー」
時間もそろそろお昼どき。スタッフの「おにぎりと味噌汁とお餅を取りに来てくださ~い」の声。
てんでに思い思いの場所でお昼ごはん。お餅は花炭を仕掛けていた炭火の上で焼くのがいいかも。
手作りの草餅が「プ~ッ」とふくらんでくるのを見るだけで「なんだか、いいよねえ、こういうの・・・」
大人たちの頭にどこかにしまってあったなつかしい記憶がよみがえる。
午後からは「地元のお話し」講師は田地子地区の区長を務める本田義章さん。
「ここではね、私たちのおじいさんや曾おじいさんの頃は全部、回りにあるものを使って生活していたんだよ。山に入って木を切ってマキにする。そこで炭小屋を作って炭にする。
この樽(たる)は木と竹でできているし、この縄だって稲の穂であんであるだろ、これらはプラスチックや発泡スチロールと違って最後にはすべて土に戻るんだよ。
一年にすることはお米作りで、水を引いて苗を植えて、お米が獲れたらお祭りをして神様にささげる、そのくりかえし。だから、みんなに思い描いてほしい、こうした自然から得たものだけで人々が暮らしていたことを」
花炭を開缶の時。さあて、今回はどうかな、でき具合のほどは・・・。
「わっ、わっ、いい感じ!」「オッ、まっ黒じゃん!」どうやら満足のいく出来だったよう。
例年より2時間短縮の体験学習、それでも終わってからの笑顔は今まで通り。帰りには神様にもしっかりと手を合わせて願いごと。
講師スタッフ、協力していただいた地元の方たちも、それを見てホッと一安堵。
コロナで沈んでいたけど「またやろう!」という気持ちが沸き起こってきた。
(レポート・三宅 優)
建部町文化センターでの催しが3連続となった。マスク、手の消毒、間隔を持つを遂行することでのやり方が定着してきたようだ。
この日、行われたのは岡山市・ESD市民協働推進センターが主催する「地域活動リーダー養成講座」。
前回は昨年1月に「伝統芸能継承活動を通じて」の
地域コミュニティの可能性を考えるがテーマだった。記者も「建部町伝統芸能伝承保存会」メンバーとして参加している。
さて今回は「郷土愛による持続可能な地域づくり」がテーマ。基調講演とパネラーによるディスカッション形式で、建部からは「たけべおこしプロジェクト」代表の平田慎一 氏がパネラーで登場した。そもそも題目に掲げた「郷土愛」なんとも古めかしい言葉を使ったものだが、逆にこの企画を立てた若い世代には新鮮かもしれない。
平日の午後だが文化センター小ホールのひな壇席は間隔をあけてほぼ埋まり、当地域からもリーダー格の人が多数見受けられる。
基調講演が始まる。最初は岡山大学・准教授の岩淵泰 先生による「地域のアイデンティティ ー
まちづくりに生かすには?」(以下、記者の速記による箇条書)
2019年都道府県の愛着度ランキングでは岡山県は18位(ちなみに1位は北海道)
そのことから、なぜ岡山市で郷土愛を取り上げないといけないか?
1つはは、人と地域を結びつける”核”が弱まった
2つ目は、競争社会や個人が大切になる中、みんなともいたい
3つ目として、私の住む場所がどこにでもあるような個性のないまちになる
まちづくりのレッスン「まちの宝物をさがす」~実例として矢掛の宿場まつり大名行列~
郷土愛のつくり方 ①住んでいる人が決める
②住んでいる人が話し合う
③外から応援団がやってくる
④行政、企業、市民団体が関わる
⑤次世代を巻き込む
⑥地域の魅力を育てる
そしてその楽しさを一人、二人と伝えていく
続いて、同じく岡山大学・教授の前田芳男 先生による講演「地域の学びを通してリーダーを育む」
現在の地方における人口減少は50年以上も前に集団就職で都会に若者を送り出したことから始まる。
子どもの頃に川の冷たさを知った人は郷土の愛着につながる
その場で生身に触れることの大切さ=若者に体験活動をいっぱいさせる~聞き書き活動(植林するおじいさんのお話し)
「今の木は何代か前の人が植えた木で、これは50年先に育つ苗木だよ」
やるなら徹底的に楽しんでやる⇒
自分たちのイベントは自分たちで作る
(実例)
「若者たちで名所づくり」まちの木を💛ハートのかたちに剪定し人が集まる場に変えた
「湯島 ウミガメが産卵する島にする」何もない所と言いつつ住民、皆が満足して生活をしている島。
ウミガメに産卵の場所をつくろう、砂浜の清掃、ウミガメの勉強会を行う。子どもに肌で感じる体験をさせる
第2部はパネラーディスカッション。登壇者は、瀬戸内市移住交流促進協議会「とくらす」会長の菊池友和 氏,
造山古墳蘇生会の定廣好和 氏、大和をもっとよくしよう会(吉備中央町)の難波武志 氏。
失礼を承知でそれぞれの簡略な自己紹介をすると。菊池 氏「地域おこし協力隊で来県、以来、瀬戸内市への移住促進事業に携わる」
定廣 氏「造山古墳の蘇生事業を立ち上げ、地域の再生につなげる」難波 氏「吉備中央町大和地区でよくしよう会を結成し地域活動を推進」
平田 氏は「たけべおこし、たけべ家おこしプロジェクト、商工会青年部、ストローアーチストと幅広い活動で建部に旋風を起こす」(以下、主な発言を箇条書)
(移住者と地域との関係について)
(菊池 氏)「できるだけ地域の人が疲れない移住を推進してきた。今では相談会での移住ブースが最も多い。
地元の人が地元をよくしようと言う例は少なく、移住者がとけ込もうとしている方が多い」
(学校教育だけで郷土愛を育てられるか)
(定廣 氏)「年寄りが教えるしかない、それにはまず地元が好きだと言えることが大事で、なくなりつつある地域の由緒ある地名とかを子どもに伝えることも大事。そう考えると我々がやるべきことはもっともっとある」
(地域の良さをどうやって見つけるか)
(難波 氏)「地の者はここの良さがわからない、他の者から果物がおいしいとか言われて見直す。それでも、よそから誉められると地域の人らもまたやろうとなる。今では大和をよくしようと言えば大抵、同調してもらえる」
(地域を守る意識をどう育てるか)
(平田 氏)「僕は地域を守るのに理由はない、当然のことだと受け止めている。自分の家が火事になったら消防が助けてくれますよね、じゃあ、その消防の人の家が火事になったら、僕が助けに行く。自分が助けてもらうことがあれば、自分も人を助けるのが当たり前だと思う」
(聴衆の中から女子高校生に感想を聞く)
(高校生)「私は今まで岡山ってなんにもないなあって思っていたのですが、今日聴いて、自分から見つけていくことがすてきだなあって感じました」(拍手!)
まとめとして両講師から「学ぶことがなくなったら生きる力を失う。新しいことをやっていこうというガッツが求められる。
また、そのために人にはサードプレース、家以外でのんびりできる所が2カ所(職場、飲み屋など)必要」
熱い討論を終えた後は出演者から出された質問に答える「クイズ大会」。
景品は豪華なご当地グルメとあって、会場内は最後まで盛り上がりを見せていた。
(レポート・三宅 優)
人は老いるもので、病気にもなり、いずれは死ぬ。ずっと若いままで病気もせず、ひたすら生き続けることを望んでも理に適わない。
だからこそ、与えられた命をどう幸せに生きるかが大事。
市場尚文先生のお話には、一貫してこのメッセージが込められていると思う。
この日、建部町文化センターでは小地域健康教室連絡会議(各自治会で高齢者を対象とした健康づくりを推進する組織)の
研修会が行われ「コロナ禍でも健康づくり~人生100年時代の健幸術~」と題した
市場尚文先生(葵の園・岡山福渡 施設長)の講演会が催された。
小ホールの会場は1つ置きに座ってほぼ満席。市場先生のプロフィール等は昨年、福渡での健康教室における当新聞掲載記事を参照いただき、まずはおなじみのギター片手のさだまさしの歌から。
”幸せをありがとうぬくもり届きました・・・宝物をありがとう・・・生まれてきてよかった”(ハッピーバースデー)
そして、聴講者が最も関心を持つ「コロナとどう向き合うか」のお話。
まず先生は、これまで人類が経験した「パンデミック」の歴史を紐解きながら、新型コロナウィルスの特性について説明。
感染力が1人から2~3.5人(風邪の場合は1人から多数へ)致死率は3.3%(SARSは9.4%、MERSは34.4%)潜伏期間が1~14日と長く(風邪だと2~4日)
発症前に2次感染のピークがあることなど、従来の感染症と違う点をきちっと理解した上での適切な対応が必要と説く。
その点に関して、会場内に問いかけて「今日の会場に来られてる方でお知り合いに感染された人がいますか?」結果はゼロ。
「そうなんですよね、それくらい日本では感染率は低いということをまず念頭においてください。アメリカは12人に1人が感染し、日本は300人に1人です。
それが同じに報道されている」
特に気にかかる点として「マスコミ等が”過去最大”というフレーズで毎日、流すことで必要以上に心配にさせている。私見ですが今、重要なのは冷静になることじゃあないでしょうか」
続いて「こういった中だからこそ、自身の免疫力をアップを図りましょう」免疫力アップの健康術の話しに入ったが、先生、”コロナ禍”に熱を入れ過ぎた為、残り時間がわずか(笑)。
よってこの内容についても前回記事を参照、願うことに。
とにかく先生のお話、自分の医師としての経験や様々な医療活動の体験を踏まえてのことなので説得力十分、聴く者はいつのまにか「うん、うん」とうなずいている。
フィナーレは美空ひばり「愛燦燦(さんさん)」
”愛、燦燦(さんさん)とこの身に落ちて・・・人は哀しい 哀しいもの・・・人生って 嬉しいものですね”
わずか1時間、もっと聴いていたい思った聴衆も多いはず、が終了。
この後、各協力組織からの連絡、町内の養護老人施設の紹介に移ったが、講演の中でも先生が言ってたように、この健康教室
「各町内に拠点を持ち、それを支える組織がある建部、これは”建部モデル”として誇ってよい」ほどに素晴しいもの。
過疎高齢化、そんな中でも互いに助け合う地域づくりに励む人たちがいる
。改めてこの日、参加した「小地域健康教室」建部会議のメンバーに感謝。
(レポート・三宅 優)
人が夢を語れるのは何歳までだろう、10代?20代?
希望を語るのは?・・・30、40、いやいや60歳までは・・・では、それより上の世代は何を語る?
それは、おそらく「知恵」 当新聞の創設以来、レポートを続けてきた建部中学2年生の立志式、今年はどんな夢と希望が語られるだろう。
2月6日(土)朝、この日は将来を夢見るにふさわしい晴天。建部町文化センター大ホールでは建部中学2年生26名が発表を待つ、10時いよいよ開始。
*以下、記者の速記メモより発表の内容に即し要約にて記載(順不同)
「ネイリスト。お店の人の爪がすごくきれいだったのを観て。そのためには専門学校で学ぶ必要があります。将来はネイルサロンを開き、たくさんの人を笑顔にしたい。」
「学校関係、医療関係の仕事、海外青年協力隊に入り視野を広げ自分を成長させるなど興味のあることがいっぱいです」
「安定した将来が夢。いい職業に就き、家族を安心させ自分も困らないようにするため。そのためにしっかりした経歴にしたい」
「工業高校に行きたい。そのために勉強は苦手だが1日1~2時間勉強をしている。将来は他の人の気持ちも汲めるようになりたい」
「今はお菓子作りに興味があります。お手伝いをしているうちに好きになりました。将来のことはわかりませんが好きなことにどんどん取り組みたい」
「ダンス、ピアノ、パフォーマンスをするのが大好きです。楽しそうに仕事をする両親を見てきたので、好きなことを仕事にしたいです」
「僕は夢はだれかに語るものではないと思うので語りません」
「中学の音楽教師か高校の吹奏楽部の顧問、楽器のインストラクターになりたい、音楽の良さを知ってもらえるように」
「ラッパーになりたいです。小さい頃に聴いたとき心が躍りました。ラッパーは不良ぽいイメージですがそうではありません。お前は無理と言われても僕はあきらめません」
「中学の先生、中でも理科の先生になりたい。実験が面白いので。もしなれたら理科を好きになってもらいたい」
「自分の生き方をしたいです。好きなスポーツを活かし社会のルールーを守って相手の気持ちを考えるような自分らしい生活をしたいです」
「建築関係、特にインテリアデザイナーになりたい。もう一つはスポーツに関係した仕事。家族みんなで体を動かすのが好きなので」
「ブリーダーになりたい。動物が好きなのと、家が田んぼの中なので近所迷惑にならずに飼えること、それと新しい品種を生み出したいからです」
「アニメーター。アニメを観てどのように作られているか興味を持ちました。将来は自分のアニメを放映したいのと、元気や勇気を与えるアニメを作りたい」
「昔からの夢で音楽関係の仕事に。たくさんの曲を作りたいし、CDを販売するのもいいなと思います。そのために音楽の専門的な知識を身につけたい」
「私の夢は、安定した生活。それには目的を持つことが大事で。今、気になっているのは運送業、でもこれから変わるので新聞、ニュースをよく観ていきたい」
「東京に行って安定して暮したい。いろいろな本を薦められる本屋の書店員になって、子どもや大人、外国人とも話せるようになりたい」
「日本のすべてのお城を巡りたい。お母さんがお城が好きで、すべてに行くことを目標にしていたから。首里城と彦根城がとくに大好きです」
「センベイを作る仕事。爺ちゃんにすすめられた。爺ちゃんのセンベイはスーパー、温泉、外国にも売られていて、包装シールを貼る作業を手伝って、興味を持ちました」
「幸せな家庭を作るお母さん。私のお母さんを見ているし今の生活が幸せだから。そのためには、仕事と家庭を両立する力とお金を貯めることが大事だと思う
「だれかの役に立つ仕事をしたい。どの仕事にも共通する目標として、人と接することができる、勉強できるようになる、困った人に声をかけられるを達成したい」
「僕が気になる仕事では運送会社があります、それには大型トラックの免許が必要です。もう一つはシステムエンジニアで、パソコンで情報設計をする仕事です」
「看護士。母の仕事が看護士なので、母から、他人の看護をする中で自分自身も成長できると教わりました。今はとにかく勉強して夢に向かってガンバリたいです」
「自分には好きなことがたくさんあるので、いろんな仕事ができると思う。その好きなことを仕事にして、大事に育ててくれた親に恩返しをしたい」
「機械関係の仕事、スマートフォンの中を覗いてみたいと思ったから。
もう一つは楽しい人生。大人になって友達と遊んでいられる人を見てうらやましく思った」
「音楽関係。つらいことがあっても元気づけられたし、いろんなときに音楽に救われて、音楽は世界に共通している。日本だけでなく世界にも目を向けれるのが音楽だから」
(記者感想)
生徒一人の持ち時間は3分ほど。その間、原稿なしでスピーチを終える。それだけでも結構、大変。
世界が一つにつながっている時代、自分の考えを人に伝える力(ディベート)は益々、重要となるのだろう。
今日の発表を聞き、14歳の若者が考える夢が意外と堅実なこと、それに至る計画性を持っていること
に感心させられた。没個性的にも感じたが、それが表面的な受け取めだとすぐにわかった。
ロビーに展示されていた彼らが創作した季節をモチーフにした和菓子の作品。
白い猫(ユキ)を描いた「白い雪」、二つに割った断面に花火がはじける「夏祭り」、南国ハワイのイメージ「アロハまんじゅう」など、創造的で菓子屋さんが見たら飛びつきそうな出来栄え。
自分の中にある他人とは違う自分、その大切な能力を信じて前へ前へと進んで欲しい。
(レポート・三宅 優)
コロナ禍と寒気で取材も縮こまりぎみ、積極的に外に出て行かないとこのまま消滅の憂き目?(笑)。
そこで自らにテーマを課し記事作りに励むことに。今月のミッションは「春を探して」
さっそく編集長(勝部)が赴いたのは、大田地区にあるセツブンソウの群生地。
「そりゃーあまりにも早すぎるんじゃあない?」当新聞グルメレポーターが予想したとおり、
「うん、やっぱり、まだだった」空振りに終わって、若干気落ちした面持ちでやって来た勝部、
「それでねえ、これを撮って来た」次にカメラで見せてくれたのは満開の梅。
「ああ、ここね、そう言えば今までもここが一番早くて、見事ですよね」
毎年のように写真に収めていた富沢、田地子川沿いに咲く紅梅、コロナでその前のことが遮断され、すっかり忘れていた。
では、と記者(三宅)が出かけたのは地元(石引地区)の、とある山の斜面。
当グルメレポーターが「あそこに行ってごらんよ、あそこが一番早く出ているから」と教えてくれた。
日当たりのいい傾斜地に積もった枯葉を手で払いのける。「おお、出ている、出ている」
大人の親指ほどのまだ固くつぼんだふきのとう。
「やっぱり春は近い」確信を得、人に気づかれないように枯葉をもとに戻す(笑)
下りがけに近くに住む同年代の男の人に出会い立ち話。
「何か、山で見つかりましたか
?」(男性)
「もう、ふきのとうが出ていました」記者の返事に、すかさず顔をほぐした男性。
「おぉ、ありゃあええもんじゃ、味噌にしても天ぷらにしても・・・」
記者が「そうですよね」と答えると、
「でも、今の若い人には分らんじゃろう、わしらの子どもの時分はあんなのばっかり食べとった、せえでもうまかったなあ」
ふきのとう、つくし、セリ、ヨモギ、タケノコ・・・あんなのばっかりの季節は確実にそこまで。
(レポート・三宅 優 写真・勝部 公平)
もう観た?澄み切った水、うれしそうに泳ぐ錦鯉。
岡山市環境学習センターめだかの学校「春の小川 ひょうたん池」の今のシーン。
池を清掃したのは昨年の12月も
半ば、池は見事によみがえり生きものたちの動く姿が覗けるまでになった。これほどまでに清らかな状態に接したのは記者が11年「めだかクラブ」に参加して以来だ。
無理もない、これまで計画はあったが中々実施には至らなかった。そんな折のコロナ、年間行事が減り時間的余裕が生まれた。
時間と気持ちのゆとり、やろうと言う職員の強い意志、まさに千載一遇のチャンス。
前回に引き続いて行うのはいよいよ「本丸」、前庭をくねくねと流れる全長40m「春の小川」。
6年ほど前にも一度清掃したが、その折は主だった泥を掻き出す程度。この度は、中の堆積物をすべて取り出し洗浄する計画。
「mmm、相当、やる気があるなー」記者も心して参加。
事前に土嚢(のう)を積んで水をせき止め、メダカたちを追い込みながら、数日かけて職員が泥かきと砂利のすき取りをザックリと完了。
朝9時、学校の小川の前にはすでに清掃スタッフが勢ぞろい。
まずは中に溜まった水を超小型ポンプで汲み出す、「時間がかかるなあー」
それを見て、隣で農業を営み学校設立時からを知っているSさんが「30年前のことで覚えてるのは、このあたりに排水口があって、排水のバルブがどこかに埋まってるはずなんじゃけど」とサジェスチョン
。
そうか確かに、排水穴があればポンプで泥水を吸い上げる手間が省けるし、注水しながら洗うこともできる。
「どこに埋まってるのだろう、ここかな、その辺かなあ」小川の底を手で探る。
見つからないのであきらめて泥水の掻き出し。とっ、一番最後にキラリ✨小さな金属「あった!」
「ということは、そこからまっすぐに伸びたとしてこのあたりか・・・」勘所のいい職員のYさんがスコップで当たると「コツッ!」
排水穴も排水バルブも見つかった、後は開通させるのみ。
しかし結局、いろいろやってみたけど、バルブがバカになってて開かないと判明。
開校以来の大発見もやむなく断念、ポンプと手杓でコツコツ汲み取る。
あらかた終えて残る作業は砂利洗い。泥だらけの砂利をそのまま戻したら、また元のモクアミ。しかしこれだけの量の
堆積物をどこでどうやってきれいにするの?おのおの持ち寄った自前の金アミザルやメッシュの袋やらでとりあえず開始。
1時間やったあたりで木っ葉やゴミでザルがすぐに目詰りしてはかどらず、先の見えない状況に内心あせり。
当新聞グルメレポーターのM子が嘆く。「これじゃあ、ぜったい今日中には終わらないよー」
そこへ知恵者、登場、再び隣のSさん。「なんでジャリを戻さにゃあおえんのん?作った時は見場が良いけん入れただけ、これがあると、そのたびに掃除が大変なだけじゃ
」
目からウロコ、元に戻すことしか頭になかったスタッフ一同、
「言われてみればその通り、底はコンクリートだったし、すでに洗ってあるのを入れるだけで十分じゃん」
M子もストンッと納得、そうと決まれば「昼めしだ!」
朝のうち寒い寒いと厚着していたのが、昼からのポカポカ陽気と肉体労働で一枚脱ぎ二枚、三枚。
ゴールが見えた仕事は
作業の流れがスムーズ。泥を集める係、一輪車で運ぶ係。その間、高圧洗浄機で石積みを洗って行く。
約、軽トラ二台分の堆積物が搔き出された。終わってみると、今回もかなり徹底的にやった感が強い。
「これでもう5年は大丈夫でしょう」
「でも、その時はわれわれはもういないでしょう(笑)」
偉業を成し遂げホッとした武藤館長、沖指導員の会話に
他のスタッフの顔もほころぶ。
(記事・写真 三宅 優)
社会的行事の多くが遅延、停滞、中止。それでもちょっとずつでも前へ進めよう、たとえこの先、世の中どうなるかわからないにしてもと、活動を模索継続する組織も多くある。この「建部町家おこしプロジェクト」は行事とは異なるが、新規に地域活性化を目的に空き家の活用を促進しようと町内の有志で結成した団体。
しかし昨年2月に結成するや、すぐにコロナ災禍。町内会、自治会に呼びかけ幅広く取り組もうと考えたが、その自治会自体が開けない現状。
空き家情報の収集や呼びかけも儘ならぬ。
それでもモノは考えようで、この足踏み、じっくり今後のあり方を詰めるには好都合。ここまで日本全国、野放しに広がった地方の過疎、建部町内で見ても100軒以上の空き家。あわてて手を打っても焼石に水、大した改善はむつかしいと腹をくくり、それこそ”活動を愉しみながら多少の効果につながれば”とのんびり進めるのが得策かと。
その「家おこしプロジェクト」の今年最初の役員会が先日、開かれた。
役員メンバーは建部学区連合町内会会長の垣本広司さんを筆頭に田地子区長の本田義章さん、たけべおこしプロジェクト代表の平田慎一さん、県議会議員の大塚愛さん、町内在住の松下りえさん、記者(三宅)、他に最近、御津で「OMOや545」を開店したばかりの「縁を紡ぐ家再生プロジェクト」代表、中里真一さんら7名で、中里さんはネットでの参加。
さっそく「今日の検討議題は、空き家の売りたい人、探している人の情報シートの煮詰め、情報保護指針の作成、総会スケジュール確認、のその前に近況の報告をお願いします」垣本会長の進行でスタート。
近況報告では「地区内の朽ちかけた民家付き農地を若い人から借りたいと申し出がありました。すでに移住している方からの紹介です
」
「私の方もお年寄りが長年手入れしてきた見晴らしの良い果樹園の利用者を探していましたが、なんと市内の女性がチャレンジすることに決まりました」
「うちの地区でも1軒、地元の者から見ると、買う人はだれもいないんじゃあないかと言うと、案外にそうでもない」
「こればかりはマッチングで、自分で直して住めるようにするのが好きな人もいるわけです」
「それは、大工だった大塚愛さんでしょう(笑)」
「最近、町内に移住を希望され決まりかけたのですが、登記上の問題で流れてしまいました。代わりの物件を探しているのですが」
「昨年、紹介した〇〇さんのお家はどうですか?」と和気あいあいに活発な情報交換がなされた。
確かに町内の動きでは、空き家の入居者が少しづつ増えつつあると記者の認識。
昨年からだけでも福渡学区内で10件余りが埋まった。タイプは田んぼ付き一軒家、町中のすぐに住める一戸建て、前者は若い世代、後者はリタイア組に。町内の不動産屋さんによるとコロナ以後、問い合わせが急増しているとか。
今後さらに様々なニーズに対応した的確な情報発信によりマッチングの可能性が高まると思われる。
それに先立ちしっかりと受け入れ側の足場を固めることが大切。中でも「情報シート」に記入される内容については、双方が安心して記入できるように「情報保護指針」が重要となる。
この日はこれらを検討の後、次なるステップ(実際データ収集に着手、今期活動報告並びに来期活動計画案作成など)をそれぞれが受持ち、閉会。次回は3月16日(火)
県内コロナ感染確認数はいよいよ2000人超え。「怖いなあ、ほんとに、どげんになるんじゃろう?」
日曜の朝、建部八幡温泉駐車場に集まったお年寄りたち、新し門出を明るい気持ちでスタートしたかったのに暗いニュース、どんよりと冷え込む天候。
「心配しながらじっとしてても、寒いだけじゃ。早うに歩こう、歩こう!」
令和3年「第404回建部町健康づくり歩こう会」(会長 本田義章さん)の最初はここから徒歩で順に6つの神社詣で。今日の参加者数は27名、ほぼ65歳以上の高齢者だ。
1番目は建部上にある「七社八幡宮」木の伐採がなされ、その分スッキリとしたが”鎮守の森”の風情が薄れてしまった。しかし守っていく者にとってはそうも言ってられないのだろう。
鈴の音が鳴り、柏手が鳥居の横にそびえる檜の上空まで伝わった。願いごとは、「ことしも元気に歩けますように・・・」
そのまま南に進む。あちこちの家の前の畑には土の掘り起こされた跡。
「まっ、こんな家の前までイノシシが出て来るなんて、安心して寝てられんなぁ」
「ホンマになあ、昔じゃあ、考えられんことじゃ」
「富沢神社」に出る。「あれ?ここのしめ縄は通常とは逆に付いているぞ」
理由はわからないが、昔からこうだと言う。
どうやらしきたりにやかましい神社にして、何が正しい、どうでなくてはいけないということではないらしい。要は、”敬う(うやまう)心”さえあれば、右に付こうが、左に付こうが構わない。新年の”大発見”にうれしくなる。
一行は春を待つ田んぼロードを行く。
出発から1時間、身体が温もり口もゆるむ。あたりの家々の前に立ち止まるごとに
「ここは、誰々さんのお家よ」
「まあ、そう、じゃあ息子さんらもご一緒
?」
「となりのお家がそうよー」
「いいわねー」
小学校のグランドからは白球追う子どもたちの声。そばを流れる田地子川にはコガモが一羽。
更に建部用水沿いに歩む。
「最近あの人、参加してないね」ポソッとつぶやかれた言葉、寂しさが募る。
「中田天神宮」到着、階段の多さに「わたし、この蛙(カエル)と帰るのを待ってるわ」
鳥居の脇に鎮座した親子ガエルの背を撫でながら待つことに。
さすがにこの難所を経ると脚もくたびれる、あともう少し、建部駅前のプラザでトイレタイム。
プラザでの10分の小休憩は結局20分に延長、外はいつしか北風小僧の寒太郎モード。休んでる間に身体が熱を失い暖気運転が必要。
モクモク歩くしかないメンバーたち、その姿はまさに巡礼者?
