たけべアメージングストーリー 「たけべアメージングストーリー」 作  建部 鮎太
「僕らはここから世界を変えるんだ」建部の3人の子どもたちが時空を超えた旅に出た。


    第8話  第一章「虎大尽(とらだいじん)」

  • これまでのあらすじ

     建部中学1年生の建部鮎太、妹さくら、同級生の河本温人はふとしたことから江戸時代初期にタイムスリップする。
     そこで出会った僧侶、日船や石仏泥棒の富蔵、角石村の剣の達人、竹内老翁、建部藩主、池田宗春らの力を借りながら、 彼らはしだいに自分たちの力で生きていくことに目覚めていく。
     そんな中、鮎太は「姫こ渕」で美しい姫と出会い、必ず現代にいっしょに戻ると誓う。
     さまざまな出来事を乗り越えた鮎太らは、メールの指示を受け、再びタイムトンネルに乗る。
    再び、着いたのは江戸時代の最後の年。福渡の医者、吉岡親子、鮎太の先祖、鮎一、イカサマ博打の黒船らと暮らしはじめた鮎太たち。
    新しい明治の時代へと変わる中で出会いと別れを経験した三人は再び戻れることを願い、タイムトンネルに乗る。 そして次なる到着地点はロマン漂う大正時代だった。織物工場を建て農民の困窮を救おうと夢見る後藤仲太郎と出会う。 鮎一の旅館「鮎家」を訪ねた三人は四十数年ぶりに桐乃と対面する。鮎太たちが来たことを知って、東京女子大学に通う桐乃の孫娘、マリが東京から戻って来る。マリは女性の社会進出を訴え「私も未来に行きたい」と言い桐乃たちを困らせる。マリが帰って新客が訪れる、”虎大尽”山本唯三郎、その人だ。  


    *主な登場人物
    建部 鮎太(あゆた)
    建部に住む中学一年の少年
    建部 さくら
    鮎太の妹、小学五年生
    河本 温人(あつと)
    鮎太の同級生
    建部 鮎一郎
    鮎太の父 岡山の大学の教授
    建部 すみれ
    鮎太の母 
    建部 桃江
    鮎一郎の母、鮎太の祖母
    楓(かえで)
    鶴田城の姫君
    山本唯三郎
    三明寺出身の大実業家 
    後藤仲太郎
    建部の織物工場の創始者
    上代 淑(よし)
    山陽女学校、校長
    大橋文之
    画家、歌人、福渡で多くの門弟を育てる
    建部鮎吉
    鮎一の息子、旅館「鮎家」主人
    建部鮎彦
    鮎吉の息子
    建部 マリ
    鮎吉の娘
    建部 桐乃
    鮎彦の祖母































  •        

――3――

年の終わり頃と言うのはいつの時代でもそうなのかな、十一月はこれということもないのにあっと言う間に過ぎ、十二月はもうみんな我も我もと新年に向けて走り出す。
 「鮎家」でも、一年の締めくくりに何日もかけて大掃除、庭木の手入れ。裏口には連日、帳面を持ったお店の人が年間のツケを集金に来た。
 女中頭の大藤さんが「うちはね、今までツケを来年に持ち越したことはないんだよ。先代の鮎一さまのお考えで、信用を失くすくらいなら店を閉めると言われて。どんなに大変でも私らにも餅代として、ひと月分余計にくださるし。これが楽しみで、みんな辞めないでずっと続けて奉公に来てるんだよ」と、自慢げに教えてくれた。
 正月に入ると旅館はお客さんで溢れんばかりになった。お断りして別の旅館を紹介するようだった。
 川向うの建部八幡温泉郷には十数軒の宿が立ち並んでいたけど、値段も三十五銭から六十銭と岡山市内に比べたら安くても、断トツ鮎家が安い。湯治が目当ての人も、ここに泊まって渡し舟で温泉に入りに行く。たいがいは常連のお客さんで、その方が金が掛からないし、それにここの魚料理は最高じゃけんと口々に言った。

 宿の食事は息子の鮎吉さん、孫の鮎彦さんの役だ。今は僕も手伝っている。夏場に取って焼き干にしていた鮎、ハエの甘露煮、寒鮒で作る鮒めし、鯉の味噌汁、どれもダムのできる前の清らかな旭川で獲れた魚だ。僕の時代で旭川の魚を食べると言う人はたぶん、ほとんどいないと思う。
 以前、津田永忠さんが造った大井手用水の水路掃除が5月頃にあって、その時、水を止めた水路で魚とりをしたことがある。
 ナマズ、ギギ、鯉、鮒、ウナギ、サツキマスなどがウジャウジャいて、子どもたちで追いかけてつかまえた。でも、とった魚は川へ逃がしてやった。
 食べたい人は持ち帰ってと言われたけど、だれも手を挙げなかった。環境を守るとかではなく、どう料理していいか親も知らないし、第一にさばけない。それに、今では川の魚は臭いと皆が思っている。
 それでも建部は「釣りと桜と・・・」とキャッチコピーが残っているだけあって、魚釣りが盛んな所だ。
 旭川で釣りをずっと続けている近所に住む丘田さんというおじいさんがやって来て、「鮎一郎さんが好きじゃと聞いて持ってきた、最近はだれも食べんのじゃ」と鯉の洗いを届けてくれたことがある。
 お父さんが何かの時に、「中国、東南アジアでは魚と言えば川魚のことで、海の魚を食べる人はほとんどいない。そんな人にとって、海の魚は潮臭いと感じるようです。ヨーロッパ、アメリカでもマスやサーモンといった川魚が好まれています。昔は日本でも今と違って、川魚が主として食べられていたんですよ」と言ったことを覚えていたらしい。

 その丘田さんも「昔はホントに鮎がバケツに何杯も獲れていた時があった。川石にきれいなコケがついていたからなあ、今じゃあ、何匹かしか釣れないし、内臓までは食べれんなあ」と嘆いていた。
 お父さんが言ってたけど、今は世界中の川が生活排水や工場の排出する液で汚れていて、日本は、まだましな方だって。中国やベトナム、タイとかでは至る所の川がヘドロになっていて、それでも市場で魚が売られてて、皆、気にせずに食べている。それは、調理方法がたぶん違うからだろうって。日本は新鮮な素材の味を活かす作り方だけど、他の国では香辛料や調味料で味付けし、油を使って料理するから素材にあまりこだわらないとか。だから、ここまで食の新鮮さにこだわる日本人なのに、どうして自然を汚して平気なのか不思議だって・・・。



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*この物語に登場する人物や出来事は、あくまで想像上のもので実際の人物、史実とは異なります。




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