*これまでのあらすじ*
建部中学1年生の建部鮎太、妹さくら、同級生の河本温人はふとしたことから江戸時代初期にタイムスリップする。
そこで出会った僧侶、日船や石仏泥棒の富蔵、角石村の剣の達人、竹内老翁の力を借りながら、
彼らはしだいに自分たちの力で生きていくことに目覚めていく。
そんな中、鮎太は「姫こ渕」で美しい姫と出会う。一方、中田新町に薬を求めに行ったさくらは、侍の子らと揉め事になり、
解決策として鮎太たちは侍の子らと新年の武術披露会で試合をすることになる。同時に領主の嫡男、長尚の指導も任される。
試合は鮎太が勝ち、褒美として富蔵を腰折れ地蔵の守り人にしてもらう。試合の帰り、鮎太らは侍の子らの襲撃に合うが、
長尚の力で難を逃れる。鮎太は楓姫と会い、必ず現代にいっしょに戻ると誓う。その後、鮎太の元に、一ノ口用水路の完成を知らせる
池田藩家老の手紙が届く。
*主な登場人物*
建部 鮎太(あゆた)
建部中学1年生
建部さくら
鮎太の妹
河本温人
鮎太の同級生
腰折れ富蔵
富沢地蔵の盗人
鶴田 楓
鶴田城の姫君
竹内老翁
竹内流の開祖
池田 長尚
若き池田宗春
塩屋十兵衛
塩問屋の息子
この時代の一の口井堰がどのように造られたかを知りたいという思いは、僕や温人だけでなくきっと建部の歴史に興味のある人ならだれでもが抱くだろう。
一の口井堰は備前、美作両藩の国境である旭川の中央から備前に向け、斜めに五一五メートルの長さの堰が造られたある。
川をせき切るために巨石が置かれ、僕らの時代でもどうやってこの大石を切り出し、川の真ん中まで運んできたか謎となっている。
引かれた水は用水路となって建部上、宮地、市場、中田、西原の五つの村を六キロメートルも流れて潤おしている。
それ以外にも簗(やな)をかけて、胴木を上げて洪水の時に水と砂を簗に流す工夫など高い技術が使われ、いったい誰がこの指導をしたのか、
よほど頭のいい人だったに違いないと言われている。
僕らは約束の日の朝、御用舟で旭川を下った。少しすると川を二つに分ける堰が目の前に現れた。
その上に数人の人が立ち、白い紙を持ちしきりと何かを書きつけている。僕らの舟は引水の方へと舵をきった。
小田十郎左衛門さんがやって来て「よくぞ参られた、紹介したい方がおるのでこちらへ」と堰の突端まで案内してくれた。
そこにいたのは、真っ黒に日焼けした人夫頭のような男の人と、萎れた青菜のような若いお侍だった。
その青菜のお侍に向け、小田さんが「津田殿、こちらが先ほどまで話しておった鮎太殿と温人殿じゃ。大層な知恵者で先を見通す力を持たれておる」と僕らを紹介した。
青菜のお侍は深々とお辞儀をされ「本城より参りました、津田又六と申します。お話しは小田殿から聞きおよんでおります。拙者も学問を何より大事と考えております。この国を治めていくことで、何か策があればお教え願いたい」
温人の顔を見ると「うん」とうなずいたので、やはりそうかとおもった。この方が、のちに後楽園や日本最古の庶民学校を築いた津田永忠に違いない。
一の口井堰にも関わったと言われていたけど資料が残っていなくて、井堰を指定文化財にしようとがんばっている地元の人たちが残念に思っていた。
「津田さま、この大きな石はどうやって運んだのですか」温人が聞いた。
「いえ、さすがにこれだけの石を切り出してここに置くほどの力は拙者にもござりません。聞き及ぶには、以前ここを治めていた加藤清正公の頃に礎がなされておったと。されど難所が多々あり申して、水を引き込むまでには至らなかった。そこでわが藩で数年の歳月をかけ普請を進めてきたのです」
又六さんは岸に向かって歩きながら尚も話をつづけた。
まだまだ続く次号、乞うご期待!
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*この物語に登場する人物や出来事は、あくまで想像上のもので実際の人物、史実とは異なります。