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たけべの魅力考
  

特集「たけべで暮すを考える」
建部の地をこよなく愛し、日々豊かな人生を送る人に学ぶ 2017年4月発信

 前回に引き続きシリーズ第3弾。健康と趣味に生きがいを見出し、日々ハツラツと過ごす女性。ゴルフと表装が大好き黒瀬宏子さん。 和太鼓、水彩画、毎日休むことのなく動き回る中田敏子さん。お二人を取材しました。
 (取材 勝部公平)

*取材させていただいた方々のお名前と略歴(敬称略)
 黒瀬 宏子(ひろこ) 
   昭和19年岡山市生まれ 幼稚園教諭の後、建部町役場に勤務。退職後、表装とゴルフを楽しむ。
 中田 敏子(としこ)
   昭和19年大阪生まれ 教員退職後、趣味の水彩画、和太鼓、オカリナと忙しく日々を送る。


アウトドアはゴルフ、インドアは表装、10年に渡って取り組む黒瀬宏子さん。

黒瀬宏子さん 黒瀬宏子さん  黒瀬宏子さんとは5年に渡り「リバーサイドバザール」を一緒にやってきた仲です。事務局を仕切っていただき、そのテキパキとした行動力のある仕事ぶりには 感心させられたものです。そんな黒瀬さんにこれまでの事と元気の源をお聞きしました。

 お生まれは瀬戸町に近い岡山市 沼。自転車で6キロの瀬戸高校に通われたそうです。大学卒業後は幼稚園の教諭となられ結婚して建部へ。 建部では鶴田幼稚園に勤務。子どもたちが山からぞろぞろと長い道のりを下って来るのでびっくりしたそうです。
 その後は建部町役場に移られて総務課、福祉課と配属されました。福祉課では課長として「介護保険制度」の導入にたずさわりました。 「もう初めてのことで、皆に浸透するかとても心配だった」と当時を振り返えられました。
 今でも続いている「健康づくり教室」も立ち上げました。行政が資金を出さない仕組みは画期的 で、だから継続してきたのかもしれません。定年後は「たけべの里」評議員、地域おこしのイベント運営などにも積極的に加わり、縁の下の力持ち的役割 を担って来られました。

 趣味を実践するために作られた工房を見せてもらいました。
 「そりゃあ40年せっかく働いたのに、お金を使わないで過ごしてもつまらんでしょう」笑ってそう話してくださった仕事場は、自分へのご褒美として 建てられたそうです。窓から対岸の山々が見渡せ、木のぬくもりが伝わる落ち着いた造りになっています。ここで月に2回、表装の教室が開かれるそうです。 先生と黒瀬さん他2〜3名の生徒さんで、もう10年以上も続けられているとか。
 表装を始めるきっかけをお聞きすると「60歳で退職した時、健康づくりをしなければと考えて、アウトドアはゴルフを選んで、ゴルフなら一人でもできるから。 インドアはたまたま友人に誘われて、表装の講座に通うようになったの。もともと古いもんが好きだったから」  
黒瀬宏子さん 黒瀬宏子さん  それでも、よそ見することもなく2つの事をずっとやれる魅力って何なのでしょう?
「ゴルフは教室に入っているので畑違いの友だちがいっぱいできるの、それが楽しいのよ。表装はやっぱり自分の手で再生できた時の満足感」
 驚くことにゴルフは月に3〜4回グリーンに出ている とか、先月は高校時代の同級生10名でミャンマーまでゴルフツアーに行ったそうです。
 表装の道具を見せていただきました。ノコ、小刀、カッター、長定規、糊、和紙・・・。工程を聞くと、気の遠くなるほどの作業があるとわかりました。
 貼る作品の方も書と絵、他にも旅先や美術館巡りで目に止まった土産品の手拭い、ハンカチ、タペストリー、今では何でも表装にできるそうです。 でも、どうしても納得がいかなくて、切り取ることもしばしばだとか。
 「だから、完成した時の喜びが大きいのよ」
 そうやって創られた自分の作品に囲まれて過ごすひと時は、まさに至福の時なのでしょう。 目標を決め、自分のできる範囲でそれに向って努力してきた、黒瀬さんならではの人生のすごし方、教わりました。

*「英華会」建部教室ご案内*
黒瀬さんの工房で月2回、表装を楽しむ会が開催されます。
お問い合わせ 086-722−1245 (岡山市北区建部町436)



はっぽねの太鼓に汗を流し、静寂の内に写生を楽しむ、中田敏子さん

中田敏子さん 中田敏子さん 今や建部町の代名詞「はっぽね太鼓」の牽引役として、また趣味を超えた域に達っする水彩画家として、 誰からも知られ、こころよき理解者として信望の厚い中田敏子さん。
 中田さんとの最初の出会いは、30年ほど前に障害を持ったわが子の訪問介護でのことでした。 実直でまじめな方だなあとの第一印象でした。今回、改めてプロフィールと人生観を伺い一層、納得した次第です。

 中田さんは昭和19年大阪で生まれ、戦後、佐伯町に帰り、当時の山田小学校を卒業。高校、大学と県内で送られました。 学生時代、たまたま教育学部の友人と旧加茂町の倉見温泉にあった孤児院を訪問、このことがその後、多くを費やす事となる 障害者教育への原点になりました。
 卒業前に、今で言う”山ガール”で大山登山に行き足を骨折、引きずりながら教員採用試験に臨んだ経験談からは バイタリティに溢れた当時からの人柄が伺えます。
 教員として最初の赴任は妹尾中学、それから川上・和気・御津中学を経て誕生寺養護学校へ赴任。初めての障害児教育の場は 転勤などというものでなく転職ぐらいのインパクトだったそうです。それから20年、障害児との関わりの中で多くのことを 学ばれました。今でも人の痛みを感じとる姿勢が強いのも、この間に養われた体験から出ているのではないでしょうか。

中田敏子さん 中田敏子さん  55歳になり、中田さんはこれからの自分の人生について3つのテーマをメモ書きしました。
「健康維持」、「趣味を生かす」、「社会貢献」がそれです。 そのことを今日まで大切に守り実践してきました。健康維持はヨガ、ウォーキング。 趣味は現役のころからやっているオカリナ、絵、和太鼓。 社会貢献では自分が培った福祉への関わり、そして「はっぽね太鼓」を通じて地域を元気にする。
 ご自身でも、あまり融通のきかない一直線タイプと言われるだけあって、今日まで軸足のぶれない生き方には感銘を受けます。 「表に出るよりコツコツ裏で支えるほうが自分に合っている」それは長く障害者の教育に携わって来た方ならではの 心境なのかもしれません。尚、中田さんは近く東京の国立新美術館で開催予定の「日本水彩連盟展」にも出品。 その作品を今回掲載させていただきました。
 今回のインタビューを通じて自分の生き方を考える上で、しっかりと目標をもった趣味を持つことの大切さと、 同時に社会との関わり、貢献を怠らないことで一層、自身の人生が輝くのだなあと実感しました。

 (取材 勝部公平)

*「はっぽね太鼓」ご案内*
「はっぽね太鼓」では仲間を募集しています。
お問い合わせ 086-722−1152 (中田)




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