「・・・だって、元気でいないと子どもに頼れんもん」
「・・・そうそう、自分でなんとかするしかないのよ」
西原「鹿島神社」にやって来た。平野部に建つこじんまりした神社、不思議な神々しさが漂う。
木々に絡まるうっそうとしたツタに見とれる。ここから中田新町を抜ける。
150年前の町人屋敷、大商人、御殿医の家並み。一隅になんと、早咲きの梅。
「まあ、もう梅よ、ここは早いなー」
「もう、すぐに春よねえ、ボヤボヤしてられんわー」
住宅地をくぐり出会えたのは市場「眞名井神社」ここまで来るとさすがにどこかでちょっと一休み。
参加者の手を合わせる時間がだんだんと
長くなる。
「そんなに、いくつも何をお願いしたんですか?」記者のいじわるな質問に
「そりゃあ、どこも同じこと。家族がみんな健康で、それと早くコロナが終息しますように・・・」
本日の最終地、「宮地神社」にたどり着いたのは正午も過ぎ。
シンボルの大樹が迎える。曇天だった空は完歩を讃えて陽の輝く青空。
この後、メンバーたちは再び八幡温泉駐車場まで歩き、次回の約束を交わして三々五々に帰宅。
♪上を向~いて歩~こう たけべ町 歩~こうかい♪
1月15日は全国的に「とんど祭り」が行われる日です。歴史的には徒然草にも記され鎌倉時代あたりが始まりで、門松やお飾りなどで歳神様を導いて正月を迎え、明けると飾りや書き初めなどを焼いて見送るという、日本各地に定着した風習で出雲地方が発症のようです。
今日は10数年前から市場地区の老人クラブと建部保育園の共同で開かれてきた「とんど祭り」が岡山市建部認定こども園で引き続き開催されるということで訪問しました。
園内グラウンドでは、市場地区老人クラブ会長の市川正之さんと十数名の会員さんが集まり、子どもたちが持ち寄ったお飾り、園児の書初め、お絵かきなどを手際よく積み重ね、園児が見守る中、点火しました。
快晴の冬空に炎が舞い上がっていきます。
老人クラブのメンバーのお一人が「昔は焼いたあとの炭を子どもの顔につけて遊んだり、温かい焼きミカンを食べて子どもたちの健康を祈ったものです」と話してくれました。
渡邊美由岐園長先生からは「園児が地域のおじいちゃん、おばあちゃんと交流できることの喜びは、町中の施設ではできない素晴らしいつながりです。これからも地域の皆さんとのふれあう機会を多くつくっていきたい」と抱負を語って頂きました。
最後に市川会長が「子ども園との交流は私たち年寄りにとっても、生きる力を高めてくれます。いっしょに行っているサツマイモの苗植え、草取り、収穫、焼きいも大会などは老人クラブ員の大事な行事でこれからも続けていきたいです」と述べられ、とんど祭りは無事終了となりました。こんなコラボが建部のあちこちで行われるといいですね。
(記事・写真 勝部 公平)
コロナで地区内の”とんど”が、それぞれ個人で行うようにと取止めになった。それでも、火を焚くのはどこでもというわけにはいかない。例年なら町のいくつかで煙の立ち上る光景が
観られるのだが。
毎年「とんど祭り」を開いている町内の養護老人施設を上空を眺めると白く立ち昇る煙り。
駆け参じると今年は参加者なしで職員さんだけで行っているとのこと。焚かれるドラム缶の回りには利用者さんや町内の方から持ち寄られたたくさんのお飾り、門松、習字、お札(ふだ)・・・。
楽しみにしていた顔に会えないのは、ちと寂しいが、オレンジの炎が勢いよく厄を焼き払う様を伝えることで、一人一人の笑顔を思い浮かべよう。
(記事・写真 三宅 優)
岡山コロナ感染者数1780人、ジワリと包囲網が狭まる。緊急事態宣言は効果を表すだろうか。
そしてこの寒波、水道の水が凍ってしまった。聞くと町内のほとんどの家で起きている、それもそのはず、昨日の建部の温度計はマイナス10度。急きょ、家中の暖房器具をかき集め対抗策。使わなくなっていたアンカ、湯たんぽ、電気こたつも再登場。
そんな中、今朝の富沢にある鳥沢池は完全に凍り、仕事始めに集まった「里山建部」のメンバーから「これでここの名物がまた増えた、里山スケートリンクで売り出そう(笑)」の冗談が飛び出す。
山からの風、池からの風、共に耳を切り裂くほどに冷たい。だから、こんな日は身体を動かすのが一番と15名の参加者はそれぞれに受け持った任務に励む。
本日のメイン作業その1、シイタケ栽培の原木の入れ替え。その2、マキの積み替え。マキはコロナ災禍の中、幸先良く1車両分がすでに販売、炭も引き取りが始まっている。
こうして山の整備を目的とした活動が自分たちの資金にも変わり、且つ健康にも付与する、まさに好循環と言える。
会長の重本さん他、数名のメンバーに今年の抱負を聞く。
(重本さん)「去年一年はコロナで大変でしたが、そんな中でもどうにか作業をこなして整備が出来ました。今年も引き続き協力してきれいな里山にして、訪れた人たちにも明るくなって楽しんでもらえるようにしたいです
」
(藤原さん)「特別にはないのですが、例年通り元気で健康で、いっしょにやれたらと思っています。ほかに1.3ヘクタールの田んぼをやってますのでこちらもがんばって、いい米を作ってお届けしたいです」
(平松さん)「今年、他のイベントがまったくないので家でマキ割りをすることと、ここの作業くらい。
でも元気で生きて、自分のやりたいことをする、それが一番かな」
(市川さん)「抱負
?そうですねえ、地域の役を無事こなすことかなあ。老人クラブにお寺、たくさんあって、この歳になると回ってくるんですよー(笑)」
(勝部志乃さん)「去年やっていないことを消化して、里山仕事のキャリアを積みたいですね」
作業は終盤へ。軽トラで運搬してきたマキの最後の積み上げ、トラックから手渡しで着々と山が築かれていく。
一段落後の熱いお茶がうれしい。お茶のお供は恒例、藤原さん家の「かき餅」
「これって、子どもの頃、よく食べたよねえー」
「うちの方では、凍りもちって呼んでたなあ」
薄ピンクの砂糖もち、豆の入った塩もち。なつかしさと素朴さとぬくもりが伝わる。
締めは重本会長。「本来はここで皆さんと輪を囲んでワイワイ楽しくやりたいのですが、こんなご時世ですので密にならんように、 今日はお弁当も持ち帰りとさせていただきました。ありがとうございました 」
解散~、おやっ?「お~い、どうしたんだ、おまえもここの仲間なのか?」
「ミャーミャーミャー(そうだよ、ボクはここで
ずっと留守番してたんだよー)
鼻黒 ニ毛猫(ニケネコ)現る。
年始め新規会員の二毛も加わって、本日の仕事始めも無事終了。
本年も「里山建部」よろしくお願いしまーす
静かな正月、家の外では人の声も聞こえてこない。テレビもラジオもない(記者失格?)我家においてはまるで時間が止まったかのよう。
今年もきちんとおせちを作り、お腹いっぱいになっている3が日、そろそろ体を動かさないとそれこそ”牛”になってしまう。ということで、新年第一歩は、自宅(ドレミファミリア アートギャラリー)を起点に豊楽寺(ぶらくじ)山道を往く。
当ギャラリー前の道は昔の津山街道、参勤交代の行列が行き交っていた。それと、この一帯を檀家として広く治めていた豊楽寺へ至る道として、この先の峠、石引乢には茶店、飯屋が並び三味線の音が鳴りひびき、駕籠かきがたむろしていたとか。
今はそんな面影は全くない、どころか昭和の頃には数十軒あった建部町豊楽寺の住居もわずか数軒になってしまった。
この石引乢は結構な急勾配で、峠の先の下神目には、行き倒れでもしたのか子どもを祀った地蔵様がいくつか建てられている。そんな坂道を重たいお腹を揺さぶりながらテクテク登る。
やがて「☜豊楽寺」の道標。それに沿ってさらに山道を行くと仁王門入口の道標。
岡山市指定重要文化財の豊楽寺仁王門。その門をくぐり階段を上がると700年代に開山されたと伝わる美作八十八ヶ所の一つ高野山真言宗、豊楽寺本堂。手前脇には大師堂。
境内横の霊園入口で迎えてくれるのはドラえもん。お土産にどら焼きを持ってくればよかったなー。コロナも忘れニッコリ。
ドラえもんにサヨナラを告げ、ここから最初のY字路を右にどんどん進むと福渡商店街の町外れに出る。木陰の奥には朽ちかけた家。何の木だろう、大きな葉っぱを落とした暴れん坊将軍の大樹。空では先ほどからトビが「ピューヒョロロー」と鳴きながら旋回している。
左前方にキラキラとまばゆい光を感じたらそこが大池。
以前、一帯に広がっていた田んぼを潤していた豊かなる貯水池。渡り鳥が来訪しその水面は変わらずに美しい。訪れるなら新緑の頃がいいかも・・・。
道の右斜面には
正月飾りに欠かせないウラジロの群生、二枚でうん百円だから・・・。つややかな濃紺のくす玉を実らせた龍のヒゲも今年はことのほか生り年。
毎年2月に開催の岡山市環境学習センター「めだかの学校」主催の環境フォーラムで行われる工作体験「竹鉄砲」これに使うくす玉、でも今はなかなか見つからないので濡れ新聞紙を鉄砲の玉にしている。
続いて小池、このあたりまで来ると眼下に旭川、向こう岸のニュータウンが見下ろせる。
荒れ果てた山林のいたるところに崩落で剥き出しの斜面はまるでアンコールワットの遺跡のよう。神々しい気持ちにさせられるパワースポットです。
気づけばいつもの町並みの風景、電車を待つ福渡駅も間近。線路沿いをくたびれ気味の足を励まし励まし、再び津山街道。途中で今年生まれたばかりのヤギの赤ちゃんとご対面。
我がギャラリーはすぐそこ、池を抱く石引の谷に迎えられ、本日、1時間10分、5キロちょっとのゴーツートラベル終了。
あれほど満腹だったお中もほどよく「夕食は何にしようかなあー?、ねぇ、あなた」
県内、感染者総数1200人超え。コロナで開け、コロナで年を越すこととなった2020年もあと残り三日。
一年、振り返れば、突然に”今までとは違う生活スタイル”を求められ、てんやわんや。
今に至っても、まだ”違うスタイル”を見出せない人が多いのでは。
さて、この年末年始はどう過ごしますか?人が集中する場所には出向かず近場で楽しむ。それこそ、子どものころ遊んだ公園、近くの神社やお寺を訪ねるのも良策。
記者(グルメレポーター)のおススメは生きものとのスキンシップ。建部は動物と暮らすには格好の場所で、我家には目下、ヤギ2頭、猫2匹が住んでいる、
そこへ先週、近所の爺ちゃんが飼っている犬がやってきた。爺ちゃんが入院することになってのホームステイ
。
一番困惑したのは猫たちで、今まで家で主人の愛情を独り占めしていたのが、朝から夜までワンちゃん時間が占有。
ヤギたちはというと犬の登場に少々驚いたが、無視することにしたらしい。こうして台所の床にダンボールを敷きつめて、犬、猫、人の共同生活。
この生きものたちは、人間なくしては生きていけない。それゆえに信頼しきった目で人を見る、この眼差しを裏切ることは決してできない。
今日は元気になって退院してきた爺ちゃんが、正月飾りを綯っているのをみんなで見学。
(爺ちゃん)「もう、ホンマに犬でもネコでもかわいいもんでぇ、人間みてえに金をくれとは言わんもんなあ」
(記者)「そりゃあ人間みたいに人を騙したりしないよ、コロナにもかからないし」
それを聞いて、(ネコ)「ミャー、ニャーニャー(そうは言っても野良の生活もたいへんでぇ)」
(犬)「ワンッ!(ワシもそう思う!)」
そんな会話を想像して時間を過ごすのも、これからのゆとりある”新ライフスタイル”
なのかなあー。
最後に今年1年、いろんなことがありました。でも「たけべ新聞」、皆さまのあたたかいご支援をいただき、どうにか続けられました。感謝!
岡山市でもクラスターが発生したとのニュース、県内感染者は900人を超えた。ゴーツーも停止、「だから、そんなことやるべきじゃなかった」「いや、そんなこと言ったって、広まるものは広まる」混迷する社会。
ここは一先ず落ちついて、音楽でも聴いて気持ちをリラックス。建部町公民館で開かれたこの時期、恒例「クリスマスコンサート」今年は無理かなと諦めていたら、開催するとのこと。嬉しくなってマスク、手洗い実行で赴く。
出演は昨年も来館の弦楽四重奏「ルヴァンデスト(Le vent d'est)」(フランス語で”東から吹く風”)。バイオリン1
・2 チェロ、ビオラによる構成。
演奏会に訪れた「建部大学」「みんなの喫茶室」のメンバー20名(全員が65歳以上)は最前席を開け、ディスタンスを保っての聴講。
1曲目「日本の四季より」ビバルディ風に日本の唱歌でまずはウォーミングアップ。
2曲目「坂本 九 メドレー」おなじみの「明日があるさ」「見上げてごらん・・・」「上を向いて・・・」で
、思わず口ずさみそうになったが、歌は自粛。
3曲目、映画音楽から「踊り明かそう(マイフェアレディ)」「エデンの東」「80日間世界一周」「星に願いを(ピノキオ)」
ジェームス・ディーンの列車に乗って行くラストが脳裏に浮かぶ(懐かしいー)
最後はクリスマスソング メドレー
「きよしこの夜」「ホワイトクリスマス」弦の響きは眠りを誘い、この頃には聴衆の8割は夢の世界(笑)。
正味1時間のミニコンサート。窓の外はどんよりと冷え込むばかりの曇り空。それでも参加者は明るい顔で会場を後にする。
”音楽は希望をつれてやって来る”の言葉どおりに。
(レポート・写真 三宅 優)
何ごとも始めるのは簡単だが、それを維持していくのは難しい。
昨年の暮れに開かれた岡山市環境学習センター「めだかの学校」での「めだかクラブ交流会」に於いて、
「お客様が子どもさんと来られて、池を覗かれて”濁ってよく観えないね”と言われるのがつらいです」
と沖指導員からのお話。
そう言えば、前回に池の掃除をしたのは6年ほど前になるか、それも外の小川の部分だけ。館内にあるヒョウタン池となると・・・記者がクラブ員になって10年、
一度もない。
「それは、やったほうがいい」となったが、いつ、だれが、どんな方法で?
今年4月の交流会でも再度「生きものが住む状態ではない、本来の環境に戻したい」と提案がなされ、本年度中の実施が決まったのだが、
「どんな方法でやるかなあ」
学校職員の頭を悩ます。
沖指導員から「12月にやります」と連絡があったのは夏も終わりに近づいた頃。
「今年は中のヒョウタン池にしぼってやります、水を抜いてドロを引き上げます」
こりゃあ、人手がいるなあ、前の小川の清掃時も5~6人がかりで泥まみれになった。
12月になって準備は着々と進められた。実施日は15日となったが、それ以前に職員だけで水を抜きヘドロを干上しする作業に入った。
そして当日、学校職員、臨時職員、記者の5名で作業に入る。人手が少ないようだが、これまでの作業段階で水抜き後の泥撤去より、水を攪乱して泥水を排出するのが
効率的と判断、少人数での実施となった。
排水ポンプを入れ、一斉に池の底の泥をレーキで搔き回す。たしかに泥が粘土質ではなくアク状なので、干上がらせても固まらない。
とは言え、結構くたびれる。そのうち、ポンプ一機ではらちが明かないと判断、3名はバケツ汲み出し方式に変え、フル回転。
水が引くにつれ露わになった石積みを高圧洗浄機で洗う。底面が見え始めたら後はコツコツ、チリトリですくい取る。
いつの間にか正午過ぎ、今日は昼からとくべつ寒くなるとの予報。早く飯食って、いっきに終わらせねば。
再び川水を入れる。まだ濁りが納まらないので透明度はしばらくしないと出てこない。
しかし、あれだけの泥水を撤去して、以前に比べ環境は大幅に改善したに相違ない。
疎開していた鯉が放たれる。「どうだい、あたらしい水気分は?」
「バシャ!(最高!)」と言ってくれたかどうか、生きもののみぞ知る(笑)。
次回の「春の小川クリーン大作戦」は〇年〇月、まだ未定。でも我々の手できっとやる。
(レポート・写真 三宅 優)
コロナの猛威に日本中が苦戦をする中、気がつけば師走。ここ「里山建部」でも本年最後となる共同作業が2日間に分けて行われた。
先月リフォームした新しい炭窯では、どんな炭が出来上がっているだろう。メンバーの一翼を担う当新聞編集長(勝部)も気が気でない。
日曜、朝9時、駆けつけた13名らがそれぞれ受け持ち作業に取り掛かる。
軽トラ、フル運転、何にしても山ではブル(トーザー)と軽トラが無ければ用をなさない。早い速い、男たちの運転は踏み込み強く、さばきが巧み。
あっという間に、マキの大群を移動。
炭焼き窯の蓋が開く、薄暗い中に懐中電灯の光が入る。こんもり盛り上った灰の山、その下から現れるのは「優」の炭?「良」「可」?
編集長、自ら窯入りするという。大人がかがんでやっとの入口、閉所恐怖症の記者は想像するだけでパニック。
両膝ついて勝部がノソリ、ノソリ、窯に消えること5分。「じゃあ、運び出すからトレイをよこしてー」
トレイが送られ返されるまでに「うん、まあまあ、完成しているなあ」
ズルズルっと現れ出でたり青黒の備長炭。「オオ、いいじゃない」と歓声が。
何往復もして小屋に積まれた「優」の炭、使われ先はどこだろう。焼き鳥、焼肉屋のジュウジュウ焼ける肉の下?
