Asagaya Parkside Gallerie 記憶写真

「げてもん食いの上機嫌〜腸さし 」


夕食は水炊きだった。細かな金色の油膜が沸き立つ鍋に春菊とネギがたっぷりと
入れられた。
私達は肉を探して鍋をかき回した。父が食べやすい肉片を見つけ私の皿にのせた。
すぐに一番上の兄が「えこひいきじゃがあ」と声を張り上げた。
「なーんもえこひいきじゃあねえがあ、おめえも食べりゃあええがあ。まだいっぺい
あるがあ」
父はこの日、終始上機嫌だった。自分でさばいた鶏を前に子供らが争って食べる
様子を満足げに見ていた。
「もう、ようそげえなもん食うなあ、げてもんじゃがあ。」
顎で父の皿を指して母がいつもながらに言った。
「そうじゃがあ気味がわりい。」姉も同調した。私達も口ぐちに”うえぇー”とか”うぉー”
とか言って応じた。
父の食膳には一口大に切られた薄いピンク色の腸が盛られていた。それを上機嫌
のまま酢味噌につけ、口に入れてから父は
「おめえもちょっと食べてみい、家の鶏じゃっけんうめえでえ」と母に言った。
母は肩をすぼめ首を震わせて「もうええ!」と素振りで示した。
父は鶏をつぶすと必ず生で食べた。肝、腸、ささ身、何でも生だった。生姜醤油に
つけたり酢味噌で食べたり。生が一番うまいと言っていた。この日も卵を産まなく
なった(家では”とやをした”と言った)鶏を一羽つぶしたばかりだった。
父のこうした光景は家では当たり前だったので私達も一応ワーワー騒ぐだけで
5対1の食事は進められた。5対1だったが父の充実感は5対100にもなっていた
だろう。いつもは母の機嫌を窺っている父も、”どうならあ、やっぱりわしがおらんと
いけまあが(だめだろう)”と一家の大黒柱の気分を久々に味わってるように見えた。

数日前のこと、母が
「上におる大きいのが”とや”しとる」と父に言った。
「どの鶏なあ、あのちょっと足の悪りいやつかあ?」
「そうじゃあのうて、尻んとこの毛えが薄うなっとる大きいのがおるじゃろう」
早速、次の休みの朝、庭の方が騒がしくなった。ぱたぱたと、”クェークヮックヮッ
クヮッ”慌てふためく音がする。
家には10羽程の鶏がいた。小屋は庭の”びび”の木の横にあった。低い二階建てで
子供でも餌箱に手が届いた。私はよく近くの畑のあぜにほうれん草に似た青草を
取りに行き、じかに鶏に与えた。しじみの殻を叩いて糠と混ぜてやることもあった。
夢中に餌をついばむ様子は長い間見ていても飽きなかった。
母の言った鶏は逃げ回っていたが、胴をつかまれおとなしくなって小屋から出された。
父はそれを脇に抱えどぶ板の上であっさり首を絞めた。その時、ふたたび抵抗した
鶏も”クェッ”を最後に静かになった。まだパジャマ姿だった私は父のいつもの手際
のよさに感心して見入っていた。
小刀が首に入れられ、逆さにされた鶏は猫にやられないように軒下の高い所に吊る
された。血がどぶ板の上にポタポタと滴(したた)ってきた。
午後昼食をおえた父は鶏をおろし、藁をひと束持って前の川に出かけた。
私は母から小さい出刃包丁と白いバットを渡され父の後を追った。
すでに橋のたもとが綿毛のような羽毛で覆われていた。私は持ってきたバットと出刃
を川中に続く石段の側に置いた。
たんねんに毛をむしりおえた父は藁に火をつけ注意深く最後の毛を焼いていった。
上空には早くもとんびが「ピィーヒョォー」と合図を交しやって来た。
川中に続く石段は三段あって大人が二人座れる程度の幅だった。その二段目に腰を
下し父は作業にかかった。石段脇の平たい石の上を川草でゴシゴシとこすり、(ここを
踏み台に私達は川によく飛び込んだ。)鶏を上に寝かせた。
まず皮一枚でつながっていた首が切り離された。父がそれを上へ放った。黒い影が
さっと来て川筋に沿ってゆっくり飛んでいった。
それから足が落とされ手前に捨てられた。(夏に潜ったら砂地に埋もれた足が墓標
のように立っていた。)次に腹が裂かれた。中から鮮やかな橙色の金冠が出てきた。
豆つぶほどのものからピンポン玉ぐらいになったものまで連なっていた。私は再び
見入った。父はそれを大事そうにバットに移し続いて内臓を取り出した。肝と腸だけ
が別に切り分けられ余分なところは川へ放られた。今度もとんびがくわえていった。
最後に父は取りよけた60センチ程の腸を出刃の先で器用に割いていった。黄土色
の糞が溶け出て水の中に広がった。さらにぐちゅぐちゅ手の中で揉んだ後、鶏の
腹の中にも入れぐにゅぐにゅ撫で回し汚れをぬぐった。
すべての作業が終わり父は帰り支度を始めた。燃え残った藁で岸を掃き、石段の
まわりを拭き落した。空にはまだ一羽、とんびが輪を描きながら飛んでいたが、
「ほなぁこれ持って先い帰れ、転ぶなよ」とズシリと重いバットを手渡された。
途中振り返ってみると父は足元から白い破片を拾って投げ、最後のとんびがそれを
もらって宙に舞った。

告白すると私はまだ”腸さし”を食べたことがない。ええっと思われるほど食い意地
の張った私だがその機会がなかった。父ならきっとこう言うだろう。
「ユウちゃんあげんうめえもん、まぁだ食っとらんのんかぁ!」
でも今なら私はこう言い返すことができる。
「そげんことを言うけどお父ちゃん、お父ちゃんの捨てとった鶏の足、台湾に行った
ら佃煮にして食べとったでえ」
父の残念がる顔が浮かぶ。


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