*これまでのあらすじ*
建部中学1年生の建部鮎太、小学5年生の妹さくら、同級生の河本温人の三人はふとしたことから江戸時代初期にタイムスリップする。
そこで出会った日蓮宗不受不施派の僧侶、日船や石仏泥棒の富蔵の力を借りながら、彼らはしだいに自分たちの力で生きていくことに目覚めていく。
日船上人の計らいで、鶴田藩角石谷村の武術の達人の老翁にかくまわれることになった三人と富蔵。互いに協力しながら日々を過ごしていく。
鮎太と温人は老翁から武術を学ぶ代わりに老翁に史実を講じ、さくらと富蔵は生活の切り盛りを教え合う。
そんな中、さくらはたまたまケガの手当を施した事で噂を呼び、村人が治療に押しかけてくる。
月半ばに入り、薬を買いにさくら、温人、富蔵の三人は中田新町に向かう。鮎太は老翁の用事で鶴田で分れ、
帰り、旭川ダムに沈んだ湖「姫こ渕」に行く。
そこで雨に降られた女の子に出会いレインコートを差し出す。不思議な出会いの後、鮎太には中田新町で騒ぎに巻き込まれたさくらが
侍の子らに連れていかれるという事件が待っていた。
*主な登場人物*
建部 鮎太(あゆた)
建部中学1年生の少年
建部さくら
鮎太の妹、小学5年生
河本温人
鮎太の同級生
建部 鮎一郎
鮎太の父、岡山の大学教授
建部 すみれ
鮎太の母
建部 鮎男
鮎太の亡くなっている祖父
建部 桃江
鮎太の祖母
日船上人
不受不施派日蓮宗の高僧
腰折れ富蔵
富沢地蔵の盗人で優しい男
鶴田 楓
鶴田城の姫君
竹内老翁
竹内流武術の開眼者
池田 長尚
建部領主、池田長泰の嫡男
塩谷十兵衛
中田新町の塩問屋の息子
―― 2――
長尚は家臣の子らの手前、強がってさくらを連れて来たが、内心すぐにでも帰すつもりだった。生意気な娘の鼻っ柱を折ればそれでよかった。そこで、門番に言って屋敷の書物蔵に閉じ込めておき、泣きべそをかくのを待つことにした。
ところが半時ほどして行ってみると、蔵から娘の声が聞こえ、門番が入口の前に座り大笑いしている。門番は長尚を見ると大慌てで立ち上がったが、長尚は構わず戸を開けた。中ではさくらが書物を手にたどたどしく読んでいる最中だった。長尚は驚いて思わず聞いた、「読めるのか?」
返ってきた返事にさらに驚く。
「うん、だってこれ、一休さんトンチ話の本だもん。私、全部読んだよ。だから今、門番さんに話してあげてたんだよ」
長尚は幼い頃から読み書きは得意だった。しかし、仮名で書かれているとは言え「一休ばなし」をすべては読んでいない。それを、自分と歳もそう違わない、
しかも身分卑しい女子が全部読んだだと?泣きべそどころか、笑っているではないか。
長尚は奥に行き、漆塗りの黒い箱の中から、しわくちゃの黄ばんだ紙を一枚、とり出した。そして、それをさくらの前にかざして
「じゃあ、これも読めるというのか」と意地悪く聞いた。
さくらは、ほとんど破れかけた紙を手にしばらく「うーん・・・」とうなっていたけど、
やがて「なーんだこれ、ローマ字だ。うん、これニホンノコトバって書いてある。こっちはポルトガルノコトバって。
下に書いてあるのがサカナ、右にペイ・・・なんとか、次はサクラ、あっ、私の名前だ。右は・・・セレージャ、そうか、
これ辞書だよ、左が日本語、右がポルトガル語だ。だって私、自分の名前、外国語でどう言うか調べたことあるもん」
唖然とした。先代から伝わる南蛮渡来のギヤマンを包んであった紙。そこに書かれた
文字の意味を長尚はこれまでどれほど知りたいと願っただろう。悔しかった。いや、
それよりも、どういう素性なんだろう、この娘。放してやろうと来てみたが、結局、門番に「しっかり見ておれ」と
言うだけで蔵を出た。
しかし、父の長泰が戻り、状況が変わった。
先ほどまで繰り広げられた七社八幡の祭りからの帰り、池田長泰は満足と不安の二つの
気持ちを抱えていた。建部郷の田地子、桜、富沢、宮地、市場、中田、久具の村々が神輿を担ぎ、一同に建部上にある
七社八幡宮に集まった。そもそも、この祭りは先代がこの地に陣屋を構えた折り、村人が新しい領主に喜んでもらおうと
始めたものだ。依頼、二十数年途絶えることなく受け継がれてきた。武士もそんな農民を支えるべく、
品田一ノ口から大川の水を建部平野に引き込む大普請を続けてきた。これによって田は大きく広がるだろう。
「領民と力を合わせてこそ国は安泰じゃ」先代からの教えを守ってきた成果が少しずつ実ってきた。
長泰は運が良かったと思う。備中松山藩主の四男として生まれた自分が、本来なら知行地を賜わるなど縁のない身であったのに、
建部池田家に養子として迎えられ、わずか八歳で一万四千石を持つことになった。一方で松山藩を継いだ兄は若くして世を去り、
跡継ぎがおらず藩は改易。三男の兄も千石の旗本で出ることになった。そう考えると二十数年、恵まれた日々であった。しかし、
それも長くは続かないようだ。
一年ほど前から度々、めまいがするようになった。典医の診立てでは、心の臓が弱って
いるとのことだった。が、先般の診立てでは明らかに典医の顔が曇った。
「相当、悪いのか?」
長くても半年、医者の申したことだが恐らくもっと早いだろう。兄も三十三歳で逝った。わしも、こればかりは同様の命運なのだ。
ただ一つ心配なのは我が子、長尚のことだ。長泰がそう考えるのは自分と違い、黙っていても家督を継ぐ嫡男として生まれた息子は、
励もうとする気がまえが欠けていると見られるふしがあった。また、家臣の子らといる時にも、大概その子らの言うことに任せ、
自らが采配することはなかった。
「何とかせねば。このままでは建部一万四千石はとても背負えないだろう」
駕籠が御茶屋の門前に差し掛かった時、外が少し騒がしかった。見ると、風体の怪しい
子どもが門番に取り押さえられている。
「何事だ」
「はっ、実は天満宮で不逞を働いた百姓娘を若君らが懲らしめようと連れ帰りまして、
恐らくその身内と思われますが、その娘を取り返しに来たようで。申すところ、角石村の
道場に厄介になる者とのこと。それと、不明なことを申します、宗春様にお会いしたいとか」
長泰は胸騒ぎがした。なにゆえ誰にも明かしていない、家督を譲った後に子に授けるつもりの「宗春」の
名をその者が知っておるのか。年明けに、子に六代目を継ぐ手配を終えて明かす算段だったのに。
「すぐに、その子どもを中へ連れてまいれ!」
どうなるのか、さくら・・・!
*この物語に登場する人物や出来事は、あくまで想像上のもので実際の人物、史実とは異なります。