「でもなぁ、今、ホント、食べ物屋がタイヘンだものなあ」いっしょに炭出しに精を出していた佐藤誠さんのつぶやきも、
行きつくところは”コロナ”。
翌日も別メンバーが加わりベースキャンプの大整理、シイタケ栽培用、マキ用の原木を軽トラ満載で運び出す。
今年から参加の近藤奈緒さん(黄色い毛糸帽)に一年を振り返って感想を聞く。
「やってみて、そうですねえ、少しサバイバル力が上がったかな(笑)。
山でキャンプしたことはあっても、こうしたことってなかったので新しい経験でした。
皆さんからもパワーをもらいました。来年は草刈り機をマスターしたいです」
何のなんの、その皆さんの評価は「いやあ、近藤さんは元気だねえー」「ホント、力あるよなあ」べた褒め。
都市部では人との密が常に気がかりだが、ここ山間地、建部では新鮮な空気が吹き抜ける。
この里山が止まることなく続けられたことに感謝する。
(レポート・写真 三宅 優 写真 勝部志乃)
「牛歩」(ゆっくりと進む)「牛耳る」(組織を思うままにする)「牛に引かれて善光寺参り」(自分の意志ではなく行ったのが良いことにつながる)「牛のよだれ」(だらーっと長く続く)「暗がりから牛」(判別がつかない)「喰って寝ると牛になる」(食後すぐに寝るのはよくない)・・・。
あなたはいくつ、牛(丑)の諺(ことわざ)を知っていますか。
牛の喩え(たとえ)が多いのはそれだけ牛が人に身近な存在だという証し。子(ねずみ)から始まって来年の干支は丑(うし)。これにちなんで岡山市環境学習センター「めだかの学校」内にある「おもちゃの宿」展示室では今年も暮れから来年にかけて「干支展」を開催。
故・赤枝郁郎先生が集められた日本全国の郷土玩具数千点の中から「うし」にまつわる作品を展示。紙や木、土、鉄、ワラなどの素材を使って、さまざまな牛が表現されています。
では記者(グルメレポーター)のおススメウシ君を紹介。
一番目はやはり牛の玩具といえば「赤べこ 張子」首をユサユサ、その動きが本物の牛にそっくり。ちなみに「べこ」とはウシの鳴き声「べー」と「子(こ)」が合わさったものだとか。わんこ(犬)と同じ。
2番目は「牛 土鈴」牛のドデカイ頭に鈴が入っている。怖いもの聞きたさに振ってみると「リンリン」かわいい鈴の音。
この土鈴シリーズはウシの表情が実にユニークでユーモアたっぷりなのが見どころ。小さな作品に込められた作者の茶目っ気が伝わります。
3番目「牛のり天神」天神様は学問の神様、菅原道真公を祀ったお社。その中で大宰府天満宮に鎮座する御神牛像は有名です。道真公と牛がどのようなつながりかは諸説あって不明(生まれた年が丑年だった。遺体を運ぶ牛車がこの地にとどまった・・・等)
この「牛のリ天神」は人間国宝「宮内フサ」さんの手によるもの。手描きのぬくもりが伝わる、ほのぼのとした作品です。
さて、いかがでしたか。日本の誇る民芸の世界、その奥深さをあなたの目で確かめてみませんか?きっと「の~んびり」良い年が送れますよ。
(レポート・写真 三宅 美恵子)
開催期間:令和2年12月10日から令和3年3月末
会場 :岡山市環境学習センター
「めだかの学校」おもちゃの宿
開館時間:9時~17時
入場料:大人310円 子ども100円
定休日:毎週火曜日(年末年始)
お問合せ:086-722-1231
知人の市場さんから電話で「日曜日、女性何人かで建部に行くんだけど、どこか歩ける山ご存じない?」
「ん?」と来れば法寿山、建部古道。
「あるけど、案内がいないと、ちょっと登りにくいかも」
そう言ってガイド役を買って出た記者(三宅)。さっそく相棒の当新聞編集長(勝部)に連絡。共に建部案内人として今年8月「OHK・なんしょん?」にも登場、まさに”建部のことはワシらに任せろ”の請負人
(かなり誇張)。
日曜、朝9時、集合場所の「たけべ八幡温泉」駐車場に行く。すでに女性陣は到着、会話で盛り上がっている。
見るからに好奇心旺盛、歩くことに自信あり。
年齢は40代が1人、70歳前後が4人の計5名。
「どういうグループですか」と勝部。
「コロナ後に県内の山に限定して歩こうということでやっている仲間なの」(市場さん)
なるほど、わざわざ遠くまで出かけることはない、この機会に県内の山を歩いてみる、災禍をチャンスに取らえる発想。
さて簡単な自己紹介を終えて、いざ出発。が、歩き出してもおしゃべりは止まらない。
「ねえねえ、○○ちゃん最近どうしている?」「ええ、△△さんと元気に・・・」
「ああ、△△さんとは私もこの間ね・・・」そのうち「あら、あの家、変わっている何屋さん?」
「コーヒー豆の焙煎店です」(三宅)
「まあ、帰りに寄って帰りましょう」「ええ、そうしましょう」
とにかくあれも聞きたい、これも話したい。立ち止まって眺め、写真に撮って、またお喋り。
一行は建部上、法寿山麓にある「建部祭り」で有名な七社八幡宮に入る、ここの境内脇から上に山道を行く。
山の標高は212m、直線にして1km、40分程度の登山。
去年、葺き替えがなされた随神門をくぐり、広い境内を右へ。山の入口は上から引越したばかりの妙見様が目印。
「そうよねえ、もうみんな歳を取って、上がって行けないわよねえ」
「もう、そのうちお墓なんか作る人いなくなるんじゃない?」
「”ネットお墓参り”があるぐらいだものね」
ガサゴソ、湿った落葉を踏みしめ踏みしめ、先ほどの妙見様の居られた旧お社に出る。
「僕らの年代の人は、ここを若かりし頃のデートスポットにしてたそうです」
「へぇー、なるほどねー」同年代がすかさずリアクション(笑)。
さらに行く、水の流れ出る沢「法寿の水」。
「昔の人の知恵で山上に溜まった雨水を天水と呼んで、飲み水や用水として使ってきました」
勝部の解説に
「これって、今も飲めますか?」
(勝部)「えっ?・・・自己責任でどうぞ(笑)」
道の正面に広がってきた青空、左には巨大石。石に刻まれた「阿弥陀様」を背に旭川と福渡の町並みを一望する。
数百年も前から建部や近隣の多くの人がご利益を得ようと参拝をしてきた。一時は茶店、線香売りの小屋が立ち並ぶほどに賑わったらしい。
子どもの頃、ここでお弁当を拡げたと言う人も多いと聞く。
パワースポットでエネルギーを頂いた後は、傾斜面を一気に頂上へ。
さすがにこのあたりになると会話も途絶え、足元に神経集中。
少し下り坂になって来た所で右手に水面が現れる。『池の山池』の表札。
「まあ、おもしろい名前。前から読んでも、後ろから読んでも同じみたい」
変な名前と思っていたが、言われてみれば確かに・・・人って面白い、ずっと気になっても解けない者(記者)もいれば、すぐに言い当てる人もいる。
「第14号・15号古墳」標柱の後ろにはポッカリと穴の開いた石組の部屋。大化の改新(645年)の頃、造られたとされる豪族のお墓が斜面に出現。
「どうやって、この石を運んだかというと、丸太を並べてその上を滑らせて・・・権力者がやることだからねえ」(勝部)
そして遂に頂上「法寿山三角点」到達。登頂の証しを写真に収めたら、帰りは別のルートをひたすら下るだけ。
追記:昼食後、記者宅(ドレミファミリア)に再び、市場さんのお孫さんも加わりヤギ見学に来訪。当家ヤギたちも、パワー溢れる人たちにうれしくなって興奮しまくり。
(レポート・三宅 優 写真提供 市場恵子)
こんな広い空間なら思う存分、話し合っても大丈夫、コロナも通り過ぎてしまうだろう。
昨日(25日)開かれた「たけべ中学生だっぴ」、建部中学2年生と大学生、そして大人を交えた交流イベント。
今回で4回目を迎えるが、記者が取材したのは3年前、第1回「だっぴ」。
あれから記者のアナログ受信機が機能せず取材から遠のいていたが、久しぶり出かけることに。
この日、参加したのは建中2年生24名、大学生を中心とした「だっぴ」メンバー9名、建部に住む大人8名(平田、江田、岸本、大塚、杉山、雨宮、トッシー、森本さん)。
午後1時、体育館に集まった40名はそれぞれ均等に7チームに分散、司会者の説明に従い会を始める。
まずは「ジェスチャーゲーム」袋から取り出した題目をいくつジェスチャーで伝えられるか
いくぶん打ち解けた後はフリップを見せながらの自己紹介。
ニックネームの由来は?、その趣味ってどんなことするの?
話し手よりも聞き手が興奮、ついつい時間延長。
ここまで来ると心も体もホグレてスタンバイOK。
そしていよいよ本番スタート。司会者の上げるテーマにそってチームごとに全員が回答し発表する。
最初のテーマは『今、はまっていること』
生徒たちは当然、ゲームやアニメ、音楽、ダンス。大学生もアニメに映画、旅行など。
大人はというとお菓子作り、サイクリング、テレビドラマ。共通に好きなゲームだとわかった途端、学生と生徒の話がはずむ。
第2問 『初対面のときに大事にしていること』
意外や中学生は日常の基本的なマナーである挨拶や礼儀といったことを大事にしている。
それを知って大人たちも一安心。大人になってもそれはとっても大事だよと応じる。
第3問『次の一歩を選ぶとき大切にすること』
これは大人でも難解、全員が「ウーム」と腕を抱えてしばし考えを巡らせる。結果はみんな「これかなあ」と出しただけあって
意味深い回答が続出。それぞれが「なるほど」と相槌を打つシーンが広がる。
第4『自分の好きなところを教えてください』
自分の得意なことから、性格のこと、おっちょこちょいも気に入ってる。
いろんなことが自分の魅力になるとわかってきた。
休憩を挟んで、後半はメンバーチェンジしての語り合い。
問5『今だから言える、やっちまった話』
もうこれは年齢関係なく、誰もが「ある、ある、わたしも」の失敗談。
「なーんだ、大人でもそんな失敗やっているんだ」生徒の顔がマスクの下で微笑んでいる。
6問目『10年後の自分は何してる?』
キビシイ質問。将来をこれから向かえる人、ある程度、道が見えてきた人、しっかり道が定まってきた人。
でも現実を見つめながらも、それぞれがこれからの自分を思いっきり描いてみよう。
「ヨーシ、○○になるぞ!」”夢は大きく、人にできないことはない”
最終問『今日の感想を』
中学生たちの反応は?「初めてだったけど楽しく話し合えた」「いろんな大人の人がいることがわかった」「失敗してもいいと知った」「大学生の声が聞けて良かった」
「自分がけっこうしゃべれて楽しかった」
(記者感想)
振り返ると出だしは、生徒たちの”身構え”が強かった。それが大学生たちの今の自分への素直な感想、大人たちは自分がこれまで生きてきことのみっともなさを照れることなく伝える、そのことで次第に”打ち解け”につながった。
終わってみれば、生徒たちのホッとした表情、学生たちの満ち足りた顔、大人たちのメッチャ嬉しい顔。
さあ”大いなるだっぴ”に向け、明日から「スタート!」
(レポート・写真 三宅 優)
コロナはジワリと町中を増殖中、気も休まらない毎日だが、台風シーズンはどうにか時季を越しそうで、そちらの心配はひとまず小休止。こんな時は防災を整える絶好の機会、3密に注意しつつもやっておいた方がいい。
福渡ではこの日(11月19日)北区保健センター2階を借りて「お年寄りのための防災教室」が開かれた。
福渡町内会ではこの春に自主防災組織「福渡みんなの防災団」を立ち上げ活動を開始。災害危険地区を対象に避難計画を立て、必要備品の購入や新規避難所の提携を進めてきた。ただ避難訓練はコロナの影響で学区の「防災キャンプ」も中止になり、町内での初訓練も難しい状況。
そんな折、今月、町内の老人会「すずらん教室」で防災をテーマにすることが決まり、急遽「ミニ防災キャンプ」を開くこととなった。
講師は記者(三宅)に命じられたので、さっそく岡山市危機管理室に備蓄品の供出を依頼、
アルファ化米、長期保存水40セットを先日「岡山市防災まちづくり学校」に参加した際に頂いてきた。
キャンプの流れは、①「自分の住んでいる場所のハザードマップを知ろう」「一昨年の7月豪雨を振返ろう」
②「災害の危険が迫った時、自分の取る行動を確認しよう(マイタイムライン作成)」③「避難所生活を模擬体験しよう」
の3部構成とした。
この日集まったのは町内のお年寄り、役員含め30名弱。栄養委員さんも応援に駆けつけてくれた。
窪藪防災団長が「自分の家は大丈夫と思われているかもしれませんが、何が起きてもおかしくない時代です。皆で防災について学んでおくことが大切です」と挨拶。
記者はスライドを映しながらハザードマップ、避難場所の確認。一昨年、7月豪雨での建部町での状況を説明。続いて『浸水と土砂災の危険が高まる中、あなたはどうしますか?』の問い。「避難するひと」「避難しない人」それぞれのチェックシート(PDF)に記入してもらった。
『・・・する人』には「いつ」「どこへ」「誰と」「どんな方法で」「何を持って」。
『・・・しない人』には「何故しないか」「家のどこに避難するか」「停電・断水時の対応は」
人数は「避難する人」3分の1「しない人」3分の2の割合。
「しない」理由は「家が一番安心だから」
『する人』の避難先は「コミュニティ」「公民館」、やはり身近な所が選ばれる。
『子供の住む家に避難したら?』
(ボソッと)「やっぱり、子どもには迷惑はかけられん」オイオイ、そんなことでどうするの??
『誰と』は、当然、「一人で」「近所の人」。
『避難する人でペットを飼っている方はどうしますか?』この質問には、さすがに親身。
「そうよねぇ、どうしようかなぁー」
『持出品、防災品の用意をしていますか?』
「している」がなんとわずか2人、「雨の時期が来たらする」「家の中には色々あるから」・・・ますます不安。
休憩をはさんで避難所模擬体験。まずは防災キャンプの定番「アルファ化米」「長期保存水」「缶詰パン」の説明。
『食べたことある人?えっ、お一人だけ?パンは今日、食べて頂くとして、ご飯は持ち帰ってぜひ食べてみてください、けっこうおいしいですよ』
会場後ろに設営された避難所キャンプ。段ボールの間仕切りに銀マットが敷かれた仮眠スペース。
『実際に寝てみましょう』
「おお、これはけっこう寝れるよ、マットが温(あった)かい」
『水、食料、懐中電灯などが入った持出リュックの重さを確かめてみましょう』
「へー、けっこう重い、こんなに背負えんなあ」
『あなたは一日どれくらいおシッコをすると思いますか』当新聞グルメレポーターが液体の入ったペットボトルを振りかざしながら、あやしい質問。
『私、自分で試してみて一回で250㏄、一日8回だったので、2リットルも・・・』
それからバケツやダンボール、ゴミ袋を使った簡易トイレの作り方、処理方法へと進む。
女性陣がひときわ関心を持ったのは、避難所で使う新聞紙で作るスリッパ。
「へえー、こんなんでできるんじゃなあ」「まあ、ホントに」
そろそろ時間はお昼、前のテーブルに用意された4種類の缶詰パン「イチゴ味」「ミルク味」「チョコレート味」「キャラメル味」、さてお味の方は?
「あら、おいしい、全部ひと通り食べてみたいわ」「キャラメルが気に入ったわ」「うん、これで今日の昼めしはいらん」「避難所もこんななら、一日ぐらいは、ええかもなあ」
終りは自分でチェックしたタイムライン表、保存水、アルファ化米、ホッカイロをおみやげにして、
明日からの備えに向かって元気な足どりで解散となりました。
「子どもに遠慮することなく堂々避難すべし、老人よ!」
(レポート・写真 三宅 優 写真・井手誠二)
市が進める自主防災組織の普及100%を目指した取組み、その一つとして町づくり防災教室が今年3回の日程(1回目はコロナで中止)で今日、最終回が開かれた。
午前9時、中区桑野にある消防教育センターでは消防音楽隊のトランペットのチューニング音が響く。前回は地域における防災組織の課題と要配慮者の支援について学んだが、
今回は具体的な避難支援体制づくりについてステップを追って市の担当者の方から説明を受けた。
要配慮者には寝たきり老人や病気を抱える要介護者だけでなく幼児や言葉の分からない外国人も含まれる。その人たちをサマリーして把握する、かなり難度の高い仕事だ。
「無理をしない程度に、それでもできるだけ根気よく」(行政からのアドバイス)とは言え個人情報との絡みがあり,、一町内会の者が踏み込むのは双方共に抵抗がある。
結局のところ、日頃からコツコツ声掛けしたりして人間関係をつくるしかないようだ。
最後に前回、参加者から提起された課題についての回答もなされた。
(課題)「避難所が少ない、遠い」→(回答)「家の2階に避難するのも良い」「隣接する学区の避難所もある」「地域にある工場、専門学校、施設と協定を結ぶ」
「避難勧告の範囲が広すぎる」→「細かい地域単位での対応を今年から進めている」
「要配慮者の把握の仕方が分からない」→「市の名簿(安全安心ネットワークが保有)をベースにする」「自治会等、最小単位で聞き取りを推進する」
「支援者はどこまでやると決めたらいいのか」→「できる範囲で最小の支援を」「電話をかけるだけでも良い」
「支援者の担い手がいない(老々介護)」→「家族を中心に支援をするのが前提」「協力団体に相談」
「町内会未加入者の対応(市内入会率80%)」→「要配慮者を優先する」「無理強いしない」
この日は2部として東岡山に位置する千種学区連合町内会、会長の是永さんの講演があった。千種連合町内会は人口4100人、1600世帯、12町内会から成り立っている。
平成25年に防災組織の準備に入り、翌年に組織を結成、以来、活動を続けてきた。
そんな中、一昨年の7月豪雨では吉井川が9mという最高水位に達っし、町内を流れる砂川が氾濫し弓削地区が浸水した。避難者は万富公民館で80数名、他の施設にも多くが避難、しかし家屋への浸水はあったものの一人の死者も出さずに事なきを得る。これまでの活動が活かされるかたちとなった。
昨年は防災キャンプを実施。実際に公民館に一泊するという企画に30代~40代の家族が参加し、つらい体験を共有することで世代間を超えたつながりができたそうだ。
是永さんが、今、取り組んでいるのは要支援者の個別避難計画。全世帯にアンケートを取り、要配慮者の洗い出しを行い、個別にどう手を差しのべるかを検討している。
「一人の死者も出さない、そのために災害を恐れても、防災活動をやることを恐れてはいけない」是永会長の言葉が心に残った。
3部はグループワーク。①「若い人にバトンタッチ、引き込むには」②「高齢者、要配慮者とどうコミュニケーションをとるか」③「訓練や研修のマンネリが続かなくするには」という課題にそれぞれがアイデアを書きだす。
①については「若い人の会に町内会予算を付ける」「ラインで防災連絡会をつくる」(記者)
②について「毎月100円カフェを行い話の場をつくる」「防災通信を作り回覧」(記者)
③について「マンネリにすら至ってない(笑)」「体験者の話を聞く」など。
どのグループも積極的に付箋にアイデアを書きつける参加者の姿が印象的だった。
(研修に参加しての感想として)
先月の「北区防災交流会」含めて3回の研修を終えた。感想として、参加者が高齢者であることに配慮された?のか、広く浅い感じの内容だった。
もっと危機管理担当者、防災組織を担う人との真剣な意見交換、協力関係づくりを期待していただけに残念。
講義とファシリテーターによるワークショップ。「話を聞き、後で皆でちょっとだけ考える」
冒頭の課題に対する行政側の回答にもどかしさを感じるのは記者だけだろうか?
