*これまでのあらすじ*
建部中学1年生の建部鮎太、小学5年生の妹さくら、同級生の河本温人の三人はふとしたことから江戸時代初期にタイムスリップする。
そこで出会った日蓮宗不受不施派の僧侶、日船や石仏泥棒の富蔵の力を借りながら、彼らはしだいに自分たちの力で生きていくことに目覚めていく。
日船上人の計らいで、鶴田藩角石谷村の武術の達人の老翁にかくまわれることになった三人と富蔵。互いに協力しながら日々を過ごしていく。
鮎太と温人は老人から武術を学ぶ代わりに老人に史実を講じ、さくらと富蔵は生活の切り盛りを教え合う。そんな中、さくらはたまたまケガの手当を施した
事で噂を呼び、村人が治療に押しかけてくる。月半ばに入り、薬を買いにさくら、温人、富蔵の三人は中田新町に向かう。鮎太は老翁の用事で鶴田の町を
訪れる。
*主な登場人物*
建部 鮎太(あゆた)
建部中学1年生の少年
建部さくら
鮎太の妹、小学5年生
河本温人
鮎太の同級生
建部 鮎一郎
鮎太の父、岡山の大学教授
建部 すみれ
鮎太の母
建部 鮎男
鮎太の亡くなっている祖父
建部 桃江
鮎太の祖母
日船上人
不受不施派日蓮宗の高僧
腰折れ富蔵
富沢地蔵の盗人で優しい男
鶴田 楓
鶴田城の姫君
竹内老翁
竹内流武術の開眼者
池田 清尚
建部領主、池田長泰の嫡男
塩谷十兵衛
中田新町の塩問屋の息子
―― 1 ――
三人を見送った後、僕は先生から教わった家を訪ねて鶴田の町に入った。町と言っても舟の荷を納めた土蔵があるほかは、
軒先に草履(ぞうり)や蓑(みの)やらがぶら下がった店とも言えない何軒かと、
「はたご」と書いた看板の掛かる家が1〜2軒ある程度だ。これなら今の福渡の町はきっと大都会に見えるだろうなと何だかうれしくなった。
後ろに小高くそびえているのが鶴田城のあった城山だ。かつて僕らの先生が宇喜多勢と、
この城や上流にある一ノ瀬城でいくさを繰り広げたのだ。
訪ねる家はすぐに見つかった。町を抜けて少し行くと竹やぶが続き、その先に藁(わら)ぶき家が数軒あった。そのうちの1軒が
糟屋助右衛門という人の家だった。温人によると、その人の名前は旧建部町時代に編纂された「竹内流」という本の中にあったそうだ。
何でも一ノ瀬城が落城した後も竹内親子を支援していた人らしい。
僕は出て来られた、腰を曲げ杖をついた小柄な老人に自分は角石谷の道場に厄介になる身で、先生の手紙を持参したことを伝えた。
助右衛門さんは「それは、それは、わざわざのお越し恐縮でござる。して、大将はお達者でいられるか・・・そうですか、
それはなによりです。せっかく来られたので、茶の一杯でも召し上がっていただきたいが、なにぶんにもこの年寄り、身の回りの
すべてを通いの者に頼っておるあり様。お許し下され」
それから老人は杖を置いてそばにあった切り株に座り、とつとつと話をしてくださった。
「いやあ、激しい戦じゃった。敵の宇喜多勢が四千騎、わが方は一千騎、郷内の動ける男はすべて馳せ参じた。
城をぐるりと囲まれても、そのたびに追い返し、なんとか持ちこたえておったのじゃが、いよいよ矢も食い物も底をつき、
鶴田の城をあとにした。
残るは一ノ瀬城のみ。ここを決戦場と定め、後には引けぬと皆が総出で戦った。
出丸めがけて攻め登る敵に岩石を落としては、しりぞかせ、まわりの山中では潜んだ兵が接近戦で相手に切りつけ、ことごとく
敗退させた。山の中は長い槍や刀は役に立たぬで、わしどもは小刀と体術に長けておったから。
ところが敵もさるもの。このまま近づけんでは城に火を放つこともできん。そこで、蔦(つた)で作った網に石を入れて、
それを反らせた二本の立木にくくり、雨やあられと飛ばし始めた。これには参った。
兵が城中に避けるすきに火の矢が放たれてしもうた。
あの落城以来、大将はきっぱりと武士とは縁を切られた。つくづく厭になられたのです。野に入り、土を耕し種をまく、百姓になられた。
そうして、ひたすら人の心を鍛えるための武術、その開眼に精進してこられた。ご身内にも、けっして武士になるなと言われ、仕官の口がいくつも
あったのに、かたくなに受けられなかった。
あれから徳川の世になり幾十年、今となれば、それが正しかったとわかり申す。もはや武士に如何ほどの役目がございましょうか。
むしろ、この平穏な時なればこそ、己に成すべきことがあると、あの方はお考えになられたのでしょう。いつになろうとも、尽きることのない
人と人との争い、これをわずかでも無くしたいと。
ましてや、人の心というものは、どうにもままならぬもの。普段は仲が良うても、何かの拍子で疑心が生まれ、するとそれが憎しみに変わり、
やがてはいがみ合う。それが、これまでの人の世の常、そのことを、あの方はよくご存じなのです。皆の心が善をもって動じねば、諍いも
なくなる。ましてや殺しあうこともない。武士も百姓も身分の分け隔てなく、あの方が教授されておるのは、そのような思いからだと存じます。
偉いお人です・・・」
鶴田の町を出たのは、まだ朝の光が感じられる時刻だった。僕は前から旭川ダムに沈んだこのあたりの昔の地形を見ておきたいと思っていた。
秋に行われる中学校の文化祭「飛翔祭」で、温人やクラスの仲間と「旭川ダムに水没した自然」と題して等高線の模型を発表する予定だったけど、
資料が少なくてうまく再現できなかったから。
僕は再び滝谷川に出て板橋を渡り、旭川に入り込む河口へと進んだ。そこに第二ダムにより水中に姿を消した伝説の湖、「姫こ渕」がある。
河口の手前まで行くと、左方向に大きな楓(かえで)の木が立つこんもりした林が見えた。近づくと、木々の向こうに、旭川に沿って長く碧々と
した水面が広がっているのが分った。
「ここだ!」
次回、運命の出会いが・・・!
*この物語に登場する人物や出来事は、あくまで想像上のもので実際の人物、史実とは異なります。