Asagaya Parkside Gallerie 記憶写真

「兄のデビュー(2)」

午後からは講堂に入った。
いよいよ兄の所属する吹奏楽部の演奏が近づいてきた。兄は夏休みの間中クラリ
ネットを吹いてこれに備えていた。私達はできるだけ前の方の席に座った。
めずらしく全部がいす席だった。すでに腰を下していた。父兄の大半が母と同年代
の、しかも同様の着物をきた女の人だった。一瞬私をはぐれた時の不安がよぎった。
やがて場内は暗くなり女子生徒の声で開始のアナウンスがされた。
この後いくつかの合唱や踊り朗読といったものが披露された。が、覚えていない。
私は眠ってしまっていた。
いすの下深く引きずり込もうとする魔力にとりつかれていた。
「寝ちゃあおえんよぉ、寝ちゃあおえんよぉ」と言う母の声がだんだん小さくなった。
次に聞こえたのは姉の「ユーちゃん、始まったよぉー始まったよぉー」と耳元で直接
叫ぶ声だった。必至になって眠気を耐えていると、次第に金色に反射するステー
ジが写し出されてきた。大爆音が鳴り響いた。(私にはそう聞こえた。)それから
次々と同じ楽器を持った人達が立ち上がり、楽器を右に左に振って演奏を始めた。
私達は兄を探した。最初の曲が終わり指揮者が演奏者を一人ずつ紹介し始めた。
その度にせわしなくスポットライトが名を呼ばれた人の頭の上を動き回った。
クラリネットの番になった。しかし兄の名前は呼ばれなかつた。
「おかしいなぁヒロシ(兄)はどこにおるんじゃろうか」
姉が舞台の端から端を目で追いながら母に問うた。
「ふぅん・・・」と答えたきり母も舞台の暗がりにいる生徒の方に視線を凝らした。
そして指揮者による演奏者の紹介も最後かと思われた時、スポットライトが最後列
の左端に移動した。追いかけるように兄の名前が呼ばれた。間を置かず
「シャカシャカシャカシャカ」と乾いた音が鳴った。続いて何かへちまの形をした
ものが宙を回った。それが再び兄の手に戻ったのを見たとき一斉に拍手が起こ
った。得意そうに笑う兄の顔がスポットライトに浮かび上った。
兄のデビューだった。

翌日私はさっそく学校に行き友達を教室の後ろに集め、昨日の興奮のステージを
再現して見せた。(昔から私は単純で熱中し易い性格だった。それは今も変わら
ないのだろう。)両手に筆箱を持ちそれを「シャカシャカシャカ」と口で言いながら
顔の前で振り、頭上に放り投げてみせた。しかしそれくらいの演奏ではやはり友達
といえど拍手はもらえない。おまけにいつのまにか教室に入って来ていた私の
4年の担任太田先生(私の絵を最初に指導してくれた。)から
「ユウちゃん、勉強の道具をおもちゃにするんじゃあ残り掃除でえ」と小言をくらい、
私の方のデビューはお預けとなった。
この後、私が正式にデビューするには数年を必要とした。




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