(レポート・写真 三宅 優 )
建部上にある七社八幡様の境内ではこの日、地区の「芋煮会」が予定されていて、町内のご婦人たちが芋煮汁の準備に余念がない。時間があるので久しぶりに山に上った。我が家の後ろもすぐ山なのだが、それさえもめったに上がらない。
法寿山、その古道は木洩れ日の下、落ち葉を踏みながら一歩ずつ。昨日の雨で滑りやすくなっているが、足裏に伝わる柔らかい感触がたまらなく気持ちいい。
昔の妙見様、今は高齢者が増えここまで来るのが大変とのことで下に移設。60年代の若者たちのデートスポットだったのは遠い昔。
そこからさらに上へ、右手に折れる道を進むと阿弥陀様。高さ2.7m、周囲7.2mの巨石に掘られた仏様、パワースポットは今もご健在。
前に目を向けると旭川と福渡町が眼下に広がる、以前は多くの人がお弁当持参で眺めを楽しんだそうだ。
芋煮会に参加して、山を下りて来た年配者の方たち。
「まあ、遠かったわ、思ってたより今はずっと」「もう、やっとじゃなあ、上がるのも」スティックを手にそれでもしっかり自分の肢で降りられた。記者もUターン、境内の手前まで戻ると芋煮のいい匂いが漂って来た。
広い境内には余裕で敷かれたブルーシート、これなら「密」の心配なし。子どもの数は少ないけどちゃんと3世代が勢ぞろい。すでに40名くらいの人が好きな場所に座って芋煮汁をすする。
「三宅さ~ん、食べてってー」忙しく切り盛りする栄養委員さんから嬉しい声がけ。「ありがとーうございます」
丼ぶりに盛られた芋煮には里芋、サツマイモ、ゴボウ、人参、ネギ、なめこ、コンニャク、油揚げが。真っ白いおにぎりと揚げたてカボチャコロッケも。
先に頂いていたオニビジョンさんも「いやぁ、ウマイっすねえ」
おばあちゃんたちも、「おにぎりがおいしいなあ、新米じゃけん」「外で皆と食べるとなおさらじゃなあ」
子どもらの会話はと言うと「これ(芋煮)ユズが入ってる、オレ、ユズ好きだよ、ジャムにしたのとか」「オレは一番好きなのはパスタだなあ」「そりゃあ、オレだってピザとか」
そばで聞いていたお母さんも感心する?ばかり(笑)
会を企画した井口松治、町内会長さんにオニビジョンさんが聞く、「どういった主旨で催されましたか」
(井口)「やはり我々はここで神様に守られているわけでなあ、こうして感謝して皆で集まる機会が必要じゃと思うて、とくにこういう時代になったから、
なおさら顔を合わせることが大切じゃないかなあ」
確かに密を恐れるあまり、心のふれあいをなくしてしまうのは愚か。
幸い建部には開放的な集まれる場所が至る所にある。
「さあ、外に出て自然の中で人と出会おう」そんな時代がやって来た。
(レポート・写真 三宅 優 )
世界はここ数日、アメリカ大統領選挙の結果に目が離せない。特に昨夜はフロリダを制したトランプ氏有利の速報が流れ、「そうか、やっぱりマスコミの予想は今回もはずれたか」と思いつつ寝る。
が、今朝になってバイデン氏がミシガン州を押さえ264人を獲得、王手をかけたとテロップ。う~む、2転3転、今の世の中どうなるか最後まで予測がつかない。
そんな荒れ狂うアメリカとはうって変わって、ここ建部町海洋センターB&Gのスポーツグラウンドでは朝から陽の光を十分に受けながら、人々がクラブを手に右に左にと動き回る。
御津と建部合同の「グラウンドゴルフ」の開催があると聞いて駆けつけたが、我が建部のチームがどこにいるか広すぎて皆目わからない。
なにしろ百名以上はいると思われる参加者が何チームかであっちこっち(8ホール?)「コーン、コーン」と音を立てているのが見えるだけ。
「ちょっと、避けててよー、どこに飛んで行くかわからんよー」ご婦人の打ち出したボールはその通り、離れて控えていたチームメイトの足元すれすれにころがる。
奥のコースでもクラブが振られ、ボールがスタートマットを発進、するとボールはホールポストに見事に”トマリ”(カップイン)。「おおー」いっせいに拍手、ホールインワンとなる。達成した年配男性の嬉しそうな背中。
グラウンドゴルフは高齢者の健康維持を目的に日本で作られたスポーツとかで、今日も少し足元がおぼつかない方を含め、ほぼ高齢者(遠目に)。このままグラウンドに下りて取材をと思ったが、夢中にプレーしている姿を見て、邪魔しないことにした。
スポーツの大半は観戦して楽しいものだが、こと「グラウンドゴルフ」に限って言えば、観ているだけではちっとも面白くない。やはり自分で楽しみながらやるスポーツなのだ。
人生の後半にそんな趣味に出会えた人は幸せだ。
(レポート・写真 三宅 優 )
5年というのは短いようで長い。たけべ新聞が創刊して今年で5年目、この間、幾度とない挫折、最大の壁はあきらめかけてしまう自分。
「サニーデイコーヒー」さんが開店したのは2015年11月2日。最初に耳にした時は
「こんな田舎町で本格焙煎コーヒ豆の専門店が成り立つのだろうか」と他人事ながら心配した。
それから、今日まで当新聞と歩みを同じくしてやってきた。結果は若い店主のたゆまぬ努力が実って、多くのお客様の支持を得るまでになった。
気づけば、当新聞はずっと後塵を行くばかり(笑)
記念すべき「5周年」に当新聞メンバー(松下りえ・トーコちゃんマン特派員 三宅グルメレポーター)でお祝いに伺う。外のベンチではご婦人4人の常連客?が歓談中。こんな光景ひとつ見ても、「気安さ」「温かさ」「信頼」が定着していることが伝わって来る。
いつもながらの心安らぐコーヒー豆の香ばしさに迎えられ、まずは江田ご夫婦にお祝いを述べる。
「おめでとう、ほんとうに、よくがんばってますね」折よく、お祝いに駆けつけた「キシモトケーキ」の岸本さんを交えての記念写真。
そして、晴れ渡った空の下、淹れたてブレンドを頂きながら、あらためて建部の自慢の一店となったことに敬意を抱きつつ休日のまったりとした時間を過ごす。
おみやげに頂いたのはパッケージに「旭川の風景」が印刷された5周年特製ドリップコーヒーと「建部獣皮有効活用研究所」の鹿皮のモバイルクリーナー。共に若い世代で連携を探っていることが何より嬉しいと感じた。
(レポート・写真 三宅 優 )
「11月1日は川の日」
「『いきいきごんぼ』=弱った魚を川にかえす時に『元気になってね』と思いを込めた地域のおまじないの言葉。
この行事の目的は、『旭川の環境を良くし、将来へと伝えていくこと』つまり『いきいきごんぼ旭川=旭川よげんきにな~れ』です。
そのため、川を干して川の環境を調べてきました。分ってきたのは、この川にはまだ多様な生きものがいること、川を干すことは一時的に生きものへの負担がかかっても、川の石を動かすことが、生きものがすめる空間を増やしていることです。みんなで川に入り、川を調べることで、川の環境が良くなる。そんな活動を続けています。ぜひご一緒しましょう」
こんな根カギリのメッセージが載せられた案内パンフ、さらに『岡山県での新型コロナウィルス感染症の発生状況によっては、中止になる場合があります』と記されている。「はて、さて、どうなるのだろう?」勝部編集長、自ら出向いての速攻レポートをお届け。(ここまで 三宅記者)
竹枝小学校前の河川敷は朝から吉田地区の皆さんが今日(11月1日)の「かいぼり調査」の会場づくりに懸命です。
テント張り、器材を設営する人、河原のゴミ拾いする人、ユンボに乗り川をせき止める人などなど、大勢が手際よい準備を進めていきます。
10時の開会を目指してスタッフのバスが到着。応募した29家族、約100名も河川敷に集合。
「未だコロナが日本中を駆け巡っている中、何回も会議や打ち合わせをおこない、紆余曲折ありましたが、こんな環境の中でも開催できる方法を模索し、今日の日にこぎつけました」実行委員長の入野誠町内会長のお話です。
ひとつは、募集案内では定員を100名限定、すぐにいっぱいになり、スタッフの岡山理科大学の学生さん、指導員の岡山野生生物調査会の皆さん、地域の皆さんあわせて100名総勢200名で実行しようと進めてこられたそうです。
運営も、受付での検温、アルコール消毒、マスクの着用などの励行、密にならないように、2つのグループごとに説明、まとめをおこない、開会閉会も最小限にして食べ物などの飲食も一切なしの形で進める徹底さに感心させられました。
進行役の元建部中学校長の能登さん、地元の川原さんの簡潔な説明でスタートしました。
「石をひっくり返したらアカザがいたよー」「トビゲラ見つけたよー」親子の会話があちこちから聞こえてきます。旭川南部漁協の岡田組合長も投網を持参し、水たまりの中で網うちをして魚の説明などをしてくれています。
次々と大きな水槽に魚や水中昆虫が持ち込まれ、指導員の先生に質問する子ども、お父さんお母さんと一緒に観察している家族。(こんな体験が自然との共生の大切さや思いやりを育んでいるのでしょうね)
全体のまとめでは、アカザ・カジカをはじめ魚21種、トビゲラ・ゲンジボタルの幼虫・ミズカマキリなど多くの水生昆虫が見つかり大盛会の「かいぼり調査」でした。
最後に閉会の挨拶に立った入野委員長「この企画は、竹枝小学校を盛り上げようとはじめ、今回で13回を数え、来年も必ず開催したい」旨を表明し、こんな時代だからこそ、未来への明るい話題が必要なんだと感じ入りました。
実行委員として初参加した岡山市環境学習センター
「めだかの学校」武藤館長の感想。
「当初、コロナの影響で参加が少ないときいていたので、行ってみたら40~50名のスタッフの方が動いていて、こりゃあ、すごい人の手がかかっていると驚きました。
当館の田地子川での調査ではなかなか生きものがとれないこともあるのですが、この調査ではさまざまな生きものが確認され、リピーターが多いというのも納得しました。
一回来ると来年も来たい、1日で定員締めきりになったのもわかります(笑)」
(レポート・写真 勝部 公平 ・ 武藤館長 )
10月26日朝9時過ぎ、雲一つない快晴の青空の下、建部認定こども園近くの畑がにぎやか、芋ほりが始まった。
これは10年以上続いている市場地区の老人クラブが地域活動のひとつとして同地区にある旧建部保育園との協働活動を開催。近所の市川誠さんの畑を借りて、サツマイモを通じて子育てに役立てようと始めて今日まで続いている行事です。
今年も5月に300本の鳴門金時・紅はるかの苗を園児とともに植え、その後、水やり、草取り、草刈りなど共同で約半年の世話をして今日の日を迎えました。
この日は老人クラブのお年寄りたち13名とこども園の園児47名が参加、
芋ほりの手ほどきを受けながら、深々とした土を掘り「エイヤー」の掛け声で引っこ抜くと大きなお芋さんが顔を出してきます。
赤いホッペの鳴門金時を持ち上げる園児に笑みがこぼれ、自慢そうに持ち上げるのです。
老人クラブ会長の市川正之さんは「先輩たちが、地域の子供たちの子育てをお手伝いをしようとの思いをこれからもしっかりと受け継いで、自分たちの生きがいにもつながっていければいいのかな」と話されていました。
園長先生は「幼児のころから食農体験ができるのも、地域の皆さんのご協力あってのことで、本当にありがたく思っています」とのこと。少子高齢化の時代だからこそ、このような地域協働の参加の活動が大切なのですね。
尚、29日には今日掘ったサツマイモをみんなで焼いて食べ、参加したおじいちゃんおばあちゃんと園児の交流を開催する予定だそうです。きっと子供たちとおじいちゃんおばあちゃんとの絆が深まっていくのでしょうね。
(レポート・写真 勝部 公平)
「どこまでも行(ゆ)こう 道はきびしくとも 口笛を吹きながら 歩いて行こう・・・」(作詞 小林亜星、実際は”・・・走って行こう”)こんな歌詞が頭に浮かんできた。
第401回「建部町歩こう会」(401回って32年間も続いてるってことだよ!)はこの日、吉田の旭川両岸をウォーク。
スタートは建部駅裏駐車場。出発時間は8時45分。自宅を自転車で出て8時40分到着、が、いない誰も。前を行く人の姿、「スイマセン、歩こう会がここで集まる予定なんですが」
「もうみんな、先に歩き出してるわよ」
まったく年寄りはせっかちなんだから(笑)、小走りでメンバーを追う。
この日の参加者は20名ほど。新しく会長になった本田義章さんのリードで進む。ウォーキングの楽しさはやはり、道々の草花や山に成る木の実や葉っぱを見つけること。
「あっ、これ野イチゴよね」「そう、それは食べられるよ、ジャムにしてもおいしい」
「シャリンコって知ってる?すっぱいの」「スカンポとかも言うんじゃない、食べたことないけど」
女性らの会話は止めどなく続く。
「うちの娘がね、昔ね、○○のレストランで働いてたのよ」「ああ、じゃあずいぶん前ね」
「うん、そこで料理の飾りに使う葉っぱを娘が山で採って来て、よく持って行ってたわ」「そりゃあ、喜ばれたでしょう、だって買ったら高いもん」
娘さんがこのことを覚えているかどうか、「えー、そんなことあったっけ?」母だけのメモリー。
一方、男性は、「吉田はきれいに草を刈っておるなあ、これだけやるのは大変で」「機械でしょう、でも良う守っとるなあ」
見る視点が違う。
岸の草むらにイノシシの檻を見つける。「今年はイノシシも多いけど、マムシも多いなあ」
すると「キャッー!」女性の一人が飛びのいて「ヘビ!」
男性陣が「ハハハ、枝切れじゃよ、黒いの」「はあ、驚いた、私、ヘビって大きらい」
そこからヘビ談義へ。
吉田から鹿瀬橋を渡り江尻からもと来た地点に向け北上。ここは、春は山野草が咲き絶好のサイクリングロード、車もほとんど通らない。右には秋空を写す旭川が広がる。
「あぁー、いい景色ねー」「ほんと、最高の日和だったわ」
進むにつれ大きな樹木が目立ち始める。樹齢何年だろう、巨大な樫の木?
やがて、ご一行様は西原から津山線に向けて進む。朝方は寒いくらいでジャンパー着用だったのが、昼前にはシャツだけで気持ちいい。
津山線にぶつかるとそのまま建部駅へ。着きました、所要2時間、歩行距離8キロ、全員完歩で「GO TO ウォーキング!」終了。
「どこまでも行こう 道は遠くても 口笛を吹きながら 歩いて行こう」
次回は11月15日(日)「一ノ口用水路散策」八幡温泉駐車場 8時半集合
(レポート・写真 三宅 優)
例年なら旭川の河川敷で「野菜市感謝祭」が盛大に開かれる時期なのだが今年は中止、そこでお米の獲れたことの感謝祭をしようと、ここたけべ販売所で
「新米フェア」を開催。さっそくのぞいて見た。
店内には獲れたて建部米が袋詰めで並んでいる。建部米のおいしさは定評なので、これから多くの買い求める人が
訪れることだろう。記者はと言うと、さすが建部に住んでいるので地元の生産者さんの田んぼから毎年、分けてもらってる(スミマセン、建部に住む大特典です)
とは言え、何といってもこの施設の強みはやはり、建部で作られた新鮮野菜が朝一に届けられることだろう。キャベツ、ネギ、ホーレンソウ、ゴボウ、ナス、カブ、カボチャ、サツマイモ、ニンニク、どれも100円代でとにかく安い。
それと今年から始まったお弁当コーナーでは「鯖寿司」が人気。地元「河本食品」と言えば「横綱弁当」そこが作るこの季節、自慢の一品は見逃せない。今なら4日前から予約を受け付けている。
外では「あなたの好きなおにぎりの具を教えてアンケート」
を実施中。さっそくグルメレポーターが反応。
「え~とねえ、わたしは、やっぱり”焼き鮭”かな、あなたは?」
(記者)「おれは、明太子、一本勝負」(明太子をまるまる一本挟んだもの)
いっしょに来た近所の岸おじいさんは「わしゃー、ウメボシじゃあ」ということで、それぞれに好みを記入。
「これ書いて何か当たって、もらえるとええのう」と最後におじいさんが言いました。(笑)
川向こうに広がる田んぼでは、まだこれから刈り取りを待つ稲穂が所どころに黄金色を輝かせている。
「おいしいお米が獲れる建部ってホント恵まれてるな」コロナくたびれの心が新米に励まされて持ち直す。
明日のお昼は、”鮭のおにぎり”で決まり!
(レポート・写真 三宅 優)
10月15日朝10時過ぎ、建部小学校5年生17名は金木犀(キンモクセイ)の香りがブーンとそよ風に運ばれる校門から、建部こども園近くの田地子川まで歩いて移動。
川べりでこの日の学習テーマである「旭川と田地子川の環境調査」に入りました。
講師は岡山市環境学習センターの武藤館長、沖指導員、勝部が当たりました。
館長から、絶滅危惧種を例に挙げてESDの大切さについて説明がありました。
魚類ではアユモドキ・メダカ・タガメなど。
動物ではカワウソ・日本オオカミなど。鳥類ではコウノトリ・ライチョウなど。甲殻類ではカブトガニ・日本ザリガニなど。
植物ではサクラソウ・エビネラン・フジバカマ・オキナ草など。
自分たちの身近にいる生き物が絶滅危惧種と聞いて驚きです。
日本では90,000種、世界では10,000,000種の生き物が存在しているそうで、人間もこれらの生物と共生することを考えながら歩みたいものです。
沖指導員からは、旭川・田地子川の実際の生き物を例に挙げて、支流と本流に生息している魚などの特徴の説明、
支流がきれいにならないと旭川の本流がきれいにならない理由を聞いて児童たちはしっかり納得。
勝部は川に入り、網で捕えた生き物を紹介。ハエ・ドンコ・ヌマエビ・スジエビ・トノサマガエル・ミズカマキリ・カワニナなど、実際に自分の目で観察してもらいました。
環境調査はパックテストによるCODの水質検査を生徒がグループに分かれて行いました。
田地子川ではゼロだったのが、文化センター前の旭川では色が変わり4のランクになりました。
なぜこんなに水質が違うのか、これからグループごとに話し合いながらまとめるそうです。
子どもの頃から環境学習を行なっていくことにより、地球市民として何が大切なのかを理解し、より自然との共生が出来ていくとあらためて確信しました。
(レポート・写真 勝部 公平)
台風16号発生、どうやらベトナム沖を通過・・・台風情報に右往左往の昨今。そんな中、昨日(13日)は岡山市の自主防災組織交流会が北区ふれあいセンターで開催。
建部町からは、中田、田地子、福渡の自主防災団が参加した。
この日の進行テーマは「EVAG(
Evacuation Activity Game)」という教材を使って避難行動の問題を皆と共有し考えようというもの。
ファシリテーター(進行役)としてこの教材を開発した会社の社員さんが説明を始める。
が、すぐに参加者から「EVAG(エヴァグ)の意味は?
何で横文字なのか、もっとわかりやすく言えないのか」とのツッコミ(笑)。
それもそのはず、定員50名で集まった組織長さんは、ほぼ高齢者(建部町含め)、いきなり重い現実が浮き彫りに。自主防災組織という強固な集団をイメージするその実態は”老人会”が中心なのだから。
とはいえ、担当の危機管理室の職員は皆若い、「英語の方がスッキリ伝わりやすい」派なのだから仕方がない(笑)
偶然、我がテーブルには「ほっと岡山」を主宰する建部在住の服部育代さんが同席、南区福田、伊島からの参加者さんも横文字は苦ではないようで
すぐにゲームに取り掛かる。
ゲームは紙上のタウンマップに描かれた各チームごとの町内を基点に”それぞれ”がどのような行動を取るかを問うもの。
”それぞれ”には仕掛けがあり、
個々に「属性カード」を引いてそこに書かれた人物になり切ることが前提。
記者の場合「土砂災のイエローゾーンに居住、住年齢50代、男性、造園業、家族4人、イスラムからの留学生が滞在、妻は防災責任者、近所づきあい良好・・・」とある。隣席の窪藪団長は「10代の女子中学生、家に一人でいる、親は仕事で出ている・・・」とかなり難易度の高い役柄。
中には「20代女性、アパート住まい、躁鬱症を患っている、相談相手ナシ・・・」という役になった70代の男性も。
「どうしたらいいんでしょう、何をどうするかよりも、この人の今の気持ちを想像することの方が大変です」と、ついつい優しい人柄が滲み出る。
第一ステップは「レベル3」での対応から。「自宅待機する」「自力で避難」「支援を求め避難」を各属性の立場で選択、その際、「親の帰りを待つべきか」「ペットはどうする」等の課題を考え答えを出して付箋に書き出す。
「・・・避難」を選んだ人は次なるアクションカードを引き、支援は誰に頼むのかといった答えを出して進んでいく。
こうして第2ステップ、第3ステップと災害危険度が高まる中でそれぞれの取るべき行動を決めていく。
大雑把な説明で読者にはよく理解できないと思うのだが、とにかく様々な設定が乗数で増えていき決断が迫られる。
最終的にはゲームを通じて浮び上がった課題についてグループワークで振り返りを行ったわけだが、残念ながら短時間での消化不良はゆがめない。
ただ、災害警報から災害発生までの中で個々に於いてどのようなことが想定されるかをある程度、俯瞰できるのはメリット。
同席の服部育代さんも「今日のゲーム、面白かったですねえ」と若い人ならではの感想。
今日の会を通して気になったことを。
出席者の年配者の方から「私の地区は2つの川の交わる所にありまして、毎年、道路が冠水、避難所まで行けません、それで
皆で連絡を取り合いながら自宅待機しています」のお話。
仮想上でなくても現実に災害と向きあって困っている地域があるわけ(わが地区も)で、この実例一つで十分な検討課題であるし、仮に行政が主体となってこのことの解決を導いたら、それこそ”災害に強い岡山市”となるのではと思うのだが。
(レポート・写真 三宅 優)
秋晴れとなった休日の朝、田んぼの畔を行く数人の若者、どう見てもこれから田んぼの稲刈りでもなさそう、手には園芸用ミニスコップと軍手となると・・・・。
そう以前にも当新聞で何度か紹介したことがある「あこがれスタイル」さんが企画する「建部ほったらかし農園」芋掘りイベントの日だ。
参加したのはいつもの「あこがれ」メンバー、カッチャンたち若者3人と親子で参加の天野さん。
さっそく農園主?の佐藤安奈さんより、”芋掘り心得”が伝授される。
「この土が盛り上げている所のサツマイモの葉の茎がはえている回りをていねいに。一個が見つかったら、つながってあるので、とにかくのんびりやってください(笑)。慌ててやっちゃうと折れちゃうよ、それと自分で掘ったものは自分で持って帰ってね」
安奈さんに質問「これっていつ植えたの?」
(安奈) 「えーっと5月、5月のいつだっけなあ」するとカッチャン 「5月の母の日だよー」
どうやら昨年もそうだったらしい。母の日から5ヵ月でどれほど大きく育ったか、たしか、昨年は不作だったと聞いたが・・・。
親子さんに密着(マスク着用(笑)
(お父さん)「その茎の下をスコップで掘るんだよ」
(娘っ子)「何んにもないよー」
見つからないまま、なお掘ること1分 「アッ、出てきたー」(お父さん)「オッ、大物じゃん」
メンバーたちはと言うと、さすが自分で植えただけある?手ごたえ十分に大きいの中位、ひょろ長いの取り混ぜて収穫。掘り方もスコップで周辺を崩してから、あとは発掘調査のように手で恐るおそる。
時々、ミミズや冬眠準備のカエルと遭遇、「あっゴメン、ゴメン、起こしちゃって・・・」
遅れて到着の2名さんも加わって、秋の収穫祭はゆっくりと進む。
側を流れる用水路ではモズクガニが横走り。安奈ちゃんのお祖母さんも、見ているだけじゃあと畑にチョコンと腰を下ろして土に向かう。
後ろでは津山線の電車が眩いばかりのオレンジ色を輝かしながら去っていく。
土をかき、土の柔らかさを確かめつつ、空白の心がさまよいはじめる・・・。
気がつけば、もうお昼。ここ建部町下神目のゆっくり時間もしっかり世界標準を刻んでた。それぞれのカゴには獲れ高の違いか、多い少ないのサツマイモ、
でも食べるには十分すぎる量。
焼くのかな、蒸すのかな、天ぷら最高、
建部の自然がもたらしてくれた秋の味覚をおみやげに、あとは自由解散といたしましょう。
ルールなし、「こうしろ、ああしろ」指図なし、「あこがれスタイル」の目指すものは、いつだって”自分の意志尊重”。
但し「泣きごと言うなよ、あとは自分の責任だよ」
こんなフリーさがカッチャンをリーダーにずっと続いている理由かなとあらためて感じるいっときだった。
*追記:みんなの写真が佐藤安奈さんから届きました、お疲れさまでした!
