Asagaya Parkside Gallerie 記憶写真

「記憶写真」

父はよく夕食を囲んだ時に昔の話をした。昔といっても少し前の戦争中のこと
(当時戦争はまだついこの間だった。)やら自分が子供だった頃の話で、
母はそんな父の話を
「もう長うて食卓がかたずかん」と言っていやがった。私は母の機嫌が悪くなる
ことを除けば、夕食時の父の昔話が好きだった。そんな父のとっておきの話は
何だったろう。やはり母が歯痛を起こした時に(母はしょっちゅう歯痛に悩まさ
れていた。)何度か聞かされた、その母の虫歯の由来の話だろうか。

母は農家の長女として生まれた。比較的大きな農家だった。最初の子供だった
ので、その可愛いがりようは特別だった。父も自作の農家に生まれたが、こちら
は末っ子でほとんど何もかまわれずに育った。二人は年が十歳程離れていて
互いの家は田圃続きにあった。父は母の家でまだ赤ん坊だった母の子守の番
をした。
「わしが行くとおめえはいっつも口に甘めえものをくわえとった。ぐずりだすと
すぐにばあさんが飛んで来て、たもとから飴を出してくわえさせる。 わしやこう、
とんと甘えものは口にできんいうに。草あ噛んで生きとったんじゃけん。欲しゅう
てももらえんし。ばあさんもくれなんだけん。ほんとにおめえは恵まれとったで。
ぬくそうに着物を着せられてのう、何をするにもじいさんばあさんが来て大騒ぎ
じゃった。子供じゃったけどのぉ、世の中にゃあこげん大事にされる子もおるん
じゃあと思うたでぇ。それじゃけん今になっておめえは歯に泣かさりょうる。
わしやこう おかげで一本も虫歯がねえ。」
父はこれを笑いながら話したものだ。むろん母の不幸を当然の報いとして笑った
のではない。母が苦痛で沈みこんでいる食卓を明るくしようとしてのことだ。

当時、私はこの話を聞かされる度にその情景を思い浮かべようとした。しかし
現実の父と母を前にその幼かった姿を頭に描くことはできなかった。子供の頭に
は大人である父と母しか存在しなかった。
そうしてそれから四十数年経って父も母もいなくなった今、
今はどうかというと・・・、
今は難なく思い描くことができる。
飴玉をくわえた赤ん坊の母と、それをうらやましそうに見つめている子供の父を。
その背後からそっと私がカメラを覗いて、シャッターを押そうとしているかの様に、
鮮明に。

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