Asagaya Parkside Gallerie 記憶写真

「鯛焼き」


家の前の”くりや”のおじさんは柔道五段で県の柔術師範の免状も持っている。
そのおじさんに、「こりゃあ強ええ柔道八段じゃ」と免許皆伝された私は、毎日その
技を使いたくて学校に行くのが楽しくてしょうがない。そんな”くりや”のおじさんは
別の顔も持っている。国道N号線”三田口の鯛焼き”屋。
”三田口の鯛焼き”こりょう知らんで鯛焼きを焼いとったらそりゃあ「もぐり」でえ”
と言われる。国道N号線は九州、大阪、東京を結ぶ大幹線。そこを1日中トラックや
オートバイがぶっ走る。おじさんは6台の鯛焼き型を七輪でゴロンゴロン、並べるはじ
から売れていく。目印は後ろの松の木にくくりつけた「たいやき」の白いのぼりだけ。
これ目がけて今日もまたトラックが一台止まった。
「おっさん鯛焼き20丁!」
「ちょっと待ってんよう、今焼くけん、ユウちゃん後でもええかあ?座とんねえ」
私は松の木の根っこに腰を下ろし、ステテコに赤い腹巻のああさん(若い男の人)を
眺める。
「ほーんまおっさんの鯛焼きゃあ、うめえわぁ。”つれ”にいっつもこうてけえ言われ
て寄るんじゃあ・・N号線1(いち)でえ」
甘い生地の香りが車のおこす風に運ばれる。
そうする内にまた一台が止まった。
「あっりゃあー、今日は先い越されたかあ、おっさんわいも20丁!」
”赤腹巻”と知り合いらしいが、こちらは青い腹巻にステテコのああさんだ。
「すまんのうユウちゃん、もういっこ(一回)待ってくれえ」
「ぼく、悪りいのう急ぎょうるけん!ほんまここの鯛焼きはあんこが違がわあ、
尻尾まで入っとってのう」

「お待っとうユウちゃん、五つ。今日は田圃の手伝でいかあ、誰が出とんでえ」
私は、父と母とすぐ上の兄と本家のコウちゃん(母の下の弟)じゃと言った。
25円渡すと「こりゃあ、待たしたけん駄賃じゃ」ともう一匹入れてくれた。
「ありょう試してみたかあ?」おじさんは両手を上に放る格好をした。
「ありゃあとっておきの技じゃけん、怪我あせんように柔らけえとこで練習せにゃあ」
私は自転車にぶら下げたビニールの買い物かごに、まだ熱い紙包みをいれると、
同じ国道沿いにある家の田圃に向かった。途中何度か自転車を止め余計にもらった
鯛焼きを食べようかと思ったが、母に伝えてからの方がいいと考え直した。
もし兄と分けることになったら”尻尾”の方をもらおうと決めた。
田圃ではあらかた稲の脱穀が終わり藁が山積みになっていた。
「おせえのう(遅い)」兄が遠くから怒鳴った。私は母に近づいて一個多いことを話した。
脱穀機の音と頬かむりのせいで声がよく伝わらなかったが、「二人で仲良う先に食べ
てねえ」と言ったようだ。私は兄を呼んで陽のあたる藁山に場所をつくった。
兄が精根を費やして二つに分けた。”頭”とも”尻尾”とも言い難い出来栄えだった。
「どっちにすんなあ」と聞かれ”尻尾”じゃあと言ったが、「ああ尻尾か」と言われ
「”頭”じゃあ」と言い変えた。
その後は兄に頼んでおじさん直伝の”ともえ投げ”の練習をした。しかし両方とも技は
掛けても投げられようとしないので練習にならなかった。私は藁束を相手に稽古をす
ることにした。藁は快く私の技を受けてくれた。
西の空が朱色に染まり始め、稽古にも飽きてきた私はそのまま寝ころがって舌で歯を
探っていた。するとまだあんが一粒隙間に残っいてるのに気がついた。何だか得した
気分になり、それをじっくり噛みしめ
「よーし明日こそ”ともえ投げ”じゃあ」と再び藁を放った。




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