(レポート・写真 三宅 優)
台風14号接近で朝から雨、「今朝は寒いね」と傘を手に抱きながらやって来たのは近所のおじいさん。その後からもご婦人たちの傘の花が続く。
今日、久しぶりに開催となった健康教室「すずらん会」、5月に予定していたのが伸びに伸びてやっとこぎつけた。その催しの本日ゲストは、そう誰もが大好き「ヤクルトさん」
「えっ、ヤクルトさんの講演会ってどんなことするの」
「それがね、もう以前にも何回かお願いしたことがあって、皆、楽しみにしているんです」と話してくれたのは「すずらん会」会長の大橋常男さん。
そう言えば会場にソーシャルディスタンスで座った30名ばかりの町内のお年寄りは「何度も聞いて、よく知っている」風に先生の登場を待っている。
さっそく講師の方の紹介。北市民健康づくり京山会議会長の永井正夫さん、それと岡山ヤクルト販売から2名の社員の方。では講演「健康お笑い塾」の始まり始まり―。
永井先生、スクリーンに映し出された後楽園の写真を前に「さて今日のここはどこでしょう?」
(参加者)「後楽園!」(先生)「いえ、今日、ここは建部町ですよ」(笑)と、まずはフェイント。
『あなたは大丈夫?編』①しまった場所を忘れる ②今聞いた話が思い出せない ③以前あった興味が無くなった ④着るものに季節感がなくなった ⑤昨日の夕食の献立を忘れた
「どうですか、昨夜は何食べましたか?」先生の質問に「あっ、昨晩はお好み焼!」
「何を入れて作ったの?」(先生)
「何だったかなあ・・・」(笑)
『シルバー川柳編』「コロナ禍でマスク美人どっと増え」「口紅を塗らなくなって3ヵ月」「円満の秘訣はソーシャルディスタンス」等々、次々くり出すお笑いトーク。
『歌手生活50年編』「吉永小百合さんヒット曲は? ”いつでも夢を いつでも夢を・・・”」「千昌夫さん、”別れることはつらいけど仕方がない・・・星影のワルツを歌おう・・・”」人と歌を思い出ながらいっしょに口ずさんで脳を活性化。
ここでヤクルトを頂きながら小休止&PRタイム。後半も永井先生の軽妙なトークは続きます。
『健康寿命を延ばそう編』
平均寿命が長くても不健康年数が多いと意味がない、理想は「PPK?」=ピンピンコロリ(ピンピンした元気なうちにコロリと亡くなる)
長野県高森町が言葉の発祥地でここの瑠璃寺には「ピンピン地蔵」があるくらい。ちなみに反対の言葉はNNK(”寝ん寝んコロリ”だそうです)
『日野原重明先生に学ぶ編』「生きがいとは自分を大事にすることから始まる」(日野原重明)
睡眠(うつ伏せ寝)、食事(肉+オリーブオイル入り野菜ジュース)、歩く(早歩き、階段を使う)
『ボケ予防10か条』①生きがいを持つ ②趣味を持つ ③学ぶ意欲を持つ ④友人を持つ ⑤運動の習慣を持つ ⑥いつまでも色気を持つ ⑦心のゆとりを持つ ⑧感動する心を持つ ⑨好奇心を持つ ⑩いたわりの心を持つ
(先生)「生きがいはなんですか?」(参加者)「旅行です」
(先生)「どこに行くの?」(参加者)「沖縄に行きたい」(先生)「そう、それはいいよねえー」
(先生)「趣味は何?」(参加者)「手芸です」
(先生)「じゃあ、その帽子もマスクも?」(参加者)「はい、作りました」
(先生)「でもその洋服は・・・天満屋ですよね」(参加者)「いえ、高島屋です」
問いかけて、うなづいて、最後に笑いを引き出す、まさにトークの達人。
最後に再度、①バランスのある食事 ②良質な睡眠 ③適度な運動 ④ストレスを溜めない ⑤笑いは最良の薬、
を確認して今日の健康講座はおしまい、おしまいー
。ご清聴ありがとうございました。
帰りには何とヤクルトさんから「バナナロール」と「アンパン」のおみやげ、当新聞グルメレポーターも「ヤッター、明日のランチ、ゲット!!」
どうりで皆が楽しみに待ってたわけだ、やっと納得・・・(笑)
(レポート・写真 三宅 優)
今年はコロナで何もかもが中止。中でも、楽しみにしてた文化祭が開かれないのはとっても残念。お気に入りは施設のお年寄りの「一文字」書道。
百歳のおばあちゃんの書いた「百」という字のなんとしっかりしたこと、今でも忘れられない。
文化センターを借り切って大勢を対象にやるのは無理だけど、代わりの発表方法はないのかな、そう思ってたら、公民館の1階ロビーで水彩画クラブの展示会があると聞いた。
記者(グルメレポーター)が親しくする、私の母と同じ歳頃の河本美恵子さんが嬉しそうに話してくれた。
「今度、先生が新しくなられてね、がんばって続けとるんよ。3点描いてね、このあと”蔵ギャラリー”でも展覧会をするんよ」
その中の1点がどうやら公民館に出ているらしい。
土曜の午前、館内は職員の方以外見当たらない。アメリカの大統領がコロナにかかるくらいだから、もう誰がかかってもおかしくない、それで出歩いていないのかな?
額に入った絵が1,2,3・・・14点パネルに掛けられている。どれも静物画、柿に枇杷、ブドウ、アジサイ季節の植物を描いたもの、お面にバイオリンといったモチーフもある。
大きめの人物画は先生の作品。丹念な筆致で対象がリアルに描かれている。そう言えば、以前と比べてどの作品も写実性が深まったのはそのせいか。
あった、あった、河本さんのこれはザルにのったブドウにマスカット。一生懸命さがタッチによく表れて、すがすがしい出来上がり。同じく「はっぽね太鼓」でおなじみの中田敏子さん、こちらは、ビワ。オレンジ色のビワを大きく真正面から描いた力作。
もう一人知り合いの坂野さん、男の人にしては繊細で優しい色使い、でも構図にはしっかりした性格が。
歳を取って絵を描くようになる人は結構多い。何が惹きつけるのだろう。うちの人(副編集長)の意見では、
「小学生の頃、作品が貼り出された喜び、もう一度あの頃、描いた自分という可能性を見つけようとしてるのだと思う」
ロビー展、開催期間は10月12日まで建部町公民館1階にて
(レポート・三宅 美恵子 写真・三宅 優)
地方は過疎化、高齢化に加え、時代の急激な変化で古くからの習わしや伝統文化の継承が困難になっている。
以前はどこの家でも杵で餅を搗(つ)いていたのが餅つき器に変わり、今ではスーパーで密封の重ね餅を買う時代。
搗き手がいない、臼がない、いや作り方自体知らない。
そんな例に神社仏閣に飾られる「しめ縄」がある。毎年秋、お祭りに合わせて新しくするのが習わしだ。それが、縄を綯(な)える人がいない、コンバインで脱穀するから
稲ワラもない。
年寄りに聞くと口をそろえて「ワシらが子どもの頃は自分の履くワラジは、自分で作るのがあたり前、誰でも縄は編んどった」と言う。
毎年12月に老人センターやB&Gで開かれる「お飾りづくり」は、今でも熱心な3世代が集まり続けられている。が、やはりここでも教える人が少なくなっている。高齢で一人減り、二人減り。
それでも、これまでの努力で「お飾りづくり」は次の世代にも受け継がれつつある。
だが、しめ縄となるとだれもやったことがない。指導者クラスでないと作れないのが現状。
ネットで調べると合成繊維で作られたしめ縄が何万円もの価格で専門業者から販売されている。
記者が総代をする福渡八幡神社でも、毎年このしめ縄の手配に頭が痛い。作ってくれる人を探すのが大変なのだ。今年は昨年お願いした方から「今年はできそうにない」との返事。
「さあ、困ったぞー」
こんな時、持つものは友だち。お隣、志呂神社のしめ縄をしている延江泰男さん、耕一さんお二方に相談。
「だったら、いっしょに観ながら自分らで作ればええが、ワラもあるし」とありがたい申し出。
さっそく、我が氏子連の手に覚えありの人に声掛けし出かける。
場所は下神目の延江耕一さん宅。あたりは黄金色の稲穂の垂れる農作地帯。
こちらからは職人を3名(うち一人は若手後継者として松下泰成さん)を派遣。すでに広いガレージにブルーシートが敷かれ、ワラ束も用意されている。
「さて、どこからやりますか」延江泰男さんの問いに「とりあえず、縄から編みましょう」と始める。
そこへ、赤いTシャツの強力助っ人登場。
古本博史さんは「お飾りづくり」でも講師をする、できないことを見つけるのが難しいほどの達人。俄然エンジン全開、さっそく、しめ縄に挑戦することに。
しめ縄の手順はまず、ワラを水に濡らし槌で叩いて柔らかくする。次にほつれた葉っぱを手で漉いて取り除く。それを片手で握れる位の束にして中ほどでくくる。
3束ごと一つにまとめて、うち2束を各、左に綯えながら両方を巻き込んでいく。
出来上がったら、残りの1束を同じく左綯えしながら上に巻き込む。いわゆる「三つ編み」
一人じゃ大変なので二人でやると、やり易い。
時間は午後3時、世代の違う大人らがワイワイ言いながら進んでいく。
「昔はこうやって・・・」の話しから「そう言えば、その頃・・・」に広がって
「そうそう、あったあった・・・」とバナナが高級で食べれなかったこと、給食がはじまった時のこと、
酒好きの先生の・・・
「K先生という酒好きで有名な人がおって、朝まで飲んで、起きたら犬と一緒に犬小屋で寝とった」
「理科の先生で実験用のアルコールを燗して飲んでおった人もおった」
現代日本では失われ、後継者もいそうにない?破天荒な大人たちの時代。
4時を過ぎる、先ほどから雨。
盛り上ったのは一っ時(とき)、皆、手の中のワラをモクモクと編み込んでいる。中断したのは、誰かが「あっ、虹が出とる!」と言った時。
雨の上がった5時には「三つ編み」「しめ縄」がほぼ完成。
「もうこれで、来年から自分たちで作れる目途が立ったし、後継者も出来たから福渡は安心じゃ」総代の松尾泰寿さんのうれしそうな声。
禍(わざわい)転じて福となる。自給自足ならぬ「地産地作」の幕開けだ!
(レポート・写真 三宅 優)
あれもこれもの行事やイベントが無くなって、寂しいーとのお年寄りの嘆き。そうだけど、先日の連休のテレビニュースで放映されていたような、みんながドッと同じ所に繰り出すのは心配だ。
少学校の運動会もどうするかなと気にかけていたら、午前中のみで、来賓もなしで縮小して実施と回覧があった。
親御さんだけでなく、おじいちゃんおばあちゃんも孫の成長を観るのは何より楽しみ、いい解決策だ。
しかし困ったことが、本日の取材、行けれるのは記者(三宅)一人、編集長もグルメレポーターも他の仕事。
朝9時、まず福渡小学校に赴く。スローガンがいつもの2階の窓に掲げている。
「あきらめないで協力して思い出に残る運動会にしよう」6年生の最後の運動会への思いが込められている。
開会宣言。(応援団長の激)「○組、がんばるぞー」
(○組チーム)「ハァ~」(笑)
(応援団長)「やる気あんのかー!」
そこで(チーム全員)「オー!」
ユーモアたっぷりに会場を湧かせていよいよ開幕。観客は児童数×3=保護者数多し。
今年赴任の校長先生は?と思いきや、リレーの行司役、福丸大王でしっかり登場、場内を盛り上げます。
以下は松下特派員のシャッターをご覧あれ。
給水タイムを機に建部小学校に移動(後は保護者で来ていた松下泰成特派員に)建部小に到着。
「オオっ」こちらはさすがに児童数が多いため、外目からもグラウンドに「運動会」ムードが充満する。
地区ごとの観覧テントもにぎやかで、でも全員がマスク着用を守っている。
スローガンの「心一つに気合全力ハッピー運動会」の文字がひときわよく目立つ。
観客席に回る。
「三宅さーん、遅いわよ、次がラストよー」「ええ?」
知り合いから声が掛かり聞くと、会は10時半までだと言う。
「福小は11時までだけど・・・」
「あそこは保育園と合同だから、竹枝は児童も少ないからもっと早いのでは?」
こりゃあ、大変だと慌ててシャッター。
最後の種目「リレー」赤、黄、緑、青色に分かれての盛り上る展開。「がんばれー」と言っていた応援団も「キャキャ、キャレー」と黄色に変色?
先ほどから一番良い、ゴールのテープカット前に陣取った、邪魔なおじさん。失礼!校長先生もカメラを構える。今年で最後のラン、その思いをコンカギリ刻もうとランナーたちが走り込む。
すぐに閉会式。優勝旗、優勝杯贈呈。短い時間、でも変わらず全力を出してヘトヘトの児童たち。大人のための行事から、子どもらの思い出に残る時間へ、何かが大きく変わりつつある。
竹枝小学校に行く。時間わずか、けど行ってみよう。何かを残したい、こんな時代の懸命な日々を。
なんとか閉会式に間に合った。グランドに勢ぞろいした児童たち、先ほどまでの興奮をまだ心にとめいているのがわかる。空いたイス席が妙にかわいい。
保護者の人たちに聞く「どうでしたか?」
「あっという間だった、楽しみの一輪車もなくて、でも出来ただけでスゴイよかった」
「短かったけど、一つの演技に障害競走やボール運び、玉入れまでいくつもの出し物を組み入れて、見ごたえがありました」
あらためて「どうだったですか?」コロナの怯え、でも生きていくことの必要性。
どうでしょう?精いっぱい用心して、その中でしっかり生きる喜びを見出す工夫を考える時では?
竹枝小スローガン「楽しもう!みんなといっしょに~3密に気をつけて、元気にがんばるぞ!~」の垂れ幕を横目にグラウンドを後にする。
只今、午前11時。
体育会はやったけど、文化祭はムリじゃない?誰もがあきらめかけていた建部中学校「第27回飛翔祭」。
実行委員長、市川君は「スローガンは”笑いのたえない飛翔祭”ですが、この様な状況なので大きな声で笑えないと思いますが、いっしょうけんめい頑張りますので楽しんでください」と開会の
あいさつ。
体育館には換気用の大きな扇風機、至る所に消毒液、イスも間隔を開けて設置と、3密を防ぐ手立てが万全に。
場内には今年で50周年を迎える中学校の何年目かの卒業生だったお父さんの顔が至る所。
オープニングは「建中吹奏楽部」。
たった一人の部員からスタートしてここまで育った、今や建中の「花」。まずは「ラデツキー行進曲」から。トランペット・ホルン・トロンボーン・ユーフォニウム・チューバ、管楽器はすべて女子。
楽器紹介を交えながら3曲目はもっとも練習に励んだというジャズのスタンダード「シング・シング・シング」。
「トントントトトントントトン・・・」太鼓の小気味よいリズムに乗り、それぞれが演奏の見せ場をこなす、そのたびに拍手。男子(2名)らによるパーカッションがとにかくきまってる。
ステージ発表に入る。「T-bomb」女子3人組によるヒップホップダンス。客席前に陣取ったカメラがいっせいに明るくなる。いっしょに体を揺らして応援するママさんらに、年代の差を大きく知らされる(笑)
つづいて「1年A組」による劇。仲間外れにされた少年がゴキブリと友だちになって・・・
名付けて「ゴキブリ東遊記」。ビートルズの名曲「レットイットビー」の流れる中、他愛のないストーリーがいつの間にか不思議な感動に。(シナリオ大賞)
休憩の後は、それぞれの名前の頭文字から名付けられた?女子ユニット「SKH」による歌。
「ただ君に晴れ」3年生3人による中学最後の熱唱に仲間の生徒たちの気持ちがいつしかひとつになる。
(すみません、写真がブレて掲載できませんでした)
「2年A組」の出し物はストーリー「夏色をさがして」
思い出をつくりたい子と忘れたい子、精霊がやって来て、そんな彼らと共にたどり着いた先は・・・。
夏の花火が最大の思い出、大人たちがあきらめかけている「建部の花火」の行方が心配になってきた。
シンボリックな背景画が効果的な抒情を盛り上げていた。(イメージ大賞)
休憩。ここでお父さん方の会話から。
「ああ、いつ出て来るだろうとハラハラ、だけど出たらチョコッと」
「いやあ、うちのも同じ、恥ずかしがり屋なんだよー(笑)」
(せっかくの子どものデビューを心待ちにしてたお父さん、でも、そのチョコッとが将来、役に立ちますよ)
休憩の後、男子有志「暁」による「ヲタ芸+ダンス」
ヲタ芸って?調べてみると「追っ掛けおたくの応援芸」だそうだ。で、ペンライトが登場ってわけだ。
カメラのシャッターを押しても光の線しか写らない、しかしこの残光に彼らの主張が込められている。大きな円に描かれた先には彼らの未来。
最終を飾るのは3年A組「元希ーズ」による大活劇「謎の大走査線」
銀行強盗が逆に女子行員に脅されて・・・警察、テレビ局入り乱れてのまさに「踊る大捜査線」。
一(ひと)ひねりも、二(ふた)ひねりもあって最後まで飽かさない、これは本家ドラマより
面白い?かたぶつ刑事、お笑い芸人が突然出てくる場面は特に最高。(全員が役者大賞)
時間が来ても、この日の祭りは終わらない?サプライズが飛び出した、教職員有志による「和太鼓」パフォーマンス。熱気立ち昇る演奏に生徒らからは「アンコール!」
閉会式、校長先生の講評。
「公開できずにいる学校もある中、すべきかどうか迷いました。でも今はやって良かったなあと思います。生徒のみなさんも緊張してやった達成感があったと思います。
今はたがいを誉めてあげてください。3年生は自分たちで創り上げたことに自信を持ってこれからも頑張ってください。今日はありがとう!」
記者感想
「コロナで限られた時間にギッシリつまったアイデア、工夫、想像力。ああ、建部に飛翔祭があってホントによかった(笑)」
(レポート・写真 三宅 優)
「しろみて祭り」から2か月ぶり「里山建部」の定例会。
夙山(あしたやま)の麓から「腹へったー」と何頭もの牛が唸るような声、たどり着くと巨大な樫の丸太を相手にチェーンソーを持ち格闘する男衆。
今日の作業は建部上の八幡神社で伐採したこの樫の木の断裁。その後、割ってマキにするか炭にするか・・・。
いつものメンバーの相変わらずの手際の良さに感心しながら、池の周辺を眺める。
草木の勢いは夏の勢いを残したままだが、水面を渡る風はヒンヤリとすっかり秋。時折り鯉がヒシの苔をむしり取る「バシャリ」という波打ち。
こんな時、時間が止まって、遠く大切だった人の声が聞こえてきそう・・・。
別動隊による下草刈りのモーター音が近づいて来た。「バリ、バリ」と鳴るのはロープ式草刈り機。足元を覆う雑草がまたたく間に
平になっていく。もう1台やって来たのはチップソー、高く伸びたセイタカアワダチソウが「バッサ、バッサ」と薙ぎ切られる。
池を囲む道では女子部による木々の選定作業。床屋に例えれば、バリカンとハサミでアフロヘアーをカリアゲに。
30分ほどで池の向こうまで見晴らしが効いてきた。人が自然に手を入れ調和を保つ、千年、2千年続いて来た自然との共存作業。
本日の仕事は午前中まで。
重本会長も「もう、無理をしないで、ここで終わって、また別の日にしましょう」
後は今年最後のスイカを食べて解散。チームにいつの間にか身に付いた「楽しむ山作業」自然流極意。
ここにないものを求めて若者は都会に出て行く、やがて都会では見つからないものを知り・・・。
人が楽しみを与えてくれる都会から、自分で楽しみを創り出す里山へ。
何の鳥だろう、さえずりがこだまする・・・「お~い、ここでいっしょに暮らしてみないかー」
(レポート・写真 三宅 優)
台風10号は日本を震撼させて過ぎ去った。この町では大きな被害は聞かれない、しかし注意深く見てみれば(この台風が原因ではないかもしれないが)、建物の壁が崩れたり庭木の枯折が散見している。いずれも空き家になって長期間を経た家だ。
建部町にどれほどの空き家があるか、地区によって差があるが、町全体では優に200、否、それ以上。
そのどれもが建てられた当時、希望に満ち、夢が育まれていたに違いない。
人はどんな時、希望を失うのだろう。戦争、災害、病気、愛するものを失くしたとき・・・そして自分の人生が長くないと感じる
「老い」。大きな家もいくつもの部屋も、溢れかえる調度品も不要、もはや重荷でしかない。
やがて住んでいたままに置いておかれる家たち、3年が過ぎ、5年、10年、そして数十年。かつては愛でられ、輝いていた柱や家具が見捨てられ
泣いている。
昨年、発足した「たけべ家おこしプロジェクト」、町内で空き家となっている家に新しく主人を迎え入れ、再生しようという試み。
しばらくはコロナで活動が足踏みぎみではあったが、少しづつ前へ進み始めた。
最近では幾組かの移住希望者に空き家のマッチングを行った。共通しているのは、30代~40代の働き盛りでリモートワークや農業従事者を目指し、
自力で生活を切り開く意気込みを持っていること。そのため、購入額は安ければ安いほどいい、その余剰金で時間をかけて改装するという人たちだ。
ここ数カ月で人々の生活環境に対する考えが変わりつつある。職場と家は必ずしも近くなくて良い、人の密集しない場所で暮らしたい、子どもをのびのびと育てたい・・・。
近隣の物件を主に扱う某不動産屋さんの情報ではコロナ禍に入って、田舎へ移住先を探す問い合わせが急増しているとか。
この日(今月10日)、開かれたプロジェクトの役員会でも、そういった動きが高まることを念頭に、「家を探している人」「家を売り(貸し)たい人」の要望を一枚にまとめたフォームを作成。確率の高いマッチングを目指す。また地域ごとの習慣や行事といった情報も整備することで、地域に馴染めるためのアドバイスを図る。
人は家を買うだけでなく、ここでの環境を買うわけで、できうれば気持ちよく長く住んでもらいたい、そのためにもプロジェクトに求められる役割は大きい。
会議にはZOOM参加者を入れ7人が臨んだが、あと一人、岡山理科大学学生で建築学を専攻する西谷さんが参加。感想を聞いた。
「建築を学んでて、空き家に関して調べていて知らなかったことが今日は聞けました。個人の事だけでなく回りや、町内会があって、
そこでどう暮らすかが大切だと知りました」
次回、会議は11月予定。それまでは、LINEで深く進行中!
(レポート・写真 三宅 優)
大型台風10号が接近する中、建部は相変わらずムシムシと暑い。まだ朝8時だというのに半袖から出た両腕がヒリヒリ痛い。
2年前の豪雨で河川敷の施設がが完全に浸かり、一時は復旧は難しいのではとの声も聞かれた建部町B&G海洋センター。
関係者の尽力で見違えるほど立派に再整備がなされ、今日、その再開を記念した少年野球交歓試合が行われた。
土手の高台に立つとグランドゴルフ場・野球場・ソフトボール場・テニスコートが一望に見える。昨年までの、散々に荒れ果てていた姿が嘘のようだ。
真っ平らに整地されたグラウンド、それを取り囲むグリーンの芝。前を流れる旭川とその向こうに控える小さな山々、自然の中にできたスポーツ施設、建部自慢の一つである。
開会は午前9時。始球式に臨んだのは「建部町体育協会」会長、森田卓司市議会議員。
少年時代を彷彿とさせる投球フォームで「えいっ!」
ワンバウンドながらも「ストライク!」
そして第一試合、「建部スポーツ少年団」(岡山市北区)対「桜が丘レッドファイヤーズスポーツ少年団」(赤磐市)の開始!
「オーレ、オレオレ、オーレ」「イケ、イケ!」双方のベンチから掛け声が止まない。
「そこだ、回れ、回れ、回れ!」
赤いソックスに身を固めた「桜が丘」がまず先制点。
続いてのブルーのソックスを履く我らが「TAKEBE」
「1番バッター、打ちました!」見事な3塁打。しかし得点には結びつかず。
3回裏、再び「TAKEBE」、ヒット、盗塁を重ね4点を取る。この時点で4対4の同点。
選手のユニホームはすでに土で真っ黒。
ここで記者、腸弱症のため腹具合が・・・退散することに。グラウンドでは重いカメラを手に取材を続ける山陽新聞さんとoniビジョンさんの姿。やはりプロは違うと、敬意。
本日はこの後、第2試合の「桜が丘」対「西大寺桃丘連合」(岡山市東区)、その後再び「建部スポーツ少年団」対「西大寺桃丘連合」が予定されている。
子どもらにとって、この施設の復旧が励みとなることを期待して会場を去る。芝生の上を飛びかうのは、夏を惜しむかのようなトンボの群れ。もう秋はそこまで、そして台風は、まだこれから・・・。
(レポート・写真 三宅 優)
一年の中、建部っ子がもっとも熱くなるのは、オリンピックでもワールドカップでも夏の甲子園でもない。それは「秋祭り」、なぜ?
小学生の頃、だれもが早く大きくなって自分もやってみたいと思った。そして高学年、初めての神楽。首が曲がりそうに重く感じる獅子頭、
歯が折れそうなほど懸命に食いしばって、覚えたての舞いを踊る。腕がだるくなり、肩も下がり、指導を受けながら負けじとがんばる。2年目はずっと楽になり、
3年目は待ちどおしくて・・・、そうして大人になって、太鼓が響き、鐘が鳴り、笛が聞こえて体が動く。
こうして10年、20年、30年、笛や太鼓で育った祭り男に女たち。
それが、今年ばかりはまったく以って難しい。先日(23日)開かれた「建部町伝統芸能伝承保存会」(会長 二宮 誠)臨時総会では、出席した各地区の保存会すべてが「本殿祭」のみ実施、神輿、神楽、それに併せた子どもたちとの練習を取止めるとの報告がなされた。
「3密を防ぐ手立てが見つからない」「対策を立ててもリスクが残る」「DVDを渡して忘れないようにと言うしかない」苦渋に満ちた決断だったことが各代表の
発言から伺えた。
この事が今年だけのことなら、来年に期待すればいいのだが、ずっと常態化するとしたら・・・「俺たちの祭りはどうなるんだ」
世界中が大きな転換点を迎えていることは確か。だが、その方向は見えてこない。
「withコロナの時代」に建部の祭りをどう続けていくか、知恵と創意と勇気で乗り越えていく時がやって来るのかもしれない。それまでは熱い思いを蓄電しておこう。
*写真は昨年の様子
(レポート・写真 三宅 優)
7月14日の雨で損傷し通行止めとなっていた「しあわせ橋」が行政の素早い対応で復旧。さっそく、陽の照りつける橋を歩く。
靴底に伝わる水のせせらぎ、川の水面をこれほど身近に覗ける喜び。「贅沢だなあー」と思わず声が出る。
人によって「無くてもいい」「税金のムダ」と意見はあるが、およそ贅沢なんて「いらないものにお金をかける」こと。
ランボルギーニに乗らなくても軽自動車で事は足りる、電車で行けば車もいらない、とは言え、自分の気に入ったものを持つ嬉しさは、何事にも代えがたい。
建部の町民にとって何が贅沢かって、それは「人が川を楽しむための橋を持っている」ではないだろうか。
川の中央に立ち下流を眺める。川石がいくつも並ぶ、その中でもとびきり大きな台形の石「何かに見える・・・」
空耳(そらみみ)ならぬ「空見」(そらみ)?ある日ある時、ある形が見えたとき心はいつもその形を描いてしまう。
『日船上人』江戸時代始めの日蓮宗不受不施派の高僧でこの地で布教、八幡温泉を発見したとされる。その方が座禅を組んでおられるような後ろ姿。
以前そのことが頭に焼き付いてからは、川床の石を持ち上げ御頭を据えることを夢見てきた記者(笑)。
今日は頭に見立てた小石をヒモに付け、
手摺のちょうどいい位置に下げてみた。スマホで撮る。
南に向かい、お唱えをするお上人。橋の上からそのお姿を描き、手を合わす歩行者、そんなシチュエーションが展開で来たら「しあわせ橋」はもっと楽しくなる。
僕らの地域はエジプト、ローマ、パリとは言わないまでも、魅力が山のよう。大切なのはそれをかたちにする想像力。
(レポート・写真 三宅 優)
ここ数日の熱さは、猛暑を超え熱暑。コロナだけでなく熱中症の心配に苛まれる。
そんな中、ここ福渡地区では明日が八幡神社の「輪くぐり」。今朝は朝7時から町内の人たちによる境内の清掃作業が行われた。年配から若い人まで参加しての作業は、まだまだ地域のつながりが残っている証しと安堵。
さっそく、きれいになった境内にブルーシートを敷き輪作りに入る。
今年の茅(ちがや)はこの春、記者宅前の草刈りをして、当グルメレポーターが焼畑をした後に芽吹いたもの。大人の肩まで伸び、その色合いは濃い緑になった。
「ッムー、立派じゃなあ、今年のちがやは」
茅狩りを担当した窪藪町内会長もほれぼれ。まずは総代全員で選別作業。
手は動くが口も動く。その話の中心は歳のこと
「もう、わしも兄弟が亡くなってしもうて、わし一人じゃ」
「Yさん、何才になったん?」
「おっ、わしか、わしは70じゃ」
「おかしいじゃろう、若う言い過ぎじゃ」
「ハハハ、バレたか(笑)」ほぼ全員が70をとうに過ぎている、でも頭は青年?
藁でできたベースに茅を巻く、2人で押さえて一人が縄でくくる。いわゆる「男結び」。
「三宅さん(記者)もこれから後継者なんだから覚えておきなよ」(Yさん)
「えっ?もうこれ以上は勘弁してよ(笑)」(今年で3年目)
小1時間、見事な輪が出来上がった。青々と生命力あふれるかたちの誕生。
すべての町民の健康を願う福渡八幡神社の「輪くぐり」は、明日の午後3時開始。
くぐり方は「左に1回まわり」→「右に1回まわり」→「左に1回まわる」。
(レポート・写真 三宅 優)
帰省の一歩はどこだろう。電車なら建部駅、福渡駅、神目駅。車だと53号、鹿瀬橋を渡った「ようこそ・・・」の建部町の頃にできた案内看板が建つ吉田に入った時。
「ああ、やっと着いた、すぐに実家だ」そう安堵。むろん帰ったら親兄弟からの質問攻めが待っている。
「あんた、なんにも連絡して来んで元気じゃったん?」
「ああ・・・(見れば分かるだろう?)」
「毎日、何を食べてたん?」
「いろいろ ・・・(そんなこと聞いてどうするん?)」的な会話。
それが、今年は・・・電話をしてどうするかを聞く。
しかし恐らく、建部を離れた人の方が田舎の現実に驚いたと思う。
「あんた、今年はお願いだから帰って来ないでね」
「えー?・・・」
大変なのは回りの目、仮にそれで感染者だとなれば、ここにいられなくなる、そんな心配が覆っている。しかし、それでも今年の帰省はよした方がいい、帰っても嫌な思いをするだけだから。
「あそこは東京から戻って来てるのよ」「まあ、うちだって我慢してるのに」
気が滅入る話はこれぐらいで、そのうち皆、方法を見つけると思う。そうした時はこれまで通り懐(ふところ)深い、優しい顔のふるさとが待っている。
そうだ、今年のお盆はリモート帰省にしてみたら?
「たけべ新聞」が全身に汗をかき、気温38度の建部を巡って、ほっかほっかの盆の入りをスケッチ。気分だけでも「帰った建部」を味わって!
目からウロコなお話だった。
先日、建部町観光協会の江田さんから「三宅さん、とっても面白そうな講演があるんだけど、いっしょにいきませんか?」とのお誘い。令和2年度岡山県観光ボランティアガイド連絡会総会で、京都の住民がガイドするミニツアー「まいまい京都」を主催する以倉敬之さんの話が聞けるという。
「こんな時に大丈夫かいな、年寄りが街中に出て」
「そんなことを言ったら、街中に住む老人はどうするんじゃ」
こんな会話が交わされる建部、皆、コロナ情報ウィルスに感染。
「それにタイミングよく、先日、OHKテレビ”なんしょん?”(写真2枚目右)で、
建部ボランティアガイドとしてデビューしたばかりだし・・・(笑)」と言うことで、昨日(6日)駅前にある「サンピーチOKAYAMA」へ。
講師の以倉さんは2011年より、税金に頼らず参加費収入で運営する町歩きツアー「まいまい京都」を立ち上げ、今では年間700コース、300人を超えるガイドさんを揃えるまでに成長。テレビ番組「ブラタモリ 清水寺」「ブラタモリ 京都御所」などにも多数出演されている。ちなみに「まいまい」とは「うろうろする」という京ことば。
講演題名は「withコロナ時代の観光ガイドと人気ツアーの作り方」
聴講に来た県内でボランティアガイドに携わる方たちの関心も「どうしたら魅力のあるツアーが作れるか」にある。
以倉さん、開口一番「withコロナ時代、これからますます本質的な力、”企画力とファンを作る力”が不可欠です」
「まいまい京都」のツアーは、1コース定員15名程、参加費2500円~、所要時間2~3時間、距1.5~3kmの設定が主。
参加者は4割が地元から。年代も40台を中心にほぼ平均的に広がる。リピーターは5回以上が6割という驚異的なリピート率だ。
その理由が一番にガイド役。「まちの最大の魅力はモノやコトではなくヒト(人)」と言い切る。
「ルートを探すのではなく、面白い人を探す」
「まいまい・・」ガイドさんは、御用庭師、女性僧侶、大工棟梁、占い師、妖怪の子孫、ミュージシャンなどなどユニークな個性派ぞろい。
記者はここでまず”目からウロコ”。確かにこれまで地域の観光案内を企画してきた時、決まってルート作りから入っていた。
興味深い場所をつなげて完成。
しかし知らない人が案内パンフを手に回っても、それはちっとも楽しくないのだ。そこが面白くてしょうがないという人と一緒に行くから楽しい、だからこそファンが付き、リピートにつながる。そんな当たり前のことを忘れてた。
そして「まいまい・・」のコース例。
仕事への愛情をガイド【無鄰菴】「御用庭師のお仕事拝見!名庭の美を紡ぐ、わざと心に迫る~庭師の七つ道具、見方・表情・愛し方、南禅寺方丈から花咲く春の無
鄰菴へ~」
趣味への愛情をガイド【御土居】「タモリさんを案内したガイドと、御土居でOh!
京都を囲む巨大土塁~京都高低差崖会凸凹ツアー!巨大城壁がつらぬく鷹ヶ峰台地へ~」
タイトルを読んだだけでワクワク、何だかわからないが行ってみたい、引き込まれる案内コピーが並ぶ。他にも行政との共同企画「雨水をためる地下巨大トンネルを探検」ツアーや、「部落史研究者と歩く、六条河原刑場跡を巡る」ダークツーリズムと呼ばれるツアーなど実に多彩、練りに練った企画満載。
しかしそんな「まいまい・・」さんも、今年4月コロナの非常事態を受け、大幅なダウンを余儀なくされる。
そこで考えたのが「オンラインツアー」。ライブ配信することで3密を防ぎ、逆に参加者を増やすことができる。災いをチャンスにつなげた、まさに”目からウロコ”
この日の講演、わずか90分、身振り手振り、力を込めて話される以倉さんから、
この仕事が面白くてしょうがない「人」が伝わって来たのは言うまでもない。
さあ、もはや大型バスで大挙呼び込む時代は終わった、われらも「ブラタモリ しあわせ橋を渡る編」に向け、いざマイマイ建部。
(レポート・写真 三宅 優)
8月に入り、回り中で聞こえてくるのはセミの声、そしてコロナへの嘆息。
岡山で80数人、連日の報道で県民の心配度が加速する。そんな中、先日(7月31日)、毎年秋に実施される「ふふふ祭り」の第12回
実行委員会が開かれた。
昨年は雨天のため中止となったが、今回はコロナにおける実施の可否が議題。
出席したのは町内に拠点を置き活動する「障害者生活支援センター こら~れ」「福渡町内会」「メンタルボランティアさくらの会」「建部町公民館」「福渡小学校」「旭水荘」「岡山・建部医療福祉専門学校」
「葵の園・岡山福渡」「NPO法人なでしこ会」の団体で、代表者らにより真剣な意見が交わされた模様。
その内容について、当「ふふふ祭り」事務局を担当する杉山ゆいさんからの寄稿を以下、掲載(全文)。
『第12回ふくわたり・ふれあい・ふくし祭りの実行委員会が開催されました。コロナの影響で町内のイベントが次々と中止決定される中、「ふふふ祭り」も例外でなく中止が決定されました。
ただ、「ふふふ祭り」の目的はイベントを開くことではなく、地域がつながり助け合い、誰もが安心して暮らせる地域を維持し続けることです。イベントはそのための手段です。
地域について考えた時、今、一番の問題はやはりコロナ。コロナウィルスの予防も大事ですが、岡山県内でも続々と感染者が増える中、「感染しても安心して暮らせる地域」を考える段階に来ているのではないか。地域に感染者が出た時、自分が感染した時にどうしたらいいか。地域に何ができるか、防災と同じように考えることが必要ではないか。
建部町は地域の支え合いが生きている地域。コロナになっても差別を受けることなく、助け合いながら安心して暮らせると分れば、体調不良も訴えやすく感染拡大予防にもつながるのでは。そんな話し合いがされました。
具体的なアイデアや計画には至りませんでしたが、「建部町は感染しても安心して暮らし続けることができる地域」という思いを一人でも多くの地域住民と共有していくことが、今の私たちを取り巻く恐怖の一つを克服することにつながるのではないでしょうか』
先週来、岡山に限らず日本全国に覆い始めている「コロナに罹るかもしれない、コロナをうつすかもしれない」不安感。そのことにより、閉ざされていく人の心。
新しい生活スタイルで求められるのは、「コロナをあたり前として受け止め、互いを許しあう」そんな大人社会の実現ではないだろうか。
杉山さんからの提言に、記者もそんな時期に差し掛かっていると強く感じた。
(レポート・三宅 優 特別寄稿・写真 杉山 ゆい)
コロナでしぼんでしまった感のある地域の情報、そんな中、久々のニュース到来。
OHK岡山放送の人気番組「ミルンヘカモン!なんしょん?」。
以前にも建部のスポットがいくつか紹介され話題に。
その番組が今回は当新聞、編集長、副編集長を御指名、「今を味わう御津、建部、旬の愉しみを伝授してくれー」と相成り、両者、勇んで出かけました。
はてさて、どんなシーンが収録されたのか、当グルメレポーターとしてはとっても気になるのだが、取り敢えずカメラに収まった写真から速報!!
スタートは今や「岡山市の避暑地、軽井沢」と呼ぶにふさわしい建部(チョッと蒸すけどね)の代表格「たけべ八幡温泉」。
市内中心部から40分で入れる天然温泉なんてそうザラにないし、何といっても魅力は「源泉掛け流しの湯」。古くは江戸時代初期、高僧「日船上人」により開かれてから今日まで多くの民に愛されてきた。そこに目を付けたのは、さすがOHK!(ヨイシょ!)
「でも、誰が入るの?えっーまさか」
バスタオルを腰に巻き、満面笑顔でお湯に浸かるのは、齢(よわい)73歳、68歳の遠目に見れば東野英治郎&石坂浩二、歴代、水戸黄門ペア。
「こりゃあ、視聴者からブーイングの嵐か(笑)」
やがて、ご老公らはそれぞれに「お気に入りの湯」を紹介、露天風呂では、二人の10年来の付き合いで初めてとなる裸でツーショット。
そして、のぼせることなく無事、風呂上りとなった。(ホッ)
この後、出向いたのは岡山市に向け熊見トンネルを抜けた場所にある御津「くぼ農園」さん。
ここは言わずと知れた「フルーツ狩り」「森のバーベキュー」「サワガニ捕り」など自然と農業をテーマにさまざまな体験ができる観光農園。
本日、二人がチャレンジしたのは「ドラム缶ピザ」。まずは女性スタッフの説明に従い火起こしから。
(勝部)「缶の一番下に杉っ葉を入れてね、上に小枝、その上に薪をやぐらに組んで火をつける・・・」見る間にボウボウと燃えさかる炎。
それを見てスタッフ女性「まあ、こんなにすぐに火が起きたのは初めて」
それもそのはず、当編集長、別の肩書は「岡山キャンプ協会」理事。遠くはトルコ、モンゴルまで遠征した強者(つわもの)。ピザ作りは副編集長にお任せ。こちらはナポリまでピザ研究に行くこだわり派。(それでもマル屋のピザにはかないません)
こうして老公らはドラム缶から焦がすことなく取り出した「森のピザ」を堪能。吉備高原の空気を胸いっぱいに吸い込んで次なる地へと向かうのであった(♪水戸黄門テーマ曲が流れる♪)
さて(ナレーション風に)一行がやって来たのは再び建部町、訪ねたのはここで夫婦仲むつまじく菓子店を営む、ご存じ!
(勝部)「岸本さん、この季節ならではのスイーツがありますか」
(岸本)「はい、白桃ロールとブルーベリータルトです」
さっそく注文、テーブルへ。
先ほどまで、「いや、朝から結構食べたから、甘いものが入るかなあ」と心配していた石坂黄門こと副編集長、カメラの前で「白桃ロール」をペロリと平らげ、ニコリっと「ピーチスマイル!」
東野黄門(編集長)もサニーディコーヒーを頂きながら「ああ、至福の時だったねえ」と、もはやこの世に思い残すことなしと恍惚世界へ・・・。
では、お待ちかね放映日時のお知らせ!
8月1日(土曜日)正午から
OHK岡山放送「ミルン⁺ヘカモン!なんしょん?」で!!!
(レポート・三宅 美恵子 写真協力・OHKエンタープライズ)
つい数日前に豪雨での土砂災害と浸水被害の心配をしたばかり。「しあわせ橋」もどうにか損傷を受けたが持ちこたえた。町内の被害も聞かれずにすんだ。
これから台風シーズンを迎え、不安は消えることがないのだろう。
こんな時、折よく建部町公民館で「防災」の講演が開かれた。
町内65歳以上を対象とした講座「建部大学」に招かれたのは岡山市危機管理室の橋本 哲(てつ)氏。
講演は5つの内容で行われた。
①「H30年7月豪雨の振り返り」48時間で307㎜を記録した市内での浸水被害7,000棟、避難者3,000人
②「岡山市の地形の特徴」市内南部を中心に海抜0mが218㎞2あり大阪湾の2倍にあたる
③「一昨年の教訓とした見直し」その後の見直しで、近所の人による共助が大きいことを受け、町内会をベースにした自主防災組織を推し進める。(橋本氏が担当)
④「事前の準備」ハザードマップを全戸に配布、自らの命を守る行動をうながす
⑤「避難所におけるコロナ対応」コロナにより避難所の収容キャパは従来の40%となる(建部小343人→137人)
課題として
①について、避難勧告を受けた人は32万人いて1%が避難、勧告が行動につながらない現状。
③について、自主防災組織率はまだ60%
⑤について、新たな避難所(隣接する小学校、民間施設)の必要
最後に質疑応答。せっかくなので記者も。
「早めの避難は大切だが、そのためにも早めの避難所開設が必要では?」
(橋本)「できるだけそのように、連絡を取り合って進めている」
講座は1時間弱、ただ気になる点、聴講者のほとんどが後期高齢者、この方たちにオピニオンリーダーを担ってもらうのは難しい。
とても大切な話だからこそ、もっと若い世代、もっと多くの町民にも知ってもらい、広めていく(こんなことを勉強しました・・・ハイ終りではなく)そんな手法が望まれる。
特に 「至る所に土砂災害の危険個所を抱える建部」(橋本氏談)にあって、同時に旭川ダムの放流による浸水被害に怯える地域の自主防災団を組織する者にとって、公民館や行政に対して事務的な取り組みに陥らず、真剣に解決に向け協力する機関であって欲しいと願うばかりだ。
(取材・写真 三宅 優)
当新聞、副編集長が2年前の7月豪雨での建部の被害についてNHKニュースで
語ってから1年4ヵ月。その後、流されていた「しあわせ橋」はこの4月にきれいに復旧された。B&Gのグランドも整備がほぼ終わった。
恵まれていると思う、真備や東日本の震災地でも、まだ爪痕は残っているだろうに・・・。
再度、NHKの矢崎アナウンサーから電話があったのは5月下旬。
「視聴者からその後、橋はどうなったか問合せもあり、建部の今の状況についてお聞かせ願えれば・・・」
副編集長も「たしかにそうだね、コロナですっかり忘れていたけど、しあわせ橋が無事に戻ったことを皆さんにお伝えしなくては」
取材は梅雨に入った6月26日、「できれば、晴れて真っ白にかがやくしあわせ橋を見せてあげたいなあ」の願いが通じたのか午後から陽が出てきた。
(矢崎アナ)「こうして橋が戻って来た今のお気持ちはいかがですか?」
(副編集長)「もう、そりゃあ、うれしいですよ、これでやっと前に進めるって感じかな」
架かっていた時は何とも思わなかったのに、なくなって残骸だけになってしまうと、寂しい思いにさせられていた。
「たけべ新聞」があの日7月6日、編集部員の松下夫妻からの旭川の増水レポートを受け動き出した。7日未明は我が身の危険を感じた。
そのことを受け「防災」の必要を強く考えるようになった。
今回の放送はちょうどあれから2年目にあたる7月7日の午後6時半に行われた。前日は九州で大きな被害が発生し、岡山でも警報が出されて気が気でない1日だった。
VTRでは今年、新たに副編集長が取組み始めた自主防災団の活動も紹介されていた。
「いや、前の経験を活かしていかなくてはと思い・・・まだ絵に描いたでけですが、日頃から考えておかなくては行動にもつながらないと・・・」
マスクの下から聞こえる自信なげにくぐもった声、でも眼は自信あり。
それでも、最後に映った自身の姿を見て「ああ、こりゃあ顔はしみだらけ、手はやせ細って筋だらけ、とても頼りになる人間には思えんなあー」
ガックリと肩を落としていました(笑)。
NHKニュース「語りつぐ再会編」動画
(レポート 三宅 美恵子・松下泰成 写真はNHKニュースから切取り)
富沢地区の鳥越池周辺では「ウ~ン」と鳴り響く草刈り音。田植えはとうに終わり、田んぼの苗もスクスク育ち始めている。
一苦労な農作業から解放され、さぞやのんびり休日と思いきや、里山建部のチームはじっとしていられない。日曜、朝から自らのベースキャンプの大清掃。
集まった男連+女子会メンバー15名が汗だくだくでの仕事を済ませやっと一息。木陰に時おり寄せる風が何とも気持ちいい。
そして話はいつしかコロナに。
「とにかく国は金を出すのがきらいなんじゃ、ドンッと使って解決すべきじゃ」
「こんな調子じゃあ、もう秋祭りだってできんじゃろう」
「わしらはアルコールを飲んで消毒するしかないで(笑)」
メンバーの車が1台、到着、荷台には濃い緑色の榊(さかき)が。これが本日のメイン行事、全員が仮祭壇前にディスタンスを取って並ぶ。
「建部里山しろみて祭」の開始。本田区長の進行で一人一人が玉串奉奠(ほうてん)。
「稲がしっかり実をつけますように」「健康でいられますように」「コロナが早く治まりますように」3つの願いごとをする。この様子をオニビジョンの記者さんがマスク着用で懸命にカメラに収める。
神事は重本会長の「太陽がまぶしいので・・・今日はこれでごくろうさまでした」の言葉で閉式。
後は新設したばかりの集会所で窓を開け放っての昼食会。いつもなら大皿料理が並ぶのだが、この度は個食にセットした「タコ刺し」「巻き寿司」「菱川豆富」で。
「今日は、アルコールは抜きだよ」
「ヒェー、それじゃあコロナをやっつけれんで(笑)」
女子部ニューフェースの紹介は近藤奈緒(なお)さん。
「倉敷市茶屋町からきました。キャンプ協会の会員でここを知って、私も山を開拓するのが好きで前回から参加しています、もうメッチャ楽しみです」
ここに通って早10年、記者もだがメンバーも歳を取り、心なしか身体も小さく見える。でも、いつも笑いあり、冗談を交わし合うのは変わらない。
鳥越池の水面をゆっくりと鯉が行き、アジサイの咲く草むらから小鳥が「ピッピッ!」と飛び出し木立に消えた。季節は真夏へと進む。
(取材・写真 三宅優)
梅雨の晴れ間、建部中学の1~2年生が網を持ち、近くを流れる田地子川の河原に集合。今から川中に入り生き物の採取に取り掛かる。
授業をサポートしたのは岡山市環境学習センター「めだかの学校」で、実は当施設の授業は今期初めてとなる。
コロナの若干の収まりと3密を考慮しての野外授業、自然豊かな建部だからこそ可能になったと言える。
この春に赴任した武藤館長もズボンのすそをたくし上げ待ち構える、はたして成果やいかに?
時間は午後1時半、気温28.6度、水温24.8度、川の水がうれしくなるほどの陽気だ。
今日の授業を受け持ち生徒たちに直接、説明に当たられるのは、この春まで「めだかの学校」館長をされていた能登先生。
4月から建部中学で再び子どもたちの教育に携わっている、何とも心強い。
生徒たちは能登先生から「安全な行動」「危険な生き物」「魚の追いこみ方」等を教わったあと、2人1組になり網とバケツを手に川へ、活動時間は30分。
事前に川原は地域のボランティアの方で草刈りをしてくれていて、子どもたちも安全で動きやすくなっている。
さっそく「あ、あっー」「きゃっ、きゃー」賑やかに声を上げての捕獲が始まる。
5分経過、「あっ、なんかとれた!」「えっ、それゴミじゃん」
騒げども、はしゃげども獲物は捕まりそうにない、掛かるのは空き缶、CDなどなど。
それでも中州の奥にいた男子生徒たちから「おお、入ってる!」の声、そして「拍手」。
終了時間はすぐに来た。バケツの中身をとりあえず水槽へ。
「カワムツ」「ドンコ」「ムギツク」「ヨシノボリ」「メダカ」「ギギ」能登先生が書いた名札が貼られる。水槽を覗くとアメリカザリガニ、サワガニ、シロエビ、ヌマエビ、カワニナ、トビケラなどの生き物も。
(能登先生)「今日は魚の種類は6種類でした、いつもより少ないですが、他に魚のえさになる水生昆虫なども捕れました。こうして色々な生き物が一緒になって生きている、生物多様性ということが学べました」
このあと全員で捕った生き物を川に逃がす。
「えっ、逃がすの?これ、家で飼いたい」М君の持つミルソーで泳ぐのはムギツク。
「ぼくが空き缶の中にいるのを見つけたんです」
(記者)「それは運がいいね、空き缶も拾えて一挙両得だ(笑)」
この授業の2回目は来週、空き缶を見つけたらそっと覗いてみよう!
追記:武藤館長の初成果は?
「残念ながら僕は、”1匹”も捕れませんでした(笑)」
(取材・写真 三宅優)
先月末に当新聞でも取り上げた「ESD建部町で食品ロスを考える会」(公民館主催講座)による建部の小中学校の児童の家庭を対象にした「コロナ休校中における家庭での食生活アンケート」、その回答が寄せられ今、集計の真っ最中だ!
回答数はなんと126家庭で、全生徒数280名であることから推測して、回収率100%近くの意見が寄せられたと言える。
丁度、これより前に「クックパッド」による「臨時休校に伴う家庭の料理負担の実態調査」がネット上で公開されていて、その中で「料理の負担感」について80%が「増えた」と答え、「料理をする際に困っていること」について「昼ごはんの準備が大変」「献立を決めるのが大変」また「料理をすることで気持ちが前向きになったことがあるか」の問いに「ない」と答えた人が64%と発表されている。
この調査が都市部に住む家庭を対象にしたものなのかもしれないが、はたしてこの建部地域ではどのような回答が得られたのか非常に興味深い。
今回の集計結果は「記述」と「グラフ」の両方で明記され一枚にまとめられて、来月中頃までには各児童の家庭に配られる予定。当新聞「たけべ楽考」7月号にても特集!
そのため、この日もメンバーは宿題を持ち帰り「リモートワーク」することとなった(笑)。
(取材・写真 三宅優)
少しずつ日常が戻ってきた。これまで控えていた公の催し、町内の集会が人を密にせず従来より小規模にすることで再開、むろんマスク着用。
この日(6月18日)保健センター2階講堂でも「人生100年時代の健幸術」と題した福渡健康教室「すずらん会」主催の講演会が開かれた。
お話しくださったのは「葵の園」岡山福渡施設長で医師の市場 尚文(なおふみ)先生。
聴講者は健康教室のメンバー35名、全員、雨にも負けず100歳めざそうとやって来た意欲溢れるおじいちゃん、おばあちゃんたちだ。
では、そのお話の中から印象に残った内容を私(グルメレポーター)がランダムに(笑)報告。
まずは市場先生の紹介から。お生まれは1946年で(ということは当副編集長より6つ年上・・・若い!)岡山大学医学部を卒業、市民病院の小児科部長を経て、
1997年より市の保健所専門監として主に青少年の性教育にたずさわり、その後、東日本大震災の救援活動の経験から内科を学び直す。去年7月より建部町福渡「葵の園」施設長。(実は県議会議員、大塚愛ちゃんのお父さんでもある)
さて市場先生が最初にスクリーンに紹介したのは、きんさん、ぎんさん、日野原重明先生、八千草薫さん・・・。
「みなさん、ご存じの方ですよね、どの方も年取られてもしっかりとされていましたね」
そうそう、どうしたらこんなふうになれるのかしら・・・うなずくいくつもの顔。それをこれからお話しますと披露されたのはギター片手に先生の歌。
「幸せをありがとうぬくもり届きました・・・誕生祝いをありがとう・・・」(さだまさしの「バースデー」)
次に「東日本大震災の3.11」に生まれた赤ちゃんの画像が写し出される。大変な時に懸命に命を育み、この世に生を受けた子どもたち、流れる曲は「いのちの理由」。
この展開に 「これが100歳まで生きることどうつながるのかなぁ・・・」先が気になる聴衆。
でもそんな心配は不要で、このあとしっかりと医学的健康法の講義(以下、私のメモ書きより)
●1997年「成人病」が「生活習慣病」に変わる
●ガンマGPでお酒の適量がわかるようになった
●女性は男性に比べてすべて優位種、唯一、骨がもろい
●カルシウムと運動はセット。足の裏のかかとにセンサーがある
●どんなふうに生活するかが健康寿命を変える
講義50分経過、ここで再びリラックスタイム、演奏「川の流れのように」・・・その前に「トイレ休憩はどうですか?」(さすが先生、気づかい100%)
♪・・・しらずしらず~いつまでも青いせせらぎを聴きながら・・・♪
後半は「疾病の予防&老化の予防(フレイル予防)」について(メモ書きより)
●フレイルとは健常と要介護の中間の状態で虚弱(前兆)
●健康キーワード「3つの趣味」=体を使う・頭を使う・手を使う
●緑の三角形=健康→お金→環境(自転車で動けば運動になりお金がかからず環境にも良い)
●エレベーターを探すより階段を探す
●主人在宅ストレス症候群(”妻はおい 夫はもしと言う名なり”古川柳)
●”「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ”(俵万智)
●健康で長生きするためには”目標を持って生きる”ことが大事
●割りばしを噛む口元にするだけで楽しい気分
この日の先生のお話、「愛されて生まれる」から始り「感謝して生きる」そして「幸せに老いる」、 "これぞ人生100年時代の健幸術なり”と理解。
外は梅雨、最後に全員で「ここに幸あれ」「愛さんさん」「ふるさと」を合唱し、余命に希望を持ち帰宅の途に着く。
追伸:「葵の園」から。ショートステイでお気軽にご利用ください。施設の自慢はご飯がおいしいことです(市場先生も太鼓版)
(レポート・三宅 美恵子 写真・三宅 優)
「まだかなぁ・・・」「もう来るかなあ・・・」
家の庭先で首を長~くして待つのは建部上でレザークラフトの工房を構える「建部獣皮有効活用研究所」の
頼本徹・ちひろ夫妻。
頼本さんが取り組んでいる地域で捕獲される害獣を使ったクラフト作品はNHKテレビニュースでも取り上げられ、全国から注目を浴びている。その工房へこの日(6月15日)やって来るのは・・・建中生徒たち!
「えっ、なんで、中学生が?」なんでも授業のカリキュラムに「地域学」というのがあって、地域の持つ力をみんなで学ぶのが目的らしい。
午後2時、板野先生らに引率された17名の生徒たち、「・・・獣皮有効・・・」のいかめしい名前に戸惑っているのか、かなり堅い感じで入場。
さっそく「ジビエ料理って知ってますか?」とちひろさんが質問。食べることに関心がある何名かが手を上げる。
「ジビエとはフランス語で野生の生き物のこと、それで料理するのがジビエ料理。そこで出た革を使ってクラフトにします」
「???・・・」イマイチわかったか、わからなかったか。
そんな雰囲気に板野先生、「まっ、なんでも勉強じゃ、じっさいにどうやるか教わりましょう」と、徹さんと大きなまな板をヨッコラショ。毛皮も運んで作業工程の説明。
しかし生徒の反応はやはり今一つ。おいしいジビエ料理の作り方ならきっと違うのだろう。
そこで板野先生「この皮をじゃな、なめしてから、好きなとこを使っていくんじゃ」自らが講師となって説明を開始(笑)。
それもそのはず授業時間は20分。
手っ取り早く理解してもらうため用意したNHKニュース動画は3密を防ぐためスクリーンを座敷に設置、庭からの視聴。
「へー、知らなかった、こんなことができるんだ」そんな発見があったかどうか・・・でもすぐに結果が出なくてもいい、後になって「あんなことをしてた人がいたなあー、わたしもやってみようかな」と思い出す日が来るかもしれない。
生徒を見送る頼本夫妻の視線にはそのことへの期待が込められている気がした。
(取材・松下りえ 写真・松下泰成)
コロナ災禍で人と人が距離を保つ、いわゆるソーシャルディスタンス「新しい生活スタイル」が提唱されている。
しかし満員電車、すし詰め集会は当然だとしても、熱気が”かなめ”のスポーツ応援、祭り、ライブ・・・果たして肌と肌が触れ合うことが重要なコミュニケーションに変わるものがあるだろうか。
「防災」もその一つ、遊びや祭事とは別だが、非常時に互いが体を惜しまず助け合う、ディスタンスを考えている場合ではなくなる。
どこかでどちらかを優先する割り切りが求められている。
日曜の午後、建部町福渡地区で行われた「福渡みんなの防災団」のオリエンテーション。
一昨年の豪雨災害を経て岡山市が100%実施を目指して取り組む地域の自主防災組織の結成、その一環で当町内にも今年の1月に町内会を主体に登録がなされ活動が始まった。と言っても、課題は山積。
そもそもの課題は過疎高齢化。日中、老人しかいない町内で、どうやって組織を立てるか。
当然、構成人員は年寄り(記者も)、それを動くこともしんどい人たちを対象にいかに安全な避難に導くか。
行政側は「地域に従来からある、住民同士の結束を図ってきた町内会が最もふさわしい」と期待。しかしそれが、当地域に於いて言えば岡山市に合併後、その結束がほぼ有名無実になってしまった感がある。
これまでは町役場の協力できめ細かな活動を担ってきた町内会が、今は回覧板を回す程度の役割りでしかなく、
そもそも町内会の世話をする人さえ見つからないのが現状。
福渡地区では一昨年の豪雨を経験し、指定された福渡小学校避難所までの道路の冠水や遠距離移動の困難さを考え、土砂災害警報時にも使用できる避難所(福渡町内の公民館、支所、保健センター、葵の園等施設は土砂災害危険地区のため使用できない)の選定が望まれていた。
この日は心よく避難所を提供をして下さることになった「友愛の丘・ゼンセン」に新防災団員15名が集合、現地視察をすることになった。
利用するスクラムホールは全面フローリングの
体育館みたいな広々とした建物、団員らは避難時の行動を念頭に「駐車場」「出入口」「トイレ」などを確認する。
「外の駐車場は3か所あるが、その位置と収容数をあらかじめ伝える必要があるのでは」
「もし停電になり、トイレが使えない可能性が出た場合どう対処するか」
団員の問いかけが発せられる。
一行は続いて町内にある自主避難所のコミュニティセンターへ移動。ここは一昨年7月の大雨の時にも使われた。
ここでの課題はやはり収容人数に限りがあること、あぶれた人たちを先の「友愛の丘」へいかにスムーズに誘導できるか心配がつのる。
そしてこの時点での大きな課題、それは土砂災害における避難開始をどこで見極めるか。丁度、この日の前夜、岡山市は全域に土砂災害警報レベル3相当を発令、しかし、これまでの雨量を推り、またこの後の雨雲の動きを追うと避難迄には至らないのではと多くの人が判断したのではないだろうか。逆に暗くなってからの避難の危険が高く感じられた。
市の警報が最も頼れる指針であることは変わりない。それでも雨量、川の水量は即行動に結びつくのだが、土砂災害においては危険の見極めが難しい。確かにレベル3、レベル4の行動基準は確立しているのだが、今後、警報を受けての地元の”読み”が重要になってくる。そうでないとこれから何度も避難所を開設することになるやも知れず、
「それに常に対処する人員がどこにいるのか」根本的、壁にぶつかる。
何度も言うが中山間地域における防災は今や「老労防災」が現実、これでいかに乗り切るかが問われている。
(取材・三宅優 写真・松下泰成)
季節が初夏へ、建部では朝からトラクター、草刈り機がフル回転。
町内の神社やお寺でも雨期を前にしての清掃作業、境内や建物の屋根に積もった枯葉の除去に大忙し。
町を離れた若者たちにとって、帰って来れば昔と変わらないふるさとが待っている。
しかし、それもそろそろ限界が見えてきた。作業に集まった人たちの顔ぶれは、ほぼ高齢者、神社の本殿に命綱なしで上っているのは町内会長自身だ。
「わしらがやらなきゃあ」という義務感と、まだまだやれるという負けん気がそれを支えている。
「われわれがいなくなったら、あとはだれがやるのだろう」
70歳代のリタイア組が中心の町内組織、その後の世代は仕事に出て、後継者不在。
「それでも、わしらがやれる限りはやろう、あとのことは考えないで・・・」
確かに「もうできない」と投げてしまったら、そこから荒廃が始まる、それだけは食い止めたい。
そう結論を出し、今日も市から委託を受けた山の峠に至る市道斜面の草刈りに汗をかく。
遠くにいる若者たちが「ここはいつ帰っても変わらんなあ」と思えるように・・・。
(取材・写真 三宅優)
やっと学校がスタート、給食も始まった。保護者の方にとっては、待ちに待った日、なんとこれまでの長かったことかと感慨ひとしおではなかろうか。
コロナ災禍、まだまだ予断は禁物だが、この間を振り返ってみるのはどうだろう。
通常は学校で生活しているはずの子どもたちが一日家にいる、さらには大人の中にも自宅勤務が余儀なくされた場合だってあるだろう。
生活はどのように変化し、特に食事はどう対応したのだろう。
そんな疑問に岡山市建部町公民館の主催講座「ESD建部町で食品ロスを考える会」がコロナ休校中における家庭での食生活について、建部町小中学校の児童を対象にアンケートの実施を企画している。
2017年に発足した「・・・考える会」はこれまでも食べ物を大切に活かすための調理実習や食事会の開催、食の無駄を無くすPR冊子などを発行して来た。
今回のアンケートでは「大変だったこと・困ったこと」「食生活で変わったこと」「子どもと作ったメニュー」「買い置きしたもの・作り置きしたもの」「食生活で工夫した点」などの問いに答えてもらい、その結果をまとめ情報を共有することで、今後同じことが起きた場合に役立てるのがねらい。
実施に当たり何度か打合せを重ねてきた会だが、すでに学童を抱える母親からの声がいくつか寄せられ、その中には「毎日、1日中、台所に立ってるようだった」「子どもが自分で用意するようになった」「新しいメニューに挑戦した」など、大変さと良かったことの意見が混在する。
また記者もいくつか聞く機会があり「コロナ休校前と後で違う点」について取材したが、男性から「昼食の手間が増えただけでは」「休みの日と変わりないのでは」との回答もあった。家庭の切り盛りすべてを女性に委ねてきた男の実態もうかがえる。
会の中心メンバーで自身が管理栄養士である森本美登里さんは「人は食べなくては生きていけません。コロナ休校で食生活をどう乗り越えたかのヒントを得ることで皆さんの知恵を活かす手助けになればと進めています。会の調理実習にも取り入れて、そのときに役に立つ提案ができたらいいなと考えています」
と話している。
このコロナが今後どう影響するのか未知数だが、これまで当たり前として動いていた社会がその活動の大部分を停止した中で、何が大切か、何がそれほど必要としないものか、個々の人が立ち止まり考えるきっかけにはなったのでは。
アンケートは6月1日(月)以降に建部町小中学校を通じて児童の家庭にお願いする予定。賛同者からの回答はその後、集計、まとめをして再度、学校、児童の家庭にフィードバックされるとのこと。「災い転じて福となす」当新聞でも結果を公表していきたい。
(取材・写真 三宅優)
いくつかの県で緩和が出はじめた週末、建部平野では、土をかく耕運機の唸りが響き黙々と田植えの準備をする人たちの姿が目に付く。
農作物はウイルスの影響で遅らせるわけにはいかない。
春に耕し水を引き、苗を植えて秋の収穫を待つ、何千年と繰り返して来た人の営み。
今日、ここ品田地区にある「一ノ口井堰」の用水の取り入れ口でも、水利の責任者の人らが集まり水門を閉じる作業に入った。
用水を干し、明日から水路に溜まった土砂やゴミを取りのぞき、これから秋までの水の流れを確保する。
これもおそらく数百年は続けられた行いだろう。
そしてこのタイミングに、旭川の生き物を捕え触れ合おうという岡山市環境学習センター「めだかの学校」主催の企画が始まったのがほぼ10年前。
記者も発起人の井口松治さんの呼びかけで参加して来た。
これまでに幾度となく大捕り物が繰り広げられてきた。
ただ今年だけは、街中からの水路を埋める家族連れもなく、子どもらの歓声も聞こえない、自粛で中止となったから。とは言え、昨年仕掛けた簗は一度、陸に上げねばならず、となれば魚の顔も観て見たい。
子ども心を捨てられない大人たち数人による「魚とり」の始まり。
開始と同時に乗りつけたのは「アスエコ」メンバーで昨年も講師として来てくれた柏さん。
「いやあ、こんな中ですけど、ここの魚とりだけは、やるだろうなあって思って来ました(笑)」
さすが、類は類を?そうなんです、どんなのが仕掛けに掛かってるか1年、わしらも気になっていました(笑)。
今回、初めてとなる「めだかの学校」の武藤館長「来年があるので、どういうものか見ておかねば」と参加。
水中には先ほどから30㎝クラスの鮒の群れが右に左にと行き交う。段差のある下手では、水が引くのに併せて「バシャッ!」と水しぶき、巨体が跳ねる。
「今年は、やけに大物が多いなあ」
自分の仕掛けに自信を得た井口さんの表情がほころぶ、しかしすぐに「これを、子どもたちが見たら喜んだじゃろうに」と残念顔に。
柏さんが、次々に仕掛けを持ち上げては網に移し始める。
「ナマズに、おっ、ウナギだ!」さっそくの大収穫、立て続けに「あっ、2匹目のウナギ!」
大型の網を用意したのに、それからはみ出さんばかりの、フナ、ナマズ、そして鯉。
「いやあ、こいっつは大きいなあ」ベテラン指導員の沖さんの両手におとなしく収まった「まな板の鯉」
館長も「こんな大きい奴、見たことない、すべて初めてです」
そう言う武藤館長、我らより若いだけあって動きも機敏、修得も早い、網を手に次々と大物ゲット。
柏さん「いや、そういう大きいのより、小さめなのが捕りたいんです」
アカザ、ドンコ、ヨツメ・・・、旭川の清流を知る貴重な生き物。
開始から40分、ほぼ回収、いつもなら、まだ家族で魚を追い駆け回っているだろうに。そんな寂しさが常につきまとったコロナ災禍の「魚とり」。
ナマズや鯉は大河に返してやった。
明日、一年後に向けて新たな仕掛けをする。
その時は誰にも予測できない、克服してるのか、また別の戦いが起きているのか。
ただ、夢は描こう、きっと来年「あっ、お父さん、ウナギだ!!」と子どもの声が聞こえることを・・・。
(取材・写真 三宅 優)
人の外出で密集が懸念されるゴールデンウイーク、街中に生活する人たちはどう過ごすのだろう。
マンションのベランダでバーベキュー、家族そろってスーパーに買物に、閉じこもることに耐えられずついつい発散を求めてしまう。
特に都市部の狭いアパートや隣同士が密接する住宅で暮らす人たちには、一日外に出ないことが相当なストレスと考えられる。
ここ建部町ではどうだろう。「町」と名前は付いているが、ほぼ「郷(さと)」が相応しい地域。
当然、建物の敷地より自然が圧倒的、人の数より他の生き物の方が多い。記者宅に住みついたネコたちも、日中は家でゴロゴロ、夜になるとモグラ、野ネズミ、昨夜は野ウサギまで捕まえて帰る。
住民たちはというと、いつもより外で見かけることが多い。外と言っても田んぼや畑、裏山でせっせせっせ、特に草刈り機の音は至る所。田植えの準備、新しい野菜の苗を植える。そばにいるのは勝手知ったる妻に夫。
「他所に出かけるな」と言われても、「そんな暇はない」。田舎は自然を相手にやることが山のよう。
作日もその一つ。地区で管理している山頂にある貯水池から引いている水路の土砂かき。
至る所をイノシシが掘起こし、倒木もふさいでU字溝が埋もれてしまっている。それをスコップやジョレンで取り除く。
最終地点まで数百メートル、一カ所、一カ所、開通させてやっと終了、気がつけばこの間、休むことなし。
それでも水が気持ちよく流れるのを見ると疲れも洗われる。
午後からは当然、どこもが草刈り、体力、年齢との戦い、いつまでやれる?
刈った草をヤギに与えるのも愉しみ、自然と生き物と人間がほど良くバランスをとって、ここ建部ではこのウイークも閉塞することなく過ごせそうだ。
(取材・写真 三宅 優)
毎年この時期に地域の春祭りとして親しまれている「腰折地蔵春祭り」が4月19日に行われました。
コロナのために中止にしようかどうかと迷いながら、このお地蔵様は正式が延命地蔵菩薩と言い、家内安全・運命長久を願っています。
富沢だけでなく世界の人々がコロナの難をのり越えられるように踏み切りました。
またこんな時期、近所の高齢者の元気な顔をみることも重要です。
マスク・消毒を徹底し、密接にならないように里山から椅子を運んで、一人ひとりの間隔を1m以上に取って開催。
祈願を終えた後は、例年なら懇親会に移るのですが、今年は元気な笑顔を確認し合い、ただちの散会となりました。
参加者は来年の春も笑顔で再会できることを願い、一日一日を充実させながら生き抜くことを誓合いました。
(取材・写真 勝部公平)
4月から田植えの準備、神社では「祈年祭」が方々で行われ、ここ福渡八幡神社でも神様に海の幸の鯛と山の幸のタケノコをお供えし、「今年も豊作でありますように・・・」と祈願。
そして、それだけでなく今年は「コロナウィルス撲滅を・・・」の詔(みことのり)も唱えました。
他所ではこういった神事が中止を余儀なくされている中、人が密集しないこの建部でできることをありがたく思うと同時に世界の平穏を願いました。
(取材・写真 三宅 優)
つい2ヵ月ほど前には、だれもが想像しなかったことが起きている。だから、ここは慎重に状況を睨みながらも、日々を愛おしく生きよう。
目をやれば、いつの間に咲いた花々、間違いなくここに生命の息吹があるのだから。
(取材・写真 三宅美恵子)
建部ハイキングクラブ会長の本田義章さんから届いたのは、建部古道、法寿山てっぺんの写真。見事に咲き誇る山ツツジ。
さすがアルピニストの本田さん、人と触れ合わないでもできること、一人山歩き。籠ってばかりだと当然ストレスが溜まる、かと言ってどこへ行っても人はいる。
少し雨続きで、そんな野外活動も行えなかった「里山建部」。やっと昨日、炭出しが行われた。事務局の勝部(当新聞編集長)が送ってきた写真には、眩いばかりに
輝く正にいぶし銀の備長炭。さて、出来上がりはというと、ほぼ70%の上出来!
メンバーは炭出しの後も倉庫修理、下草刈りに精を出したらしいが、外作業は人との距離もあり、
話を交わす必要もそれほどない、黙々(モクモク)と自分の仕事をこなすだけ。
日曜日の雨、何もできなかったと思いきや、ここ福渡では町内の人らで地元神社境内の掃除を敢行。誰もが雨ガッパ着用で、それこそモクモクと。
今回の掃除の指揮を取った町内会理事の松下泰成さんは、「雨だからどうしようかなあって思ったんですけど、やりだしたら皆、本気になって、いつの間にか終わっちゃいました(笑)」
やはり人の力、集まっても離れて仕事ができるので、こんな時は、日頃できない「地域奉仕」がいいのかも。
その雨で、建部町の物産販売所にもやっとタケノコが出荷され始めた。噂ではどこの竹藪もイノシシに荒らされ、ほぼ壊滅だとか。
当新聞グルメレポーターもイノシシの堀り跡を確認、それでもあきらめずガサゴソ、やがて
「あった!これを採って明日、神社の祈年祭にお供えしよう!」と
本日、初収穫に大喜び。
一人タケノコ掘りも、モクモク楽しい・・・。
(取材・写真 三宅 優)
岡山市環境学習センター「めだかの学校」の1年の活動を支える地元ボランティアチーム「めだかクラブ」その令和2年度の会合が開かれた。
会場はいつもの「おもちゃの宿」室内から外の養殖場に変更、それぞれが距離を置いて座れるように設定。時間も要点に絞って進めることで短時間の進行となった。
この日課題となったのは当然、コロナの影響による至近の行事の実施の有無。
最大は5月後半に予定する「第32回環境まつり」千人からの親子連れが来館するビッグイベントだ。
少し先だとは言え、準備を進める上で早くからの取り掛かりが求められる。今日の話し合いでは、今の日本の状況からして開催は困難との意見が大勢となった。
今4月に着任されたばかりの武藤邦夫館長から「私が赴任した途端、全部中止となり、早く仕事を覚えて地域に役立ちたいと願っておりましたのに残念です。しかし折角ですので、この時間を使ってしっかりとメダカの勉強をしたいと思います(笑)」
とユーモアを交えた話がなされた。
今期の要望の中では「春の小川のヘドロの除去」が上げられた。会員の勝部編集長から「生き物が住める状態に環境を戻したい、それこそが”春の小川”の本来の意味だから」と強い思いが述べられ全員が賛同した。
「明るく元気で、”行ってみたい、来てよかった”と感じる町を創出する」(設立趣意書より)。
その目的で作られた「めだかクラブ」、メンバーはほとんど高齢者だが理想は失わない、まだまだ壮年である。
(取材・写真 三宅 優)
今日から新年度、希望に燃え大きく羽ばたく最初の日。冷たい雨、コロナの不安が天空をズッシリと覆う。それでも未来を信じて前へ進もう。
一昨年、7月の豪雨で流されていた「しあわせ橋」が1年8カ月ぶりに戻って来た。
朝9時45分、傘を差しながら市の職員が通行禁止用に設置したバーとコーンを撤去する。
10時、向こう岸の職員と携帯で確認、門が開かれる。大きなセレモニーはしない、淡々と両側のゲートを開けるだけ。
この記念すべき時に立ち合おうとやって来た福渡町内会長、他3名、さっそく渡り初め。
白い手摺が眩いばかり、前より橋が広く感じられる。床の杉板の表面には滑り止めの溝が付いていて雨の日も安心。全体にライトな仕上がり。
向こうから渡ってきた第1号は建部上の斉藤区長。福渡側、窪藪会長と橋上での握手ポーズ(笑)。
久々に「しあわせ橋」から眺める旭川のせせらぎ。水音を足に感じながらの往復3分半。
橋の再建に尽力された森田市議や建部支所の新支所長、山陽新聞さんも駆けつけて、「しあわせ橋」復興を祝う。
(取材・写真 三宅 優)
建部で活き活きと活動する人にスポット。
建部の抱える大きな課題「空き家の増加」
その中には、まだまだ住めるのに、手を入れれば
見違える様に良くなるのにという家屋もままある。
だれか此処を活かして住む人いないかな?
そんな所へ救世主、歴史ただよう中田新町で
古民家を改造し、仕事場兼住宅として再生した
ご夫婦。家具職人ならではのこだわりの家づくり。
太田 秀世・久美子ご夫妻にお聞きする。
(取材:三宅美恵子 勝部 公平 写真:三宅 優 )
(プロフィール)
太田 秀世(ひでお)
昭和43年 淡路島に生まれる
太田 久美子(くみこ)
昭和41年 浜松市に生まれる
共に岡山大学理学部を卒業後、企業に勤務。
30才で脱サラ(秀世 氏)家具職人の道に入る。
淡路島にて工房を設ける。
岡山県内にて展示会を開催。
平成30年、建部町中田に居を移し、「太田秀世家具工房」を構える。
(勝部 公平)太田さん、元はどちらのご出身ですか ?
(太田 秀世)「淡路です。岡山の大学にいましたので、こちらとのつながりが深くなりました 」
じゃあ、奥様も淡路ですか?
(太田 久美子)「いえ、私は静岡県浜松市です。主人と同じ岡山大学に通ってました 」
専攻は何ですか?
(秀世)「僕は理学部化学科で、妻は同じ理学部ですが地質が専門の地学科です 」
ホー、それがなんで家具職人になられたのか、とっても興味深いですね
(秀世)「いや、僕は卒業して最初、滋賀県にあるガラスメーカーで普通にサラリーマンをしていたんですが、どうも違うって思って岡山の通信教材を扱う会社に移ったのですが、
たまたまその頃、カヌーで出会った友人が木工工房をやってたんです。モノ作りでお客さんとつながる、それを生業(なりわい)とするそんな世界があるんだと驚きました。それで30歳で倉敷の職業訓練学校で木工の勉強を始めたんです」
そのことに対して奥さんはどう思われましたか
(久美子)「私も当時は岡山の地質の会社に勤めてましたので、会社のつまらなさや難しさがわかるので、まあ、やりたいように生きるのがいいのではと(笑) 」
それはまた理解がある、理想的でうらやましい
(秀世) 「いやぁ、若気のいたりですが、そういう人間らしい生き方がしてみたかったわけで・・・」
それでじゃあ、どういうふうに道を開かれたのですか
(秀世) 「淡路に戻りまして、そこに仕事場を設けました。最初はゼロからで、特定のお店とかないので、倉敷で15年、展示会をやってきてコツコツお客さんとの信頼関係を築いてきました。今は市内の岡ギャラリーでも開いています」
今は奥さんもいっしょにやられているそうですね
(久美子)「はい、主に漆(うるし)は私がやっています。オイル塗とかも 」
二人で一つのモノを作り上げる、素晴らしいなあ。そもそも、建部に越して来られた経緯については?
「淡路からだとこちらに来るのにも不便なことがあって、こちらで良い所はないかと探していたんです。もともと、私たちの仕事は音や埃とかが出るので、
倉敷にも友だちがいて市内ではなかなかやれないということも聞いて、じゃあ建部あたりが良いのではと。最初、市役所に相談したら、商工会に聞いたら言われまして古民家はありませんかと尋ねたんです。そしたら景山建設さんを紹介して頂きました。景山さんに、木工をやりたいんだがとお話して、なら不動産屋さんのアイターンホームさんの物件がいいのではとなりました」
ここはもともと醤油屋さんだったんですよね?
「ええそうです、今もこうして醸造に使われたいた道具とか甕とかが置いてあります。どれもとても味のあるものだと思います。
実はここに来るまでに足掛け3年かかっています。持ち主さんとお話をして、この建物の雰囲気を残してくれるならということでご了解をいただいたのが2年前で、
2月3日に決まりました。それから、ここをどういうふうに直そうか、できるだけ今の家を活かしたかたちにするにはどうしたらいいか、あれこれ試行錯誤しながら進めて来ました」
この大きな機械(製材用)とかは向こうから運ばれたんですか
「はい、ここに移ることが決まってからも、淡路の作業場の片づけで、引越しまでに数か月かかりました。ほとんどは自分たちで車で運んだのですが、こういった大きな機械もあるので、時間がかかりました。最終的には2年前の9月半ばに、すべて終えました。7月7日の豪雨の時は建部に避難していましたけど」
今、後ろに新しく建てられたお家には、奥さんのご両親がお住まいだとか
「ええ、妻の両親に住んでもらっています」
それはいいことだ、奥さんも安心でしょう。ここに来てからはどんなふうに感じてますか
「歴史のある町に入ってくるので、どういうふうに受け入れてくれるのだろうと不安だったのですが、でも持ち主さんも一緒にご挨拶に回ってくれて思った以上に温かく迎えてくれました」
いいスタートですね、最後に、理想を追い求めた感想とこれからの目標についてお聞かせください
「やってみて、大変だとつくづく思います。これで生計を立てるのがいかに難しいか、モノ作りでやっている人はどなたも苦労されていると思います。今は注文家具を中心に仕事をしているのですが、ちょっと太田さんに頼もうかなっという感じで注文を受けて図面を引いてやっています。そういうお客さんとのつながりを本当にありがたく思います 。
目標と言うんじゃないんですが、大きな所に所属するとかでなく自立してやりたい、注文家具(別注家具)で私たちは私たちのスタイルでやる、そんなふうに考えています。二人でやっているので多くはできないし、注文を受けてからなので作り置きも出来ませんから 」
ありがとうございました
実はこの取材には後日談があり、当新聞グルメレポーター(三宅美恵子)から家具作りについてもっと聞きたいとの要望があり再び訪ねた。
(三宅美恵子)ここにズラッと立てかけてある木材が家具の材料になるわけですか
(太田 秀世)「ええ、ここに置いてあるものは日本全国、中国からも取り寄せた材木ですが、この状態から機械で必要な厚さに落としていって、ソリを取って、というのも必ず木はそっているので両側のソリを削って平らな板にするわけです。場合によっては丸太で買って乾燥させて製材する場合もあります」
どんな種類の木がありますか
「タモ、ナラ、クリ、セン、ケヤキ、トチ、ツゲ、クルミ、カバ、クロガキ、コエマツ、クワ、ヒメコマツ・・・とか広葉樹が多いです」
これで何年くらい経ちますか
「そうですね、最低でも3年は乾燥させないといけませんからね、それ以上ですね」
木によってまったく木目というか、木肌が違いますが、どういう使い方をされますか
「う~ん、それは何を作るかによって、またはどんな大きさのものか、一枚板の大きなテーブルの場合は自ずと大きい素材が必要となりますし。
こういったイスですと使う人の体に合わせた木を選んだり、座の部分の木目を活かす使い方をします。奥のチェストはセンの木とタモを使っていますが、
木種を変えることで見た目に重くならない工夫をしています。板目と柾目を組み合わせたり、観音扉の左右を微妙に違えたりといったことも。
やはり材木は形との出会いですからね」
デザインはどのようにして起こされますか
「私は、過去の優れた作品とかから学ぶことが多いです。例えば人間国宝の黒田辰秋さんのこういった重厚な作品、ジョージ ナカシマという作家のこのイスとかも勉強になります。このイスは古いヨーロッパの糸繰イスからヒントを得ました」
なるほど、座がとても小さいのですが、ちゃんと私でもお尻が乗っかり座り心地がいいです(笑)
「人間の体形は昔とそれほど変わらないので、今でも使えます。動かしやすいので靴とか履き替えるのに便利です」
これらは漆が塗られていますが、どんな工程ですか
「拭き漆(うるし)仕上げといって、漆を拭き取りながら5回の工程で仕上げています。拭き取るたびに深みが増していくように」
製作に使う道具とかはどんなものですか
「(工房に案内されて)ここにあるのはカンナですが、それぞれに用途が違っていて、大きいのからこんな小さいもの、刃の形も平たいのからカーブしたもの、南京ガンナ、蝉ガンナそれぞれの工程で使い分けます」
端材で作った小物類も見せてください
(久美子)「はい、それは私が製作しているんですが、茶さじ、箸置きこれはウニ用のスプーンです。ウニが味わえるようにメープルで作りました。こちらは、トモ木で作ったモビールです」
わぁ、木の温もりがこんなに小さいものでも伝わってきますね
(久美子)「ええ、その通りだと思います」
ありがとうございました
「太田秀世家具工房」←ホームページはこちら
(三宅 優)太田さんのお話は、以前より当新聞編集長(勝部)より
「中田の醤油屋だった家に移住して来た人がいて、それが面白い人なんだ、夫婦で岡大を出て家具職人をやってるんだ・・・」と聞かされていた。
「へー、そりゃあ興味がありますねえ」と言ったものの中々、訪れる機会がなかった。
今回、お邪魔して、当初、抱いていた家具のイメージと随分違っていた。木材選定から設計、製作まですべてを行う、よって2つと同じものがない、まさにオンリーワン。
イスの表面を覆うつややかなべっ甲色の漆、現代風に明るい木肌を表に出したオイル塗の飾り棚、作家のモノ作りに対する思いが伝わる。
ところで冒頭にも述べたが建部町における空家の問題は、これといった解決策が見つからない実情。そんな中、特集でもお伝えしているように「たけべ空き家おこしプロジェクト」が発足、空家を活かしていく取組みが動き出した。今回の太田さんの移住は、その意味で好事例となる。
大きな居住空間、音や埃をあまり気にかけなくてもいられるのは田舎だからこそのメリット。
実は記者もここに移住するにあたり、アイターンホームさん、商工会、景山建設さんと、お世話になった経緯がある、これも奇遇。
それと元、醤油屋さんのお家には、地元郷土史家の神原英朗先生に何度か案内をして頂いた。入口に付けられている門は通称「乳門(ちちもん)」と呼ばれ、女性のお乳の形に似た飾りがほどこされているからとのこと。明治に池田家が居を移して取り壊しになった際にここに移築された。
かつて多くの職人が住んでいた町に、今、新たに職人がやって来た。歴史の巡り合わせとしか言いようがない、この好循環がさらに拡がり「モノ作りの町たけべ」が形成できる日を夢見るのも悪くない。
(三宅 美恵子)「材木はついつい縁があると手元に置きたくなるんです(笑)」と太田さん。その通りこんなワイルドな無垢の一枚板が並んでいるとは思わなかった。
中でも、はるばるアフリカからやって来たブビンガの大板は加工するのがもったいない、眺めているだけで幸せな一品。お話を伺い、木がこれほどまでに奥が深いんだと
初めて知った。
そんな太田さんが作る家具は使う人に寄り添い、使うほどに愛着が増す。
大原麗子のウィスキーのTVコマーシャルじゃないけど「なが~く愛して」そんなフレーズが浮かんだ。
町内の関心がコロナ一色、「自分も危ないかも・・・」、「いやいや、建部は大丈夫・・・」不安と憶測が入り乱れる。
そんな中、気がつくと明日から4月。予断を許さない状況とは言え、日本社会では今まで通りに事が動く。公務員の人事異動。
記者の周りでも何人かが退任、転勤と決まった。建部町公民館では3人が離れることに。そのうちの一人が入野曜子さん。
赴任から7年、彼女が関わった数々の公民館企画。「建部の歴史を学ぶ」「ESD世界大会」「タネピリカ」「トライ&トライピアノコンサート」
「未来塾」「たけべおこしプロジェクト」「タイムカプセル」「だっぴ」「たけべマルシェ」「小学校防災キャンプ」「夏休みお化け屋敷」「フードバンク」「たけべ部」、そして「建部はっぽね太鼓20周年コンサート」での見事なナレーション。
まだまだあるに違いないが、そのどれもが彼女の果たした役割が大きい。先日は県内の全公民館が選ぶ最も優秀な活動で「たけべ部」がグランプリに輝いた。
そんな入野さんの次なるステージは足守公民館だ。
「ここからも近いし、またちょくちょく来ます」と挨拶をしてくれたが、ちょっぴり寂しいのは変わらない。
別れはいつだって、新しい旅立ちの時、笑って送るとしよう。
(取材・写真 三宅 優)
取材自粛ぎみの当新聞だが、「oniビジョン」の松本記者から、ボランティア建部の会でマスクを作って配るそうですとの情報。
そうか、さすが建部のご婦人たち動きがいいなあとマスク着用で社会福祉協議会のある「老人センター」に赴く。
会場入り口で身振り手振りで松本記者に説明をしていたのはボランティアの佐々木会長さん。
「ニュースで高校生が600枚のマスクを作ったのを聞いて、私も作ってみたんです。これまで会では、ふれあい給食を一人暮らしのお年寄りに届けていたんです、安否確認も含めて。それが、こんな時になって弁当がくばれなくなって、そうだ、じゃあマスクを配ろうって。それで何人かに話したら、お弁当の代わりに配ってあげようやーとみんなが賛成してくれたんです。で、今日と明日で170枚作れたら、そこから来週にかけて届けることにしたんです」
材料は持ち寄り、端切れ、市販布、家にあった布、それを洗ってノリを落として使う。ところが見つからなかったのがゴム紐、どこも買い占められたようで無い。
散々探して、意外やすぐ近く商店街の「中田文具店」で発見、灯台下暗しとは正にこのこと。
ボランティアの人数は約30名、ということは一人5~6枚を製作せねば。
「もうなあ、目も悪いし、指もよう動かんからなあたいへんじゃ」そう言いながらも針で1目、1目を縫っていくさまは、昔取ったきねづか。
「最近はもうこんなことせんからなあ、ミシンの方が早いし・・・」いえいえ、手際のよさに感心。
布を裁断する人、縫製をする人、途中登場したミシン掛けする人、役割分担よろしくマスクが順調な生産体制に入る。
手を動かしながらも会話は続く。その内容はやはり「もうどうなるんじゃろうなあ、コロナ・・・」
「何もかもが中止になってなあ、ホントにどうなっていくんじゃろう・・・」
そうだね、ついつい気持ちが暗くなるよねえ、でも、こんな時だからこそボランティアの活動が勇気を与えると思うよ。
記者の感想にoniビジョン松本さんも「そうですね、こうやってみんながすぐに集まって、やるというのがすごいですよね」
きっと来週には、手作りマスクを付けたお年寄りの姿が町内であちこち見られるだろう。当新聞グルメレポーター(妻)も試作品を頂きさっそく着用、
「これで、コロナなんか怖くない!」(当グルメレポーターの一言)
(取材・写真 三宅 優)
コロナウイルスのため里山祭りが中止になりホッと(笑)していたら、市場の里山会員のメンバー達から、市場地区で今月初めから「市場コミュニティ」で子供たちの学童保育をしているという情報をもらった。
何か手伝えることはないかと問いかけた所、工作やレクリェーションで子供たちに体験活動を提供しようと話がまとまる。さっそく、子供たち同様にしっかり手洗い、うがいなどして活動開始です。
3月13日の朝8時半から垣本町内会長さん、片山さん、市川さんと共に、水鉄砲や紙鉄砲づくり、ブンブンゴマ、折り紙を使った頭の体操などを一緒に行う。
この市場地区は元小学校の校長先生である市川さんを中心に、地域の皆さんが交代交代で子供たちを見守るボランティア活動に参加しています。
垣本町内会長は「こんな時だからこそ、地域の協力、ボランティアでの手伝いが大切です」との発言、思いがひしひしと伝わってきました。
隣りの中田地区では、地区内にあります龍淵時で寺子屋が今月7日から始っていました。
取材で伺った日も9人の子どたちが、1時間目は国語、2時間目は算数、3時間目は道徳などと、小学校の時間割と同じように進めていました。 ご住職の浅沼さんに伺いますと、これまでに檀家の子どもたちの夏休み合宿の経験があり、市場地区と連携を取りながら開校したとのことです。
こんな力が建部地域にあるなんて嬉しいですね。本堂の脇にある掲示板には「陰徳あれば陽報あり」の聖語が掲げられており、まぶしいぐらい輝いていました。
(取材・写真 勝部 公平)
春分の日といえど朝はさすがにまだ寒い。それでも福渡町内の人たちは、午前7時には「建部町産業観光物産案内所」下の旭川河川敷に軍手、長靴姿で集合。約40人がいっせいに草刈り、清掃に動き出す。
間もなく開花が待たれる桜並木周辺をきれいにしようというこの活動は「福渡愛護会」が呼びかけとなり、今日も大勢の参加を得た。草刈り機を使う人、熊手をかく人、ゴミを集める人、やり慣れている人らの行動は無駄がなく、あっという間に数百メートルにも及ぶ並木道はきれいさっぱり。
続いての作業は提灯の設営。お花見に定番のこの”ぼんぼり付け”は、一昨年から始まり、夜桜に訪れる人らに好評だ。
赤、青、黄、緑の提灯を日中に眺めるとこれまた昭和レトロな感じで親しみ倍増。(手前自慢?)
終わってみると1時間ちょっと、やはり人の力は偉大なり。自分たちの町にある自分たちの桜並木、だから自分たちの手で大事にしよう、
そんな素直な思いでつながるこの町にコロナなんか恐くない?
(写真・レポート 三宅 優)
3月11日、8年間続けてきた「3.11追悼の集い」は開かれなかった。しかし、もともと集まることに意味があったわけではない、忘れないでいることが目的だった。
間近になっても問合せがあった。「やはり、中止ですか・・・」
「ええ、今年はお家で一人一人の胸の中で追悼をしてください」そうお願いした。
届けられていた数百個の牛乳パックは、1月末にはすべての作りが完了した。
「今年は環境に優しい暮らしをイメージして葉っぱの形に窓を開けたよ」と妻(当新聞グルメレポーター)が嬉しそうに言った。
その点火作業の手伝いも大勢の方が声を掛けてくださったが、結局、集まりの自粛が求められていることと逆行するのでお断りした。
「迷惑はかけられないよ、二人でやれば